ある意図があって何人かの作家たちの愛をめぐる文を掲げる。
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悪魔だ、熱病だ! 愛は悪魔だ。熱病という名の精神病だ。自分のつごうでふりまいておきながら、見返りだけはがっちり求めてくる得手勝手なヤツだ。愛するというのは悪いことだ。/異性愛だけではない。親子の愛、兄弟愛、愛と名のつくものはみな片輪で、はためいわくな感情だからきらいだ。わたしが家族を持たないのは、きらいな愛にとらわれたくないためだ。(深沢七郎ーー鴎外の娘森茉莉のスクラップ帖にはさまっていた文) |
愛という語[Wort »Liebe«]…この語ががこれほど頻繁にくりかえされてしかるべきものとは思えなかった。それどころか、この二音綴は、まことにいとわしきもの[recht widerwärtig]と思えるのだった。水っぽいミルクとでもいうか、青味を帯びた白色の、なにやら甘ったるいしろもののイメージに結びついていた [eine Vorstellung verband sich für ihn damit wie von gewässerter Milch, - etwas Weißbläulichem, Labberigem](トーマス・マン『魔の山』1924年) |
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愛する者は、じぶんの思い焦がれている人を無条件に独占しようと欲する。彼は相手の身も心をも支配する無条件の主権を得ようと欲する。彼は自分ひとりだけ愛されていることを願うし、また自分が相手の心のなかに最高のもの・最も好ましいものとして住みつき支配しようと望む[der Liebende will den unbedingten Alleinbesitz der von ihm ersehnten Person, er will eine ebenso unbedingte Macht über ihre Seele wie ihren Leib, er will allein geliebt sein und als das Höchste und Begehrenswertheste in der andern Seele wohnen und herrschen]〔・・・〕 |
われわれは全くのところ次のような事実に驚くしかない、ーーつまり性愛のこういう荒々しい所有欲と不正 が、あらゆる時代におこったと同様に賛美され神聖視されている事実、また実に、ひとびとがこの性愛からエゴイズムの反対物とされる愛の概念を引き出したーーおそらく愛はエゴイズムの最も端的率直な表現である筈なのにーーという事実に、である[so wundert man sich in der That, dass diese wilde Habsucht und Ungerechtigkeit der Geschlechtsliebe dermaassen verherrlicht und vergöttlicht worden ist, wie zu allen Zeiten geschehen, ja, dass man aus dieser Liebe den Begriff Liebe als den Gegensatz des Egoismus hergenommen hat, während sie vielleicht gerade der unbefangenste Ausdruck des Egoismus ist. ](ニーチェ『悦ばしき知識』14番、1882年) |
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愛は拷問または外科手術にとても似ている[l'amour ressemblait fort à une torture ou à une opération chirurgicale]ということを私の覚書のなかに既に私は書いたと思う。だがこの考えは、最も過酷な形で展開しうる。たとえ恋人ふたり同士が非常に夢中になって、相互に求め合う気持ちで一杯だとしても、ふたりのうちの一方が、いつも他方より冷静で夢中になり方が少ないであろう。この比較的醒めている男ないし女が、執刀医あるいは死刑執行人である。もう一方の相手が患者あるいは犠牲者である[ c'est l'opérateur ou le bourreau ; l’autre, c'est le sujet, la victime.](ボードレール「火箭 Fusées」1851) |
彼は思いだした、月のあかるかったあの夜ごと、ラ・ぺルーズ通に彼を乗せてゆくヴィクトリアのなかにぐったりからだを横たえ、恋する男のさまざまな感動を官能的に心のなかで育てながら、そうした感動がかならずむすぶであろう毒の果実[le fruit empoisonné ]を知らなかったことを。しかし、こうした思考はすべて一秒ほどのわずかなあいだしかつづかなかった、それは彼が手を胸にあて、ほっと一息つき、拷問の苦しみを顔からかくそう[dissimuler sa torture]とほほえんだほんのわずかなあいだであった。(プルースト「スワン家のほうへ」第2部「スワンの恋」) |
