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◼️家具になった音楽 高橋悠治 |
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グレン・グールドが死んだ。クラッシック演奏のひとつの演奏はおわった。 現代のコンサートホールで2000人以上の聴き手をもつようなピアニストは、きめこまかい表現をあきらめなければならない。指はオーケストラ全体にまけない大きい音をだす訓練をうけ、小さな音には表情というものがないのもしかたのないことだ。容量のわずかなちがいによってつくられる古典的リズム感覚は失われた。耳をすまして音を聴きとるのではなく、ステージからとどく音にひたされていればいい耳は、なまけものになった。 |
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音の技術が進む中で 1950年代にレコードがLPになり、テープ編集技術ができあがり、「電子音楽のゆめ」がうまれた。 どんな音もスタジオのなかでおもうままにつくり、くみあわせることができる、と音楽家たちはおもった。材料は自然の音にしろ、人間の声やピアノの音にしろ、聴き手がうけとるのは電圧の変化によるスピーカー膜の振動なのだから、どんな音も電子音の一種に変えられて耳にとどいている。おなじ空間のなかで、つくり手と聴き手がわかちあう音楽ではなく、聴き手のいないスタジオでうまれ、つくり手のみえないスピーカーからながれる音楽がある。音楽は密室の家具になった。テレビが映像をふくむ照明装置であるように。 グレン・グールドは、コンサートホールを捨てて、スタジオにこもった。なまの演奏の緊張と結果のむなしさに神経がたえられなかったのかもしれないが、それを時代の要求にしたてあげたのが、彼の才能だったのか。 |
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グールドのひくバッハは、1960年代にはその演奏スタイルでひとをおどろかした。極端にはやいか、またはおそいテンポ、かんがえぬかれ、即興にみせかけた装飾音、みじかくするどい和音のくずし方。だが、それは18世紀音楽の演奏の約束ごとを踏みはずしてはいない。1970年代には古楽や古楽器の演奏にふれることもおおくなり、グールドの演奏も耳あたらしいものではなくなった。マニエリズムというレッテルをはることもできるようになった。 だが、1960年代のグールドのメッセージは、演奏スタイルではなかった。コンサートホールでは聴くことができない、ということに意味があった。おなじころ、グールドの住んでいた町、カナダのトロントからマーシャル・マルクーハンが活字文化の終わりを活字で主張していた。「メディアがメッセージだ」というのが時代のあいことばだった。 |
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この「電子時代のゆめ」は、数年間しかもちこたえることができなかった。1968年がやってきた。プラハの町にソ連の戦車が姿をあらわし、フランスとドイツで若者たちが反乱をおこし、やがてベトナムはアメリカに勝つ。中国の文化革命もあらしを過ぎ、石油危機を通りぬけると、テクノロジー信仰も、それと対立するコミューンの実験を道づれにしてくずれおちた。次の世代には身をあずけられる原理も、すすむべき道ものこされていなかった。いまメディア革命やその反対側の対抗文化にしがみついている少数は、うしろめたさを感じないではいられないはずだ。いらなくなった文明が病気となって人間にとりついている。文明に反逆する人間も、おなじ病気にかかっている。どちらも船といっしょにしずむのだ。 |
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われわれのしらない明日がやってくる。そこにたどりつこうとしてはいけない。明日やってくる人たちのために、今日のガラクタをしまつしておくのはいい。世界というからっぽな家をひきわたして、でていけばいいのだ。 マルクーハンが死んだときは、もう忘れられていた。グールドも「メディアとしてのメッセージ」の意味がなくなったあとは、演奏スタイルの実験をくりかえすことしかできなかった。レコードというかたちがあたらしくなくなれば、聴いたことのない曲をさがしだしてくるか、だれでもがしっている曲を、聴いたことのないやり方でひくしかない。どちらにしても、そういう音楽はよけいなぜいたくで、なくてもすむものだ。 |
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あすへのつらい希望 音楽なんか聴かなくても生きていける。メッセージがあるとすれば、そういうことだ。クラッシク音楽が、聴き手にとってはとっくに死んだものであることに気づかずに、または気づかぬふりをして、まじめな音楽家たちは今日もしのぎをけずり、おたがいをけおとしあい、権力欲にうごかされて、はしりつづけている。音楽産業はどうしようもない不況で、大資本や国家が手をださなければなりたたないというのに、音楽市場はけっこう繁栄している。これほどのからさわぎも、そのななから、人びとにとって意味のあるあたらしい音楽文化をうみだすことに成功してはいない。 |
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グレン・グールドは50歳で死んだ。いまの50歳といえば、まだわかい。だが、かれの死ははやすぎはしなかった。 かれだけではない。だれが死んだって、やりのこしたしごとなどないだろう。しごとの意味の方がさきに死んでしまっている。どこかでそれとしりながら、しごとを続けているのがいまの音楽家の運命だ。こういう仕事をしていれば、いのちをすりへらしても当然だ。 音楽というものがまだほろびないとすれば、明日には明日の音楽もあるだろう。だが、それを予見することはわれわれのしごとではない。いまあるような音楽が明日までも生きのびて明日をよごすことがないとおもえばこそ、音楽の明日にも希望がもてるというものだ。音楽家にとってつらい希望ではあっても。 |
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(讀賣新聞 1982年10月21日付け夕刊のグールド追悼記事) |
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Glenn Gould - Bach, Concerto For Piano & Orchestra No. 5 in F-minor: II Largo (OFFICIAL) |
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高橋悠治、クラヴィーア協奏曲集 第5番 ヘ短調 BWV1056 II - Largo |
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ピアノは生活の手段だった。〔・・・〕ピアニストとみなされると、人が聞きたがるものを弾くことになる。バッハを弾いているとそればかり求められるが、日本では数十年前のグレン・グールドの代用品にすぎないから、弾くだけむだと最近は思うようになった。〔・・・〕 確信をもっていつも同じ演奏をくりかえす演奏家がいる。この確信は現実の音を聞くことを妨げる障害になるのではないかと思うが、感性のにぶさと同時に芸の傲慢さをしめしているのだろう。演奏が商品でありスポーツ化している時代には、演奏家の生命は短い。市場に使い捨てられないためには、いつも成長や拡大を求められているストレスがあるのかもしれない。(高橋悠治「ピアノを弾くこと」2013年2月) |
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