2020年10月22日木曜日

「抑圧されたものの回帰」の真のメカニズム

フロイトの 「抑圧されたものの回帰 Wiederkehr des Verdrängten」はいまだほとんど理解されていない。それはフロイト学者であってもそうである。以外、その真の内実を文献列挙することにより示す。

人は抑圧されたものを行為として反復する

人は、忘れられたものや抑圧されたもの[Vergessenen und Verdrängten]を「思い出す erinnern」わけではなく、むしろそれを「行為にあらわす agieren」。人はそれを(言語的な)記憶として再生するのではなく、行為として再現する。彼はもちろん自分がそれを反復していることを知らずに(行為として)反復している[ohne natürlich zu wissen, daß er es wiederholt]。(フロイト『想起、反復、徹底操作』1914年)

想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される。[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique :  page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige.  Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)

ラカンは欲動的対象との関係[le rapport à l'objet pulsionnel ]において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした。これが次の凝縮された叙述が意味していることである。《このページは忘れられている。だが行為として呼び戻される[cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ]». これが意味するのは、抑圧されたものの回帰は欲動的享楽に関係するということである[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle]。(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99)



抑圧されたものの回帰はリビドー固着点から始まる

「抑圧」は三つの段階に分けられる。

①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている「固着」であるDie erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。〔・・・〕この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する。

②正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期[Nachdrängen]の抑圧ある。〔・・・〕原初に抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe] がこの二段階目の抑圧に貢献する。

③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗[Mißlingens der Verdrängung]、侵入突破[Durchbruchs]、抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Verdrängten]である。この侵入[Durchbruch]とは固着点[Stelle der Fixierung]から始まる。そしてその点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年、摘要)


リビドー固着点の非可動機能

享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である。La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008)

人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する。Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. (フロイト『精神分析概説』第2章、死後出版1940年)


トラウマへの固着点の永遠回帰

同一の体験の反復の中に現れる不変の個性刻印 gleichbleibenden Charakterzug を見出すならば、われわれは(ニーチェの)「同一のものの永遠回帰 ewige Wiederkehr des Gleichen」をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫Wiederholungszwang〔・・・〕あるいは運命強迫 Schicksalszwang nennen könnte とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)

トラウマは、自己身体の上への出来事 Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚 Sinneswahrnehmungen である。〔・・・〕この「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」〔・・・〕これは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)








後期抑圧と原抑圧

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。


die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


精神神経症と現勢神経症

原抑圧 Verdrängungen は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現れ、抑圧Verdrängungenは精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。〔・・・〕現勢神経症 Aktualneurosen の基礎のうえに、精神神経症 Psychoneurosen が発達する。〔・・・〕


利用されないリビドーの過剰は不安の生成にはけ口を見出だす事はおおいにありうる。daß gerade der Überschuß an unverwendeter Libido seine Abfuhr in der Angstentwicklung findet。この現勢神経症の基盤の上に精神神経症が起きやすい。自我は、しばらくの間、宙吊りにしていた不安を症状形成によって拘束しようとするように見える。〔・・・〕

外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosenという名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症 Aktualneurosen の性質をわけもっているだろう。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)


外傷神経症と固着

外傷神経症は、外傷的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している。Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt.(フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)

(心的装置による)拘束の失敗 Das Mißglücken dieser Bindung は、外傷神経症 traumatischen Neuroseに類似の障害を発生させることになろう。(フロイト『快原理の彼岸』5章、1920年)





「後期抑圧されたものの回帰」と「原抑圧されたものの回帰」をより厳密に区別するなら、後者を「排除されたものの回帰 Wiederkehr des Verworfenen」と呼ぶべきかもしれない。


現実界のなかに排除されたものの回帰 le retour du forclos dans le réel

排除Verwerfungの対象は現実界のなかに再び現れる [qui avait fait l'objet d'une Verwerfung, et que c'est cela qui réapparaît dans le réel. ](ラカン、S3, 11 Avril 1956)

私が排除 forclusion について、その象徴的関係の或る効果を正しく示すなら、〔・・・〕象徴界において抑圧されたもの全ては現実界のなかに再び現れる。というのは、まさに享楽は全き現実界的なものだから。


Si j'ai parlé de forclusion à juste titre pour désigner certains effets de la relation symbolique,[…]tout ce qui est refoulé dans le symbolique reparaît dans le réel, c'est bien en ça que la jouissance est tout à fait réelle. (ラカン、S16, 14 Mai 1969)





◼️以下、確認用のためのさらなる文献列挙。


エスの核に置き残された原無意識としての異者としての身体

原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年)






抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う。〔・・・〕自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、原無意識 としてエスのなかに置き残されたままである。Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, […] das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand geho-ben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. (フロイト『モーセと一神教』1939年)


欲動蠢動は「自動反復」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして抑圧において固着する要素は「無意識のエスの反復強迫」であり、これは通常の環境では、自我の自由に動く機能によって排除されていて意識されないだけである。


