2019年9月13日金曜日

タロウちゃんの「充実」

あたし、山本太郎や共産党を支持している人にたいしては何をいってもムダだと思ってるから、いままで言わないようにしてきたのだけどさ。

すこしは言わせてもらえばね、タロウちゃんってこう言っているわけね。

消費税は全て社会保障の充実に使いますって書いてあるんですよ。
2014年の増収は5兆円だった。
しかし、社会保障の充実に使われたのは5千億円です。
つまりたったの一割。
はっきり言って詐欺ですよ。(山本太郎発言、2018年3月28日予算委員会)

あるいは最近ならこう。

安倍内閣は2014年に消費税を5%から8%に引き上げました。消費税増税で得た税収はどう使われてきたか。8兆円ほどあった税収のうち、社会保障の充実に使われたのはわずか16%です。安倍さんは「増税分の4/5は借金返しに充てた」と国会で答えています。結局、消費税を上げても、苦境に立たされている国民のもとには配分されません。(山本太郎から自民党を支持してきた皆様へ、2019年06月30日

で、自分のブログにこんな図をはりつけてるわ。


0328-資料2, 2018年04月10日


つまり借金にあてるのは、社会保障費の充実じゃないって言ってるわけ。

あたしは言葉の意味にはそれほどこだわらないほうだけどーーウィトゲンシュタイン曰くの言葉の意味はその使用法なんだからーー、ここではスナオに「充実」の定義をみると辞書にはこうあるわ。


足りない点や欠陥がなく、十分に備わっていること。内容が豊富であること。「━した日々を過ごす」「スタッフの━をはかる」(大辞林)
中にすきまなく一杯に満ちること。内容が十分備わって豊かなこと。(日本国語大辞典)

借金の穴埋めは充実じゃないのかしらん? ま、タロウちゃんはそういう使用法はしてないみたいだけど。






この借金ってのはほとんど社会保障費のせいでの借金なのよねえ。






1990年から2019年の30年のあいだに公共事業、教育、防衛などはなーんにも増えてない。増えたのは社会保障費と、それにほとんど社会保障費を補填するだけの国債費だけ。






で、あたし、マガオでききたいんだけど、こんな借金だらけで、さらに消費税カットしたいわけかしら?


(これからの日本のために 財政を考える、財務省、令和元年6月、PDF


現在の莫大な債務残高をさらに急増させたいわけかしらん?




で、財政崩壊まっしぐらのアタシのタロウ! ガンバッテ〜! ってあんたたち拍手喝采しているわけ?


ねえ、たとえばタロウちゃんの言っているように法人税あげてほんとにいいの? 日本の企業を潰したり、海外移転させたいわけ?





あたし、マガオでいわせてもらえば、タロウちゃんファンの人たちって、いくらなんでももうすこし財政の数字みるオベンキョウしたほうがいいんじゃないかしらん?


日本ってこうなんだから、今後は負担をあげて福祉をへらすしかないのよ。



年金支給年齢を70歳にしたって、福祉をさげないとどうしようもない国なのよ。

このくらいのことはわかってるでしょ? それともぜんぜんわからないひとたちなのかしらん。

ねえ、人口が1パーセントづつ減少していく国で、持続的に経済成長が2パーセント国ってのはいままで皆無なのよ。その奇跡「のみ」を期待するわけ?

ねえねえ、アンリアルな経済成長どころか、さらにアンリアルな税収弾性値を設定して、こういったことをマガオで言ってきた共産党ってどうして信用できるわけかしらん?

