以下、私が気づいた範囲で、中井久夫の天皇制をめぐる記述を列挙する。
◾️1988年 |
・・・ 3、階級相互の距離が増大する。新しい最上階級は相互に縁組みを重ね、社会を陰から支配する(フランスの二百家族のごときもの)。階級の維持は教育によって正当化され、税制や利益の接近度などによって保証され、限度を超えた階級上昇はいろいろな障害(たとえば直接間接の教育経費)によって不可能となる。中流階級は残存するが、国民総中流の神話は消滅する。この点では西欧型に近づく。労働者内部の階級分化も増大する(この点では必ずしも西欧型でない)。 4、天皇制はそのカリスマの相当を失い、新階級と合体する。世代交代とともに君が代や日の丸は次第に争点ではなくなり、旧右翼は消滅するが、"皇道派"に代わる"統制派"のごとき、天皇との距離を置いた新勢力が台頭する。このなかにカリスマ的指導者が登場するかどうかはいうことができない。世界的に優秀な指導者の不足に悩む。国家意識もほどほどになり、ナショナリズムは非常のときだけのものとなる。軍備は最大の争点でなくなる。……(中井久夫「引き返せない道」産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え、初出1988年『精神科医がものを書くとき』所収ーーこの文の前後は▶︎参照) |
◾️1989年 |
天皇制の廃止が、一般国民の表現の自由を高めると夢想するのは現時点では誤りである。新憲法によって強大な権力を持つ首相のほうがはるかに危険である。権限なくて責任のみ多い脆弱な旧憲法上の首相がよいというのではない。あれは、天皇規定の矛盾にまさる政治上の不安定要因であり、新憲法なくして自民党長期政権はありえなかった。しかし、危険な首相の登場確率は危険な天皇の登場確率の千倍、この危険を無力化する可能性は十万対一であろう。天皇の意見は悪用するものの責任であり、そういう連中が『こわいものしらず』にならないために天皇の存在が貴重である。〔・・・〕私は、皇室が政府に対して牽制、抑止、補完機能を果たし、存在そのものが国家の安定要因となり、そのもとで健全な意見表明の自由によって、日本国が諸国と共存し共栄することを願う。(中井久夫「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」初出「文化会議」 1989年) |
もとより、「天皇」は「父親」が投影されているスクリーンに過ぎない。幼児期には、親のやさしいよい時と不機嫌で辛く当たる時とを、同一の親と認識できず、「よい親」と「わるい親」とを別個の人物と認識することがある。これが成人になって意識の中に現れれば、「よい親」と「わるい親」との分裂となる。父親=陛下は通常意識世界の「よい陛下」と幻覚世界の「わるい陛下」とに分裂していたのである。(中井久夫「「昭和」を送るーーひととしての昭和天皇」1989年) |
日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた『外米』はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。〔・・・〕天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕でおれない。われわれはアジアに対して『昭和天皇』である。問題は常にわれわれにある。(中井久夫「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」1989年) |
◾️1991年 |
私の祖父は早くに陸軍を辞めた軍人でしたが、そこにまだ中国に行かされて戦っている友人たちが訪ねてきて、今は「南京事件」として知られる残虐行為のことなどを話していました。今度の戦争では日本軍は勝ったとはいえないとか、「皇軍」の名に値しないということを話していたのも覚えています。こどもに対しては油断しているものですから、そういう話を私は足許で聞いていました。それで、小学校時代には私は精神的に孤立していたと思います。かなりいじめらもしました。特に、天皇を神格化するということにはどうもなじめなかったのです。〔・・・〕 ところが、これだけいろいろ心理的努力をやっておきましたせいか、終戦のときのショックがあまりなかったんです。それがかえって私にはしんどいことでありました。つまり、エイヤッと切開手術をしてもらって膿を出して、反対側にまわるほうが楽なんです。それで、中学生の私はむしろちょっと国粋主義者――といっても神懸かりではないんですけれども――で、天皇制をうっかり廃止して大丈夫だろうかというような、むしろ保守的な考えの人間になりました。特に、アメリカの人たちが宣伝する民主主義というものに対して懐疑的になった時期がありました。このころ、『民主主義』という本がアメリカの勧めでしょうか、編纂され、文部省の名前で出て、みんな読んでいたわけですが、歯が浮いたような本だといって私は読まなかった。(中井久夫「私に影響を与えた人たちのことなど」初出1991年『兵庫精神医療』) |
◾️2003年 |
かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。 明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003年 『時のしずく』所収) |
……………
※参照 |
◾️日本の宗教とアニミズム |
