2023年3月7日火曜日

柄谷行人における「自由主義と民主主義」


以下、柄谷行人の「自由主義と民主主義」をめぐる思考の純粋なメモ


  ◼️「歴史の終焉について」1990年

人々は自由・民主主義が勝利したといっている。しかし、自由主義や民主主義を、資本主義から切り離して思想的原理として扱うことはできない。いうまでもないが、「自由」と「自由主義」は違う。後者は、資本主義の市場原理と不可分離である。さらにいえば、自由主義と民主主義もまた別のものである。ナチスの理論家となったカール・シュミットは、それ以前から、民主主義と自由主義は対立する概念だといっている (『現代議会主義の精神史的地位』)。民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する。ここでは、個々人は共同体に内属している。したがって、民主主義は全体主義と矛盾しない。ファシズムや共産主義の体制は民主主義的なのである。


それに対して、自由主義は同質的でない個々人に立脚する。それは個人主義であり、その個人が外国人であろうとかまわない。表現の自由と権力の分散がここでは何よりも大切である。議会制は実は自由主義に根ざしている。


歴史的にいって、アテネの民主主義(デモクラシー)は貴族支配(アリストクラシー)に対立するものである。それは異質な且つ外国とつながる貴族の支配の否定である。また、それが奴隷を除外していることはいうまでもない。このデモクラシーが独裁者(僭主)を生み出すことがあるとしても、それは貴族支配とは別である。デモクラシーのみがそのような独裁者を可能にするのだから。ある意味で、プラトンのいう哲学者=王とは、そのような独裁者である。


近代においても、同じようなことがいえる。近代西欧の民主主義は、貴族、すなわち諸侯や教会といった封建的諸勢力を制限し解体する一連の過程によって生まれている。先ず絶対主義的な君主制が、多元的な封建的諸勢力を解体し同質的な国民国家を実現するために要請され、次にそれが解体される。そのあとで、イギリスのように王制が回復されても、それはもはや議会に従属するものでしかない。したがって、その政体が見かけの上で共和制であろうと、君主制であろうと、独裁制であろうと、問題ではない。要するに、民主主義は「国家」主権と切り離すととができないのだ。それは、国民的同質性をおびやかすものの排除を要求する(たとえばどんな国家でも、外国人はいかにその国の経済に関与してい ても、参政権を与えられていない)。


一方、自由主義は「国家」に無関心である。ギリシャの文脈でいえば、アテネの共同体をおびやかした外国人の「思想家」(ソフィスト)はこの意味で自由主義的であった。彼らはいわば思想を「売る」者であり、それは地中海の資本主義と結びついている。したがって、自由主義は本来世界資本主義的な原理であるといってもよい。そのことは、近代思想にかんして、反ユダヤ主義者カール・シュミットが、自由主義を根っからユダヤ人の思想だと主張したことにも示されている。


むろん、自由主義や民主主義が純粋にあるわけでないし、また超歴史的な理念や原理としてあるのでもない。近代西洋の民主主義は、それが市民(ブルジョアジー)による封建的諸勢力との階級闘争として実現された以上、当然「自由主義」的でもあった。いわゆる「民主主義」は、こうした民主主義と自由主義の拮抗し合うバランスにおいて形成されたのであり、現在もそのようにある。それらは、資本主義が「世界的」でありながら、同時に一国の経済としてしか実存しないという矛盾に対応するものとして、つねに具体的な局面においてあるのだ。


今日、国家主権をおびやかすのは封建的勢力ではなく、多国籍資本である。それは海外からの輸入によって国内市場を破壊し、また税金を払わな い。アメリカが直面している双子の赤字と呼ばれる事態の本当の原因はそこにある。「自由主義」を保持するならば、それは「国民経済」を空洞化する。この事態はいずれ日本においても生じるだろう。