日本の名目成長率がマイナスだった97年以降、欧米先進国の名目成長率の平均は、アメリカ4.5%、イギリス4.3%、フランス3.1%、ドイツ2.3%となっています。日本でも、国民の所得を増やし、経済の好循環を実現できれば、平均2%台の成長は可能です。そうすれば、税収も増え、10年後には、国税・地方税あわせて20兆円を超える自然増収を実現できます。(「消費税にたよらない別の道」――日本共産党の財源提案、2014年11月26日)
経済改革で、国民の所得を増やせば、それが消費につながり、経済を安定的な成長の軌道に乗せることができます。そうすれば、10年程度先には、国・地方あわせて20兆円前後の税収増が見込めます。(「社会保障・教育の財源は、消費税にたよらずに確保できる」2019年6月

ま、こういったこといってもムダだと思うけどさ、あんたたちには。


なぜ財政再建計画は失敗するのか?小黒一正2019.08.20


2019年9月11日水曜日

あなたは国民負担率をどうしたいのですか?

前回に引き続くが、ここでは最初に最もシンプルな話から始める。日本という世界一の少子高齢化社会の話である。



右に示されている図から数字のみを抜き出せば次のようになる。




このように高齢者1人あたりの労働人口は驚くべき割合で減ってゆく。労働人口が減るということは、高齢者を支えるためにはいまよりもいっそう負担増をしなくてはならないということである。

したがって次の見解は当然である。

日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。(財政と社会保障 ~私たちはどのような国家像を目指すのか~ 大和総研理事長武藤敏郎、 2017年1月18日)

世界一の少子高齢化社会では中福祉高負担しかありえない。いまより負担を増やして、なんとか現在の福祉水準を維持できないだろうか。こういったあり方しかない。

この立場が(既存システム内では)きわめて正統的なものであるのは、誰でもわかるはずのことである。

上の表は年度のきりが悪いので10年ごとの数字も挙げておこう。




この数字を示したのは、2050年どころか、2040年においてもはや高齢者1人当たりを支える労働人口はわずか1.4人になってしまうことを示すためである。

2030年でさえ1.7人。この意味は2000年の3.6人の半分以下の労働人口で高齢者1人を支えなければならないということである。

上の表に75歳以上の高齢者数も示したが、仮に年金支給年齢を70歳からにしても困難な状況はそれほど変わらない。それはすこし数字を触ってみれば瞭然とする。

さらに75歳以上の高齢者数が増えるということは、数が増える以上に負担が増えるということである。




まずこの厳然たる未来を人は認めなくてはならない。夢を見ていてはダメなのである。

国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。

仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。(武藤敏郎「日本の社会保障制度を考える」2013年)

ここでは「社会保障のサービスを削減・合理化」には触れないでおこう。国民負担率だけに絞る。

主要各国の国民負担率は次の通り。




アメリカのように 公的保険を小さくして「個人で勝手に将来に備えてくれ」という国以外は、その国民負担率は日本に比べて格段に高い。各国は日本ほどの高齢化社会でもないにもかかわらずである。

ようするに日本が既存の制度内でやっていくつもりなら、社会保障負担率(社会保険料等)、資産課税率、消費税率、法人所得課税率、個人所得課税率のどれかを必ずあげなくてはならない。これもすこし考えればだれにでもわかることのはずである。


上のデータはすこし古いが内訳が記されているので掲げたのだが、財務省から示されている直近の国別国民負担率は次の通り。





2018年の国民負担率は増えていない。社会保障給付額は年毎に着実に増加しているのに。これでは借金が積み重なるばかりである。






簡潔に言おう。現在の日本の財政状況においては、この国民負担率を思考することが何よりも肝腎である。消費税を下げたいなら下げたらよろしい。だがそのとき何をかわりに上げるのか。そもそも消費税増だけに頼ったら、20パーセントにしてもまったく足りないのである。

その状況で消費税10パーセントがイヤだというなら、なにかほかの税を大きくあげて、税総額の増大を必ず実施しなけれならない。もし資産のない高齢者を切り捨てたくないなら、とただし書きをしておいてもよい。

札束を刷るだけではなんの解決にもならない。僥倖的経済成長を夢みるのはバカ気ている。人口減少国では奇跡でもないかぎり、経済成長2パーセントが続くということはありえないだろうことは前回しめした通り。

