2026年6月14日日曜日

へたをすると気が狂う恐れもある(古井由吉)

 


◼️2015年03月22日 西部邁ゼミナール 古井由吉2 歴史と文学 YouTube

古井由吉:一九四五年、敗戦の年に僕はまだ満で八つにもならないんです、幼児ですよ。でも空襲ということに関しては自分を戦中派と感じています。幼児にもかかわらず切羽詰まった体験をしてしまった。さてその記憶の問題なんです。恐怖の記憶を維持するのは難しい。もろに維持したら生きられない。


特に火の中を逃げ惑う。目の視覚的記憶は保たれる。見るということは対象化することですから。そのぶん突き放すことができる。怖いのは耳です。これは物凄い恐怖に押し入られる。耳を塞いで走るわけにはいかないでしょう。


耳を塞げないので遮断するんです。特に記憶の中で遮断する。その記憶を中年に入ってから少しずつ掘り出していって、まだ掘り出し切れない。これが僕の現状です。〔・・・〕


音にもろに押し入られたら動けない。立ってもいられない。だからそのときからしてどこかで遮断しているんです。幼児の記憶だとなおさらのことです。これをだんだんに掘り出すのは、実はあまり嬉しいことではありません。でもこれは僕が生きるのに必要なことだろうと思う。


でないと自分というものがわからない。人に対する態度もとりにくい。へたをすると気が狂う恐れもある。そういう意味もあって少しずつ掘り出した。何かの大きな音を聞いて空襲のときのことを思い出すのではなくて、むしろ音が静まったときにどこか耳の奥から聞こえてくる。


(『西部邁発言①「文学」対論』所収)




…………………




あれももう何十年も昔になるか、つい先年のことにも思われるが、それはない。夜半にひとりで音楽に聞き入ることを、絶ったものだ。それまでにだいぶ長い習癖となっていたのが、ある夜、旋律がゆるやかな渦を巻いて沈黙の底へ吸い込まれて行くように聞こえるにつれて、寝静まった家の壁の内から、密閉したはずの窓の外から、音にもならぬほどの音がおもむろに、深いざわめきとなってふくらんで、 阿鼻叫喚の兆しをふくんで、いまにもなだれこんできそうになった。これはたまらんと音盤をすぐに停めたが、切迫は耳の奥にわだかまり、静まりをもとめながら狂奔を招き寄せていたかとおそれた。(古井由吉「時の刻み」『ゆらぐ玉の緒』2017年)


音楽こそ人生の苦悶の精華ではないか。どこかで血が流れていると、響きがいよいよ冴える。


ところがたった一人の恍惚者は果てた後の沈黙を心の静かさと取り違えて、祭司みたいな手つきでレコードを替えて塵を払い、また始める。これにはよほどの神経の鈍磨が必要だ。そうそう自らを固く戒めてきたはずなのに、近頃私はまた、夜中にステレオの前に坐りこんでレコードを取っ替え引っ替え回す悪癖に馴染んでしまった。 ただ、音の流れが跡切れると、間がもてない。音が消えたとたんに、自分を囲む空間のまとまりがつかないような、物がひとつひとつ荒涼とした素顔を見せて、私を中心にまとまるのを拒むような、そんな所在なさを覚える。


しかしさいわい、音楽と私とは、相変らず折合いが良くない。一節がこちらの身体の奥へすこしく深く響き入って来ると、私の神経はたちまちざわめき立ち、音楽のほうもなにか耳ざわりすれすれのところまで張りつめ、両者は互いを憎むことにならぬようあっさり別れる。(古井由吉「赤牛」『哀原』1977年)


静かさというのは物音と物音との、落着いた遠近のことらしい。近い物は近く聞え、遠い物は遠く聞え、その中を近づいてくる音、遠ざかって行く音が自然に耳でたどれる、おのずと耳でたどっている、そんな空間のことらしい。あるいは揺ぎなく、遅速なく、目で測れるように流れる時間、のことかもしれない。近づいてくるのが、生命を脅かすようなものでも、そんな時、人は静かと感じるようだ。


