通常の意味は、象徴界のなかのシニフィアンの連鎖であるが、以下のオートマトンは現実界の自動反復という意味である。
ミレールはこれについて十分な説明はしていないが、以下の引用群にてそう判断できるだろうことを示す。
※なお、サントームが固着であることは、「サントームは固着である Le sinthome est la fixation」で比較的詳しく示した。
冒頭のミレール2005の図を何度か掲げているのだが、何度か問いがあったので、今後の備えのためのこのまとめである。
この際、冒頭の図における一般には分かりにくいだろう語彙群の注釈をも引用しておくことにする。
ミレールはこれについて十分な説明はしていないが、以下の引用群にてそう判断できるだろうことを示す。
象徴界のなかの現実界の機能(不可能な現実界との出会い)
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シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants、その近代数学的機械 mathématique moderne, des machines …それがオートマトン αύτόματον [ automaton ]であり…他方、テュケー τύχη [ tuché ]は現実界との出会い rencontre du réel と定義する。(ラカン、S11, 05 Février 1964)
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(テュケーとしての)象徴的形式化の限界との出会い、書かれることが不可能なものとしての現実界との出会いとは、ラカンの表現によれは、象徴界のなかの「現実界の機能 fonction du réel」である。そしてこれは象徴界外の現実界と区別されなければならない。(コレット・ソレール Colette Soler, L'inconscient Réinventé、2009)
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テュケーtuchéの機能は、出会いとしての現実界の機能fonction du réel ということである。(ラカン、S11、12 Février 1964)
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私の定式: 不可能性は現実界である ma formule : l'impossible, c'est le réel. (ラカン、RADIOPHONIE、AE431、1970)
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現実界は形式化の行き詰まりに刻印される以外の何ものでもない le réel ne saurait s'inscrire que d'une impasse de la formalisation(LACAN, S20、20 Mars 1973)
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ラカンの反復の移行(象徴界の反復から現実界の反復へ)
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ラカンはアリストテレスの二つの用語オートマトンとテュケー[deux termes aristotéliciens d'automaton et de tuche. L'automaton]を区別した。オートマトンはシニフィアンのネットワークである[L'automaton, c'est le réseau des signifiants,]。ここに象徴秩序が具現化される[c'est là où s'incarne l'ordre symbolique] 。…諸シニフィアンが戻って来、自らを主張し、交換され、秩序付けられ、計量されうる[les signifiants revenir, insister, permuter, être solidaires, s'ordonner, être calculables].
他方、テュケーは裂け目である[la tuche, c'est une trouée]。テュケーは法に従わない[La tuche n'obéit pas à une loi]。…テュケーは偶然としての出会い[rencontre comme au hasard]である。…ラカンは最後の教えで、《現実界は無法であるle réel est sans loi》と言った。この現実界の審級[réel ordre]に関して、われわれは現実界のトラウマ[le réel trauma]を持つ。…(心的装置に)同化されえないものとしての現実界[real as unassimilable]である。
反復を、ラカンは最初の教えで、まさにオートマトンautomatonとして象徴秩序の側に位置付けた。だが後に、この反復が規則的に現れうるとき、原則として、現実界のトラウマréel traumaの側に置いた。
フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマである。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un- 2/2/2011 )
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フロイトの自動反復としての現実界の反復
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私は昨年言ったことを繰り返そう、フロイトの『制止、症状、不安』は、後期ラカンの教えの鍵 la clef du dernier enseignement de Lacan である。(J.-A. MILLER, Le Partenaire Symptôme - 19/11/97)
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フロイトにとって症状は反復強迫 compulsion de répétition に結びついたこの「止めないもの qui ne cesse pas」である。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着する要素は、無意識のエスの反復強迫に見出されると。フロイトはこの論文で、症状を記述するとき、欲動要求の絶え間なさを常に示している。欲動は「行使されることを止めないもにものであるne cesse pas de s'exercer」. (J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique - 26/2/97)
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われわれは、『制止、症状、不安』(1926年)の究極の章である第10章を読まなければならない。…そこには欲動が囚われる反復強迫 Wiederholungszwang の作用、その自動反復 automatisme de répétition (Automatismus) の記述がある。
そして『制止、症状、不安』11章「補足 Addendum B 」には、本源的な文 phrase essentielle がある。フロイトはこう書いている。《欲動要求はリアルな何ものかである Triebanspruch etwas Reales ist(exigence pulsionnelle est quelque chose de réel)》。(J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, - 2/2/2011)
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自動反復(反復強迫)=「書かれることを止めない」=サントームの反復
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この欲動蠢動 Triebregungは「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして(この欲動の)固着する契機 Das fixierende Moment ⋯は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es である。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)
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症状(サントーム)は、現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン、三人目の女 La Troisième、1974、1er Novembre 1974)
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現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (S 25, 10 Janvier 1978)
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サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)
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ラカンがサントームと呼んだものは、反復的享楽であり、「一のシニフィアン le signifiant Un」・S1とのみ関係がある。…それはただ、S2なきS1[S1 sans S2]=固着を通した身体の自動享楽 auto-jouissance du corps に他ならない。(J.-A. MILLER, L'être et l'un、23/03/2011)
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※なお、サントームが固着であることは、「サントームは固着である Le sinthome est la fixation」で比較的詳しく示した。
いままで次のような図を示したきて説明のかわりにしたのだが、これだけでは一般には分かりにくいだろう。
この際、冒頭の図における一般には分かりにくいだろう語彙群の注釈をも引用しておくことにする。
真理/享楽
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真理は本来的に嘘と同じ本質を持っている。(フロイトが『心理学草稿』1895年で指摘した)proton pseudos[πρωτoυ πσευδoς] (ヒステリー的嘘・誤った結びつけ)もまた究極の欺瞞である。嘘をつかないものは享楽、話す身体の享楽である Ce qui ne ment pas, c'est la jouissance, la ou les jouissances du corps parlant。(JACQUES-ALAIN MILLER, L'inconscient et le corps parlant, 2014)
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現実界、それは話す身体の神秘、無意識の神秘である Le réel, dirai-je, c’est le mystère du corps parlant, c’est le mystère de l’inconscient(ラカン、S20、15 mai 1973)
