2024年11月15日金曜日

ラカンの現実界はフロイトの原抑圧(固着)

 

ラカンの現実界がフロイトの原抑圧でありかつトラウマであるのは、最も簡潔には次の二文が示している。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


このラカンの原抑圧のトラウマは、何よりもまずフロイトの抑圧論文にある。

われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理 [psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes] が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。問題となっているこの代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。

Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden.〔・・・〕


欲動代理[Triebrepräsentanz]は抑圧により意識の影響をまぬがれると、よりいっそう自由に豊かに展開する。それはいわば暗闇に蔓延り、極端な表現形式を見いだし、異者[fremd]のようなものとして現れる。

die Triebrepräsentanz sich ungestörter und reichhaltiger entwickelt, wenn sie durch die Verdrängung dem bewußten Einfluß entzogen ist. Sie wuchert dann sozusagen im Dunkeln und findet extreme Ausdrucksformen, […] fremd erscheinen müssen (フロイト『抑圧』1915年)


原抑圧に伴って異者が蔓延るとあるが、この異者ーー厳密には《我々にとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger]》(Lacan, S23, 11 Mai 1976)ーーこそトラウマである。

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。〔・・・〕


これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)


異者身体のレミニサンスが示されているが、これがラカンにおいての現実界のトラウマのレミニサンスである。

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage.  …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)


さらに異者身体とは後年のフロイトにおいてエスの欲動蠢動を意味する。

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


したがってーー、

ラカンの現実界はフロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。それは言説のなかの穴である[ce réel de Lacan … c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou dans le discours. ] (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)

現実界は、フロイトが「無意識」と「欲動」と呼んだものである[le réel à la fois de ce que Freud a appelé « inconscient » et « pulsion ».](Jacques-Alain Miller, HABEAS CORPUS, avril 2016)

現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)




ところでーー先の抑圧論文にも固着という語が現れているがーー、抑圧の第一段階の原抑圧とは実際は抑圧というよりも「欲動の固着」である。

抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege]

(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )第3章、1911年)


固着とは、最も基本的には自我の前意識あるいは表象に取り入れられずエスに置き残される本来の無意識である。


ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。

The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)


したがって現実界、あるいは現実界の享楽は固着である。これは次の三文に現れている。


享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

現実界は、同化不能な形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964)

固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)


現実界=トラウマ=同化不能=固着とあるが、同化不能はフロイトの異者身体かつモノの定義である。

同化不能な異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年)

同化不能な部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)


これ自体、ラカンの次の二文に現れている。

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)


以上、ラカンの現実界の享楽は「トラウマ=原抑圧=固着=異者身体=モノ=欲動」である。

享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation (…)  on y revient toujours.] (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)

フロイトのモノ、これが後にラカンにとって享楽となる[das Ding –, qui sera plus tard pour lui la jouissance]。…フロイトのエス、欲動の無意識。事実上、この享楽がモノである。[ça freudien, l'inconscient de la pulsion. En fait, cette jouissance, la Chose](J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)


現代ラカン派は現実界を示すとき、原抑圧よりも固着概念を好んで使用する。


精神分析における主要な現実界の顕れは、固着としての症状である[l'avènement du réel majeur de la psychanalyse, c'est Le symptôme, comme fixion,](コレット・ソレールColette Soler, Avènements du réel, 2017年)

われわれは言うことができる、サントームは固着の反復だと。サントームは反復プラス固着である。[On peut dire que le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)


サントームは現実界の症状を意味し、したがって、固着の症状である。

サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME.  C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)

サントームは現実界、無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome,  …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient]   (Lacan, S23, 17 Février 1976)



…………………




※附記


ここでもう一度抑圧論文を再掲し確認しておこう。

われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理 [psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes] が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。問題となっているこの代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。

Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden.〔・・・〕


欲動代理[Triebrepräsentanz]は抑圧により意識の影響をまぬがれると、よりいっそう自由に豊かに展開する。それはいわば暗闇に蔓延り、極端な表現形式を見いだし、異者[fremd]のようなものとして現れる。

die Triebrepräsentanz sich ungestörter und reichhaltiger entwickelt, wenn sie durch die Verdrängung dem bewußten Einfluß entzogen ist. Sie wuchert dann sozusagen im Dunkeln und findet extreme Ausdrucksformen, […] fremd erscheinen müssen (フロイト『抑圧』1915年)


原抑圧[Urverdrängung]➡︎欲動の心的(表象-)代理 [psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes]の受け入れ拒絶➡︎固着[Fixerung]➡︎欲動の拘束[Trieb an sie gebunden]とあり、さらにフロイトは欲動の心的(表象-)代理を欲動代理[Triebrepräsentanz]と言い換えている。


まず、欲動の心的(表象-)代理 [psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes]とは、事実上、欲動自体である。


フロイトは既に『性理論』の段階で、欲動と心的代理[ psychische Repräsentanz]を等置している。

「欲動」という名のもとにわれわれが理解することのできるのは、さしあたり、休むことなく流れている、身体的刺激源の心的代理以外のなにものでもない。〔・・・〕したがって欲動は心的なものと身体的なものの境界にある概念である。

Unter einem »Trieb« können wir zunächst nichts anderes verstehen als die psychische Repräsentanz einer kontinuierlich fließenden, innersomatischen Reizquelle, (…) Trieb ist so einer der Begriffe der Abgrenzung des Seelischen vom Körperlichen.(フロイト『性理論三篇』第一篇(5) 、1905年)