遠近の失われた静かさというものはある。何もかも等しなみに鮮明に、あるいは朧気に映る。あるいは時間があまりにも早く、あまりにも遅く流れる。外の力にもはや反応できなくなる。あるいは自分自身の行為からふっと離れてしまう。そんな時、人はやはり静かと感じるようだ。長閑とも感じる。しかしその長閑さは、どうやら根に叫喚をふくんでいる。声にならぬ叫喚、そのものかもしれない。考えてみれば、遠近を狂わせるものは、恐怖なのだ。


無音と呼ぶべきものもあるようだ。音がないわけではない。音への関係が失われているのだ。そんな時、人はとかく、物音の侵入に悩まされているように思いこむ。数ある中で、特定の物音に、はてしもなくこだわる。じつは、その音の立つのをひっそりと待っていて、偏執的に抱きしめるのだ。


人はそれぞれ固有の静かさを、死病のようなものとして、身体の内に抱えこみ、小心に押えこんでいるのかもしれない。無音の中では、その静かさがふくらみそうになるので、縁もない物音にひたすらこだわって、むりやり関係をつないで、紛らわそうとする。(古井由吉「池沼」『哀原』1977年)


騒音に押し入られるままになっている人間にとって、ときたまはさまる静まりこそ、おそろしい。静まりとは言いながら内に狂躁の、おもむろな切迫のようなものをはらむ。内にふくらみかかる狂躁を出し抜くためにも、外へ向かって自分から躁がなくてはならない。取りあえず喋りまくる。人がいなければ何でもよいから音を立てる。誰もいない部屋にもどるとまずテレビをつける。まさに、沈黙を忌む、である。耳を澄ますのも、沈黙を招くおそれがあるので、よほど用心しなくてはならない。人との話によけいな間を置くのも、お互いに沈黙の中へ惹きこまれそうになるので、あぶない。


これでは耳の上げ底どころか、心の上げ底になる。道理で物を深くは感じ止められないばかりに、深く思うこともできなかったはずだ。そのことは自嘲して済ますとしても、そうなるとしかし、今の世の男女の交わりは、お互いに沈黙をふせぐための、躁がしさの交換になるはしないか。死者たちのもとまで通じるような沈黙の中へぽつりぽつりと滴る、睦言や兼言や怨言は、絶えて久しい。(古井由吉「蜩の声」『蜩の声』2011年)



……近代の人間はおしなべて、耳の聡かったはずの古代の人間にくらべれば、論理的になったその分、耳が悪くなっているのではないか、すぐれた音楽を産み出したのも、じつは耳の塞がれかけた苦しみからではなかったか、とそんなことを思ったものだが、この夜、昼の工事の音と夜更けの蒸し返しのために鈍磨の極みに至ったこの耳に、ひょっとしたら、往古の声がようやく聞えてきたのか、と耳を遠くへやると、窓のすぐ外からけたたましく、蜩の声が立った。

 

夜半に街灯の明るさに欺れてか、いきなり嗚咽を洩らすように鳴き出し、すぐに間違いに気がついたらしく、ふた声と立てなかった。狂って笑い出したようにも聞こえた。声に異臭を思った。

異臭は幼年の記憶のようだった。蜩というものを初めて手にした時のことだ。空襲がまだ本格には本土に及ばなかった、おそらく最後の夏のことになるか。蜩は用心深くて滅多に捕まらぬものなので、命が尽きて地に落ちたのを拾ったのだろう。ツクツク法師と似たり寄ったりの大きさで、おなじく透明な翅にくっきり翅脈が浮き出て、胴体の緑と黒の斑紋の涼しさもおなじだったが、地肌が茶から赤味を帯びて、その赤味が子供の眼に妖しいように染みた。箱に仕舞って一夜置いた。そして翌朝取り出して眺めると、赤味はひときわ彩やかさをましたように見えたが、厭な臭いがしてきた。残暑の頃のことで虫もさずがに腐敗を来たしていたのか、子供には美しい色彩そのものの発する異臭と感じられた。すぐに土に埋めて手を洗ったが、異臭は指先にしばらく遺った。

箪笥に仕舞われた着物から、樟脳のにおいにまじって立ち昇ってくる、知らぬ人のにおいにも似ていた。(古井由吉「蜩の声」2011年)




