2018年10月31日水曜日

リビドーのトラウマへの固着

【事故的トラウマへの固着】
外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的事故の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。

これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況 traumatische Situation を反復するwiederholen。また分析の最中にヒステリー形式の発作 hysteriforme Anfälle がおこる。この発作によって、患者は外傷的状況のなかへの完全な移行 Versetzung に導かれる事をわれわれは見出す。

それは、まるでその外傷的状況を終えていず、処理されていない急を要する仕事にいまだに直面しているかのようである。…

この状況が我々に示しているのは、心的過程の経済論的 ökonomischen 観点である。事実、「外傷的」という用語は、経済論的な意味以外の何ものでもない。

我々は「外傷的(トラウマ的 traumatisch)」という語を次の経験に用いる。すなわち「外傷的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、トラウマへの固着、無意識への固着 1916年)


【病因的トラウマへの固着】
われわれの研究が示すのは、神経症の現象 Phänomene(症状 Symptome)は、或る経験Erlebnissenと印象 Eindrücken の結果だという事である。したがってその経験と印象を「病因的トラウマ ätiologische Traumen」と見なす。…

(1) (a) このトラウマはすべて、五歳までに起こる。…二歳から四歳のあいだの時期が最も重要である。…

(b) 問題となる経験は、おおむね完全に忘却されている。記憶としてはアクセス不能で、幼児性健忘期 Periode der infantilen Amnesie の範囲内にある。その経験は、隠蔽記憶Deckerinnerungenとして知られる、いくつかの分離した記憶残滓 Erinnerungsresteへと通常は解体されている durchbrochen。

(c) 問題となる経験は、性的性質と攻撃的性質 sexueller und aggressiver Natur の印象に関係する。そしてまた疑いなく、初期の自我への傷 Schädigungen des Ichs である(ナルシシズム的屈辱 narzißtische Kränkungen)。…

この三つの点ーー、五歳までに起こった最初期の出来事 frühzeitliches Vorkommen 、忘却された性的・攻撃的内容ーーは密接に相互関連している。トラウマは自身の身体の上の経験 Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚 Sinneswahrnehmungen である。…

(2) …トラウマの影響は二種類ある。ポジ面とネガ面である。

ポジ面は、トラウマを再生させようとする Trauma wieder zur Geltung zu bringen 試み、すなわち忘却された経験の想起、よりよく言えば、トラウマを現実的なものにしようとするreal zu machen、トラウマを反復して新しく経験しようとする Wiederholung davon von neuem zu erleben ことである。さらに忘却された経験が、初期の情動的結びつきAffektbeziehung であるなら、誰かほかの人との類似的関係においてその情動的結びつきを復活させることである。

これらの尽力は「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫Wiederholungszwang」の名の下に要約される。

これらは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。…

したがって幼児期に「現在は忘却されている過剰な母との結びつき übermäßiger, heute vergessener Mutterbindung 」を送った男は、生涯を通じて、彼を依存 abhängig させてくれ、世話をし支えてくれる nähren und erhalten 妻を求め続ける。初期幼児期に「性的誘惑の対象 Objekt einer sexuellen Verführung」にされた少女は、同様な攻撃を何度も繰り返して引き起こす後の性生活 Sexualleben へと導く。……

ネガ面の反応は逆の目標に従う。忘却されたトラウマは何も想起されず、何も反復されない。我々はこれを「防衛反応 Abwehrreaktionen」として要約できる。その基本的現れは、「回避 Vermeidungen」と呼ばれるもので、「制止 Hemmungen」と「恐怖症 Phobien」に収斂しうる。これらのネガ反応もまた、「個性刻印 Prägung des Charakters」に強く貢献している。

ネガ反応はポジ反応と同様に「トラウマへの固着 Fixierungen an das Trauma」である。それはただ「反対の傾向との固着Fixierungen mit entgegengesetzter Tendenz」という相違があるだけである。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


……………


【母からの分離という原トラウマ】
経験された無力な状況(寄る辺なき状況 Situation von Hilflosigkeit )を外傷的 traumatische 状況と呼ぶ 。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
(症状発生条件の重要なひとつに生物学的要因があり)、その生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、喪われた子宮内生活 verlorene Intrauterinleben をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
人間の最初の不安体験 Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)
オットー・ランクは『出産外傷 Das Trauma der Geburt』 (1924)にて、出生という行為は、一般に母への「原固着 Urfixierung」が克服されないまま、「原抑圧 Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出産外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。

