フロイト理論とは基本的にトラウマ理論である。以下、その要点を主に引用にて示す。
◼️神経症は抑圧されたトラウマの病い(外傷神経症) |
神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる[Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. ](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年) |
我々は、あらゆる神経症の根に横たわっている抑圧を、トラウマに対する反応、基本的な外傷神経症と呼ぶことができる[man kann doch die Verdrängung, die jeder Neurose zu Grunde liegt, mit Fug und Recht als Reaktion auf ein Trauma, als elementare traumatische Neurose bezeichnen. ](フロイト「『戦争神経症の精神分析のために』への序言」 Einleitung zu Zur Psychoanalyse der Kriegsneurosen, 1919年) |
ーーフロイトの外傷神経症は、現在、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれるようになっているが、この語には批判がある[後述]。 ◼️抑圧されたものの回帰はトラウマの回帰 |
抑圧されたものの回帰は、トラウマと潜伏現象の直接的効果に伴った神経症の本質的特徴としてわれわれは説明する[die Wiederkehr des Verdrängten, die wir nebst den unmittelbaren Wirkungen des Traumas und dem Phänomen der Latenz unter den wesentlichen Zügen einer Neurose beschrieben haben. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年) |
結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
《トラウマ的不安状況の回帰》とあるが、これは畳語法であり、簡潔にいえば「トラウマの回帰」である。 ※不安=リビドー=トラウマ |
不安とリビドーには密接な関係がある[ergab sich der Anschein einer besonders innigen Beziehung von Angst und Libido](フロイト『制止、症状、不安』第11章A 、1926年) |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
さらに「抑圧されたものの回帰=トラウマの回帰」の別名は「リビドーの固着点への退行」であり、これもリビドー=トラウマゆえに、「トラウマ的固着点への退行」と言い換えうる。 ◼️抑圧されたものの回帰はリビドーの固着点への退行 |
抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰 。この侵入は固着点から始まる。そしてリビドー的展開の固着点への退行を意味する[des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle( Stelle der Fixierung ) zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )第3章、1911年) |
(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となりうる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』第3篇、1905年) |
以下、抑圧と固着(トラウマ的固着)の関係は次の通り。
◼️抑圧と固着 |
抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である。 固着は次のように説明できる。ある欲動または欲動的要素が、予想された正常な発達経路をたどることができず、その発達が制止された結果、より幼児期の段階に置き残される。問題のリビドーの流れは、その後の心的構造との関係で、無意識体系に属するもの、抑圧されたもののように振舞う。この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。 |
Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. Die Tatsache der Fixierung kann dahin ausgesprochen werden, daß ein Trieb oder Triebanteil die als normal vorhergesehene Entwicklung nicht mitmacht und infolge dieser Entwicklungshemmung in einem infantileren Stadium verbleibt. Die betreffende libidinöse Strömung verhält sich zu den späteren psychischen Bildungen wie eine dem System des Unbewußten angehörige, wie eine verdrängte. Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, |
(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )1911年) |
ーー《リビドーは欲動エネルギーと完全に一致する[Libido mit Triebenergie überhaupt zusammenfallen zu lassen]》(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第6章、1930年) |
