ラカンは現実界をフロイトのモノとしトラウマとした。 |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
フロイトにとってモノは自我に同化されない残滓である。 |
(自我に)同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
残滓とは、より厳密に言えば、リビドー固着の残滓である。 |
常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
この残滓とは人の発達史において、エスから自我に移行するなかで、自我に同化されずにエスに置き残される何ものかのことを言う。 |
人の発達史と人の心的装置において、〔・・・〕原初はすべてがエスであったのであり、自我は、外界からの継続的な影響を通じてエスから発展してきたものである。このゆっくりとした発展のあいだに、エスの或る内容は前意識状態に変わり、そうして自我の中に受け入れられた。他のものは エスの中で変わることなく、近づきがたいエスの核として置き残された 。die Entwicklungsgeschichte der Person und ihres psychischen Apparates […] Ursprünglich war ja alles Es, das Ich ist durch den fortgesetzten Einfluss der Aussenwelt aus dem Es entwickelt worden. Während dieser langsamen Entwicklung sind gewisse Inhalte des Es in den vorbewussten Zustand gewandelt und so ins Ich aufgenommen worden. Andere sind unverändert im Es als dessen schwer zugänglicher Kern geblieben. (フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第4章、1939年) |
このエスに置き残されるものをフロイトは異者身体[Fremdkörper]とも言ったが、これがモノのことである。ーー《モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger]》(Lacan, S7, 09 Décembre 1959) フロイトは次のように書いている。 |
抑圧されたものは異者身体[Fremdkörper]として分離されている[Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper] 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う[Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben]。〔・・・〕 自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、原無意識としてエスのなかに置き残されたままである[das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
ここではフロイトは「抑圧されたもの」と言っているが、より厳密に言えば、原抑圧されたものである。 |
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。 daß die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. . (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
事実、1915年には原抑圧と異者を結びつけている。 |
固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要) |
この1915年当時のフロイトにはまだエス概念はないので「暗闇」と言っているが、この暗闇はエスのことである。 |
自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕 エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、異者身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
先の1915年の抑圧論文には「固着に伴い原抑圧がなされ」とあったが、原抑圧とは事実上、固着である。 |
抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕 抑圧されたものの回帰は固着点から始まる[Wiederkehr des Verdrängten…erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察(症例シュレーバー)』1911年、摘要) |
さらにフロイトにおいて異者身体はトラウマである。 |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者身体[Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
こうしてリビドー固着の残滓が、トラウマ=モノ=異者身体であることが確認された筈である。そして冒頭に示したようにこのモノとしての異者がラカンの現実界(現実界の享楽)であるーー、《享楽は現実界にある[ la jouissance c'est du Réel ]》(Lacan, S23, 10 Février 1976) |
フロイトのモノ、これが後にラカンにとって享楽となる[das Ding –, qui sera plus tard pour lui la jouissance]。〔・・・〕フロイトのエス、欲動の無意識。事実上、この享楽がモノである。[ça freudien, l'inconscient de la pulsion. En fait, cette jouissance, la Chose](J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009 |
残滓…現実界のなかの異者概念(異者身体概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
フロイトはモノを異者とも呼んだ[das Ding…ce que Freud appelle Fremde – étranger. ](J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 26/04/2006) |
今、ジャック=アラン・ミレールの注釈の三文には固着用語がないので、さらに確認しておこう。 |
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享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009) |
分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る[Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation]. 〔・・・〕 分析経験において、われわれはトラウマ化された享楽を扱っている[dans l'expérience analytique. Nous avons affaire à une jouissance traumatisée]( J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、2011) |
次のミレール文はフロイト1939年の言い換えである。 |
享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である。La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008) |
人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する。Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
ラカンの現実界の定義の一つは次のものであるが、現実界は固着のことなのである。 |
現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place » ](Lacan, S16, 05 Mars 1969 ) |
フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える。ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
以上、モノ=異者身体はリビドー固着によってエスに置き残される残滓であり、これがラカンの現実界の享楽である。 |
ところでラカンの対象a、ーー対象aにはリアルな対象aと見せかけの対象aがあるがーーリアルな対象aは、この残滓である。以下にセミネールⅩから一連の文を引用する。 |
残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu. Ce reste, …c'est le petit(a). ](Lacan, 21 Novembre 1962) |
フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,… absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
享楽は残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
そしてこの対象aをリアルな穴と言うようになる。 |
対象aは現実界の審級にある[(a) est de l'ordre du réel.] (Lacan, S13, 05 Janvier 1966) |
対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou ](Lacan, S16, 27 Novembre 1968) |
穴とはトラウマのことである。 |
現実界は穴=トラウマを為す[le Réel …fait « troumatisme ».](ラカン、S21、19 Février 1974) |
ラカンの穴=トラウマによる言葉遊び。トラウマの穴はそこにある。そしてこの穴の唯一の定義は、主体をその場に置くことである。le jeu de mots de Lacan sur le troumatisme. Le trou du traumatisme est là, et ce trou est la seule définition qu'on puisse donner du sujet à cette place, (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 10/05/2006) |
人はみなトラウマ化されている。 この意味はすべての人にとって穴があるということである。[tout le monde est traumatisé …ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou.](J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 ) |