現在日本で起っているのは、農産物の自由化や海外労働力の導入といった「自由主義」と、それが国民的経済と同質性をおびやかすことに反発する「民主主義」の対立である。日本で自由民主党と名乗る政党が長く独裁してこれたのは、この矛盾が露呈しなかったからである。今やそれは、一方でアメリカや諸外国からの「自由主義」の要求を実現せねばならない。日本の資本は現実に多国籍企業として世界で自由にふるまっているのに、日本の市場は外からみればまったく「自由主義」に反しているからだ。他方「自由化」を実現すれば、これまでの基盤であった支持階層を失わざるをえない。さらに、多国籍企業化した(日本の)資本の行動が日本の国民経済にはねかえってくる事態は避けられない。


社会主義圏は「民主化」された。それは実は資本主義的自由主義を受け入れることと同義である。が、それがうまく行くという保証はない。それは今後の世界資本主義の状況に依存している。それが悪化すれば、民主主義要求が強まるにきまっている。民族主義もそのあらわれである。この意味で、日本の政治状況もふくめて、自由・民主主義が勝利したというのはまったく当たっていない。むしろ各所で自由主義と民主主義の相克がはじまったというべきなのだ。それは、資本がもはや一国のものとはいえないほどに世界各国に網目を広げてしまったからである。


注意すべきことは、このトランスナショナルな資本が、一方で、一国(共同体)に限定されてきた「共産主義」を崩壊させるとともに、他方で、国境をこえたトランスナショナルな交通を生みだしていることである。べつの観点からいえば、それは一方で国家を解体するとともに、他方で国家主義を強化している。われわれはこの両義性に注目しなければならない。


自由主義と民主主義は、資本主義の具体的な局面を抜いて語ることはできないと、私はいった。しかし、それをたんに原理として検討するとしても、決して和解しえない対立をはらんでいる。たとえば、自由主義と民主主義は、「真理」にかんする根本的な態度にかんして対立している。民主主義は、真理が存在あるいは神から直接的に来るという考え、あるいは、真理は個々人が議論や競争によって決めるものではなく、すべてを代表する傑出した指導者あるいは個別利害を越えた一般者のみが見いだしうるとみなすものである。民主主義においては、決定は無記名投票によってではなく、いわば喝采によってなされる(たとえば、これは「全共闘」の集会でも同じである。そして、それが反民主主義的であるとは誰もいうまい)。


一方、自由主義は、真理が、競争による均衡を通して予定調和的に示されるという考えにもとづいている。つまり、これは本質的な「真理」なるものを形而上学として斥けるとはいえ、真理が均衡を通してあらわれるという、もう一つの形而上学に根ざしている。それは、本質的な価値なるものはなく競争による均衡としての相対的な価格しかない、しかもそこに「見えざる神の手」が働いているという古典経済学的な「自由主義」と結びついている。


自由主義にかんして重要なのは、たんにそれが「表現の自由」を強調することではない。「表現の自由」はむしろ人間的本質に属する。要は、それがいかに制度的に保証されるかということである。その場合、自由主義において不可欠なのは、意見の公開性よりも、匿名制(無記名制)であるといえる。匿名が人を「自由」にする、あるいは「個人」にする。アテネにおいては、それは僭主の出現を避けるために採用された。しかし、これは奇妙なことではないだろうか。ロに出してものをいわない(いえない) ような人たちの多数意見が「真理」を決定するとは。実際、ヘラクレイトスからプラトン、アリストテレスにいたるまでのギリシャの哲学者はこのようなデモクラシーに反対していた。


そもそも「真理」は多数決によるのではないと思う者は、暗黙に反「自由主義」的である。たとえば、真に「プロレタリアート」の立場に立ったレーニン主義者は、個々の労働者・農民の意見に反して「一般意志」を代行しなければならない。共産党とはプラトンの いう哲学者=王の一種である。したがって、このような発想はレーニン主義者にかぎらない。どの国でも、官僚たちは議会を公然とあるいは暗黙に敵視している。彼らにとっては、自分たちが私的利害をこえて考えたと信ずる最善の案を議会によってねじ曲げられることは耐え難いからである。官僚が望むのは、彼らの案を実行してくれる強力且つ長期的な指導者である。また、政治家のみならず官僚をも批判するオビニオン・リーダーたちは、自分たちのいうととが真理であるのに、いつも官僚や議会といった「衆愚」によって邪魔されていると考えている。だが、「真理」は得体の知れない均衡によって実現されるというのが自由主義なのだ。