何でもない物音の止んだ時、人は悟りの境に入る、と言った人がある。酒の席でつい舟を漕ぎ出した男の、寝息の止まった折りを捉えてのことだったが、まんざら冗談にも聞こえなかった。水の垂れて落ちる音でもよし、風に吹かれる木の葉のさやぎでもよし、と言う。(古井由吉「潮の変わり目」『白暗淵』2007年)


物を言わずにいるうちに、自身ではなくて、背後の棚の上の、壺が沈黙しているように感じられることがある。沈黙まで壺に吸い取れたその底から、地へひろがって、かすかに躁ぎ出すものがある。


何事も無言の内はしづかなり、と言う。置かれた境遇によっては、どうとも取れる。閑寂とは限らない。瞋恚の極みの無言でもあり得る。さしあたり何の行動も起こらぬ不思議さが、他人事の訝りが、静かだと感じられる。あるいは、ひとしお身に染みて長閑になるその時、無言は揺らいで、破れかかる。刻々の先送りとなる。溜め息も吐いてはならない。どんな呻きを誘い出すか知れない。(古井由吉「朝の男」『白暗淵』2007年)





2026年6月10日水曜日

古井由吉「エロス」未定稿

 

大体、文学は古今東西、本当の意味でのマザコンのものだと思うんですよ。マザコンがないと文学は成り立たない。それは大地母神と言ったり、聖母だとかいうようなものの、女が母に通じていかないと、色気が出ないんですよね。(古井由吉「文芸思潮」2010 初夏) 


わたしという存在は一身の過去の記憶の、よくも思い出せないものもふくめて、漠とした積み重ねの上に立つと取るのがまず穏当である。おのれの出生の時までは及ばないが、後に聞かされた出生の事情でも、我が身に照らしてつくづく思いあたる節があればこれも記憶、思い出せぬことながら、思い出せることよりも重い記憶になる。

しかし母胎の内にあった時、さらに受胎の時までさかのぼれば、はるか地の底の、忘却の湖 に漂っているにひとしい。この忘却の内にすでに生涯の定めが萌しているとしたら、人の記憶ははかない、徒労のようなものになる。(古井由吉「たなごころ」『この道』2019年)




僕は作品でエロティックなことをずっと追ってきました。そのひとつの動機として、空襲の中での性的経験があるんですよ。爆撃機が去って、周囲は焼き払われて、たいていの人は泣き崩れている時、どうしたものか、焼け跡で交わっている男女がいます。子供の眼だけれども、もう、見えてしまう。家人が疎開した後のお屋敷の庭の片隅とか、不要になった防空壕の片隅とか、家族がみんな疎開して亭主だけ残され、近所の家にお世話になっているうちにそこの娘とできてしまうとか、いろんなことがありました。(古井由吉『人生の色気』2009年)


人間は、ぎりぎりの極限状態に置かれるとかえって生命力が亢進します。昨日を失い、明日はない。今の今しかない。時間の流れが止まった時こそ、人は永遠のものを求める。


その時、人間同士の結びつきで一番確かなものは、ひょっとして性行為ではないのか。赤剝けになった心と心を重ね合わせるような、そんな欲求が生まれたんじゃないか。


一般的に、エロスとは性欲や快楽を指す言葉かもしれません。が、僕の追求するエロスは、そんな甘いものじゃない。人間が生きながらえるための根源的な欲求のことです。(古井由吉「サライ」2011年3月号)


焼け跡で交わる男女⋯⋯焼き払われると、境がなくなってしまうんですね。敷地と敷地の境も、町と町の境も、それから時間の境もなくなってしまう。そういう無境の中で、男女が交わる。(古井由吉「すばる」2015年9月号)


瓦礫の中で闇の品をおおっぴらに取りひきする者もあれば、崩れのこった壁の陰にわずかに 人目を隠して、そそくさとまじわる男女もいた。(古井由吉『楽天の日々』2017年)