私のように天分に恵まれた人間は世界にはいないわ、冥界の力よ、愛しているものを破壊するの[Aucun être au monde n'est doué comme moi de ce pouvoir infernal : détruire ce qu'il aime.] (コレット・ぺニョColette Peignot, 1935ーーバタイユ宛だが未送付の書簡) |
ーー《破壊は、愛の別の顔である。破壊と愛は同じ原理をもつ。すなわち穴の原理である[Le terme de ravage,…– que c'est l'autre face de l'amour. Le ravage et l'amour ont le même principe, à savoir grand A barré]》(J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999)
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こふ(恋ふ)と云ふ語の第一義は、実は、しぬぶとは遠いものであつた。魂を欲すると言へば、はまりさうな内容を持つて居たらしい。魂の還るを乞ふにも、魂の我が身に来りつく事を願ふ義にも用ゐられて居る。たまふ(目上から)に対するこふ・いはふに近いこむ(籠む)などは、其原義の、生きみ魂の分裂の信仰に関係ある事を見せてゐる。(折口信夫「国文学の発生(第四稿)唱導的方面を中心として」1927年) |
こゝに予め、説かねばならぬ一つは、恋愛を意味するこひなる語である。 こひは魂乞ひの義であり、而もその乞ひ自体が、相手の合意を強ひて、その所有する魂を迎へようとするにあるらしい。玉劔を受領する時の動作に、「乞ひ度(わた)す」と謂つた用語例もある。領巾・袖をふるのも、霊ごひの為である。又、仮死者の魂を山深く覓め行くのも、こひである。魂を迎へることがこひであり、其次第に分化して、男女の間に限られたのが恋ひであると考へてゐる。うたがきの形式としての魂ごひの歌が、「恋ひ歌」であり、同時に、相聞歌である。(折口信夫「日本文学の発生」1947年) |
一人の愛人があればそこから十篇の短篇小説がうまれることは、たやすい、一人の女の人の持つ世界は十人の世界をも覗ぎ見られるものであつて、それ故にわれわれはいつも一人にしかあたへる愛情しかもつてゐない、そのたつた一人を尋ねまはってゐる人間は、死たばるまでつひにその一人にさへ行き会はずに、おしまひになる人間もゐるのである。われわれの終生たづね廻つてゐるただ一人のために、人間はいかに多くの詩と小説をむだ書きにしたことだらう、たとへば私なぞも、あがいてつひに何もたづねられなくて、多くの書物にもならない詩と小説のむだ書きを、生涯をこめて書きちらしてゐた、それは食ふためばかりではない、何とか自分にも他人にもすくひになるやうな一人がほしかつたのである。これは馬鹿の戯言であらうか、人間は死ぬまで愛情に飢ゑてある動物ではなかつたか(室生犀星『随筆 女ひと』1955年) |
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偉そうに、ほざいてみても、だらしがないものだ。私は矢田津世子と別れて以来、自分で意志したわけではなく、いつとはなしに、死の翳が身にしみついていることを見出すようになっていた。今日、死んでもよい。明日、死んでもよい。いつでも死ねるのであった。 こうハッキリと身にしみついた死の翳を見るのは、切ないものである。暗いのだ。自殺の虚勢というような威勢のよいところはミジンもなく、なんのことだ、オレはこれだけの人間なんだ、という絶望があるだけであった。 その年の春さきに、牧野信一が、女房の浮気に悩んで、自殺した。たかが女房の浮気に、と、私は彼をあわれみながら、私自身は、惚れた女に別れたゞけで、いつとなく、死の翳が身にしみついているというテイタラクである。たかが一人の女に、と、いくら苦笑してみても、その死の翳が、現に身にさしせまり、ピッタリとしみついているではないか。みじめな小ささ。いかにすべき。わがイノチ。もがいてみても、わからない。〔・・・〕 |
何をすれば、生きるアカシがあるのだろうか。それも、分らぬ。ともかく、矢田津世子と別れたことが、たかが一人の女によって、それが苦笑のタネであり、バカらしくとも、死の翳を身にしみつけてしまったのだ。 新しく生きるためには、この一人の女を、墓にうずめてしまわねばならぬ。この女の墓碑銘を書かねばならぬ。この女を墓の下へうめない限り、私に新しい生命の訪れる時はないだろう、と思わざるを得なかった。 そして、私は、その墓をつくるための小説を書きはじめた。書くことを得たか。否、否。半年にして筆を投じた。 そして私が、わが身のまわりに見たものは、更により深くしみついている死の翳であった。私自身が、影だけであった。そのとき、私は、京都にいた。独りであった。孤影。私は、私自身に、そういう名前をつけていたのだ。 矢田津世子が、本当に死ぬまで、私はついに、私自身の力では、ダメであった。あさはかな者よ。哀れ、みじめな者よ。(坂口安吾「死と影」1948年) |
ーー《死は愛である [ la mort, c'est l'amour]》(Lacan, L'Étourdit E475, 1970)