法人税をあげれば経済成長にいっそう悪影響がある。個人税や社会保険料をあげれば、労働人口にいっそう負担がかかって、現役世代いじめとなる。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修)


さてわたくしの問いはこうである。消費税に反対する方々は10年後、ーーここでは20年後などとは言わないで、より近未来の話をするーー、この10年後に「あなたは国民負担率をどうしたいのですか?」というものである。

巷間の左翼ポピュリストたち、それはリベラルインテリも含むが、彼らにはこの問いがまったくないようにしか思えないのである。

※国民負担率のより詳しいデータやその算出の仕方については、「負担率に関する資料」を参照。



2019年9月10日火曜日

「財政的幼児虐待」の犠牲者から加害者へ

財政的幼児虐待 Fiscal Child Abuse」とは、ボストン大学経済学教授ローレンス・コトリコフ Laurence Kotlikoff の造りだした表現で、 日本でも一部で流通しているが、現在の世代が社会保障収支の不均衡などを解消せず、多額の公的債務を累積させて将来の世代に重い経済的負担を強いることを言う。

つまり「財政的幼児虐待」の内実は次のような意味である。

公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである(ジャック・アタリ『国家債務危機』2011年 )
 簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(池尾和人「経済再生 の鍵は不確実性の解消」2011)

 「財政的幼児虐待」とは本来、いまここにいない「未来の他者への虐待」を言わんとしたことだが、日本の場合はそれだけではない。いまここに生きている若者たちがすでに、すくなくとも30年まえから引き続く「財政的幼児虐待の犠牲者」である。


たとえば「これからの日本のために 財政を考える」(財務省、令和元年6月、PDF)に示されている図をいくつか抜き出してみよう。





1990年から2019年の30年のあいだに公共事業、教育、防衛などの歳出はなにも増えてない。増えたのは社会保障費と、それにほとんどその社会保障費を補填するのみの国債費だけである。

歳入のほうはこうだ。





ーー歳出は増え続けているのに、税収はほとんど増えていない。これが1990年以降の財政的幼児虐待、つまり負担の未来世代への先送りを示す最も簡潔な二図である。


ようするに少子高齢化社会で高齢者一人あたりの労働人口が減るなか、消費税をはじめとする国民負担率を上げなくてはならない必然性があったにもかかわらず、政治がその役割から逃げてきたせいで財政赤字が雪だるま式に巨額な数値となってしまったのである。








一般に虐待された者が虐待し返すのは精神分析においては「常識」である。

過去の性的虐待の犠牲者は、未来の加害者になる恐れがあるとは今では公然の秘密である。(When psychoanalysis meets Law and Evil: Jochem Willemsen and Paul Verhaeghe, 2010)

これはレイプ被害者が加害者になりやすい機微を指摘しているのだが、この天秤の左右の皿関係は性的なものには限らない。より一般化すれば、受動的立場におかれた者たちは能動的にやりかえすというメカニズムが人間にはある。

容易に観察されるのは、性愛の領域ばかりではなく、心的経験の領域においてはすべて、受動的に受け取られた印象[passiv empfangener Eindruck]が小児には能動的な反応を起こす傾向[Tendenz zu einer aktiven Reaktion]を生みだすということである。以前に自分がされたりさせられたりしたことを自分でやってみようとするのである。

それは、小児に課された外界に対処する仕事[Bewältigungsarbeit an der Außenwelt]の一部であって、…厄介な内容のために起こった印象の反復の試み[Wiederholung solcher Eindrücke bemüht]というところまでも導いてゆくかもしれない。

小児の遊戯もまた、受動的な体験を能動的な行為によって補い[passives Erlebnis durch eine aktive Handlung zu ergänzen] 、いわばそれをこのような仕方で解消しようとする意図に役立つようになっている。