ところが、その場所にどうしても行き着けない。女に初めて声をかけられた所はわかった。それに問違いはなかった。そこを起点として、あたり一帯がいくら変わり果てたと言っても、おのずと知ってたどっていたはずの道のことだから、たやすくたどり返せると思って歩き出すと、それらしい焼跡にあっさりと出る。しかし立ち停まって見渡せば、夕日にあまねく赤く照らされて、あちこちに瓦礫の山はあっても、男女の交わる物陰はありそうにもない。時刻が早すぎたかと思って、夕闇の降りかかるまであたりをうろついたが、暗くなるほどに、違った場所に見えてくる。


つぎの時には暮れようともしないその焼跡を横目にして通り過ぎ、その先は足にまかせて、たそがれるまで歩くと、それらしい場所も見つからなかったかわりに、遠くまで来ていた。あの日も女と交わった所が自分の帰る道から大きく逸れていたことを、女と別れて引き返す道々、そんなことのあった後の放心の中から、自分は一体、どこへ行くつもりだったのだろう、と不思議がったものだが、それよりも、そこまで女の先に立って、ロもきかず、振り向いて顔も見ず、どこをどう、たそがれるまで歩いて来たのだろう、といまさら驚くと、幼い頃に聞かされて怯えた、惑わし神という名が耳もとに息づかいのようにふくらんで、足もとから慄えが突き抜け、恐怖ともつかず、一瞬つのった女への恋情ともつかず、立ちながらに精を洩らした。(古井吉吉「瓦礫の陰に」『やすらい花』2010年)


夕暮れにひとりきりになって立つ女の子の、その背後に男の子が忍び足でまわり、いきなりスカートの下に手を入れて、下ばきを膝までおろしてしまう。女の子はそれにしてはたじろかず、なにか遠くへ笑っているような顔を振り向けてから、腰をまるく屈めて下ばきをなおし、何もしらないくせにと言わんばかりの大人の背を見せて立ち去る。(古井由吉『ゆらぐ玉の緒』2017年)




男女の関係が深くなると、自分の中の女性が目覚めてきます。女と向かい合うと、向こうが男で、こちらの前世は女として関係があったという感じが出てくるのです。それなくして、色気というのは生まれるものでしょうか。(古井由吉『人生の色気』2009年)


共寝の床の中で、常の女の存在から、生気が肌の内へ静まり、個の表情が洗い流され、女体そのものというような裸像があらわれることがある。美しい、と男はつかのまながら思う。それにひきかえ常の存在を訝り疎むこともある。そんな時、私は、あの裸像のひしめきを思う。(古井由吉「池沼」『哀原』1977年)


もう、糞尿の匂いを懐かしく思う人は、少なくなったでしょう。昔は、肥えつぼの匂いが家に満ちていたものです。男女が会えば、着るものにまとわりついてくるから、お互いに違った糞尿の匂いを嗅いでいました。(古井由吉『人生の色気』2009年)





男に色気がない、と感じるのは、たとえば通夜やお葬式の席です。年配者の姿を見ていると、お焼香の姿がサマになっていないんですよ。不祝儀の場の年寄りの振る舞いに、男の色気は出るものなんです。稚いというか、みんな形を踏まえていない、しわくちゃな振る舞いになっています。あれじゃあ、女性も面白くないでしょう。儀式の場などでは、肉体が純化される時があるでしょう。その時、人の性的な部分もはっきりと現れるものなんです。女にしても男にしても、そうした場での振舞いがむさいと、まことに色気がない社会になってしまいます。言葉のなかにも・・・(古井由吉『人生の色気』2009年)


エロスの力は取り戻さなければまずいんです。社会の存亡にかかわるんです。少なくとも、 エロスがなくなれば小説はなくなり、文学がなくなる。(古井由吉『人生の色気』2009年) 

エロスの感覚は、年をとった方が深くなるものです。ただの性欲だけじゃなくなりますから。(古井由吉『人生の色気』2009年)

歳をとりますとね、エロスは深まります。死が近くにあるわけですから。子供の頃、よく不思議な夢の話を聞いた。暗いトンネルの出口の向こうに、お花畑が広がっている。人が生死の境にいる時、そういう夢を見る、と。( 古井由吉「サライ」20113月号)

この年齢になると死が近づいて、日常のあちこちから自然と恐怖が噴き出します。(古井由吉、「日常の底に潜む恐怖」 毎日新聞2016514日)


