2019年1月17日木曜日

フロイトの「自動反復 Automatismus」とラカンの「現実界」

 【欲動要求の飼い馴らしの不可能性】
「欲動要求の永続的解決 dauernde Erledigung eines Triebanspruchs」とは、欲動の「飼い馴らし Bändigung」とでも名づけるべきものである。それは、欲動が完全に自我の調和のなかに受容され、自我の持つそれ以外の志向からのあらゆる影響を受けやすくなり、もはや満足に向けて自らの道を行くことはない、という意味である。

しかし、いかなる方法、いかなる手段によってそれはなされるかと問われると、返答に窮する。われわれは、「するとやはり魔女の厄介になるのですな So muß denn doch die Hexe dran」(ゲーテ『ファウスト』)と呟かざるをえない。つまり魔女のメタサイコロジイである。(フロイト『終りある分析と終わりなき分析』第3章、1937年)

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【自動反復(反復強迫)】
私は昨年言ったことを繰り返そう、フロイトの『制止、症状、不安』は、後期ラカンの教えの鍵 la clef du dernier enseignement de Lacan である。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, Le PartenaireSymptôme  19/11/97)
フロイトにおいて、症状は本質的に Wiederholungszwang(反復強迫)と結びついている。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着する要素は、無意識のエスの反復強迫 der Wiederholungs­zwang des unbewussten Esに存する、と。症状に結びついた症状の臍・欲動の恒常性・フロイトが Triebesanspruch(欲動要求)と呼ぶものは、要求の様相におけるラカンの欲動概念化を、ある仕方で既に先取りしている。(ミレール、Le Symptôme-Charlatan、1998)
…フロイトの『終りある分析と終りなき分析』(1937年)の第8章とともに、われわれは、『制止、症状、不安』(1926年)の究極の章である第10章を読まなければならない。…そこには欲動が囚われる反復強迫 Wiederholungszwangの作用、その自動反復 automatisme de répétition( Automatismus)の記述がある。

そして『制止、症状、不安』11章「補足 Addendum B 」には、本源的な文 phrase essentielle がある。フロイトはこう書いている。《欲動要求は現実界的な何ものかである Triebanspruch etwas Reales ist(exigence pulsionnelle est quelque chose de réel)》。J.-A. MILLER, - Année 2011 - Cours n° 3 - 2/2/2011

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自我が、抑圧(放逐)の過程によって危険な欲動興奮 Triebregungへの防衛に成功したなら、エスのこの部分は、確かに制止され損なわれる。だが同時に、エス自身にある程度の独立性Unabhängigkeitが与えられ、自我は本来の主権 Souveränitätをある程度放棄する。

これは、抑圧(放逐 Verdrängung)の性質からくる不可避なことである。抑圧は、根本的には逃避の試み Fluchtversuch である。抑圧されたものは今、いわば無法(vogelfrei 暴れ馬)である。抑圧されたものは、自我の大きな組織から放り出され ausgeschlossen、無意識の領野を支配する法にのみ従う。

危険状況が変化すると、自我は抑圧されていたものと類似の新たな欲動興奮Triebregungに対して、防衛の動因をもたなくなり、自我束縛 Icheinschränkung の効果がはっきりしてくる。

この新しい欲動の息吹き Triebablauf は、「自動反復 Automatismus」の影響下の軌道にある、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」というのを好むーーー。それは、あたかも克服した危険がまだ存在するかのように、以前に抑圧されたものと同じ道を辿るのである。

したがって抑圧において固着する要素 Das fixierende Moment an der Verdrängungは、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es であり、このエスは、通常の環境においては、自由に動く自我の働きfrei bewegliche Funktion des Ichsによって取り消されているだけなのである。

自我は自分で作った抑圧の防壁 Schranken der Verdrängung を破って、欲動興奮Triebregung に対してその影響力をまた獲得し、新たな欲動の息吹き Triebablauf の軌道を、変化した危険状況におうじて左右することもできる筈である。

だが実際は、自我はこれにめったに成功せず、その抑圧を取り消せない。おそらく、この闘争は量的な関係に依存する。

ある場合には、この成り行きは避け難いという印象をもつ。抑圧された欲動興奮 verdrängten Regung の退行的引力 regressive Anziehung と抑圧の強さが非常に大きいため、新たな欲動興奮 neuerliche Regung は反復強迫に従うほかにない。

他の場合は、別の力の働きの寄与をわれわれは感知する。抑圧された原型 verdrängten Vorbilds (原抑圧)によって行使される引力 Anziehung は、現実の生活における困難から来る斥力 Abstoßung によって強化されるが、これは新たな欲動興奮 Triebregung が、ほかのあらゆる異なった進路を取ることに逆らう。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)
我々は現実的不安 Realangst と神経症的不安 neurotische Angstとの区別を次のように理解している。すなわち現実的危険 Realgefahr は外部の対象 äußeren Objekt からやって来るが、神経症的不安は欲動要求 Triebanspruch によって人を脅かす。この欲動要求が現実的な何ものかである Triebanspruch etwas Reales ist とするなら、神経症的不安も現実的なものに根ざしていると認めうる。

我々は、不安と神経症とのあいだの特別な密接関係の理由は、次の事実のためだと考えた。つまり、自我は不安反応 Angstreaktion の助けをかりて外的危険 äußeren Realgefahrと同じように欲動危険 Triebgefahr から身をまもるが、この防衛作用 Abwehrtätigkeit の動きは、心的装置 seelischen Apparats の不完全性Unvollkommenheitのせいで、神経症をもたらす。(フロイト『制止、症状、不安』第11章)


【自動反復と現実界】

ジャック=アラン・ミレールは、上のフロイトの二つの文を後期ラカンの「現実界」の核だとしているのである。たとえば上のフロイト文にある「自動反復 Automatismus=反復強迫 Wiederholungszwanges」とは、ラカンの次の二つの言明にあたる。