◼️外傷神経症とトラウマ的固着 |
外傷神経症は、外傷的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している[Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. ](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年) |
トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]〔・・・〕ここで外傷神経症は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[Die traumatische Neurose zeigt uns da einen extremen Fall, aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen](フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年) |
◼️固着と退行(回帰) |
固着と退行は互いに独立していないと考えるのが妥当である。発達の過程での固着が強ければ強いほど、固着への退行がある[Es liegt uns nahe anzunehmen, daß Fixierung und Regression nicht unabhängig voneinander sind. Je stärker die Fixierungen auf dem Entwicklungsweg, …Regression bis zu jenen Fixierungen ](フロイト『精神分析入門」第22講、1917年) |
過去の固着への退行 [Regression zu alten Fixierungen] (フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年) |
退行、すなわち以前の発達段階への回帰[eine Regression, eine Rückkehr zu einer früheren Entwicklungsphase hervorrufen. ](フロイト『性理論』第3篇1905年) |
以上、フロイトの抑圧されたものの回帰の原点は、トラウマの回帰、トラウマ的固着点への退行である。 |
なおここでの抑圧は、厳密に言えば、抑圧の第一段階としての原抑圧である。 |
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある[Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung](フロイト『抑圧』1915年) |
さらに神経症自体、原抑圧の現勢神経症と後期抑圧の精神神経症がある。 |
おそらく最初期の抑圧(原抑圧)が、現勢神経症の病理を為す[die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, ]〔・・・〕 精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する[daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
精神神経症は外傷神経症的な現勢神経症に対する心的外被であり、要するにトラウマに対する防衛の症状である。 |
現勢神経症は精神神経症に、必要不可欠な「身体側からの反応」を提供する。dass die beiden Aktualneurosen…das somatische Entgegenkommen für die Psychoneurosen leisten 現勢神経症は刺激性の素材を提供するのである。そしてその素材は、心的に選択された心的外被」を与えられる。従って一般的に言えば、精神神経症の症状の核ーー真珠の核にある砂粒ーーは身体-性的な発露から成り立っている。das Erregungsmaterial liefern, welches dann psj'chisch ausgewählt und umkleidet wird, so dass, allgemein gesprochen, der Kern des psychoneurotischen Symptoms ― das Sandkorn im Zentrum der Perle ― von einer somatischen Sexualäusserung gebildet wird. (フロイト『自慰論』Zur Onanie-Diskussion、1912年) |
我々が通常「神経症」という語を使うとき、精神神経症を指しているが、フロイトには2種類の神経症があるので注意されたし。そして外傷神経症は事実上、現勢神経症ーー「現実神経症」とも訳されるーーであるだろう。 以下、阪神大震災被災後トラウマ研究に没頭し、かつての日本の「分裂病研究第一人者」から事実上の「トラウマ研究の第一人者」に移行した中井久夫による現実神経症と外傷性神経症をめぐる語りである。《私はPTSDという言葉ですべてを括ろうとは思っていない》と言っていることにも注目しよう。 |
今日の講演を「外傷性神経症」という題にしたわけは、私はPTSDという言葉ですべてを括ろうとは思っていないからです。外傷性の障害はもっと広い。外傷性神経症はフロイトの言葉です。 医療人類学者のヤングによれば、DSM体系では、神経症というものを廃棄して、第4版に至ってはついに一語もなくなった。ところがヤングは、フロイトが言っている神経症の中で精神神経症というものだけをDSMは相手にしているので、現実神経症と外傷性神経症については無視していると批判しています(『PTSDの医療人類学』)。 もっともフロイトもこの二つはあんまり論じていないのですね。私はとりあえずこの言葉(外傷性神経症)を使う。時には外傷症候群とか外傷性障害とか、こういう形でとらえていきたいと思っています。(中井久夫「外傷神経症の発生とその治療の試み」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
