2022年6月3日金曜日

人間の文化は集団妄想(フロイト)

 


宗教的教理はすべてイリュージョンであり、証明不可能で、何人もそれを真理だと思ったり信じたりするように強制されてはならない。 den religiösen Lehren, …Sie sind sämtlich Illusionen, unbeweisbar. Niemand darf ge-zwungen werden, sie für wahr zu halten, an sie zu glauben..(フロイト『あるイリュージョンの未来 Die Zukunft einer Illusion』旧訳邦題『ある幻想の未来』、新訳邦題『ある錯覚の未来』第6 章、1927年)


フロイトの"Die Zukunft einer Illusion"は、人文書院旧訳では『ある幻想の未来』、岩波新訳では『ある錯覚の未来』と訳されているが、Illusionは「錯覚」ではなく「幻想」でよいように思う。


幻想生活と満たされぬ願望で支えられているイリュージョンが優勢をたもつのは、すでにわれわれが明らかにしたように、神経症の心理にとって決定的なことである。

Diese Vorherrschaft des Phantasielebens und der vom unerfüllten Wunsch getragenen Illusion haben wir als bestimmend für die Psychologie der Neurosen aufgezeigt. (フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章、1921年)


フロイトはイリュージョンを幻想とほぼ等置しているのを見るなら、「宗教的教理はすべてイリュージョン」とは、「宗教は集団幻想」、あるいは「宗教は集団神経症」と言い換えうる。


フロイトは上の文に引き続いて次のように記している。


われわれは、神経症者に通用するのは、ふつうの客観的な現実ではなく心理的な現実であることを見出した[Wir fanden, für die Neurotiker gelte nicht die gemeine objektive, sondern die psychische Realität.]


ヒステリーの症状は、現実の出来事の反復もとづくものではなく、幻想にもとづいている[Ein hysterisches Symptom gründe sich auf Phantasie, anstatt auf die Wiederholung wirklichen Erlebens]


強迫神経症における罪の意識は、決して実行することのない悪い意図を抱くという事実に根ざしている[ein zwangsneurotisches Schuldbewußtsein auf die Tatsache eines bösen Vorsatzes, der nie zur Ausführung gekommen.」。


じつに夢や催眠術の場合と同じように、集団の心的活動では現実検討が情動的備給を受けた願望の動きの勁さに比べて後退してしまう[Ja, wie im Traum und in der Hypnose, tritt in der Seelentätigkeit der Masse die Realitätsprüfung zurück gegen die Stärke der affektiv besetzten Wunschregungen. ](フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章、1921年)


もっともフロイトは1927年には、冒頭に見た「宗教はイリュージョン」以外に、「宗教は強迫神経症」ともしている。


宗教は人類全体がかかっている強迫神経症である[Die Religion wäre die allgemein menschliche Zwangsneurose](フロイト『あるイリュージョンの未来 Die Zukunft einer Illusion』旧訳邦題『ある幻想の未来』、新訳邦題『ある錯覚の未来』第8 章、1927年)


では宗教は集団ヒステリーの相がないのかと言えば、必ずある。ヒステリー症状の根には分離不安、強迫神経症状の根には融合不安(あるいは侵入不安)があり、この不安を避けるために、逆の形で、ヒステリー症者は融合衝動、強迫神経症者は分離衝動に突き動かされている。この観点では、宗教は集団強迫神経症と同じくらい、いやむしろそれ以上に集団ヒステリー的である。


そもそもフロイトにとって強迫神経症はヒステリーの方言に過ぎない。


強迫神経症言語は、ヒステリー言語の方言である[die Sprache der Zwangsneurose ist gleichsam nur ein Dialekt der hysterischen Sprache](フロイト 『強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕』 1909年)


したがって強迫神経症に限らずヒステリーも含めて「宗教は集団神経症」と呼んだほうが相応しい。別の言い方なら集団幻想である。


これは1930年のフロイトにとっては宗教には限らない。人間の文化自体が集団神経症(集団幻想)でありうる。


一つの疑問だけはどうしても避けて通ることができない。それはつまり、文化の発展と個々の人間の発展のあいだにこれほど広範囲な類似が見られるとすれば、文化ないしは文化時期の中のあるもの、場合によっては全人類が文化努力の影響によって「神経症」になっていると診断してもよいのではないか?daß manche Kulturen ― oder Kulturepochen ― möglicherweise die ganze Menschheit ― unter dem Einfluß der Kulturstrebungen »neurotisch« geworden sind?   (フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第8章、1930年)