以上、「対象a=残滓=モノ=異者=享楽=固着=トラウマ=現実界」である。そしてこの対象aが人がみな持つ現実界の症状である。 |
症状は、対象aのポジションに繋がっている[le symptôme,… lier la position de petit(a) ] ( Lacan, S10, 12 Juin 1963) |
症状は固着である[Le symptôme, c'est la fixation ](J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 10 - 26/03/2008) |
後年のラカンにおいてこの現実界の症状の別名はサントームである。 |
サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME. C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975) |
したがってサントームは固着(固着の反復)である。 |
サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である[Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011) |
サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要) |
われわれは言うことができる、サントームは固着の反復だと。サントームは反復プラス固着である。[On peut dire que le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06) |
ラカンはこの現実界の症状、つまりトラウマの症状を身体の出来事と定義した。 |
症状は身体の出来事である[le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps](Lacan, JOYCE LE SYMPTOME, AE.569, 16 juin 1975) |
ラカンがこう言ったとき、症状はトラウマ、より厳密には症状はトラウマへの固着と反復強迫と言ったのである。 |
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 このトラウマの作用は、トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]と反復強迫[Wiederholungszwang]の名の下に要約される。この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen ](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
ーー《身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point]》 ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021/01) |
さて先ほど示した「対象a=残滓=モノ=異者=享楽=固着=トラウマ=現実界」、そして「サントーム=現実界=固着」であるゆえ、次のジャック=アラン・ミレールのいうサントーム=モノは正当化される。 |
ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens]。ラカンはこのモノをサントームと呼んだのである。サントームはエスの形象である[ce qu'il appelle le sinthome, c'est une figure du ça ] (J.-A.MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 4 mars 2009) |
ミレールはこのサントームをS(Ⱥ)というマテームで記している。 |
シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される[c'est sigma, le sigma du sinthome, …que écrire grand S de grand A barré comme sigma] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001) |
このマテームは対象aのことでもある。 |
言わなければならない、S(Ⱥ)の代わりに対象aを代替しうると[il faut dire … à substituer l'objet petit a au signifiant de l'Autre barré[S(Ⱥ)](J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 16/11/2005) |
さらにこのマテームは超自我であるとしている。 |
S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳を見い出しうる[S(Ⱥ) …on pourrait retrouver une transcription du surmoi freudien. ](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96) |
とすれば「対象a=残滓=モノ=異者=享楽=固着=トラウマ=現実界=S(Ⱥ)=超自我」なのだろうか。 そうである。事実、ラカンは超自我とリアルな対象aを結びつけている。 |
私は大他者に斜線を記す、Ⱥ(穴)と。…これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。リアルであり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある[Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a). …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rapport au surmoi : ](Lacan, S13, 09 Février 1966) |
そして最晩年のフロイトの超自我の定義は固着である。 |
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着される[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert . ](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
固着とは上に示したように抑圧(原抑圧)である。 |
フロイトの最初期の抑圧の定義は境界表象である。 |
抑圧は、過度に強い対立表象の構築によってではなく、境界表象 [Grenzvorstellung ]の強化によって起こる[Die Verdrängung geschieht nicht durch Bildung einer überstarken Gegenvorstellung, sondern durch Verstärkung einer Grenzvorstellung ](Freud Brief Fließ, 1. Januar 1896) |
ポール・バーハウはこの境界表象をS(Ⱥ)とし、原抑圧=固着としている。 |
境界表象 S(Ⱥ)[boundary signifier [Grenzvorstellung ]: S(Ⱥ)](PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997) |
フロイトの原抑圧として概念化したものは何よりもまず固着である。この固着とは、何ものかが心的なものの領野外に置き残されるということである。〔・・・〕原抑圧はS(Ⱥ) に関わる [Primary repression concerns S(Ⱥ)]。(PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997) |
ジャック=アラン・ミレールはラカンから引き継いだ最初期のセミネールで既に超自我と原抑圧を等置している。 |
超自我と原抑圧との一致がある[il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire](J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982) |
以上、自我とエスの境界表象S(Ⱥ) が、「対象a=残滓=モノ=異者=享楽=原抑圧=固着=トラウマ=現実界=超自我」となる。 |
境界表象をフロイトは後に境界概念といい、ラカンは境界構造と言った。 |
欲動は、心的なものと身体的なものとの「境界概念」である[der »Trieb« als ein Grenzbegriff zwischen Seelischem und Somatischem](フロイト『欲動および欲動の運命』1915年) |
享楽に固有の空胞、穴の配置は、欲動における境界構造と私が呼ぶものにある[configuration de vacuole, de trou propre à la jouissance…à ce que j'appelle dans la pulsion une structure de bord. ] (Lacan, S16, 12 Mars 1969) |
したがってミレールはS(Ⱥ)を欲動のシンボルと言い、超自我は欲動の主体だと言っている。 |
S (Ⱥ)ーー、私は信じている、あなた方に向けてこのシンボルを判読するために、すでに過去に最善を尽くしてきたと。S (Ⱥ)というこのシンボルは、ラカンがフロイトの欲動を書き換えたものである[S de grand A barré [ S(Ⱥ)]ーーJe crois avoir déjà fait mon possible jadis pour déchiffrer pour vous ce symbole où Lacan transcrit la pulsion freudienne ](J.-A, Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001) |
享楽の意志は欲動の名である。欲動の洗練された名である。享楽の意志は主体を欲動へと再導入する。この観点において、おそらく超自我の真の価値は欲動の主体である[Cette volonté de jouissance est un des noms de la pulsion, un nom sophistiqué de la pulsion. Ce qu'on y ajoute en disant volonté de jouissance, c'est qu'on réinsè-re le sujet dans la pulsion. A cet égard, peut-être que la vraie valeur du surmoi, c'est d'être le sujet de la pulsion]. (J.-A. Miller, LES DIVINS DETAILS, 17 MAI 1989) |
以上、固着概念をベースにして次のように図示しておこう。
自我とは事実上、大他者であり[参照]、上図は次のようにラカンマテームでも置ける。