後になってランクは、この「原トラウマ Urtrauma」を分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。この仕事のためには、わずかに二、三ヵ月しか要しないはずである。ランクの見解が大胆で才気あるものであるという点には反対はあるまい。けれどもそれは、批判的な検討に耐えられるものではなかった。(……)

このランクの意図を実際の症例に実施してみてどんな成果があげられたか、それについてわれわれは多くを耳にしていない。おそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すだけで満足する、といったことになってしまうのではなかあろうか。もちろん、そのようにしたために、消化活動が著しく短縮化される場合もことによったらあるかもしれないが。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年)


⋯⋯⋯⋯

【異物としてのトラウマ】
トラウマ、ないしその記憶は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物のように作用する。(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

異物とは、リビドーの固着(欲動の固着)の置き残し(居残り)のことである。

・リビドーは、固着Fixierung によって、退行Regressionの道に誘い込まれる。リビドーは、固着を発達段階の或る点に置き残す(居残るzurückgelassen)のである。

実際のところ、分析経験によって想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisse が、リビドーの固着 Fixierungen der Libido を置き残す hinterlassen 傾向がある、ということである。(フロイト 『精神分析入門』 第23 章 「症状形成へ道 DIE WEGE DER SYMPTOMBILDUNG」、1917年)
・どの固有の欲動志向(性的志向 Sexualstrebung)においても、その或る部分は発達の、よ り初期の段階に置き残される(居残るzurückgeblieben)。他の部分が目的地に到達することがあってさえ。

・より初期の段階のある部分傾向 Partialstrebung の置き残し(滞留 Verbleiben)が、固着 Fixierung、欲動の固着 Fixierung (des Triebes nämlich)と呼ばれるものである。(フロイト『精神分析入門』第22 講、私訳)
・生において重要なリビドーの特徴は、その可動性である。すなわち、ひとつの対象から別の対象へと容易に移動する。これは、特定の対象へのリビドーの固着Fixierung der Libido an bestimmte Objekteと対照的である。リビドーの固着は生涯を通して、しつこく持続する。

・母へのエロス的固着の残余は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への従属として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)


【残存現象、あるいはリビドーの固着の残存物】
発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり前段階の現象が部分的に置き残される Zurückbleiben という事態は、ほとんど常に認められるところである。物惜しみをしない保護者が時々吝嗇な特徴 Zug を見せてわれわれを驚かしたり、ふだんは好意的に過ぎるくらいの人物が、突然敵意ある行動をとったりするならば、これらの「残存現象 Resterscheinungen」は、疾病発生に関する研究にとっては測り知れぬほど貴重なものであろう。このような徴候は、賞讃に値するほどのすぐれて好意的な彼らの性格が、実は敵意の代償や過剰代償にもとづくものであること、しかもそれが期待されたほど徹底的に、全面的に成功していたのではなかったことを示しているのである。

リビドー発達についてわれわれが初期に用いた記述の仕方によれば、最初の口唇期 orale Phase は次の加虐的肛門 sadistisch-analen 期にとってかわり、これはまたファルス期 phallisch-genitalen Platz にとってかわるといわれていたのであるが、その後の研究はこれに矛盾するものではなく、それに訂正をつけ加えて、これらの移行は突然にではなく徐々に行われるもので、したがっていつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける、そして正常なリビドー発達においてさえもその変化は完全に起こるものではないから、最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着の残存物 Reste der früheren Libidofixierungenが保たれていることもありうる。

精神分析とはまったく別種の領域においても、これと同一の現象が観察される。とっくに克服されたと称されている人類の誤信や迷信にしても、どれ一つとして今日われわれのあいだ、文明諸国の比較的下層階級とか、いや、文明社会の最上層においてさえもその残滓 Reste が存続しつづけていないものはない。一度生れ出たものは執拗に自己を主張するのである。われわれはときによっては、原始時代のドラゴン Drachen der Urzeit wirklich は本当に死滅してしてしまったのだろうかと疑うことさえできよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)


【身体的なものの残滓】

リビドーの固着(欲動の固着)とは、「身体的なもの」が「心的なもの」に全的には移し替えられないこと(原抑圧)である。

ラカンの現実界 Réel は、フロイトの無意識の臍(夢の臍 Nabel des Traums)であり、固着Fixierung のために「置き残される zurückgeblieben(居残るVerbleiben)」原抑圧 Urverdrängungである。「置き残される」が意味するのは、「身体的なもの Somatischem」が「心的なもの Seelischem」に移し変えられないことである。(ポール・バーハウ『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER』2001)