もちろん、こうした「真理」論は、いずれも近代の主観性の哲学にもとづくものでしかないと批判することができる。ソクラテスあるいはデカルト以後の「真理」観を批判し、古代ギリシャにおいて「真理」は存在の「隠れ無さ」であると言った、ハイデッガーはつぎのように演説している、


ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。 ドイツ民族はいま、党首に一票を投じるように呼びかけられている。ただ し党首は民族から何かをもらおうとしているのではない。そうではなくてむしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それともそうしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる直接の機会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろうとしているのは他でもない、自分自身の未来なのである。(ハイデガー  「アドルフ・ヒットラーと国家社会主義体制を支持する演説」1933年)


これは、深遠な形而上学がどのような政治とつながるかを端的に示している。ハイデッガーにとっては、指導者を「選ぶ」といった自由主義的原理そのものが否定されなければならないのであり、真の「自由」は喝采によって決断を表明することにある。そのときのみ、「民族の全体」の「本来の在り様」としての真理があらわれる、というのである。表象representationとしての真理観を否定することは、議会(=代表制representation)を否定することに導かれる。


したがって、自由・民主主義は西洋の原理であるというなら、それに敵対する原理の方も西洋の原理である。ハイデッガーもシュミットも標的としているのは、英米の「自由主義」である。普通に「民主主義」と呼ばれているのは本来自由主義であり、ナチズム(国家社会主義)こそ真に民主主義的なのだといいたいのだ。しかし、シュミットの鋭い原理的分析にもかかわらず、アングロ・サクソン系の「民主主義」が強いのは、もともとそれが原理的ではないからである。


すでにのべたように、イギリスにおいて、「民主主義」は歴史的に市民(ブルジョアジー)の階級闘争のなかで形成されたものである。いいかえれば、それは「原理」としてではなく、具体的な歴史のなかで経験的な事実性として出来上がった制度である。原理をめぐる殺し合い からきた知恵であって、どこかから演繹されたものではない。たとえば、イギリスには成文法としての憲法はない。彼らは原理化するととを極力避けてきたのである。それは、「原理」として語られるならば、たちまち矛盾に追い込まれてしまうようになっているからだ。むろん、ホッブスのような傑出した理論家がいなかったわけではない。しかし、それは例外であって、ロック以後の政治論は原理とはいいがたいほど折衷的なものとなる。

哲学でいえば、それは経験論的なものである。ただし、それは「原理」をめぐる空しい論議に対して経験をもってくるというべーコン的意味においてであって、一切は感覚に始まるといった、もう一つの原理ではない。かえって、それは原理として立てられると、「民主主義」と同様にたちまち矛盾に追い込まれてしまう。


しかし、イギリスで形成された制度はそれ以外のところで模範として、あるいは規範として見られると、それ自体原理として扱われざるをえない。フランスの啓蒙主義者においてすでにそうであった。これはアメリカの革命において引き継がれる。だが、それは「原理」としてみると、ただちに、矛盾、つまり自由主義と民主主義の矛盾に引き裂かれる。たとえば、ルソーの『社会契約論』はこの二つの原理を融合させている。もともと社会契約は異質な個人のあいだでなされるもの(自由主義)であるのに、彼は他方で、同質的な個人を前提した一般意志なるものを主張しているからである(民主主義)。したがって、ルソーから「全体主義」が派生しても必ずしも誤解ではない。