つまり抑圧論文の《欲動の心的(表象-)代理 [psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes]》のdesは同格の「の」であり、「欲動という心的(表象-)代理」と訳したほうがいいかもしれない。


これは無意識論文にても確認できる。

われわれが無意識的な欲動蠢動とか、抑圧された欲動蠢動について語るとしても、それは無邪気で粗雑な表現ということになる。われわれはそのさい、その(欲動の)表象代理 [Vorstellungsrepräsentanz]が無意識的であるような欲動蠢動を考えているに過ぎない。

Wenn wir aber doch von einer unbewußten Triebregung oder einer verdrängten Triebregung reden, so ist dies eine harmlose Nachlässigkeit des Ausdrucks. Wir können nichts anderes meinen als eine Triebregung, deren Vorstellungsrepräsentanz unbewußt ist, denn etwas anderes kommt nicht in Betracht. (フロイト『無意識』第3章、1915年)


つまり、欲動という心的代理[ psychische Repräsentanz des Triebes]=欲動という心的(表象-)代理 [psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes]=欲動代理[Triebrepräsentanz]=欲動という表象代理[Vorstellungsrepräsentanz des Triebes]とすることができ、これが『症例シュレーバー』に現れる欲動の固着[Fixierungen der Trieb]であるだろう。


そして欲動自体、《幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]》( フロイト『性理論三篇』1905年)である。この意味で欲動の固着は、これまた同化の「の」として「欲動という固着」でありうる。この固着に欲動は拘束されるのである。


フロイトは『欲動とその運命』にて事実上、欲動の対象は固着だと記している。

欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。

Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. (…)  Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト『欲動とその運命』1915年)


先に引用したラカンあるいはジャック=アラン・ミレールにおいて、事実上、享楽と固着が等置されているのは、おそらくこれらの理由であるだろう。



なお、フロイトは《無意識の核は欲動代理で成り立っている[Der Kern des Ubw besteht aus Triebrepräsentanzen]》(フロイト『無意識』第5章、1915 年)としている。




2024年11月14日木曜日

セミネール17の喪われた対象文献(未定稿)

 

我々はS2 という記号で示されるものを一連の諸シニフィアンと考える。それは既にそこにある。S1 はそこに介入する。

Nous considérons désignée par le signe S2 la batterie des signifiants, de ceux qui sont déjà là.   …S1 est celui qui est à voir comme intervenant〔・・・〕




S1 が他の諸シニフィアンによって構成されている領野のなかに介入するその瞬間に、主体が現れる$。これを分裂した主体と呼ぶ。この過程から同時に何かが出現する、喪失として定義される何かが。これが対象a と読まれる文字で示しているものである。

…c'est au moment où ce S1 intervient dans le champ déjà constitué des autres signifiants…  surgit ceci : $, qui est ce que nous avons appelé  le sujet comme divisé. 

que de ce trajet sort quelque chose de défini comme une perte,   et que c'est cela que désigne la lettre qui se lit comme étant l'objet(a).   




我々は勿論、フロイトから引き出した喪われた対象の機能をこの点から示し損なっていない。話す存在における固有の反復の意味はここにある。Bien sûr nous n'avons pas été sans désigner le point d'où nous extrayons cette fonction de l'objet perdu : du discours de FREUD sur le sens spécifique de  la répétition chez l'être parlant.  (Lacan, S17, 26 Novembre 1969)



反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]。〔・・・〕フロイトは強調している、反復自体のなかに、享楽の喪失があると[FREUD insiste :  que dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]。

ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能がある。これがフロイトだ[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD]〔・・・〕

フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽」への探求の相がある[conçu seulement sous cette dimension de la recherche de cette jouissance ruineuse, que tourne tout le texte de FREUD.]〔・・・〕

享楽の対象は何か?[Objet de jouissance de qui ?]…

これが「大他者の享楽」を意味するのは確かだろうか? 確かにそうだ![Est-il sûr que cela veuille dire « jouissance de l'Autre » ? Certes !]…


享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸の水準にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…Au-delà du principe du plaisir …cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)


※参照:七つのモノ文献




…………………


※附記


◾️フロイトにおける喪われた対象

自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…)  die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ]〔・・・〕

母を見失う(母の喪失)というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この見失われた対象(喪われた対象)[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)

不安は対象の喪失に対する反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, (…) daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand.](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)


母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation.](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


◾️ラカンにおける究極の喪われた対象

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象を徴示する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  ](Lacan, S11, 20 Mai 1964)

ラカンは反復と喪われた対象との結びつきを常に強調した。…ラカンは根源的に喪われた対象をふたたび見出すための努力として反復を位置づけるのを止めなかった。

Lacan n'a jamais manqué de souligner le lien de la répétition à l'objet comme objet perdu (…) Il n'a pas cessé de situer la répétition comme un effort pour retrouver l'objet foncièrement perdu. (J.-A. Miller, « Transfert, répétition et réel sexuel.» 2010)




◾️フロイトにおける死の欲動

生の目標は死であり、死への回帰である[Das Ziel alles Lebens ist der Tod, und zurückgreifend](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)

われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)


以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib.] (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)

母胎回帰としての死[Tod als Rückkehr in den Mutterleib ](フロイト『新精神分析入門』第29講, 1933年)


◾️ラカンにおける死の欲動

死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance. ](Lacan, S17, 26 Novembre 1969)

享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel] (Lacan, S23, 10 Février 1976)

死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel … la mort, dont c'est  le fondement de Réel] (Lacan, S23, 16 Mars 1976)


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)