生きているということもまた、死の観念におさおさ劣らず、思いこなしきれぬもののようだ。生きていることは、生まれて来た、やがて死ぬという、前後へのひろがりを現在の内に抱えこんでいる。


このひろがりはともすれば生と死との境を、生まれる以前へ、死んだ以後へ、本人は知らずに、超えて出る。(古井由吉『この道』「たなごころ」2019年)



男女の交わりの一番の恍惚は忘我と変貌です。つまり、顔が変わってくる状態です。これは、 人間にとっても最も恐ろしいことだし、また、一番よく知っていることでもあります。(古井由吉『人生の色気』2009年)


どこかの部屋で、先の男女が裸体を合わせている。ひとしきりやみくもに愛しあっては、お互いに興奮からこぼれ落ちて、まわりのひと気なさに、馴れぬ耳を澄ましている。そのつど熱の吸い取られていくのをそれぞれに不思議がって、ますます熱したみたいに肌を押しつける。 (古井由吉『山躁賦』1982年)


因果ですね、と抱かれた後で女がつぶやいたのもあの晩のことになる。それまでに幾夜かさねてもほぐれず、その晩もかわらず硬かった女のからだが、遠くから風の渡ってくる音にすくんだのを境に、ひと息ごとにほどけて、男の動きにこたえてどこまでも受けいれるようになり、人の耳をおそれて音をひそめあうような、長いまじわりとなり、ようやくはてて、なごりの息のおさまっていく下から女が何を言い出すことかと、男がこんな始末になったことにあきれて待つうちに、その言葉が女の口から出た。


前世で寝たことがあるんですよ、今夜初めて知りました、とその面相のまま言った。(古井由吉「除夜」『蜩の声』2011年)




文学者は、社会がアナーキーに突入する前に、あらかじめアナーキーの境に住んでいる番 人みたいなものだと思っています。(『人生の色気』2009年) 

いまどき、男女が本気になって交わるというのも、アナーキーかもしれませんよ。(『人生の色気』2009年) 


でも、好きと嫌いは紙一重ですよ。人は嫌いというところがなければ、好きになりません。この女とだけは寝たくない、という場合に限って、むずかしい関係になるものです。(『人生の色気』2009年) 





公団が爆発的に流行したのは、人の耳に入らない密閉された空間で交わりたいという男女の熱い思いがあった。団地以前は、閉ざされた空間の中でのセックスではなく、人の耳をはばかりながら交わっていました。しかしまたそこにエロティシズムがあったんです。周りから保護された性的な関係は、最初は作家も奔放なことを書けるけれども、次第に書きようがなくなっていきます。晩年の中上健次は、日本家屋がなくなって困った代表でしょう。(古井由吉『人生の色気』2009年)


「……どうしたの、そんなところで」

突拍子もない母親の声に春子が寝床の中で目をあけると、枕のすぐそばに大きくふやけたような男の顔がこちらを向いて眠っていた。〔・・・〕川崎は…蒲団の中から片手を哀れっぽく差し出して、口もきけぬという顔つきで、天井を何度も何度も指さした。しばらくした母親がクスクスと笑い出したかと思うと、「いやだわ」と若い娘みたいな声を立てて隣の部屋へ逃げこんだ。笑いに息たえだえの話し声が襖の陰でして、それから父親が空惚けた顔をこちらへ出した。川崎は目をあけず、まだ天井のほうをせつなそうに指先で訴えていた。

「川崎君、えらいご災難だそうだね」

「熱烈で熱烈で、はたのほうが、もう身がもたなくて」 (古井由吉『女たちの家』1977年)


もとより、騒音の中で生きて来た者である。子供の頃には一時期、都電通りから路地を入ったすぐ奥のところに住んでいた。表を電車の通りかかるそのたびに、家は地から揺すられる。大震災よりも前の普請になる古家は内廊下のつきあたりの、手水場の窓の上で梁がはっきりと傾いていた。しかも二階を載せいてた。同じ屋根の下に何人も身を寄せいていて隣の声は襖一枚の隔てを筒抜けだった。(古井由吉『蜩の声』2011年)



