①サントームはモノの名 前回、サントームは固着、あるいはトラウマへの固着であることを示したが、ジャック=アラン・ミレールは次のようにも言っている。 |
ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens]。ラカンはこのモノをサントームと呼んだのである。サントームはエスの形象である[ce qu'il appelle le sinthome, c'est une figure du ça ] (J.-A.MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 4 mars 2009) |
これは何よりもまずラカンの次の二文からであるだろう。 |
サントームは現実界、無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome, …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient] (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
現実界=サントーム=モノである。 |
そしてラカンにおいて現実界はもともとトラウマかつ固着である。 |
現実界は、同化不能な形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964) |
固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
「同化不能な」とフロイトのモノかつ異者身体の定義である。 |
同化不能な部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
同化不能な異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年) |
そしてフロイトにおいて異者身体の定義はまずはトラウマかつエスの欲動蠢動である。 |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen] (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
②モノは固着の残滓 ところでフロイトはモノを残滓ともした。 |
我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
この残滓こそ固着の残滓であり、自我に取り入れられずつエスに置き残される異者身体を意味する。 |
常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. …daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
さらにまたこの異者身体とは母への固着の残滓でもある。 |
母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
したがってラカンはセミネールⅦの段階で次のように言っている。 |
モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16 Décembre 1959) |
つまり、固着=残滓=モノ=異者=母である。 |
③残滓は対象a この残滓はセミネールⅩのラカンにおいて対象aとなる(リアルな対象aであり、剰余享楽としての対象aではないことに注意)。 |
残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu. Ce reste, …c'est le petit(a). ](Lacan, S10, 21 Novembre 1962) |
フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
享楽は残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).] (Lacan, S10, 15 Mai 1963 ) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
つまり対象a=残滓=異者身体=享楽=母=固着であり、これが①②で示してきた同化不能なモノである。 |
さらにラカンは次のようにも言っている。 |
対象aはシニフィアンの機能に対して同化に抵抗するものである。実に対象aはシニフィアンの領野において常に喪われたもの、シニフィアン化において喪われたものを表す。 (а) …c'est ce qui résiste à cette assimilation à la fonction du signifiant. C'est bien pour cela que (а) symbolise ce que, dans la sphère du signifiant, est toujours… ce qui se présente toujours comme perdu, comme ce qui se perd à la significantisation. (Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
つまりラカンにおいて同化不能なモノとはシニフィアン化されない《喪われた対象a[l'objet perdu (a)]》(Lacan, S11, 13 Mai 1964)であり、これが固着のトラウマ(異者身体)である。 |
確認しよう。ラカンはセミネールⅩⅦで次のように言っている。 |
享楽の対象としてのモノは快原理の彼岸の水準にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…Au-delà du principe du plaisir …cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要) |
つまり固着の残滓という同化不能なモノは喪われた対象であり、これが現実界のトラウマである。 |
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
④トラウマへの固着と喪われた対象への固着 |
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ラカンが示している「トラウマ=喪われた対象」であるならば、フロイトのトラウマへの固着は喪われた対象への固着とすることができるのだろうか。 |
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われわれの研究が示すのは、神経症の現象 (症状)は、或る出来事と印象(刻印)の結果だという事である。したがってそれを病因的トラウマと見なす。Es hat sich für unsere Forschung herausgestellt, daß das, was wir die Phänomene (Symptome) einer Neurose heißen, die Folgen von gewissen Erlebnissen und Eindrücken sind, die wir eben darum als ätiologische Traumen anerkennen.〔・・・〕 この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる。 ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an〔・・・〕 トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我の傷である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs ]〔・・・〕 このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに取り込まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
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フロイトにおいて初期幼児期に起こる身体の出来事としてのトラウマは主に幼児の世話役の母に関わる。 |
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母は幼児にとって過酷なトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
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この母なるトラウマは《母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] 》(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)に関わる。 |
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フロイトにおける初期幼児期のトラウマは何よりもまず不安=母の喪失なのである。 |
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不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma]。(フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
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自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…) die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ]〔・・・〕 母を見失う(母の喪失)というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この見失われた対象(喪われた対象)[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
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この不安=トラウマ=喪失(喪われた母なる対象)の別の言い方は、愛の喪失に対する不安 [Angst vor dem Liebesverlust]である。 |
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寄る辺なさと他者への依存性という事実は、愛の喪失に対する不安と名づけるのが最も相応しい[Es ist in seiner Hilflosigkeit und Abhängigkeit von anderen leicht zu entdecken, kann am besten als Angst vor dem Liebesverlust bezeichnet werden](フロイト『文化の中も居心地の悪さ』第7章、1930年) |
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以上から、トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]は喪われた対象への固着[Fixierung an das verlorene Objekt]、より具体的には喪われた母への固着[Fixierung an das verlorene Mutter]とすることがおそらく出来る。
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