さらに、ドイツにおいては、この矛盾は哲学的に矛盾として意識され乗りこえられる。たとえば、ヘーゲルにおいて、自由主義は市民社会の「欲求の体系」にすぎず、それは国家理性(ルソーのいう一般意志)によって乗りこえられねばならない。しかも、それはたんなる国家ではなく、「民族」の政治形態としての国家でなければならない。ヘーゲルが歴史の目的(終り)を「自由」の実現に見たとき、彼の考えていた「自由」は、自由主義(市民社会)なのではなかった。それは民族的な「有機体」に根ざしているのでなければならなかった。


自由主義と民主主義の対立とは、結局個人と国家あるいは共同体との対立にほかならない。そして、個と類という回路のなかでのこうした思考が取りうる形態は、個人主義か、全体主義か、個がそのまま全体であるといったモナドロジーか、ヘーゲル的な有機体論かの いずれかである。「原理的」に考える者は、必ずこの四つのうちのどれかを取ることになる。この意味で、思想が取りうる形式はコジェーヴがいったように、ヘーゲルの体系のなかに尽くされている。それゆえ、またヘーゲルにおいて歴史は終ったといわねばならなくなる。


だが、それは歴史を原理あるいは理念の実現として見るからである。そうした原理は、歴史的な資本主義経済の発展の中で、そとに生じ且つ変動する諸階級の闘争の結果として実現されたものであり、またつねにそとに属している。資本主義が「終り」を無限に endlessly先送りするものである以上、「歴史の終焉」などありはしない。マルクスがいったように、「共産主義」とは「現実の諸条件」がもたらす「現状を止揚する現実の運動」としてしか無いとするならば、さらに「共産主義」とは「個と類」という回路のなかに閉じこめられた思考に対する否定にあり、すなわち類(共同体)に属さないような個の単独性と社会性にあるとするならば、それもまた「終り(目的)」なき闘争としてしか無い。(柄谷行人「歴史の終焉について」1990年『終焉をめぐって』所収)




◼️『〈戦前〉の思考』1994年

民主主義

民主主義(デモクラシー)とは、大衆の支配ということです。これは現実の政体とは関係ありません。たとえば、マキャヴェリは、どのような権力も大衆の支持なしに成立しえないといっています。これはすでに民主主義的な考え方です。彼はたしかに『君主論』を書いた人ですが、もともと共和主義者でした。


しかし、問題は、どのようにして大衆の意志が最もよく「代表」されるかということにあります。


デモクラシーにおいて重要なのは、人民の意志が基底にありながら、それが何であるかを誰にもいえないことにあるのです。なぜなら、現実に存在する人々は、さまざまな利害の対立のなかにあるからです。


議会とは、それらを調整する場所だといってもいいでしょう。そして、そこでは公開的な討論を経て多数決によって「人民の意志」が実現されることになっています。


しかし、ここに問題があります。それは、多数だからといって、それが真に人民の意志を実現するとはいえないということです。むしろ、少数者の方がそれをあらわすということがあります。


これは、プラトン以来の難問です。それは、真理は、多数決で決定できるのかという問題です。真理はいつも少数の者によって把握されるのではないか、しばしば真理は多数が同意するものに反しているのではないか、というような問題です。


プラトンは、政治形態に関してもそれを拡張し、議会制に反対して、哲学者=王こそ真理を代表すると考えました。


同じ問題は、ルソーが個々人の意志を超えた「一般意志」を推定したときにもあらわれています。これは、市民社会が利害の対立のなかにあるのに対して、そこから中立的な国家官僚こそ一般意志を実現するという見方につながります。


具体的にいえば、それは、国家機構が議会あるいは諸政党の上に存在することです。ルソーは民主主義の祖といわれますが、この意味では国家主義の祖でもあります。


現在でも、日本の官僚は、議会を自分たちの政策を承認させる単なる手続きとして、また、しばしば民間的な特殊利害によって「一般意志」をゆがめるものとして見ているはずです。