したがって、この身体的なものの残滓が不気味な異物のように作用して、人を反復強迫に陥れる。

欲動代理 Triebrepräsentanz は(原)抑圧により意識の影響をまぬがれると、それはもっと自由に豊かに発展する。

それはいわば暗闇の中に im Dunkeln はびこり wuchert、極端な表現形式を見つけ、もしそれを翻訳して神経症者に指摘してやると、患者にとって異者のようなもの fremd に思われるばかりか、異常で危険な欲動の強さTriebstärkeという装い Vorspiegelung によって患者をおびやかすのである。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)


【対象aと異物】

異物とは、ラカンの対象aの最も基本的な意味である(対象aの三相については「対象aの三義性」を参照のこと)。

対象a とは外密である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)
外密 extimitéという語は、親密 intimité を基礎として作られている。外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。それは、異物 corps étranger のようなものである。…外密はフロイトの 「不気味なものUnheimlich 」である。(Jacques-Alain Miller、Extimité、13 novembre 1985)



【サントームΣと固着】

ラカンのサントーム(原症状)とはフロイトの「リビドーの固着」、あるいは「異物」のことである。

我々が……ラカンから得る最後の記述は、サントーム sinthome の Σ である。S(Ⱥ) を Σ として grand S de grand A barré comme sigma 記述することは、サントームに意味との関係性のなかで「外立ex-sistence」の地位を与えることである。現実界のなかに享楽を孤立化すること、すなわち、意味において外立的であることだ。(ミレール「後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan,」 、6 juin 2001」 )
ラカンが症状概念の刷新として導入したもの、それは時にサントーム∑と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (ミレール、Ce qui fait insigne、The later Lacan、2007所収)
「一」Unと「享楽」jouissanceとの結びつきが分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。(ジャック=アラン・ミレール2011, Jacques-Alain Miller Première séance du Cours)

「一」Unと「享楽」jouissanceとの結びつきとは、一のシニフィアンと身体との結びつきということである。

ラカンは、享楽によって身体を定義する définir le corps par la jouissance ようになった。(ジャック=アラン・ミレール 、 L'Être et l 'Un - Année 2011, 25/05/2011)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字-固着 lettre-fixion、文字-非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である…

現実界の定義のすべては次の通り。常に同じ場 toujours à la même place かつ象徴界外 hors symbolique にあるものーーなぜならそれ自身と同一化しているため car identique à elle-mêm--であり、反復的 réitérable でありながら、差異化された他の構造の連鎖関係なし sans rapport de chaîne à d'autre Sa のものである。したがってラカンが現実界的無意識 l'inconscinet réel について注釈した二つの定式の結束としてある。すなわち「一のようなものがある y a de l'Un」と「性関係はない "y a pas" du RS」(コレット・ソレール2017,"Avènements du réel" )


《シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状》には、上に見てきたように、残滓が必ずある。

常に「一」と「他」、「一」と「対象a」がある。il y a toujours l'« Un » et l'« autre », le « Un » et le (a)  (ラカン、S20、16 Janvier 1973)

別の言い方をすれば、身体の上への刻印「一」のあるところには常に、《「一」と身体がある Il y a le Un et le corps(Hélène Bonnaud、Percussion du signifiant dans le corps à l'entrée et à la fin de l'analyse、2013)

この残存物をラカンは《異者としての身体 un corps qui nous est étranger 》(S23, 11 Mai 1976)と呼んだ。すなわちフロイトの《異物 Fremdkörper》である。

たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)


2018年10月17日水曜日

国家は収奪機関である

マルクスは、「価値形態」を考察した後で、「交換過程」という節で、商品交換の発生を歴史的に考察しているように見える。そこで彼がいうのは、それが共同体と共同体の間で始まるということである。《商品交換は、共同体の終わるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まるのだ。しかし物は、ひとたび共同体の対外生活において商品となれば、たちまち反作用的に共同体の対内生活でも商品となる》(『資本論』第一巻第一篇第二章)。しかし、これは歴史的な遡行によってではなく、貨幣経済に固有の性格を超越論的に明らかにすることから見いだされる「起源」である。マルクスは、右のようにいうとき、別の交換形態が存在することを前提としている。商品経済としての交換は「交換」一般のなかで、むしろ特殊な形態なのである。

第一に、共同体の中にも「交換」がある。それは贈与―お返しという互酬制である。これは相互扶助的だが、お返しに応じなければ村八分にあるというふうに、共同体の拘束が強くあり、また、排他的なものである。

