2020年10月15日木曜日

蓮實語録

 

蓮實)知識も基礎学力もない人たちが、こうまで簡単に批評家になれるとはどういうことですかね。最近の文芸雑誌をパラパラと見ていると、何だか多摩川の二軍選手たちが一軍の試合で主役を張っているような恥ずかしさがあるでしょう。ごく単純に十年早いぞって人が平気で後楽園のマウンドに立っている。要するに芸がなくてもやっていけるわけで、こういう人たちが変な自信をまでもっちゃった。(柄谷行人-蓮實重彦対談『闘争のエチカ』1988年)
蓮實)新京都学派というか、梅原氏を中心とした日本論者たちの言説というものを読むと、論証を欠いた誇大妄想的な断言がやたらに多く、まあ、とうてい文化の域に達していない。世界史を云々しながらも歴史意識を完全に見落としているという点でも文化というより自然に近い。……腹をたてるのはわかるけれど、これは論争によって決着をつけるべき相手ではない。つまり、文化の側に立って文化的とも呼びがたい状況を批判するというのは、その擬似文化をとりあえず既成の文化と見たててしまうことになるからです。むしろ、新京都学派など存在しないかのごとくに振舞うべきだと思う。(柄谷行人-蓮實重彦対談『闘争のエチカ』1988年)


蓮實)みんな、文学は教えられないというけど、文学の教育は可能なんです。日本では、文学教育のプロフェッショナルがいなかったというだけのことです。文学部系のアカデミズムがあまありにも弱体だったので、教育が機能しなかったのであり、そのうち、みんががあきらめちゃった。これは、不幸なことですよね。これが有効に機能していたら、いまの批評家の半分は批評家にならずにすんだと思う。自分の趣味とは関係なく、文学の名において、おまえは才能がないと言う人がいなかったんです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)


若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。(蓮實重彦インタビュー、東大新聞2017年1月1日号)




自分を例外的存在とひそかに信じ者たち
どこかで小耳にはさんだことの退屈な反復にすぎない言葉をこともなげに口にしながら、 なおも自分を例外的な存在であるとひそかに信じ、 しかもそう信じることの典型的な例外性が、 複数の無名性を代弁しつつ、 自分の所属している集団にとって有効な予言たりうるはずだと思いこんでいる人たちがあたりを埋めつくしている。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)

小波瀾を戯れに惹起しつつも時流と折合いをつけるに至る青春派
すでに書かれた言葉としてあるものにさらに言葉をまぶしかける軽業師ふうの身のこなしに魅せられてであろうか。さらには、いささか時流に逆らってみせるといった手あいのものが、流れの断絶には至らぬ程度の小波瀾を戯れに惹起し、波紋がおさまる以前にすでに時流と折合いをつけているといったときの精神のありようが、青春と呼ばれる猶予の一時期をどこまでも引き伸ばすかの錯覚を快く玩味させてくれるからであろうか。(蓮實重彦『表層批評宣言』1979年)

あらゆる反抗者は制度的存在である
制度に抗うには、 少なくとも抵抗すべき対象を見据えうる程よく聡明な視線がそなわっていなければならぬ。 その意味で、 あらゆる反抗者は、いくぶんか制度的な存在たらざるをえないだろう。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)

流行批判という流行
誰もが、 いかにも今世紀にふさわしい流行だねとささやきあいながら流行をまぬかれたつもりでいるが、 まさにそう口にすることそのものが流行になっているということには気づいていないのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)

同じ主題をめぐり同じ言葉を語る群集
同じ主題をめぐり、同じ言葉を語りうることを前提として群れ集まるものたちのみが群衆といいうやつなのだ。彼らが沈黙していようと、この前提が共有されているかぎり、それは群衆である。(蓮實重彦『物語批判序説』1985年)

知識人や芸術家たちを積極的にとりこむ大衆化現象
われわれは、 ここで、 いわゆる第二帝政期が、 それに批判的であろうとする姿勢そのものが規格化された言葉しか生み落とさないという悪循環を萌芽的に含んだ一時期であると認めざるをえまい。 それは、 いわゆる知識人や芸術家たちを積極的にとりこむ力学的な装置のようなものだ。 

顔をしかめて距離をとろうとする一群の人びとを排除するのではなく、 彼らの否定的な反応をいわば必須の条件として成立する秩序なのだといいかえてもよい。 というのも、 知識人や芸術家たちの反応は決して思いもかけぬものではなく、 そのとき口にされる言. 葉のおさまる文脈そのものが、 きまって予測可能なものだからである。 そして、 その文脈の予測さるべき一貫性が、 いわゆる大衆化現象と呼ぶべきものなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)

記号の記号の流通という大衆化現象
大衆化現象は、まさに、…階層的な秩序から文化を解放したのである。そしてそのとき流通するのは、記号そのものではなく、記号の記号でしかない。(……)読まれる以前にすでに記号の記号として交換されているのである。(……)