戦争神経症は外傷神経症でもあり、また、現実神経症という、フロイトの概念でありながらフロイト自身ほとんど発展させなかった、彼によれば第三類の、神経症性障害でもあった。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |
現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。DSM体系は外傷の原因となった事件の重大性と症状の重大性によって限界線を引いている。しかし、これは人工的なのか、そこに真の飛躍があるのだろうか。 目にみえない一線があって、その下では自然治癒あるいはそれと気づかない精神科医の対症的治療によって治癒するのに対し、その線の上ではそういうことが起こらないうことがあるのだろう。心的外傷にも身体的外傷と同じく、かすり傷から致命的な重傷までの幅があって不思議ではないからである。しかし、DSM体系がこの一線を確実に引いたと見ることができるだろうか。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収) |
さらに中井久夫は統合失調症つまり分裂病の底にはトラウマがあるのではないか、とも言っている。
治療はいつも成功するとは限らない。古い外傷を一見さらにと語る場合には、防衛の弱さを考える必要がある。〔・・・〕統合失調症患者の場合には、原外傷を語ることが治療に繋がるという勇気を私は持たない。 統合失調症患者だけではなく、私たちは、多くの場合に、二次的外傷の治療を行うことでよしとしなければならない。いや、二次的外傷の治療にはもう少し積極的な意義があって、玉突きのように原外傷の治療にもなっている可能性がある。そうでなければ、再演であるはずの二次的外傷が反復を脱して回復することはなかろう。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |
統合失調症と外傷との関係は今も悩ましい問題である。そもそもPTSD概念はヴェトナム復員兵症候群の発見から始まり、カーディナーの研究をもとにして作られ、そして統合失調症と診断されていた多くの復員兵が20年以上たってからPTSDと再診断された。後追い的にレイプ後症候群との同一性がとりあげられたにすぎない。われわれは長期間虐待一般の受傷者に対する治療についてはなお手さぐりの状態である。複雑性PTSDの概念が保留になっているのは現状を端的に示す。いちおう2012年に予定されているDSM-Ⅴのためのアジェンダでも、PTSDについての論述は短く、主に文化的相違に触れているにすぎない。 しかし統合失調症の幼少期には外傷的体験が報告されていることが少なくない。それはPTSDの外傷の定義に合わないかもしれないが、小さなひびも、ある時ガラスを大きく割る原因とならないとも限らない。幼児心理において何が重大かはまたまだ探求しなければならない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収) |
ーーこのあたりにPTSD概念の暗示的な批判がある。
話を戻せば、原抑圧(トラウマ的固着)の症状である現勢神経症は、本来の無意識(エスの無意識)の審級にあり、他方、後期抑圧の症状である精神神経症は、前意識(自我の無意識)の審級にある。フロイトは後者を《無意識の後裔[Abkömmlinge des Ubw.]》(『無意識』第6章、1915年)とも呼んでいる。 |
精神分析は無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった[ die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. ](フロイト『自己を語る』第3章、1925年) |
私は、知覚体系Wに由来する本質ーーそれはまず前意識的であるーーを自我と名づけ、精神の他の部分ーーそれは無意識的であるようにふるまうーーをエスと名づけるように提案する。Ich schlage vor, ihr Rechnung zu tragen, indem wir das vom System W ausgehende Wesen, das zunächst vbw ist, das Ich heißen, das andere Psychische aber, in welches es sich fortsetzt und das sich wie ubw verhält, …das Es. (フロイト『自我とエス』第2章、1923年) |
前意識体系にはさらに、表象内容が、たがいに影響しあうことができるように、相互の交流を行なうこと、それを時間的に秩序づけること、 一つまたはいくつかの検閲の実施、現実吟味と現実原理、これらのことがその役割である。 意識する記憶もまた、すべて「前意識」にかかわるものと思われるが、それは固着された無意識の出来事の記憶痕跡とはきびしく区別される。 Dem System Vbw fallen ferner zu die Herstellung einer Verkehrsfähigkeit unter den Vorstellungsinhalten, so daß sie einander beeinflussen können, die zeitliche Anordnung derselben, die Einführung der einen Zensur oder mehrerer Zensuren, die Realitätsprüfung und das Realitätsprinzip. Auch das bewußte Gedächtnis scheint ganz am Vbw zu hängen, es ist scharf von den Erinnerungsspuren zu scheiden, in denen sich die Erlebnisse des Ubw fixieren (フロイト『無意識について』第5章、1915年) |
つまり次のようになる。
フロイトのトラウマは基本的にはエスの症状である、《初期のトラウマの刻印は、前意識に翻訳されないか、抑圧によってすばやくエス状態に戻される[Die Eindrücke der frühen Traumen, von denen wir ausgegangen sind, werden entweder nicht ins Vorbewußte übersetzt oder bald durch die Verdrängung in den Eszustand zurückversetzt.] 》(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten、1939年)