第二に、共同体と共同体の間には強奪がある。むしろ、それが基本的であって、商品交換は、互いに強奪することを断念するところにしか始まらない。にもかかわらず、強奪も交換の一種と見なしてよい。というのは、持続的に強奪するためには、被強奪者を別の強奪者から保護したり、産業を育成したりする必要があるからだ。それが国家の原型である。国家は、より多く収奪しつづけるために、再分配によって、その土地と労働力の再生産を保証し、灌漑などの公共事業によって農業的生産力を上げようとする。その結果、国家は収奪の機関とは見えないで、むしろ、農民は領主の保護に対するお返し(義務)として年貢を払うかのように考え、商人も交換の保護のお返しとして税を払う。そのために、国家は超階級的で、「理性的」であるかのように表象される。したがって、収奪と再分配も「交換」の一種だということができる。人間の社会的関係に暴力の可能性があるかぎり、このような形態は不可避的である。

さらに、第三のタイプが、マルクスのいう、共同体と共同体の間での商品交換である。この交易は相互の合意によるものであるが、すでに述べたように、この交換から剰余価値、すなわち資本が発生する。とはいえ、それは強奪―再分配という交換関係とは決定的に違っている。

ここで、つけ加えておきたいのは、第四の交換のタイプ、アソシエーションである。それは相互扶助的だが、共同体のような拘束はなく排他的でもない。アソシエーションは、資本主義的市場経済を一度通過した後にのみあらわれる、倫理的―経済的な交換関係の形態である。アソシエーションの原理を理論化したのはプルードンであるが、すでにカントの倫理学にそれがふくまれている。

ベネディクト・アンダーソンは、ネーション=ステートが、本来異質であるネーションとステートの「結婚」であったといっている。これは大事な指摘であるが、その前に、やはり根本的に異質な二つのものの「結婚」があったことを忘れてはならない。国家と資本の「結婚」、である。

国家、資本、ネーションは、封建時代においては、明瞭に区別されていた。すなわち、封建領主(領主、王、皇帝)、都市、そして、農業共同体である。それらは、異なった「交換」の原理にもとづいている。

すでに述べたように、国家は、収奪と再分配の原理にもとづく。第二に、そのような国家機構によって支配され、相互に孤立した農業共同体は、その内部においては自律的であり、相互扶助的、互酬的交換を原理にしている。第三に、そうした共同体と共同体の「間」に、市場、すなわち都市が成立する。それは相互的合意による貨幣的交換である。

封建的体制を崩壊させたのは、この資本主義的市場経済の全般的浸透である。だが、この経済過程は政治的に、絶対主義的王権国家という形態をとることによってのみ実現される。絶対主義的王権は、商人階級と結託し、多数の封建国家(貴族)を倒すことによって暴力を独占し、封建的支配(経済外的支配)を廃棄する。それこそ、国家と資本の「結婚」にほかならない。商人資本(ブルジョアジー)は、この絶対主義的王権国家のなかで成長し、また、統一的な市場形成のために国民の同一性を形成した、ということができる。しかし、それだけでは、ネーションは成立しない。ネーションの基盤には、市場経済の浸透とともに、また、都市的な啓蒙主義とともに解体されていった農業共同体がある。それまで、自律的で自給自足的であった各農業共同体は、貨幣経済の浸透によって解体されるとともに、その共同性(相互扶助や互酬制)を、ネーション(民族)の中に想像的に回復したのである。ネーションは、悟性的な(ホップス的)国家と違って、農業共同体に根ざす相互扶助的「感情」に基盤をおいている。そして、この感情は、贈与に対してもつ負い目のようなものであって、根本的な交換関係をはらんでいる。

しかし、それらが本当に「結婚」するのは、ブルジョア革命においてである。フランス革命で、自由、平等、友愛というトリニティ(三位一体)が唱えられたように、資本、国家、ネーションは切り離せないものとして統合される。だから、近代国家は、資本制=ネーション=ステート(capitalist-nation-state)と呼ばれるべきである。それらは相互に補完しあい、補強しあうようになっている。

たとえば、経済的に自由に振る舞い、そのことが階級的対立に帰結したとすれば、それを国民の相互扶助的な感情によって解消し、国家によって規制し富を再配分する、というような具合である。その場合、資本主義だけを打倒しようとするなら、国家主義的な形態になるし、あるいは、ネーションの感情に足をすくわれる。前者がスターリン主義で、後者がファシズムである。このように、資本のみならず、ネーションや国家をも交換の諸形態として見ることは、いわば「経済的な」視点である。そして、もし経済的下部構造という概念が重要な意義をもつとすれば、この意味においてのみである。

