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一般に、カントは、合理論と経験論の「間」にあって、超越論的な批判をした人だとされている。しかし、『視霊者の夢』のような奇妙な自虐的なエッセイを見ると、カントがたんに「間」で考えたなどとはいえない。彼もまた、独断的な合理論に対して経験論で立ち向かい、独断的な経験論に対して合理論的に立ち向かうことをくりかえしている。そのような移動においてカントの「批判」がある。「超越論的な批判」は何か安定した第三の立場ではない。それはトランスヴァーサル(横断的)な、あるいはトランスポジショナルな移動なしにはありえない。そこで、私はカントやマルクスの、トランセンデンタル且つトランスポジショナルな批判を「トランスクリティーク」と呼ぶことにしたのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』「イントロダクション」2001年) |
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重要なのは、〔・・・〕マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようがーー彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえるーーだめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしに存在しない。(柄谷行人『トランスクリティーク』「第二部・第一章 移動と批判」2001年) |
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以前に私は一般的人間理解を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のでない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかなる動機もろとも、他人の視点[Gesichtspunkte anderer] から考察する。両方の考察の比較はたしかに強い視差[starke Parallaxen] (パララックス)を生じはするが、それは光学的欺瞞 [optischen Betrug] を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段でもある。 |
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Sonst betrachte ich den allgemeinen menschlichen Verstand blos aus dem Standpunkte des meinigen: jetzt setze ich mich in die Stelle einer fremden und äußeren Vernunft und beobachte meine Urtheile sammt ihren geheimsten Anlässen aus dem Gesichtspunkte anderer. Die Vergleichung beider Beobachtungen giebt zwar starke Parallaxen, aber sie ist auch das einzige Mittel, den optischen Betrug zu verhüten und die Begriffe an die wahre Stellen zu setzen, darin sie in Ansehung der Erkenntnißvermögen der menschlichen Natur stehen. |
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(カント『視霊者の夢(Träume eines Geistersehers)』1766年) |
柄谷はこの文を引用しつつ次のように注釈している。
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ここでカントがいっているのは、自分の視点から見るだけでなく、「他人の視点」からも見よ、ということではない。そのようなことならありふれている。なぜなら、「反省」とは他人の視点で自分を見ることであり、哲学の歴史はそのような反省の歴史なのだから。しかし、ここでカントがいう「他人の視点」はそのようなものではない。それは「強い視差 paraIlax」においてしかあらわれない。そのことを考えるには、カントの時代にはなかった或るテクノロジーを例にとる必要がある。 |
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反省はいつも、鏡に自らを映すというメタファーで語られる。鏡は「他人の視点」で自分の顔を見ることである。それゆえ、ここで、鏡と写真を比較してみよう。写真が発明された当初、自分の顔を見た者は、テープレコーダーで初めて自分の声を聞いた者と同様、不快を禁じ得なかったといわれる。鏡による反省には、いかに「他人の視点」に立とうと、共犯性がある。われわれは都合のいいようにしか自分の顔を見ない。しかも、鏡は左右が逆である。一方、肖像画は確かに他人が描いているが、もしそれが不快なものであれば、それは画家の主観(悪意)によると見なすことができる。だから、他人がどう描いても、私には響かない。しかるに、写真にはそれらと異質な「客観性」がある。誰かがそれを写したにせよ、肖像画の場合と違って、その主観性をいうことができないからである。奇妙なことだが、われわれは自分の顔(物自体)を見ることができない、 鏡に映った像(現象)としてしか。しかし、そのことを知るのは、写真によってである。むろん、写真も像にすぎない。そして、人はまもなく写真に慣れる。つまり、写真に写ったものを自分の顔と見なすようになる。しかし、重要なのは、人が初めて写真を見てそう感じたような「強い視差」なのだ。 |