フロントはこれを、異者身体の症状とも呼んだ。
◼️異者身体の症状=エスの欲動=トラウマ=固着(原抑圧) |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年) |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
トラウマの記憶を伴った潜在意識と結びついた概念の固着[la fixation de cette conception dans une association subconsciente avec le souvenir du trauma] (Freud S. Etude comparative des paralysies motrices organiques et hystériques. 1893) |
ーーFremdkörperは「異物」と訳されてきたが、私は身体的要素を強調するために「異者としての身体」と訳すのを好む。
※附記 なお抑圧[Verdrängung]という語には、抑するという意味も圧するという意味もなく、実際は誤訳である。 |
中井久夫)「抑圧」の原語 Verdrängung は水平的な「放逐、追放」であるという指摘があります。(中野幹三「分裂病の心理問題―――安永理論とフロイト理論の接点を求めて」)。とすれば、これをrepression「抑圧」という垂直的な訳で普及させた英米のほうが問題かもしれません。もっとも、サリヴァンは20-30年代当時でも repression を否定し、一貫して神経症にも分裂病にも「解離」(dissociation)を使っています。(「共同討議」トラウマと解離」(斎藤環/中井久夫/浅田彰、批評空間2001Ⅲー1) |
さらにフロイトは1900年代は後期抑圧を「正式の抑圧」としていたが、この後期抑圧が「放逐、追放」であるとしたら、抑圧の第一段階の原抑圧は、「置き残す」という意味である。 フロイトは1911年の『症例シュレーバー』3章で、《原初に抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe ]》と《原初に置き残された欲動[primär zurückgebliebenen Triebe]》を等置している。 さらに後年次のように記している。 |
抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う。〔・・・〕自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである。Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, […] das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück.(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
つまり原抑圧は、自我の前意識に取り入れられず本来の無意識としてエスに置き残されるということである。上に翻訳[Übersetzung]という語があるが、抑圧の第一段階としての原抑圧は自我への翻訳の失敗なのである。 最初期のフロイトがフリース宛書簡で言っている抑圧は原抑圧であるだろう。 |
翻訳の失敗、これが臨床的に「抑圧」呼ばれるものである[Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch „Verdrängung“ heißt.](フロイト、フリース宛書簡 Brief an Fließ, 6.12.1896) |
この当時のフロイトは原抑圧に相当する抑圧を排除 [Verwerfung]とも呼んだが、これは後年のフロイトの思考から言えば、自我の外のエスに「放り投げる」ことに相当し、次の中井久夫のいう「解離」と等価である。 |
外傷神経症〔・・・〕その主な防衛機制は何かというと、解離です。置換・象徴化・取り込み・体内化・内面化などのいろいろな防衛機制がありますが、私はそういう防衛機制と解離とを別にしたいと思います。非常に治療が違ってくるという臨床的理由からですが、もう少し理論化して解離とその他の防衛機制との違いは何かというと、防衛としての解離は言語以前ということです。〔・・・〕 サリヴァンも解離という言葉を使っていますが、これは一般の神経症論でいう解離とは違います。むしろ排除です。フロイトが「外に放り投げる」という意味の Verwerfung という言葉で言わんとするものです。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
フロイト自身、次のように記している。 |
元来の抑圧の主要特徴であるリビドー分離[Hauptcharakter der eigentlichen Verdrängung, die Libidoablösung](フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年) |
ーーここでの分離[Auflösung]は解離 [Dissoziation]と等価であり、つまり「リビドー解離」である。 |
解離 [Dissoziation]ーーつまり心的領域の分離[Auflösung]ーーの傾向があり、その結果、或る無意識の過程が意識にまで結びつかなくなる。daß bei den zur Hysterie disponierten Kranken von vornherein eine Neigung zur Dissoziation ― zur Auflösung des Zusammenhanges im seelischen Geschehen ― bestehe, in deren Folge manche unbewußte Vorgänge sich nicht zum Bewußten fortsetzen. (フロイト『精神分析的観点から見た心因性視覚障害』1910年) |