この三つの「交換」原理の中で、近代において商品交換が広がり、他を圧倒したということができる。しかし、それが全面化することはない。資本は、人間と自然の生産に関しては、家族や農業共同体に依拠するほかないし、根本的に非資本制生産を前提としている。ネーションの基盤はそこにある。一方、絶対主義的な王(主権者)はブルジョア革命によって消えても、国家そのものは残る。それは、国民主権による代表者=政府に解消されてしまうものではない。国家はつねに他の国家に対して主権国家として存在するのであって、したがって、その危機(戦争)においては、強力な指導者(決断する主体)が要請される。ポナパルティズムやファシズムにおいて見られるように。現在、資本主義のグローバリゼーションによって、国民国家が解体されるだろうという見通しが語られることがある。しかし、ステートやネーションがそれによって消滅することはない。たとえば、資本主義のグローバリゼーション(新自由主義)によって、各国の経済が圧迫されると、国家による保護(再配分)を求め、また、ナショナルな文化的同一性や地域経済の保護といったものに向かうことになる。資本への対抗が、同時に国家とネーション(共同体)への対抗でなければならない理由がここにある。資本=ネーション=ステートは三位一体であるがゆえに、強力なのである。そのどれかを否定しようとしても、結局、この環の中に回収されてしまうほかない。資本の運動を制御しようとする、コーポラティズム、福祉国家、社会民主主義といったものは、むしろそのような環の完成態であって、それらを揚棄するものではけっしてない。(柄谷行人『トランスクリティーク』「イントロダクション」2001年)





2018年10月7日日曜日

家族なき社会はない

◆中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」より(2000年初出)『時のしずく』所収



もし、現在の傾向をそのまま延ばしてゆけば、二一世紀の家族は、多様化あるいは解体の方向へ向かうということになるだろう。すでに、スウェーデンでは、婚外出産児が過半数を超えたといい、フランスでもそれに近づきつつある、いや超えたともいう。同性愛の家族を認める動きもあちこちで見られる。他方、児童虐待、家族内虐待が非常な問題になってきている。多重人格は児童期の虐待と密接な関係にあるという見解が多いが、その研究者で治療者のパトナムは、その主著『解離』の最後近くで「児童虐待をなんとかしなければ米国の将来は危ない」という意味のことを強調している。

しかし、外挿法ほど危ないものはない。一つの方向に向かう強い傾向は、必ずその反動を生むだろう。家族の歴史というものはあるけれども、その中にどうも一定の傾向はないようだ。地域によっていろいろあり、時代的にもいろいろあるとしか言いようがない。

人類は、おそらく十万年ぐらいは、生理的にほとんど変化していないと見られている。心理だって、そう変わっていまい。そして、生理と心理は予想以上に密接である。

だから、えいやっと、人類にまで立ち返って、うんと遠くから眺めてみよう。遠くから眺めると小さな誤差や揺れは消えてしまうので、かえって見やすい。そして、家族は、人類が原初から持っている矛盾の中から生まれたことが見えてくるだろう。

2略



生物としての人間の特殊性は、食物連鎖の頂点にある動物であって、しかも多数であるということである。これは生物界では大変なことである。連鎖ピラミッドの下のほうほど個体数が多くなくてはならない。食物連鎖の頂点にある動物は少数であり、ぶらぶらなまけているように見える。それは食う動物がおらず警戒する必要がないからである。だからライオンの寿命は長い。しかし、数は少ない。

生物の生き残り戦略は、数をたくさん産むか、少数を大事に育てるかのどちらかである。獣ではネズミ、鳥ではスズメ、魚ではイワシ、シシャモは、たくさんの子を産み、生き残る少数が次代を作る。獣ではライオン、鳥ではワシ、魚では胎生のタナゴは少数を大事に育てる。前者は食物連鎖の下のほうを選択した。しかし、下ほど不利というわけではない。連鎖の頂点の動物は長期的には滅ぶ率が大きい。食糧とする動物が適当量いてくれる必要があるのだが、さまざまな理由で増減し、時にはなくなってしまうからだ。



家族というものは、別に人間の発明ではない。少産育児系統の動物は、魚であろうとゾウであろうと家族を営む。多産運命任せ系統ならば家族を持たない。例外や中間例はいくらでもあるだろうが、だいたいそう言ってまちがいない。