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もう一つの例をとれば、デリダは、意識とは「自分が-話すのを-聞く」ということだといっている(『声と現象』)。その場合、ヘーゲルならば、実際に発話してみることによって、自己が客観化(外化)されるというだろう。しかし、このように客観化された声(外言)は、実のところ、客観的ではない。それは「私の視点」なのだ。その証拠に、われわれはテープで初めて自分の声を聞いたときに或るおぞましさを覚える。それはそこにまさしく「他人の視点」があらわれるからだ。 私は「他人の視点」で初めて自分の顔を見、自分の声を聞く。そのとき、私は「これは私の顔ではない、私の声ではない」と思う。それはフロイトでいえば患者の「抵抗」である。むろん、写真やテープなら、私は事実を受けいれざるをえないし、受けいれることができる。そして、まもなくそのことに慣れていく。しかし、哲学的反省においてはそのようなことは決して起こらない。哲学は内省=鏡によって始まりそこにとどまる。いかに「他者の視点」をいれてもそれは同じである。そもそも哲学はソクラテスの「対話」にはじまっている。 対話そのものが鏡の中にあるのだ。人々は、カントが主観的な自己吟味にとどまったことを批判し、またそこから出る可能性を、多数主観を導入した『判断力批判』に求めようとする。しかし、哲学史における決定的な事件は、内省にとどまりながら、同時に内省のもつ共犯性を破砕しようとしたカントの『純粋理性批判』にある。われわれは、そこに旧来の内省=鏡とは違った、或る客観性=他者性の導入を見いだすことができる。 |
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『視霊者の夢』に書かれているのは、端的にいえば、それまでライプニッツ・ヴォルフの合理論的哲学に立っていたカントが自身いうように、ヒュームの経験論的な懐疑を受けいれざるをえず、なお、それにも満足しえなかった状態である。 それから 『純粋理性批判』にいたるまで、彼は十年ほど社交界からもジャーナリズムからも離れて沈黙した。 カントが「超越論的」と呼ぶ態度は、その間に生じたのである。『純粋理性批判』は、主観的な内省とは異質であるだけでなく、「客観的な」考察とも異質である。超越論的な反省は、あくまで自己吟味であるが、同時に、そこに「他人の視点」がはいっている。逆にいえば、それはインパーソナル(非人称的)な考察であるにもかかわらず、徹頭徹尾、自己吟味なのだ。 |
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人々は、この超越論的態度をたんなる方法として受けとめてしまう。そして、カントが見いだした無意識の構造を、まるで所与のもののように論じる。だが、超越論的な態度は「強い視差」なしにありえなかった。カントの方法は主観的であり、独我論的であると非難される。しかし、それはつねに「他人の視点」につきまとわれているのだ。『純粋理性批判』は『視霊者の夢』のように自己批評的に書かれていない。しかし、「強い視差」は消えてはいない。それはアンチノミー(二律背反)というかたちであらわれたのである。それは、テーゼとアンチテーゼのいずれもが光学的欺瞞」にすぎないことを露出するものだ。しかし、それはたんに論理的な記述として受けとられてしまう。 |
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『純粋理性批判』を出版した後、カントは、同書における記述の順序に関して、現象と物自体という区分について語るのは、弁証論におけるアンチノミーについて書いてからにすべきだったと述べている。実際、現象と物自体の区別から始めたことは、彼のいわんとすることを、現象と本質、表層と深層というような、伝統的な思考の枠組みに引き戻す結果を招いてしまった。カント以後に物自体を否定した者は、そのようなレベルで考えているのである。また、ハイデガーのように物自体を擁護した者はそれを存在論的な「深層」として見いだしている。 しかし、物自体はアンチノミーにおいて見出されるものであって、そこに何ら神秘的な意味合いはない。それは自分の顔のようなものだ。それは疑いなく存在するが、どうしても像(現象)としてしか見ることができないのである。したがって、重要なのは、「強い視差」としてのアンチノミーである。それのみが像(現象)でない何かがあることを開示するのだ。カントがアンチノミーを提示するのは、必ずしもそう明示したところだけではない。たとえば、彼はデカルトのように「同一的自己がある」と考えることを、「純粋理性の誤謬推理」と呼んでいる。しかし、実際には、デカルトの「同一的自己はある」というテーゼと、ヒュームの同一的自己はない」というアンチテーゼがアンチノミーをなすのであり、カントはその解決として「超越論的主観X」をもちだしたのである。 |
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(柄谷行人『トランスクリティーク』「第一部・第1章 カント的転回」2001年) |
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以下、直近のインタビューにおける『トランスクリティーク』の振り返りより。
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◼️トランスクリティーク 移動しながらの批評の先に見いだしたもの:私の謎 柄谷行人回想録㉔ 2025.03.12 |