佐枝は逃げようとする岩崎の首をからめ取りながら、おのずとからみつく男の脚から腰を左右に、ほとんど死に物狂いに逃がし、ときおり絶望したように膝で蹴りあげてくる。顔は嫌悪に歪んでいた。強姦されるかたちを、無意識のうちに演じている、と岩崎は眺めた。〔・・・〕


にわかに逞しくなった膝で、佐枝は岩崎の身体を押しのけるようにする。それにこたえて岩崎の中でも、相手の力をじわじわと組伏せようとする物狂おしさが満ちてきて、かたくつぶった目蓋の裏に赤い光の条が滲み出す。鼻から額の奥に、キナ臭いような味が蘇りかける。


やがて佐枝は細く澄んだ声を立てはじめる。男の力をすっかり包みこんでしまいながら、遠くへ助けを呼んでいる声だった。(古井由吉『栖』1986年)




片隅に電話台の置いてある真四角の踊り場から向きを変えて階段を昇っていくと、杳子の姉の一家の住まう階下の雰囲気からいきなり隔てられて、彼はふと場所の意識を眩まされ、まるで初めて来た家ではなくて勝手を知った家の、幾度となく通いなれた階段をたどっているような気がした。階段を昇りきったところで左手の扉をゆっくり明けると、薄暗がりの中から、階下よりも濃密なにおいが彼の顔を柔かくなぜた。かなり広い洋間の、両側の窓が厚地のカーテンに覆われ、その一方のカーテンが三分の一ほど引かれて白いレースを透して曇り日の光を暗がりに流していた。その薄明かりのひろがりの縁で、杳子はこちらに横顔を向けてテーブルに頬杖をついていた。白っぽい寝間着姿だった。その上から赤いカーディガンを肩に羽織っている。戸口に立つ彼の気配を感じると、杳子は頭を掌の中に埋めたまま、彼のほうを向いて笑った。湯から上がりたてのような、ふっくらと白い顔だった。


「どうしたの」という言葉が二人の口から同時に洩れた。だがどちらも答えを求める気はすこしもなく、いつもの続きのように自然にテーブルに向かいあって坐り、目だけを動かして、お互いの軀を物珍しげに眺めあった。


テーブルからすこし遠めに置いた椅子に杳子は尻をあずけるようにのせ、腰から上をぬうっと前へ伸ばして、テーブルに肘だけでもたれかかっていた。いつだか病気の頃の姉について彼女の語ったとおりの恰好だった。しかし杳子の軀は固さに苦しんでいる様子も、重さに苦しんでいる様子もなく、どことなく自足した感じで重みを椅子とテーブルに分けていた。水色のネグリジェがたしかに薄汚れている。薄い布地が軀の円みにびったりとついた肌着を透かしていたが、その肌気も純白ではなかった。ゆったり開いた襟からのぞく肌も、気のせいか、いつもより濃く濁った光を漂わせている。だが不潔な感じも、淫らな感じもなく、杳子にも彼にも馴れ親しんだ穏和しい動物を、二人して眺めているような気持だった。


「大変な恰好じゃないか」

「このままで待っているって、ゆうべ、言ったでしょう」

「いつから、そんな恰好をしてるんだい」

「寝間着を脱がなくなってから、今日で三日目。肌とキレの温かさがすっかりひとつに馴染んで、いい気持ちよ」

「汚い子だなあ。臭ってくるよ」

そう言って彼は薄暗い空気を胸いっぱいに吸いこんで見せた。たしかにたえず沁み出る体液の、無恥なにおいがかすかにこもっていたが、それも段々に鼻に馴染んで円みを帯びていった。いかにも人がここにこもっているというにおいだな、と彼は素朴な感慨を抱いた。杳子もネグリじゃの胸をふくらまして、ゆっくり息を吐きながら、物憂げに目を細めて笑った。あっさり彼は秘密を売り渡してしまった。