人間はどうも両方の可能性を持っているのではないか。他のサル類を圧倒したのは、スズメ型戦略、すなわち数である。その戦術の第一が、三六五日、時を構わず性交できる点、第二は、妊娠期間が例外的に短く、しかも出産後、すぐまた妊娠できる点である。短期間にたくさんの子ができる。人間は頭脳よりも先ず下半身で他のサル類に勝ったのである。だから最古の美術が腹部のふくれた、おそらく妊娠した女性の堂々たる像を描き、また多数の女性器をいたるところに記しているのかもしれない。

ただ、母子家庭である他のサルたちと違って、父(夫)が家族の一員になった。頻繁に生まれる子の育児のためだという。父(夫)は専属の下働き、外働き要員である。それまでオスは群全体を守る外働きだった。だから軍隊のように上下関係があるわけだ。

スズメ型であったならば、食物連鎖の頂点にいなかったはずで、もともとは他の肉食獣に食われる存在だったにちがいない。〔・・・〕



私たちは生物界の大変な成り上がり、自然界のバブルだ。美術史家ギ―ディオンは石器時代の絵画を分析して、旧石器時代の人間は劣等感の塊だったと言っている。ライオンより弱く、カモシカより遅く、マンモスより力がなく、ワタリガラスのように空を飛べないなど、よいところがない。だから、動物は敬意を以て、ていねいに描かれている。氏族のトーテムが動物なのは、せめて祖先が優れた動物だったということにしたいからだろう。

ところが、新石器時代になると、美術は一見貧困になるが、狩りの線描など、人間の集団行動が多い。人間は動物を軽蔑するようになったのだ。しかし、自分より偉いものが何もないと、成り上がりは落ちつかず、頭の上がスース―して寒い。そこで神が生れてきたという説がある。

スズメ型なら育児はいい加減なのが大方の動物である。ところが、ヒトではそうはゆかなかった。他のサル類よりも格段に妊娠期間を短くするためには、赤ん坊を未熟児で産むほかなかった。だから、一歳までは、他の動物の胎児なみの保護が必要な状態であり、一歳までの成長があれほども急なのである。スイスの動物学者アドルフ・ポルトマンは、頭が大きいから参道通過のために生理的早産になったのだというが、それは結果論だと私は思う。小さく産んだから子宮の制限なしに脳が大きく育ったということではないか。それでもヒトの赤ん坊の知能はチンパンジーの赤ん坊に劣る。


6略



他のサルたちと袂をわかってスズメ型となったが、そのためにはライオン型の家族が必要だという矛盾が生じた。さいわい、祖先からサル型の家族システムを引き継いでいた。そこに父(夫)を加えて人間家族が生まれた。スズメ型とライオン型という、普通は両立しないものが両立しているかにみえる。これがヒト独自の道であった。そのために、まず道具を使って、動物を殺した。それから家族より大きい集団行動で、大きな動物も圧倒する。カラスがトビを圧倒するのも集団行動ができるからだ。北アメリカまでマンモスを追いかけて、北アメリカのマンモスはそのせいで絶滅した。その勢いでとうとう南米まで行ったのだから凄い。ライオン型になってもネズミほど勤勉だった。集団行動のためには言語が必要だ。家族よりも大きな社会も必要だ。配分のためには法規も必要だ。ここで、イヌを味方につけた。

時間意識は未来に起こることの徴候把握を鋭敏にした。これが知性(徴候知)の起源である。また、徴候を読む能力は、メスの発情期がサルのようにはっきり見えなくなった人類にあっては、異性が自分を今受け入れるかどうかの微妙な表情を読む能力にもつながり、子どもが母親は今自分にやさしくしてくれるかどうかを読む能力にもつながった。

それから農業に手を出した。これは周到な集団行動と、リーダーシップと、年度計画を立てることが必要だ。会計や計算の能力がいる。これが総合知の起源である。ニューギニアの石器使用社会西ダニ族が四角の畑を作り、整然と等間隔にタロ芋を植える写真に私は驚嘆した。これは徴税のためでもあるのだろうか。穀物を種として貯蔵しなければならなくなり、敵であるネズミを追うためにネコを味方につけた。

それから、牧畜に進んだ。家畜は作物と同じで、人間がいないと自然界で生きてゆけない。野性動物に比べて肉が多く、知能が低いというか従順なものを選んだからだ。狩猟時代からの集団行動が家畜に適用されて成功した。その結果、狩猟犬が家畜の番犬になった。ここでウマを味方につける。こうなると、ますます勤勉になるだけではなく、戦争が大規模に起こる。農業社会同士が土地を争い、牧畜社会が越冬のために農業社会を襲う。