医者がいやがる子供の口をあけて咽喉をみたとすると、家に帰ってから子供は医者の役割を演じ、自分が医者に対してそうだったように自分に無力な幼い兄弟をつかまえて、暴力的な処置を反復wiederholenするのである。受動性への反抗と能動的役割の選択 [Eine Auflehnung gegen die Passivität und eine Bevorzugung der aktiven Rolle]は疑いない。(フロイト『女性の性愛』1931年)

今の若者たちが財政的受動性に置かれているのは周知の事実であろう。





したがって現在、財政的虐待を如実に感じているにちがいない若者たちが、たとえば能動的に未来の他者に対して暴力をふるうという傾向が生じるのはやむえない。彼らは、たとえば20年後の未来の若者たちに「財政的幼児虐待」を実践しているのである。

その最も具体的な例としては、「消費税をなくせ!」という要請である。





消費税をなくしたらほかの税や社会保険料を本来あげなくてはならない。ほかの税とは基本的にすべて労働人口への負担に偏った税である。消費税のみが全人口への負担税である。





なお日本の法人税率は他国比べとこんな具合らしい。




おそらく財性的知識の不備もあるだろうから、やむえないこととはいえ、今の若い人たちは、消費税増反対とは、むしろ勤労世代である若者たちにいっそう負担を増すことに帰結するのではないかとまず疑ったほうがいい。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修)

※なお行政側の直近の説明はここにある→「消費税増税の使い道をわかりやすく解説」(2019年9月5日)。

さらにもっとはっきりしているのは、現在負担増に反対することは、未来の若者にたいする財政的幼児虐待の「加害者」であることである。歴史はくり返される、マルクスがいったように「笑劇としてくり返される」とは言わないでおこう。

いずれにせよーー消費税を下げたならば、消費が活性化して経済成長が起こりうるかもなどという一部の左翼ポピュリスト政治家(大衆迎合主義者)の夢を信用する前にーー、未来の若者にたいする財政的虐待の実践者であることは自覚しておいたほうがよいのではないだろうか。

経済成長については、わたくしは今のところ次のような見解をとっている。


アメリカの潜在成長率は 2.5%弱であると言われているが、アメリカは移民が入っていることと出生率が高いことがあり、生産年齢人口は年率1%伸びている。日本では、今後、年率1%弱で生産年齢人口が減っていくので、女性や高齢者の雇用を促進するとしても、潜在成長率は実質1 %程度に引き上げるのがやっとであろう。

丸めた数字で説明すれば,、アメリカの人口成長率が+1%、日本は-1%、生産性の伸びを日米で同じ 1.5%と置いても日本の潜在成長率は 0.5%であり、これをさらに引き上げることは難しい。なお過去 20年間の1人当たり実質GDP 成長率は、アメリカで 1.55%、日本は 0.78%でアメリカより低いが、これは日本においては失われた 10 年といった不況期があったからである。

潜在成長率の引上げには人口減少に対する強力な政策が必要だが、出生率を今すぐ引き上げることが出来たとしても、成人して労働力になるのは20年先であり、即効性はない。今すべき政策のポイントは、人口政策として移民政策を位置づけることである。現在は一時的に労働力を導入しようという攻策に止まっているが、むしろ移民として日本に定住してもらえる人材を積極的に受け入れる必要がある。(『財政赤字・社会保障制度の維持可能性と金融政策の財政コスト』深尾光洋、2015年)



2019年9月4日水曜日

原マゾヒズム簡潔版




原マゾヒズム
フロイト
ラカン
マゾヒズムはその目標 Ziel として自己破壊 Selbstzerstörung をもっている。…そしてマゾヒズムはサディズムより古い der Masochismus älter ist als der Sadismus。

他方、サディズムは外部に向けられた破壊欲動 der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstriebであり、攻撃性 Aggressionの特徴をもつ。或る量の原破壊欲動 ursprünglichen Destruktionstrieb は内部に居残ったままでありうる。…

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向 Tendenz zur Selbstdestruktioから逃れるために、他の物や他者を破壊する anderes und andere zerstören 必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!⋯⋯⋯⋯