リビドー=欲動であり、リビドー解離とは、《排除された欲動 [verworfenen Trieb]》(フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)である。 |
ただし、フロイトは原抑圧に相当する抑圧でも「排除」という語は稀にしか使わず、ほとんどの場合、「抑圧」という語で済ましている。 |
原抑圧 Urverdrängung | 抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年) |
抑圧された固着[verdrängten Fixierungen] (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年) | |
抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年) | |
後期抑圧 Nachverdrängung | 抑圧された願望(欲望)[verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900年) |
抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen](フロイト『夢解釈』第7章、1900年) | |
抑圧された思想[verdrängten Gedanken ] (フロイト『夢解釈』第7章、1900年) |
なお最後のフロイトのトラウマの定義は強度をもった自己身体の出来事である。 |
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。〔・・・〕出来事が外傷的性質を獲得するのは唯一、量的要因の結果としてのみである。das Erlebnis den traumatischen Charakter nur infolge eines quantitativen Faktors erwirbt (フロイト『モーセと一神教』3.1.3 、1939年 ) |
この意味で喜ばしきトラウマもありうる。 |
PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年『アリアドネからの糸』所収) |
美的体験、あるいは芸術的体験は多くの場合、トラウマ的出来事であるだろう。 |
美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。 Il n’est pas à la beauté d’autre origine que la blessure, singulière, différente pour chacun, cachée ou visible, que tout homme garde en soi, qu’il préserve et où il se retire quand il veut quitter le monde pour une solitude temporaire mais profonde. (ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』Jean Genet, L’atelier d’Alberto Giacometti, 1958、宮川淳訳) |
ーーこのジュネ=ジャコメッティの傷[blessure]とはもちろんトラウマのこと、《トラウマ(ギリシャ語のτραῦμα(トラウマ)=「傷」に由来)とは、損傷、または衝撃のことである[Un traumatisme (du grec τραῦμα (trauma) = « blessure ») est un dommage, ou choc]》(仏Wikipedia) |
なお中井久夫は単語の記憶でさえトラウマ的だろう、と言っている。
言語発達は、胎児期に母語の拍子、音調、間合いを学び取ることにはじまり、胎児期に学び取ったものを生後一年の間に喃語によって学習することによって発声関連筋肉および粘膜感覚を母語の音素と関連づける。要するに、満一歳までにおおよその音素の習得は終わっており、単語の記憶も始まっている。単語の記憶というものがf記憶的(フラシュバック記憶的)なのであろう。そして一歳以後に言語使用が始まる。しかし、言語と記憶映像の結び付きは成人型ではない。(中井久夫「記憶について」初出1996年『アリアドネからの糸』所収) | |||||||||
ーー単語の記憶はフラッシュバック記憶的とあるが、もちろん「外傷性フラッシュバック的」の意味であり、さらに異物的であるということである。 | |||||||||
外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収) | |||||||||
フラッシュバックの別名はレミニサンスである。 | |||||||||
トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。 das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz … leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) | |||||||||
私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage. …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence. …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要) | |||||||||
ラカンの享楽はこの異物(異者身体)である。
ジャック=アラン・ミレールにて確認しておこう。
なお、ラカンが《詩は意味の効果だけでなく、穴の効果である[la poésie qui est effet de sens, mais aussi bien effet de trou. ](Lacan, S24, 17 Mai 1977)と言ったとき、詩は意味の効果とトラウマの効果(身体の出来事の効果)だということであり、先の中井久夫の単語の記憶はトラウマ的と相同性がある。 |