2024年5月12日日曜日

リビドー=欲動=享楽はトラウマ的喪失と密接な関係がある

 

以下、「リビドー=欲動=享楽はトラウマ的喪失と密接な関係がある」をめぐる。


まずリビドーは欲動と等価である。

リビドーは欲動エネルギーと完全に一致する[Libido mit Triebenergie überhaupt zusammenfallen zu lassen]フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第6章、1930年)


そして、リビドーは不安、つまりトラウマ・対象の喪失と密接な関係がある。

不安とリビドーには密接な関係がある[ergab sich der Anschein einer besonders innigen Beziehung von Angst und Libido](フロイト『制止、症状、不安』第11章A 、1926年)

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…)  die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)



これが、ラカンが次のように言ってことである。


まずラカンにおいて、リビドー=欲動=享楽であり、穴の機能に関わる。

リビドーは、その名が示すように、穴に関与せざるをいられない[ La libido, comme son nom l'indique, ne peut être que participant du trou] (Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

享楽は、抹消として、穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)


穴とはトラウマかつ喪失のことである。

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

穴、すなわち喪失の場処 [un trou, un lieu de perte] (Lacan, S20, 09 Janvier 1973)


ーーつまり享楽は穴なるトラウマ的喪失に関わる。これが、フロイトの《不安とリビドーには密接な関係がある[ergab sich der Anschein einer besonders innigen Beziehung von Angst und Libido]》(『制止、症状、不安』第11章A 、1926年)のラカン的言い換えである。


そしてこの穴は原抑圧の穴である。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


原抑圧とはフロイトにおいて固着(欲動の固着)。

われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben;(フロイト『抑圧』1915年)

抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege]

(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )第3章、1911年)


固着とはフロイトにおいて常に《トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]》(『続精神分析入門』第29講, 1933 年)であり、トラウマへの固着とは身体の出来事への固着のこと。

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我の傷である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs ]〔・・・〕


このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。


これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに取り込まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)




したがって現代主流ラカン派において次の享楽の定義が生まれる。

享楽は身体の出来事である。享楽はトラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。享楽は固着の対象である[la jouissance est un événement de corps(…) la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard,(…) elle est l'objet d'une fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)

身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point] ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021)


つまり享楽は事実上、固着のことである。

享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation (…)  on y revient toujours.] (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)

フロイトは幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance]. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)


ここでジャック=アラン・ミレールが言っていることはフロイトが既に『性理論』で言っていることでもある。

幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年)

幼児期のリビドーの固着[infantilen Fixierung der Libido]( フロイト『性理論三篇』1905年)



結局、フロイトの欲動のトラウマの原点にあるものは、幼児期のトラウマ的出来事ーー身体の出来事ーーに関わる固着の反復である。

外傷神経症は、トラウマ的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している。これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況を反復する[Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. In ihren Träumen wiederholen diese Kranken regelmäßig die traumatische Situation](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)

トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]〔・・・〕ここで外傷神経症は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[Die traumatische Neurose zeigt uns da einen extremen Fall, aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen](フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)



つまりラカンの現実界とは事実上、フロイトの示している幼児期の外傷神経症なのである。




※附記


フロイトの欲動は事実上、トラウマである。それは、邦訳では「異物」と訳されてきた「異者としての身体 」Fremdkörperを通してみると最も鮮明化される。

トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。〔・・・〕


このトラウマは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


ーーすなわち異者としての身体はトラウマかつエスの欲動蠢動である。

そしてこのレミニサンスする異者身体のトラウマがラカンの現実界のトラウマである。

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage.  …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)



フロイトは異者身体をモノとも呼んだが、ラカンの現実界のトラウマは、フロイトの「モノ=異者(異者としての身体)=固着」にほかない。

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

我々にとって異者としての身体 [un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976)

現実界は、同化不能な形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964)

固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)


「同化不能な」とはフロイトのモノかつ異者身体の定義である。

同化不能な部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

同化不能な異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年)




「同化不能」の別名は残滓である。


我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)


残滓とは自我に同化されずーー受け入れられずーー、エスに置き残される固着の残滓を意味する。

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


これこそラカンのリアルな対象aである。

残滓は対象aである[Ce reste, …c'est le petit(a).  ](Lacan, S10, 21 Novembre  1962)

フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

享楽は、残滓 (а)  による[la jouissance…par ce reste : (а)  ](Lacan, S10, 13 Mars 1963)

対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)

対象aは現実界の審級にある[(a) est de l'ordre du réel.]   (Lacan, S13, 05 Janvier 1966)