我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
私はどの哲学者にも喧嘩を売っている。…言わせてもらえば、今日、どの哲学も我々に出会えない。哲学の哀れな流産 misérables avortons de philosophie! 我々は前世紀(19世紀)の初めからあの哲学の襤褸切れの習慣 habits qui se morcellent を引き摺っているのだ。あれら哲学とは、唯一の問いに遭遇しないようにその周りを浮かれ踊る方法 façon de batifoler 以外の何ものでもない。…唯一の問い、それはフロイトによって名付けられた死の本能 instinct de mort 、享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance である。全ての哲学的パロールは、ここから逃げ出し視線を逸らしている。Toute la parole philosophique foire et se dérobe.(ラカン、S13、June 8, 1966)
死への道 Le chemin vers la mort…それはマゾヒズムについての言説であるdiscours sur le masochisme 。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)
享楽はその基盤においてマゾヒズム的である。La jouissance est masochiste dans son fond(ラカン、S16, 15 Janvier 1969)
もしわれわれが若干の不正確さを気にかけなければ、有機体内で作用する死の欲動 Todestrieb ーー原サディズム Ursadismusーーはマゾヒズム Masochismus と一致するといってさしかえない。…ある種の状況下では、外部に向け換えられ投射されたサディズムあるいは破壊欲動 projizierte Sadismus oder Destruktionstrieb がふたたび取り入れられ introjiziert 内部に向け換えられうる。…この退行が起これば、二次的マゾヒズム sekundären Masochismus が生み出され、原初的 ursprünglichen マゾヒズムに合流する。(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)
享楽の弁証法は、厳密に生に反したものである。dialectique de  la jouissance, c'est proprement ce qui va contre la vie.  (Lacan, S17, 14 Janvier 1970)
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel。フロイトはこれを発見したのである。(ラカン、S23, 10 Février 1976)
反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance  。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この廃墟となった享楽 jouissance ruineuseへの探求の相がある。…

享楽の対象 Objet de jouissance…フロイトのモノ La Chose(das Ding)…モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë。それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象objet perduである。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
自我がひるむような満足を欲する欲動要求 Triebanspruch は、自分自身にむけられた破壊欲動 Destruktionstriebとしてマゾヒスム的でありうる。おそらくこの付加物によって、不安反応 Angstreaktion が度をすぎ、目的にそわなくなり、麻痺する場合が説明される。高所恐怖症 Höhenphobien(窓、塔、断崖)はこういう由来をもつだろう。そのかくれた女性的な(=受動的な)意味は、マゾヒスムに近似している ihre geheime feminine Bedeutung steht dem Masochismus nahe。(フロイト『制止、症状、不安』最終章、1926年)
母という対象 Objekt der Mutterは、欲求Bedürfnissesのあるときは、「切望sehnsüchtig」と呼ばれる強い備給Besetzung(リビドー )を受ける。……(この)喪われている対象(喪われた対象)vermißten (verlorenen) Objektsへの強烈な切望備給 Sehnsuchtsbesetzung(リビドー )は絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle と同じ経済論的条件ökonomischen Bedingungenをもつ。(フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)
フロイトのモノ Chose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)
モノは母である。das Ding, qui est la mère (ラカン, S7,  16 Décembre 1959)
私が享楽と呼ぶものーー身体が身体自体を経験するという意味においてーーその享楽は、つねに緊張・強制・消費・搾取とさえいえる審級[toujours de l'ordre de la tension, du forçage, de la dépense, voire de l'exploit]にある。疑いもなく享楽があるのは、苦痛が現れる始める水準である。そして我々は知っている、この苦痛の水準においてのみ有機体の全次元ーー苦痛の水準を外してしまえば、隠蔽されたままの全次元ーーが経験されうることを。(Lacan, Psychanalyse et medecine, 1966)
女性的マゾヒズムfeminine Masochismusの根には、…苦痛のなかの快 Schmerzlustがある。(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)