ところで、マルクスは、議会制を、実は特殊な意志(ブルジョア階級の意志)であるものを一般意志たらしめるものだと考えました。それに対して、マルクスは「プロレタリア独裁」を主張しました。それは「プロレタリアートの解放が人類の解放である」がゆえに、プロレタリアートの特殊意志が一般的たりうるということを意味しています。


しかし、マルクスはその具体的な内容については何も語らなかったのです。しかし、そこに、それならプロレタリア階級の「真の意志」は、どのように代表されるのかという問題が出てくるはずです。その場合、晩年エンゲルスやカウツキーは、議会制をとっていました。


それに対して、レーニンは、少数の前衛としての党がそれを代表するという考えを出しました。したがって、共産党はプラトンのいうような哲学者=王ということになります。このレーニンの考え(ボルシェヴィズム)が、俗に知られているマルクス主義です。こうして、「プロレタリア独裁」は「党独裁」、さらに「スターリン独裁」ということに帰結します。


しかし、それはスターリンの誤りということではすみません。それは実質的には官僚の支配なのですから。さらに、それは、「真の意志」を誰がいかにして代表するかという問題にかんする、一つの考え方の帰結ですから。さらに、それは「民主主義的」でないとはいえないからです。


シュミットは、共産主義的な独裁形態が民主主義と反するものではないといっています。もちろん、彼はヒットラー総統の独裁は民主主義的であるというのです。


«ボルシェヴィズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的ではあるが、しかし、必ずしも反民主主義的であるわけではない» 。


実際、ヒットラーはクーデターではなく、議会的選挙を経て合法的に権力を握ったのです。そして、その政策は、基本的に官僚による統制経済です。それはワイマール体制(議会民主主義)においてなすすべもなかった失業問題を一挙に解決して、「大衆の支持」を獲得したわけです。


こうして見ると、逆に、自由主義が何であるのかが見えてきます。それは、「人民の意志」が公開討議による合意によって決定されるという考え方にもとづいています。もちろん、このことは、哲学における「真理」の問題とつながってきます。

自由主義によれば、真理はとりあえず合意によって承認された暫定的なものでしかありません。この意味では、近代科学における真理は、暗黙に自由主義にもとづいています。


それを批判したのがハイデッガーです。彼によれば、真理は、討議や多数決によってあるのではない。また、それは表象(代表)によってつかまれるものでもない。 真理は「存在の隠れ無さ」であり、それは少数の者(詩人)の言葉において開示される、というのです。〔・・・〕


ハイデッガーもシュミットも、議会という形態そのものではなく、そこに対する自由主義に反対しているということができます。彼は、真の「自由」は喝采によって決断を表明することにあるというわけです。


ハイデッガーの近代哲学・近代科学への批判が標的としているのは、実際は、表象=代表 representation によってもたらされるような真理なのです。

(柄谷行人『〈戦前〉の思考』1994年) 




●自由主義

議会制といっても、それはたんに議会があるということではありません。たとえば、旧ソ連や中国にも議会はありますが、それはたんに、党の決定を「喝采」をもって支持するという形態です。


それに反して、自由主義としての議会制は、根本的に、無記名投票(秘密投票)にもとづいています。また、「真の意志」はそうした「統計的な装置」によって決定されると言う考えです。〔・・・〕


ここに、議会主義というものが、民主主義とは別の起源をもった考えであるということが明らかになります。基本的に、その本質は秘密投票にあります。「表現の自由」という言葉がありますが、しかし、そこで本当に重要なのはむしろ黙っている自由です。沈黙の自由がなければ、表現の自由はないということです。〔・・・〕


ところで、「表現の自由」が沈黙の自由だということはあまり理解されていません。たとえば、どんな宗教の団体も、あるいは全共闘の集会でも、誰も自分が表現の自由を抑圧されているとは思っていないのです。何かを決めるのは拍手喝采によってであり、各人はそれを自由な行為だと思っています。つまり、それは民主主義的です。