フロイトはこの同じ論文で「宗教は集団妄想」だともしている。


人間の宗教は集団妄想[Massenwahn]の一種と見做すべきである。言うまでもなく、妄想に囚われている人間はそれが妄想であることを認めない。Als solchen Massenwahn müssen wir auch die Religionen der Menschheit kennzeichnen. Den Wahn erkennt natürlich niemals, wer ihn selbst noch teilt. 〔・・・〕

宗教は選択と適応という作業を制限する。というのは、宗教は幸福の獲得と苦痛の防衛への道をすべての人間に平等に課すから。宗教のテクニックは、生の価値をデフレさせ、現実の世界の像を妄想によって歪曲することにある。宗教の前提にあるのは、知性への恫喝である。この犠牲を払って、つまり信者を心的幼児性の状態に余儀なく固着させ、彼らを集団妄想へと引き摺り込むことによって、宗教は多くの人間が個人的神経症に陥るのを防ぐことに成功する。

Die Religion beeinträchtigt dieses Spiel der Auswahl ud Anpassung, indem sie ihren Weg zum Glückserwerb und Leidensschutz allen in gleicher Weise aufdrängt. Ihre Technik besteht darin, den Wert des Lebens herabzudrücken und das Bild der realen Welt wahnhaft zu entstellen, was die Einschüchterung der Intelligenz zur Voraussetzung hat. Um diesen Preis, durch gewaltsame Fixierung eines psychischen Infantilismus und Einbeziehung in einen Massenwahn gelingt es der Religion, vielen Menschen die individuelle Neurose zu ersparen. (フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第2章, 1930年)



では幻想と妄想の相違は何だろうか。かつては幻想は神経症の特徴、妄想は精神病の特徴とされた。だがラカンが1978年に「人はみな妄想する」と言った以後の現代ラカン派においては、幻想は妄想のことである。


フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。

Freud…Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant (Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978)

私は言いうる、ラカンはその最後の教えで、すべての象徴秩序は妄想だと言うことに近づいたと[Je dois dire que dans son dernier enseignement, Lacan est proche de dire que tout l'ordre symbolique est délire]〔・・・〕

ラカンは1978年に言った、「人はみな狂っている、すなわち人はみな妄想する[tout le monde est fou, c'est-à-dire, délirant]」と。〔・・・〕


我々は言う、幻想的と。しかし幻想的とは妄想的のことである[ fantasmatique peut-on-dire - mais, justement, fantasmatique veut dire délirant. ](J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire;  2009)


では人はなぜ妄想するのか。1911年にフロイトは妄想形成は何ものかに対する回復の試みだと言っている。


病理的生産物と思われている妄想形成は、実際は、回復の試み・再構成である。[Was wir für die Krankheitsproduktion halten, die Wahnbildung, ist in Wirklichkeit der Heilungsversuch, die Rekonstruktion.] (フロイト「自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」1911年)


妄想形成とは結局、症状形成のことであり、トラウマに対する防衛である。


すべての症状形成は、不安を避けるためのものである[alle Symptombildung nur unternommen werden, um der Angst zu entgehen](フロイト 『制止、不安、症状』第9章、1926年)

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


そしてすべての人間にとってのトラウマ的不安の根にあるのは幼児期における母からの分離不安である。


発達段階の流れに置いて、あらゆる危険状況と不安条件は後のすべてと結びついており共通点をもっている。wir haben vorhin die Entwicklungslinie verfolgt, welche diese erste Gefahrsituation und Angstbedingung mit allen späteren verbindet, 〔・・・〕


すなわち母からの分離である。最初は生物学的な母からの分離、次に直接的な対象喪失、後には間接的な形での分離である。eine Trennung von der Mutter bedeuten, zuerst nur in biologischer Hinsicht, dann im Sinn eines direkten Objektverlustes und später eines durch indirekte Wege vermittelten. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)

結局、成人したからといって、原トラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


このトラウマ的不安がラカンの現実界である。


我々はみな現実界のなかの穴を穴埋めするために何かを発明する[tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel.]〔・・・〕現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


トラウマあるゆえに人はみな妄想する。


「人はみな狂っている(人はみな妄想する)」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。この意味はすべての人にとって穴があるということである[au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé … ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou.  ](J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 )


現代ラカン派ではこれを一般化トラウマ[le traumatisme généralisé]に対する一般化妄想[le délire généralisé ]とも言うが、一般化妄想とは一般化症状[le symptôme généralisé]のことでもある[参照]。つまり人はみなトラウマ化されているゆえに、妄想という症状をみなもっているということである。