「姉さんが、病院に行くように君を説得してくれって言ってたよ」

「あなたが行けって言えば、今すぐにでも行くわよ」

「病院に行ってどうなるの」

「健康になるよ」

「健康になるって、どういうこと」

「まわりの人を安心させるっていうことよ」


投げやりというよりも、病気と和んで、こうしてこのままでもいられると確めた満足感の中で、あとは家族の心配のことも考えて、成行きを待っているという風だった。五日前から杳子が昔の姉のように風呂に入ろうとしなくなったわけが、彼にはわかる気がした。〔・・・〕杳子は彼の顔を見つめて、しばらく掌の中で首をかしげていたが、それから頬杖をゆっくり倒して唇を近づけてきた。唇を触れ合っていると、暗がりに閉じこめられた子供の、汗と涙の混ったにおいがじかに伝わってきた。目を細く開くと、依怙地さを失った肌に、毛穴がひとつひとつ開いていた。〔・・・〕


その時、階段から杳子の姉の上がってくる足音がした。彼は杳子から顔を離そうとした。すると杳子は逆に顔を近づけてきて、唇を触れながら目を大きく見開いて足音に耳を傾けていた。それから彼女は唇を彼の耳もとにまわして、「あの人のすることを、細かく見ててちょうだい」とささやき、顔を引いてもとの頬杖にもどった。〔・・・〕姉が敷居をまたいで二、三歩を運んだとき、彼はその足どりの、妙にこちらの神経を疲れさせる固さに、目を惹きつけられた。〔・・・〕


やがて規則正しい足音が階段をゆっくり沈んでゆき、彼はほっとした気持で軀をテーブルのほうにもどして腰をおろした。見ると、いつのまにか杳子は右手にスプーンを短刀のように握りしめて、物狂わしい目つきをしていた。(古井由吉『杳子』1970年)



勲章をぶら下げていたら、こんな仕事できません。作家とは怪しげな商売ですからね(笑)。名誉や名声というやつは、新しい作品を書く時の妨げになります。とにかく荷物を少なくしておきたかった。


芥川賞の選考委員も、6年前に辞めました。ああいう場に連なると、自分をひとかどの者と思うようになる。裸になれなくなりますから、物書きとして自分を追い込めなくなる。


選評を書くのでも、執筆者より上に立つような気持ちが芽生えたり。だいたい若い頃の作品より今のほうがいいと言い切れる作家は、どれだけいるのか。今の僕が『杳子』と競ったら、勝敗でいえば負けじゃないですかね(古井由吉「サライ」2011年3月号)


(岡崎)睿子さんも古井君同様東大大学院独文科の出身で、その在学中からわたしは知り合っている。修士論文についての相談か何かで研究室にも何度か見えた。(中略)

物静かで寡黙なひと、これが第一印象だった。こちらの問いかけに対しても必要な最小限度だけを手短かに答えるだけで、あとは黙っているので、わたしは多少まごついて話のつぎ穂を見つけようとする。おりおり向ける眼が澄み徹っていて、たいがいのことは見抜かれてしまいそうである。(手塚富雄「古井君の日常性」『古井由吉 作品』四、月報 1982年12月)




墓参りならいずれ旅である。私自身は死んだら散骨にするように家の者に言い置いてある。墓などを遺すのは、生きているうちから、うっとうしい。(古井由吉「ゆらぐ玉の緒」『ゆらぐ玉の緒』2017年)

親の墓は富士の山麓にある。無数の人の墓が並んでいる。親たちにとっても生前、無縁の土地だった。末男の私の入るところではない。自身、墓というものを持たぬことに定めている。 どこに葬られようと、いずれ無縁の地である。(古井由吉「たなごころ」『この道』2019年)


大震災の後、絆という言葉がしきりに口にされた。それにつけても私が首をかしげさせられたのは、その言葉を口にする人に、絆の苦さを思う心があまり感じられないということだった。絆とは古来、生涯にわたって苦しいものだった。とりわけ親子の絆は。亡き親の姿は苦の中からこそ浮かび出る。

酒に酔って庭の隅の木に登り、そら撃墜だ、また一機堕ちた、と叫んでいる父親を思い出す。それを母親と、女学生の姉と、小学生の私とが、庭の瓦礫の中に坐りこんで、眉をひそめて眺めていた。(古井由吉「PHP」2016 年 4 月号)

女は子供を連れて危機に陥った場合、子供を道連れにしようという、そういうすごいところがあるんです。(古井由吉「すばる」2015年9月号)