日本では、・・・宗教が行方不明になりかけていて、無宗教だという意見が高度成長期時代まであった。〔・・・〕 しかし、強烈な宗教的情熱を最近目の当たりにした。偶像崇拝どころではない。最近の航空機事故は悲惨であったが、その処理も私を大いに驚かせた。いかなる死体のはしきれをも同定せずにはおかないという気迫が当然とされ、法医学の知識が総動員されて徹底的に実行された。こういうことは他国の事故では起こらない。海底の軍艦の遺骨まで引き揚げようとするのは我が国以外にはあるまい。 死者の遺体はーー特に悲惨な死を遂げた人の遺体はーーただの物ではなくて、それは火できよめて自宅、せめて自国まで持ってこないと「気がすまない」とはどういうことだろうか。一つは、定義はほんとうにむつかしそうだが、「アニミズム」と呼ぶのが適当な現象である。もう一つは、国なり家族なり、とにかく「ウチ」にもたらさないと「ゴミ」あつかいをしていることになるということである。「ゴミ」の定義は「ソト」にあるものだ(「ひとごみ」とはよく言ったものだ)。そうしておくとどうも「気がすまない」。「気がすまない」のは強迫的心理であり、それを解消しようとする行為が強迫行為である。そういう意味では、神道の原理が「きよら」であり、何よりも生活を重んじるのとつながる。〔・・・〕 アニミズムは日本人一般の身体に染みついているらしい。イスラエルと日本の合同考古学調査隊が大量の不要な遺骨を運び出す羽目になった時、その作業をした日本隊員は翌日こぞって発熱したが、イスラエル隊員は別に何ともなかったそうである。(中井久夫「日本人の宗教」1985年初出『記憶の肖像』所収) |
◾️一神教とアニミズム |
一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。一般に絶対的な言語支配で地球を覆おうというのがグローバリゼーションである。(中井久夫『私の日本語雑記』2010年) |
宗教原理主義が流行である。宗教の自然な盛り上がりか。むしろ、宗教が世俗的目的に奉仕するのが原理主義ではないか。わが国でも、千年穏やかだった神道があっという間に強制的な国家神道に変わった。原理主義の多くは外圧か内圧かによって生まれ、過度に言語面を強調する。言語と儀礼の些細な違いほど惨烈な闘争の火種になる。(中井久夫「日本人の宗教」2007年) |
まことに、人生は偶発性と不確定性と不条理性に満ちている。宗教はこれに対する合理化であり埋め合わせでもある。「いかなる未開社会でも確実に成功するものに対しては呪術は存在しない」と人類学者マリノフスキーはいう。棟上げ式も、進水式も不慮の事故を怖れ、成功と無事故を祈るものである。 どの個別宗教もその教義、教典が成立した時に、その時のその場の何かがもっとも先鋭な不条理であったかを鋳型のように示している。一神教は苛烈な不条理に直面しつづけたユダヤ民族の歴史を映しているだろう。(中井久夫「日本人の宗教」2007年) |
……………
最後に「「昭和」を送る」の二つの記述に戻る。 |
もとより、「天皇」は「父親」が投影されているスクリーンに過ぎない。幼児期には、親のやさしいよい時と不機嫌で辛く当たる時とを、同一の親と認識できず、「よい親」と「わるい親」とを別個の人物と認識することがある。これが成人になって意識の中に現れれば、「よい親」と「わるい親」との分裂となる。父親=陛下は通常意識世界の「よい陛下」と幻覚世界の「わるい陛下」とに分裂していたのである。(中井久夫「「昭和」を送るーーひととしての昭和天皇」1989年) |
日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた『外米』はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。〔・・・〕天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕でおれない。われわれはアジアに対して『昭和天皇』である。問題は常にわれわれにある。(中井久夫「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」1989年) |
投影(投射)のフロイトの定義のひとつは次のものである。 |
自己自身の邪悪な欲動を魔神に投影することは、原始人の「世界観」となった組織の一部にすぎない。…われわれはこれを「アニミズム」の世界観として知る。Die Projektion der eigenen bösen Regungen in die Dämonen ist nur ein Stück eines Systems, welches die »Weltanschauung« der Primitiven geworden ist, …als das »animistische« kennen lernen werden. (フロイト『トーテムとタブー』「Ⅱ タブーと感情のアンビヴァレンツ」第4節、1913年) |
より一般化して言えば、《フロイトの投影メカニズム[le mécanisme de la projection]の定式は次のものである…内部で拒絶されたものは、外部に現れる[ce qui a été rejeté de l'intérieur réapparaît par l'extérieur]》(ラカン, S3, 11 Avril 1956) 中井久夫は日本の加害性を安易に天皇に投射して被害者面するな、と言っているのではないか。 |
最後に、ある自戒を述べなければならない。被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。 社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・外傷・記憶』所収) |