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欠如/穴
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穴 trou の概念は、欠如 manque の概念とは異なる。この穴の概念が、後期ラカンの教えを以前のラカンとを異なったものにする。
この相違は何か? 人が欠如を語るとき、場 place は残ったままである。欠如とは、場のなかに刻まれた不在 absence を意味する。欠如は場の秩序に従う。場は、欠如によって影響を受けない。この理由で、まさに他の諸要素が、ある要素の《欠如している manque》場を占めることができる。人は置換 permutation することができるのである。置換とは、欠如が機能していることを意味する。(⋯⋯)
ちょうど反対のことが穴 trou について言える。ラカンは後期の教えで、この穴の概念を練り上げた。穴は、欠如とは対照的に、秩序の消滅・場の秩序の消滅 disparition de l'ordre, de l'ordre des places を意味する。穴は、組合せ規則の場処自体の消滅である Le trou comporte la disparition du lieu même de la combinatoire。これが、斜線を引かれた大他者 grand A barré (Ⱥ) の最も深い価値である。ここで、Ⱥ は大他者のなかの欠如を意味しない Grand A barré ne veut pas dire ici un manque dans l'Autre 。そうではなく、Ⱥ は大他者の場における穴 à la place de l'Autre un trou、組合せ規則の消滅 disparition de la combinatoire である。(ジャック=アラン・ミレール、後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan, LE LIEU ET LE LIEN , 6 juin 2001)
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存在欠如/存在
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ラカンの最初の教えは、存在欠如 manque-à-êtreと存在欲望 désir d'êtreを基礎としている。それは解釈システム、言わば承認 reconnaissance の解釈を指示した。
(…)しかし、欲望ではなくむしろ欲望の原因 la cause du désir を扱う別の時期がある。それは、防衛としての欲望 desire as a defense、存在する existe ものに対しての防衛として存在欠如を扱う解釈である。では、存在欠如であるところの欲望に対して、何が存在 existeするのか。それはフロイトが欲動 pulsion と呼んだもの、ラカンが享楽 jouissance と名付けたものである。(J.-A. MILLER, L'être et l'un, 11/05/2011)
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主体/言存在(享楽欠如)
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parlêtre(言存在)用語が実際に示唆しているのは主体ではない。存在欠如 manque à êtreとしての主体 $ に対する享楽欠如 manqué à jouir の存在 être である。(コレット・ソレール, l'inconscient réinventé ,2009)
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疑いもなく、最初の場処には、去勢という享楽欠如の穴がある。Sans doute, en premier lieu, le trou du manque à jouir de la castration. (コレット・ソレール Colette Soler, Les affects lacaniens, 2011)
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去勢は享楽の名である la castration est le nom de la jouissance 。(J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un 25/05/2011)
(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Retour sur la psychose ordinaire, 2009)
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ラカンは “Joyce le Symptôme”(1975)で、フロイトの「無意識」という語を、「言存在 parlêtre」に置き換える。…
「言存在 parlêtre」を分析することは、もはやフロイトの意味における無意識を分析することとは全く異なる。(以前のラカンの)「言語のように構造化された無意識 l’inconscient structuré comme un langage」とさえも異なる。…
例えば、我々が、サントームとしての症状symptôme comme d'un sinthom について語る時。この言葉・概念は「言存在 parlêtre」の時代から来ている。それは、無意識の症状概念から「言存在 parlêtre」への移行をあらわしている。……
よく知られているように言語のように構造化された無意識の形成としての症状は、隠喩である。それは意味の効果、一つのシニフィアンが他のシニフィアンに対して代替されることによって引き起こされる症状である。
他方、「言存在 parlêtre」のサントームは、《身体の出来事 un événement de corps》(AE569)・享楽の出現 une émergence de jouissanceである。さらに、問題となっている身体は、あなたの身体であるとは言っていない。あなたは《他の身体の症状 le symptôme d'un autre corps》、《一人の女 une femme》でありうる。(ミレール、L'inconscient et le corps parlant、2014)
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ひとりの女は、他の身体の症状である Une femme par exemple, elle est symptôme d'un autre corps. (Laan, JOYCE LE SYMPTOME, AE569、1975)
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穴を為すものとしての「他の身体の享楽」jouissance de l'autre corps, en tant que celle-là sûrement fait trou (ラカン、S22、17 Décembre 1974)
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現実界が…穴=トラウマを為す[fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)
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※付記
■まとめ
象徴界
Symbolique
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象徴界は言語である。
Le Symbolique, c'est le langage(Lacan, S25, 10 Janvier 1978)
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オートマトン
Automaton
自動反復
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シニフィアンのネットワーク
Le réseau de signifiants
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必然性
Le nécessaire
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書かれることを止めない
ne cesse pas de s'écrire
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象徴界の中の現実界の機能
La fonction du réel dans le Symbolique
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テュケー
Tuché
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偶然性
le contingent
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不可能性
l'impossible
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現実界との
出会い
La rencontre
du réel
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書かれないことを
止める
cesse de
ne pas s'écrire
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書かれないことを
止めない
ne cesse pas de
ne pas s'écrire
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現実界
Réel
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。
le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. (Lacan, S23, 13 Avril 1976)
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無意識のエスの
反復強迫Wiederholungszwang des unbewußten Es
自動反復
Automatismus |
現実界は書かれることを止めない。
le Réel ne cesse pas de s'écrire (Lacan, S 25, 10 Janvier 1978)
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症状は、現実界について書かれることを止めない。
le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (Lacan, La Troisième, 1974)
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固着