つまり、人間は、食物連鎖の頂点にいながら、多産を続け、これを維持するために、勤勉だという例外的動物である。



ヒトの千世紀ほどの長い歴史の中で家族に代わる発明はついに起こらなかった。ただ、家族と社会との軋轢が生じた。家族問題の大部分は家族と社会の接点で起こる。

家族内部のことは実際、個人内部以上にわかりにくい。これは精神科医としての実感である。一つ一つの固有の匂いがあり、クセがあり、習慣があり、当然とされていることと問題となることがある。家族を一種の「深淵」にたとえたことがある。

家族の形態は実に多種多様で、どんな形が現れても驚くに当たらない。しかし、家族なき社会は知られていない。ギリシャ、ローマ、あるいはアメリカの奴隷制でも奴隷に家族を認めている。でなければ奴隷は働かない。近代になっても、家族をやめて、共同体に換えようとした例はけっこうあるが、理想どおりに行ったことはなく皆短期間で崩壊した。最近の実験はカンボジアにおけるポルポトの家族性廃止である。ナチスの強制収容所でも家族を認めなかった。しかし、それ自身が処罰であった。



ただ、二〇世紀には今までになかったことが起こっている。〔・・・〕百年前のヒトの数は二〇億だった。こんなに急速に増えた動物の将来など予言できないが、危ういことだけは言える。

しかも、人類は、食物連鎖の頂点にありつづけている。食物連鎖の頂点から下りられない。ヒトを食う大型動物がヒトを圧倒する見込みはない。といっても、食料増産には限度がある。「ヒトの中の自然」は、個体を減らすような何ごとかをするはずだ。ボルポトの集団虐殺の時、あっ、ついにそれが始まったかと私は思った。

しかも、ヒトは依然スズメ型の力を潜在させている。生活が困難になればなるほど、産児数が増える。いや現に人類の八割は多産多死である。スズメ型である。ちょうど気候不順の年に花がよく咲いて実を稔らせるように私たちの中の自然が産児を増やしているのであろうか。逆に、快適な生活をした社会は産児数が減る。現在のフランスで二〇世紀初頭のフランス人だった人の子孫は何割もいない。過去のギリシャも、ローマもそうであったと推定されている。少産少死型の弱点は、ある程度以下になると、種の遺伝子の弱点が露呈することだ。また、個体が尊重されるあまり、規制力が弱り倫理が崩壊することだ。

冷戦の終わりは近代の終わりであった。その向こうには何があったか。私にはアメリカがローマ帝国と重なって見える。民族紛争は、ローマ時代のローマから見ての辺境の民族の盛衰と重なって見える。もし国家というタガがはまっていなかったら、民族紛争が起こり、あっという間に滅ぶ民族が出ただろう。二十数個の軍団を東西南北に派遣して、国境紛争を鎮めるのに懸命だったローマと、空母や海兵隊を世界のどこにもで送る勢いのアメリカとが重なる。市場経済などは当時からあった。グローバル・スタンダードもあった。ローマが基準だった。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。科学の進歩は思ったほどの比重ではない。科学の果実は大衆化したが、その内容はブラック・ボックスになった。ただ使うだけなら石器時代と変わらない。そして、今リアル・タイムの取引で儲ける奴がいれば、ローマ時代には情報の遅れと混線を利用して儲ける奴がいた(ペトロニウスの『サチュリコン』にあるとおりだ)。

もっとも、ローマ帝国は世界唯一の帝国ではなかった。その外の人類社会がひそかに支えていた機微があるだろう。

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今、家族の結合力は弱いように見える。しかし、困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。石器時代も、中世もそうだった。家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味の性ではなくて、広い意味のエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済である。「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性とがあればよい。家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである。二一世紀の家族のあり方は、何よりもまず二一世紀がどれだけどのように困難な時代かによる。それは、どの国、どの階級に属するかによって違うが、ある程度以上混乱した社会では、個人の家あるいは小地区を要塞にしてプライヴェート・ポリスを雇って自己責任で防衛しなければならない。それは、すでにアメリカにもイタリアにもある。

困難な時代には家族の老若男女は協力する。そうでなければ生き残れない。では、家族だけ残って広い社会は消滅するか。そういうことはなかろう。社会と家族の依存と摩擦は、過去と変わらないだろう。ただ、困難な時代には、こいつは信用できるかどうかという人間の鑑別能力が鋭くないと生きてゆけないだろう。これも、すでに方々では実現していることである。