Triebregung  […] vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –[…] Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es, der normalerweise nur durch die frei bewegliche Funktion des Ichs aufgehoben wird. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物(異者としての身体 Fremdkörper)ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状と呼んでいる。〔・・・〕この異物は内界にある自我の異郷部分である。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen […] das ichfremde Stück der Innenwelt (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


個人の初期の記憶痕跡は、その個人のなかに保存されている。しかし独特な心理学的条件でである。〔・・・〕忘却されたものは消滅されず、ただ「抑圧 verdrängt」されるだけである。その記憶痕跡は、全き新鮮さのままで現存するが、対抗備給 Gegenbesetzungenにより分離されているのである。〔・・・〕それは無意識的であり、意識にはアクセス不能である。抑圧されたものの或る部分は、対抗過程をすり抜け、記憶にアクセス可能なものもある。だがそうであっても、異物 Fremdkörper のように分離されている。

Die Erinnerungsspur des früh Erlebten ist in ihm erhalten geblieben, nur in einem besonderen psychologischen Zustand. […] Das Vergessene ist nicht ausgelöscht, sondern nur »verdrängt«, seine Erinnerungsspuren sind in aller Frische vorhanden, aber durch »Gegenbesetzungen« isoliert. […] Sie können sind unbewußt, dem Bewußtsein unzugänglich. Es kann auch sein, daß gewisse Anteile des Verdrängten sich dem Prozeß entzogen haben, der Erinnerung zugänglich bleiben, gelegentlich im Bewußtsein auftauchen, aber auch dann sind sie isoliert, wie Fremdkörper außer Zusammenhang mit dem anderen. (フロイト『モーセと一神教』1939年)


人の発達史と人の心的装置において、〔・・・〕原初はすべてがエスであったのであり、自我は、外界からの継続的な影響を通じてエスから発展してきたものである。このゆっくりとした発展のあいだに、エスの或る内容は前意識状態に変わり、そうして自我の中に受け入れられた。他のものは エスの中で変わることなく、近づきがたいエスの核として置き残された 。

die Entwicklungsgeschichte der Person und ihres psychischen Apparates […] Ursprünglich war ja alles Es, das Ich ist durch den fortgesetzten Einfluss der Aussenwelt aus dem Es entwickelt worden. Während dieser langsamen Entwicklung sind gewisse Inhalte des Es in den vorbewussten Zustand gewandelt und so ins Ich aufgenommen worden. Andere sind unverändert im Es als dessen schwer zugänglicher Kern geblieben. (フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第4章、死後出版1940年)





異者は現実界である

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ。La Chose freudienne […] ce que j'appelle le Réel (ラカン, S23, 13 Avril 1976)

このモノは分離されており、異者の特性がある。〔・・・〕モノの概念、それは異者としてのモノである。ce Ding […] isolé comme ce qui est de sa nature étranger, fremde.  […] La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, (Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

現実界のなかの異物概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)



現実界はレミニサンスする

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制 forçage」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、「レミニサンスréminiscence」と呼ばれるものによって。


Je considère que […] le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. […] Disons que c'est un forçage.  […] c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… mais de façon tout à fait illusoire …ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   (Lacan, S23, 13 Avril 1976)

強制とは基本的に、トラウマと呼ばれるものの初めの強制の反復である。幻想の仮面の背後には、現実界との出会いがあり、この出会いは常にトラウマの価値をもっている。


Un forçage, au fond, répétant ce forçage initial qui s'appelle le traumatisme. Derrière le voile du fantasme il y a la rencontre du réel et cette rencontre a toujours valeur de traumatisme.  (J.-A. MILLER, - La vie de Lacan - Cours n°2 - 03/02/2010)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異物 [Fremdkörper] のように作用する。この異物は体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ。〔・・・〕この異物は引き金を引く動因として、たとえば後の時間に目覚めた意識のなかに心的な痛みを呼び起こす。ヒステリー はほとんどの場合、レミニサンスに苦しむのである。


das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muß..[…] als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz […]  der Hysterische leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)




心的装置に同化されない現実界のトラウマの反復

(心的装置に)同化不能の部分(モノ)einen unassimilierbaren Teil (das Ding)(フロイト『心理学草案 Entwurf einer Psychologie』1895)

現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式の下にて現れる。le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma(ラカン, S11, 12 Février 1964)

フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011)


リビドー 固着の残滓という異者

我々がモノと呼ぶものは、思考に抵抗する残滓である。Was wir Dinge mennen, sind Reste, die sich der Beurteilung entziehen  (フロイト『心理学草案』Entwurf einer Psychologie, 1895)

異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD[…] c'est-à-dire le déchet, le petit reste,    (Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

享楽は、残滓 (а)  を通している。la jouissance[…]par ce reste : (а)  (ラカン, S10, 13 Mars 1963)

いわゆる享楽の残滓 [reste de jouissance]。ラカンはこの残滓を一度だけ言った。だがそれで充分である。そこでは、ラカンはフロイトによって啓示を受け、リビドーの固着点 [points de fixation de la libido]を語った。これが、孤立化された、発達段階の弁証法に抵抗するものである。(J.-A. MILLER,  - Orientation lacanienne III-  5/05/2004)

常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)