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柄谷 “トランスクリティーク”という言葉は、僕の造語です。“クリティーク”は、批評ですね。“トランス”は、超越論的(transcendental)、横断的(transversal)から取りました。垂直方向と水平方向という、相反するものの間の “移動”と言ってもいい。 ――移動ということでは、柄谷さんは、マルクスがドイツからフランス、イギリスと移動しながら思索を深めていたことに着目されていますね。 柄谷 大事なのは、空間的移動というよりも、思想的な移動です。カントは空間的にはまったくといっていいほど移動しなかったけど、思想的には移動していた。カントは、経験論と合理論の両方を批判しましたが、それらを超えるような地点に自分を置いてそうしたのではありません。それらの相反する立場を行き来しながらそうしたのです。カントは、両者を折衷・総合したのではなくて、合理論の立場から経験論を、経験論の立場から合理論を批判した。 《経験論は、人間の知識や認識は経験によって外部から得られるとする考え方。J・ロックやヒュームらが代表的な哲学者で、17~18世紀にイギリスで発展した。合理論は、人間には経験に先立って備わっている概念や原理があり、それに基づいて認識が可能になるという考え方。デカルトやライプニッツなど、フランス、ドイツで盛んだった》 |
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――視点を変えると、違うものが見えてくるということですか。 柄谷 視点を変える、という発想とは違います。自分の選択で、視点を変えるんじゃないんです。好むと好まざるとにかかわらず、人は不可避的に異なる思想体系、価値体系の重なり合いの内に置かれて分裂している、ということです。カントに、“視差”という概念があります。それは、“合理論”と“経験論”、もしくは“理性的なもの”と“感性的なもの”といった異質なものの統合です。それは、ヘーゲル的な総合、つまりすべてを見通すような視点ではない。また、合理論にも経験論にもそれぞれの正しさがあるといったような、相対主義でもない。 ――“視差”というのは、非常に印象的な言葉です。本の中では、鏡と写真の例でわかりやすく説明されているので紹介してみます。私たちは鏡で自分の顔を都合のいいように見ているのだ、と柄谷さんは言います。だから、自分の顔は見慣れているようでも、写真を見て、「こんな顔してるかな」と思ったりする。あるいは、録音された自分の声を聞くと、なんだか変な感じがする。そこに、自分が考えている自分と、客観的には自分の顔はこう見える、声はこう聞こえるというショック、おぞましさのようなものがある。ここに“視差”がある、というわけです。 |
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柄谷 大抵人は、物事を通念にしたがって見ているだけで、本当には見ていないんです。でも本来認識は、視差からくる危うさの上に成立している。人間の視覚も、そういう仕組みになっているらしいですね。右目と左目の位置が微妙に違うこと、つまり視差に基づいて、脳が対象物の奥行きを判断して、立体像を生み出すんだとか。目が、外界に存在する対象物をそのまま客観的に映し出す、というような単純な話ではないということですよね。認識にも同じことがいえます。
――マルクスとカントにみられるような、移動から生じる視差を通じて批評するあり方を、“トランスクリティーク”と名付けた、ということですね。 |
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なお柄谷行人は2006年の丸山眞男論でもこう記している。
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思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム」2006) |
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そしてこの文脈の中で丸山眞男の次の発言を引用している。
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日本では、思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考えがつよくて、 人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗教がないこと、ドグマがないことと関係している。 イデオロギー過剰なんていうのはむしろ逆ですよ。魔術的な言葉が氾濫しているにすぎない。イデオロギーの終焉もヘチマもないんで、およそこれほど無イデオロギーの国はないんですよ。その意味では大衆社会のいちばんの先進国だ。 |
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ドストエフスキーの『悪霊』なんかに出てくる、まるで観念が着物を着て歩きまわっているようなああいう精神的気候、あそこまで観念が生々しいリアリティをもっているというのは、われわれには実感できないんじゃないですか。 人を見て法を説けで、ぼくは十九世紀のロシアに生れたら、あまり思想の証しなんていいたくないんですよ。スターリニズムにだって、観念にとりつかれた病理という面があると思うんです。あの凄まじい残虐さは、彼がサディストだったとか官僚的だったということだけで はなくて、やっぱり観念にとりつかれて、抽象的なプロレタリアートだけ見えて、生きた人間が見えなくなったところからきている。 |
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しかし、日本では、一般現象としては観念にとりつかれる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想によって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。しかし、思想が今日明日の現実をすぐ動かすと思うのはまちがいです。(丸山眞男『丸山座談5』針生一郎との対談) |