問題は、欠落を埋める記号を受けとめ、その中継点となることなのではなく、もはや特定の個人が起源であるとは断定しがたい知を共有しつつあることが求められているのである。新たな何かを知るのではなく、知られている何かのイメージと戯れること、それが大衆化現象を支えている意志にほかならない。それは、知っていることの確認がもたらまがりなす安心感の連帯と呼ぶべきものだ(……)。そこにおいて、まがりなりにも芸術的とみなされる記号は、読まれ、聴かれ、見られる対象としてあるのではない、ともにその名を目にしてうなずきあえる記号であれば充分なのである。だから、それを解読の対象なのだと思ってはならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)

善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく現代的言説
制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在はしないが機能する装置なのである。あるいは、きわめて人称性の高い個体としてあったはずの発話者を、ごく類型的な匿名者に変容させてしまう磁場だとしてもよい。この磁場に織りあげられては解きほぐされてゆく言葉、それがこの章の冒頭で触れておいた現代的な言説なのである。その担い手たちは、知っているから語ろうとする存在ではない。だからといって知らないことを饒舌に語ってみせる香具師のたぐいでもない。知ることも語ることもできるはずの主体を装置に譲りわたし、みずから説話論的な要素として分節化されることをうけいれながら、それを語ることだと錯覚する擬似主体こをが現代的な言説の担い手なのであって、誰もが『紋切型辞典』の編纂者たる潜在的な資格を持つその匿名の複数者は、それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。(蓮實重彦『物語批判序説』1985年)

メロドラマを普遍化して思考の硬直性をもたらす制度
現在われわれのまわりに行きかっている言葉や思考のほとんどは、個体にしろ社会にしろ、それが傷つき犯されているという不健康の確認からしか始まらず、その不健康を克服して健康を回復すべきだとする同一の運動が、自己同一性の崩壊を特権化するか、全体的視点の喪失を特権化するかによって、かりそめの葛藤をかたちづくっているにすぎない。このかりそめの葛藤に必要不可欠なる登場人物が、「自己同一性」であり「全体的視点」というやつだ。彼らは、同じ一つのメロドラマの輝かしい主役なのである。そのメロドラマを普遍化した思考の硬直性、つまり「制度」と呼ぶことにしよう。本当はそんな身振りを演ずべき必然性などどこにも見当たらないのに、誰もがついついそんな身振りを演じてしまうことで支えられたかりそめの葛藤劇。それは、かりそめとはいえ、かりそめであるが故に可能な執拗性を帯びている。「制度」が恐ろしいのは、そのかりそめの執拗性という奴が唯一の基盤であるからだ。崩壊を語り喪失を口にしながら、この基盤ばかりはそう簡単に崩壊もしなければ喪失することもない。(蓮實重彦「健康という名の幻想」『表層批評宣言』所収)

説話論的磁場による自らのポジションの錯覚
説話論的磁場。それは、誰が、何のために語っているのかが判然としない領域である。そこで口を開くとき、人は語るのではなく、語らされてしまう。語りつつある物語を分節化する主体としてではなく、物語の分節機能に従って説話論的な機能を演じる作中人物の一人となるほかないのである。にもかかわらず、人は、あたかも記号流通の階層的秩序が存在し、自分がその中心に、上層部に、もっと意味の濃密な地帯に位置しているかのごとく錯覚しつづけている。(蓮實重彦『物語批判序説』1985年)

人が信じるのは、 言葉の意味ではなく説話論的な形態である
ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)

時代を真摯に生きようとする者の義務としての紋切型による連帯
あらゆる項目がそうだとは断言しえないが、『紋切型辞典』に採用されたかなりの単語についてみると、それが思わず誰かの口から洩れてしまったのは、それがたんに流行語であったからではなく、思考さるべき切実な課題をかたちづくるものだという暗黙の申し合わせが広く行きわたっていたからである。その単語をそっと会話にまぎれこませることで一群の他者たちとの差異がきわだち、洒落ているだの気が利いているだのといった印象を与えるからではなく、それについて語ることが時代を真摯に生きようとする者の義務であるかのような前提が共有されているから、ほとんど機械的に、その言葉を口にしてしまうのだ。そこには、もはやいかなる特権化も相互排除も認められず、誰もが平等に論ずべき問題だけが、人びとの説話論的な欲望を惹きつけている。問題となった語彙に下された定義が肯定的なものであれ否定的なものであれ、それを論じることは人類にとって望ましいことだという考えが希薄に連帯されているのである。(蓮實重彦『物語批判序説』1985年)

解釈する視線は解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかない
風景…それは、 視線の対象であるかにみえて、実は視線を対象として分節化する装置にほかならない。
…つまりここで問題となる風景とは、 視界に浮上する現実の光景の構図を一つの比喩にしたてあげもするあの不可視の、 だが透明とはほど遠い濁った壁の表層にまといついた汚点や斑点の戯れそのものにほかなら(ない)⋯⋯⋯⋯
……解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がたがいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景をこえて」『表層批判宣言』1979年)

マルクス的構造仮説
実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)