現在のロシアでは、広い大地の家庭菜園と人脈と友情とが家計を支えている。そして、すでにソ連時代に始まることだが、平均寿命はあっという間に一〇歳以上低下した。高齢社会はそういう形で消滅するかもしれない。

それは不幸な消滅の仕方であり、アルミニウムの有害性がはっきりして調理器から追放されてアルツハイマーが減少すれば、それは幸福な形である。運動は重要だが、スポーツをしつづけなければ維持できにような身体を作るべきではない。すでに、日本では動脈硬化は非常に改善しており、私が二〇歳代に見た眼底血管の高度な硬化は跡を絶った。これは、長期的には老人性痴呆の減少につながるはずである。もっとも、長寿社会は、二〇年間で済んだカップルの維持を五〇年間に延長した。離婚率の増大はある程度それに連動しているはずだ。

むしろ、一九一〇年代に始まる初潮の前進が問題であるかもしれない、これは新奇な現象である。そのために、性の発現の前に社会性と個人的親密性を経験する前思春期が消滅しそうである。この一見目立たない事態が、今後、社会的・家族的動物としてのヒトの運命に大きな影響をもたらすかもしれない。それは過去の早婚時代とは違う。過去には性の交わりは夫婦としての同居後何年か後に始められたのである。

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問題はまだまだある。近親姦はアメリカでは家庭の大問題で、日本でもけっこうある。わたしは、その一部は、幼年時代からの体臭の共有が弱まったからではないかと思う。父親は娘には女性の匂いを性的に感受しないのが普通であった。娘だけは「無臭」なのであり、近親姦のタブーは生理的基礎があってのことだと私は思う。胎内で接した蛋白質を異物と感じない「免疫学的寛容」と同じことが嗅覚にも起っていると考える。この歯止めが過度の清潔習慣と別居など共有時間の減少とによって弱体化したのではないか。

児童虐待も、一部は、出産が不自然で長くかかり、喜びがなくなったからかもしれない。トレンデレンブルクの体位と言われる病院でのお産の体位は、医療側の都合にはよいが、出産には不都合である。私はあれがいかにいきみにくい姿勢かを知ったのは、手術後にオマルをあてがわれた時であった。そして、赤ん坊は、出産後数分、はっきりと眼が見え、それから深い眠りに入る。眠りは記憶のために最良の定着液である。しかし、今、最初に見るものは母親の顔ではない。母親から愛情を引き出す、子ども側の「リリーサー」(引き金)が損なわれている疑いを私は持っている。いちど虐待が始まると、ある確率で「虐待のスパイラル」に進む。それは虐待された子どもは虐待する親に対して無表情になり眼だけは敏感に相手を読みとろうとする。「フローズン・ウオッチフルネス」すなわち凍りついた「金属的無表情」「不信警戒の眼つき」である。これは「不敵」な印象を与えてしまい、いかに恭順の意を表しても「本心は違うだろう、面の皮をひんむいてやりたい」と次の虐待を誘い出す。いじめの時にも同じことが起る。被虐待者の「本心」が恐怖であり、ただもう逃れたいだけであっても、虐待者は相手の表情に不敵な反抗心を秘めていると読み取ってしまう。虐待者に被虐待体験があればそのような読み取りとなりやすいだろう。

私は、これだけで近親姦、児童虐待、配偶者殴打のすべてを説明するつもりはない。それらはフランスの古い犯罪学書にも記載がある。学級崩壊だってフランスでは一九世紀から大問題だった。だから最近だけのことではない。辿れば意外な根っこがみつかるだろう。

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難しさは、犯罪という概念が社会的概念であることである。それは家庭になじみにくい。実際、近親姦と児童虐待とに関して、法は、家庭の戸口で戸惑い、ためらい、反撃さえ受けている。個人は家庭にだけ属するのではないが、最後は家庭だという矛盾がここにある。私は、よくないと思われることを、社会が崩壊する前に、できることから変えてゆくしかないと思っている。

人類が家族に代わるものを発明していないとすれば、その病理を何とかするために、私の中の医者があれこれと考えていることを、一度人類まで問題を広げて考えていた。これは大風呂敷にすぎるかもしれない。しかし、私はこの一世紀かそこらの傾向から外挿するのは危険で、たぶん間違うと思っている。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」より(2000年初出)『時のしずく』所収)