現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (ラカン、S 25, 10 Janvier 1978)
症状は、現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン、三人目の女 La Troisième、1974、1er Novembre 1974)

※参照:女性の享楽は享楽自体のこと



【トラウマ化された享楽と固着】
・分析経験において、われわれはトラウマ化された享楽を扱っている。dans l'expérience analytique. Nous avons affaire à une jouissance traumatisée

・分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る。Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation. (L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、Jacques-Alain Miller 2011)
享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps。…享楽は欲望の法 la loi du désirによって明示化されうるものではない。享楽はトラウマの審級 l'ordre du traumatisme にある。これは欲望の法とは反対である。享楽は欲望の弁証法としては捉えられない。そうではなく、享楽は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)


【享楽と自体性愛】 
ラカンは、享楽によって身体を定義する définir le corps par la jouissance ようになった。より正確に言えばーー私は今年、強調したいがーー、享楽とは、フロイト(フロイディズムfreudisme)において自体性愛 auto-érotisme と伝統的に呼ばれるもののことである。

…ラカンはこの自体性愛的性質 caractère auto-érotique を、全き厳密さにおいて、欲動概念自体 pulsion elle-mêmeに拡張した。ラカンの定義においては、欲動は自体性愛的である la pulsion est auto-érotique。(ジャック=アラン・ミレール, L'Être et l 'Un, 25/05/2011)

享楽=自体性愛とする以外に、享楽自体が、《自閉症的享楽 jouissance autiste》(ラカン、S10)ーー自己状態の享楽ーーともされるが、その理由は、フロイトの次の文が示している。

自体性愛Autoerotismus。…性的活動の最も著しい特徴は、この欲動は他の人andere Personen に向けられたものではなく、自らの身体 eigenen Körper から満足を得ることである。それは自体性愛的 autoerotischである。(フロイト『性欲論三篇』1905年)


【自体性愛の底にある去勢】 

上の自体性愛Autoerotismusこそ身体の自動反復Automatismusである。そしてこの自体性愛の底には去勢がある。

ナルシシズムの深淵な真理である自体性愛…。享楽自体は、自体性愛 auto-érotisme・己れ自身のエロス érotique de soi-mêmeに取り憑かれている。そしてこの根源的な自体性愛的享楽 jouissance foncièrement auto-érotiqueは、障害物によって徴づけられている。…去勢 castrationと呼ばれるものが障害物の名 le nom de l'obstacle である。この去勢が、己れの身体の享楽の徴 marque la jouissance du corps propre である。(Jacques-Alain Miller Introduction à l'érotique du temps、2004)

※参照:自体性愛と去勢の原像



【反復とトラウマ】
反復を、初期ラカンは象徴秩序の側に位置づけた。…だがその後、反復がとても規則的に現れうる場合、反復を、基本的に現実界のトラウマ réel trauma の側に置いた。

フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマである。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(ミレール 、J.-A. MILLER, - Année 2011 - Cours n° 3 - 2/2/2011 )
現実界は、同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma(ラカン、S11、12 Février 1964)

《同化不能 inassimilableの形式》とは、心的装置に翻訳不能・拘束不能の形式ということであり、身体的なもののなかの一部は、言語化不能だということである。この同化不能という表現は、フロイトの『心理学草案 』に次のような形で現れる。

同化不能の部分(モノ)einen unassimilierbaren Teil (das Ding)(フロイト『心理学草案 Entwurf einer Psychologie』1895、死後出版)

つまり《同化不能 inassimilableの形式》とは「モノdas Dingの形式」であり、これが《トラウマの形式》ということになる。

フロイトのモノ Chose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)


【モノ、穴、トラウマ】

モノとは穴のことである。

モノ la Chose とは大他者の大他者 l'Autre de l'Autreである。…モノとしての享楽 jouissance comme la Chose とは、l'Autre barré [Ⱥ]と等価である。(ジャック=アラン・ミレール 、Les six paradigmes de la jouissance Jacques-Alain Miller 1999)
大他者のなかの穴は Ⱥと書かれる trou dans l'Autre, qui s'écrit Ⱥ (UNE LECTURE DU SÉMINAIRE D'UN AUTRE À L'AUTRE Jacques-Alain Miller、2007)
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

ーー繰り返し強調しておけば、ラカンにとって、穴とはトラウマのことである。「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」(S21、19 Février 1974)



【穴と引力】

上に引用した『制止、症状、不安』第10章には、《抑圧された原型 verdrängten Vorbilds (原抑圧)によって行使される引力 Anziehung 》という文があった。

さらにもう一文引用すれば、

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧 Verdrängungenは、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえる。(フロイト『制止、症状、不安』第2章1926年)


この引力をもたらす原抑圧(リビドー固着)が、穴でありトラウマである(参照:原抑圧・固着文献)。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている (ラカン、S.23, 13 Avril 1976)


【去勢=享楽控除】

原抑圧(固着)、穴(トラウマ)、モノ(原初に喪われた対象)、この三語ーープラス「去勢」ーーこれらが後期ラカンの現実界の核心である。

享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. (ラカン、S23, 10 Février 1976)
問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っている。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)
享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…

問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ il y a incontestablement plusieurs sortes de castration。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
(- φ) は去勢を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Ordinary Psychosis Revisited 、2008)


【快原理の彼岸にある不気味な反復強迫】 
(フロイトの)モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë。それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perduである。(ラカン、S17, 14 Janvier 1970)
心的無意識のうちには、欲動興奮 Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。この内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を想起させるあらゆるものこそ、不気味なもの unheimlich として感知される。(フロイト『不気味なもの』1919年)