Fixierung
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症状は身体の出来事である。
le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(Lacan, AE.569, 16 juin 1975)
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象徴界のなかの穴
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現実界は、見せかけ(象徴秩序)のなかに穴を作る。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)
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現実界は形式化の行き詰まりに刻印される以外の何ものでもない le réel ne saurait s'inscrire que d'une impasse de la formalisation(LACAN, S20、20 Mars 1973)
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現実界と想像界の境界の
真の穴
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外立の現実界がある il a le Réel de l'ex-sistence (Lacan, S22,11 Février 1975)
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欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。…原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
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私が目指すこの穴trou、それを原抑圧自体のなかに認知する。(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
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原抑圧=固着
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われわれには原抑圧 Urverdrängung 、つまり欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着Fixierungが行われる。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)
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■まとめ
二つの現実界
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(テュケーとしての)象徴的形式化の限界との出会い、書かれることが不可能なものとしての現実界との出会いとは、ラカンの表現によれは、象徴界のなかの「現実界の機能 fonction du réel」である。そしてこれは象徴界外の現実界と区別されなければならない。(コレット・ソレール Colette Soler, L'inconscient Réinventé、2009)
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精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、(フロイトの)固着としての症状 Le symptôme, comme fixionである。(コレット・ソレールColette Soler, Avènements du réel, 2017年)
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現実界①:象徴界の中の現実界の機能
la fonction du réel dans le Symbolique
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テュケーtuchéの機能は、出会いとしての現実界の機能 fonction du réel ということである。(ラカン、S11、12 Février 1964)
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シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants、その近代数学的機械 mathématique moderne, des machines …それがアリストテレスのオートマトン αύτόματον [ automaton ]であり…他方、テュケー τύχη [ tuché ]は現実界との出会い rencontre du réel と定義する。(ラカン、S11, 05 Février 1964)
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現実界は、見せかけ(象徴秩序)のなかに穴を作る。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)
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現実界は形式化の行き詰まりに刻印される以外の何ものでもない le réel ne saurait s'inscrire que d'une impasse de la formalisation(LACAN, S20、20 Mars 1973)
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現実界②:身体の出来事(トラウマへの固着)による反復強迫
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症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
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症状は刻印である。現実界の水準における刻印である。Le symptôme est l'inscription, au niveau du réel, (Lacan, LE PHÉNOMÈNE LACANIEN, 1974.11.30)
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症状は現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン『三人目の女 La Troisième』1974)
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病因的トラウマ ätiologische Traumenは…自己身体の上への出来事 Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚Sinneswahrnehmungen である。……これは「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫Wiederholungszwang」の名の下に要約され、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、「不変の個性刻印unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3」1938年)
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フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(ミレール 、J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011 )
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フロイトが固着と呼んだものは、…享楽の固着 [une fixation de jouissance]である。(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)
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享楽はまさに固着である。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)
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ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance。(J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011)
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享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…享楽はトラウマの審級 l'ordre du traumatisme にある。…享楽は固着の対象 l'objet d'une fixationである。( J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
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…この欲動蠢動 Triebregungは「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして固着する要素 Das fixierende Moment ⋯は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es でなる。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)
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享楽の固着とそのトラウマ的作用 fixations de jouissance et cela a des incidences traumatiques. (Entretiens réalisés avec Colette Soler 、2016)
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反復を引き起こす享楽の固着 fixation de jouissance qui cause la répétition、(Ana Viganó, Le continu et le discontinu Tensions et approches d'une clinique multiple, 2018)
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