ところが、その場合に、無記名の投票などをやったらどういうことになるか。会社でも大学でも、何かの決定を無記名の投票でやるとき、突然緊張がおとずれます。互いが互いに不透明であり、それぞれが他人の知りえない「私的」な部分をもつからです。つまり、秘密投票が各人を「個人」たらしめる。


議会制における自由主義とはこうした個人主義であり、逆にいうと、後者は秘密投票性によって確保されるのです。しかし、一般的にいって、こうした制度が人に好まれるわけではありません。なぜなら、ここでは、会議において意見を少しもいわないような人たち、ある意味で「卑怯な」人たちが、最終的に勝つからです。


しかし、「表現の自由」は、あえてものをいう人たちによって獲得されるものではない。何もいわないでもいいという自由によってこそ獲得される。人が互いにのぞき込めないような「私」をもっていることを前提にし、また、そのように仕向けていくことによって、獲得されるのです。共産主義あるいはファシズムが、議会制をブルジョア的自由主義・個人主義と呼んで嫌う理由は、そこにあります。〔・・・〕


「牧人型」というのは、羊を飼う牧人のような支配です。たとえば、イエスが「九九匹の羊より迷える一匹の羊を」といった有名な言葉がある。それは、個人を重視するものですが、しかし、逆にいえば、どの羊も牧人のもとに「救われてしまう」ように強いられているわけです。観点を変えていえば、フーコーの指摘は、自由主義と民主主義の問題につながっています。


牧人型権力においては、すべての者が告白=表現せねばならず、そのことによって自由な主体となります。その意味で、基本的に、民主主義は、牧人型権力に由来する。しかるに、自由主義は、いわば、告白しない自由、救済を拒む自由にかかわっているのです。


たとえば、自由主義者のハイエクはこういっています。


«われわれは自由であっても、しかし不幸であることがありうることを認めなければならない。自由とは、よいことばかりを、あるいは災いの少しもないことを意味するものではない。自由であることは、ある場合には、飢える自由、高価な過ちを犯す自由、または命がけの危険を冒す自由を確かに意味するかもしれない。 » (『自由の条件』)


共産主義的な体制が再起不能なまでに崩壊した今日においても、依然として支配的な観念は、社会民主主義あるいは福祉国家です。それは、どの個人をも生かし、救済せずにはいない牧人型権力だといえます。つまり、「民主主義」は個々人を救済します。もちろん、そのためには、彼らが羊=国民であることが必須です。


したがって、「民主主義」は、人々を「国家」にますます内属させるのです。自由主義者は、彼らにとって「非国民」に見えます。

(柄谷行人『〈戦前〉の思考』1994年) 




●「自然法」と「国家の法」

シュミットは、ホッブスの『リヴァイアサン』を高く評価しました。なぜなら、ホッブスは、国家が法に由来するのではなく、国家があってはじめて法があるという考えを出したからです。


ホッブスの考えでは、人間は自然状態、つまり普通の状態においては互いに敵対しています。その状態をまぬがれるために、とりあえず自分の自然権を誰かに譲渡しますが、その相手が絶対的な主権者(リヴァイアサン)ということになります。ホッブスは、法は主権者=国家の中で成立するものであり、これを超えた法はないといっています。


しかし、ホッブスは必ずしも国家の絶対性を主張しているわけではない。というのは、彼は、特に宗教にかんして、内面的なものと外面的なものを区別しているからです。つまり、個人は、内面ではどんな信仰をしていてもかまわない、ただ外面的には国家に従わねばならないという考え方です。


カール・シュミットはホッブスのこの点を批判します。内面と外面の分離は誰も知らない「私」の部分を認めてしまうことであり、個人主義であり自由主義である、と。


事実、ホッブスのこの綻びはスピノザによって広げられました。つまり、各個人は国家に権利を譲渡するけれども、それは各個人の固有の「自然権」までを譲り渡すものではない。


スピノザの考えでは、国家はいわば政府 government になっています。それはリヴァイアサンとしての国家、強大な主権としての国家を崩壊させてしまう。これこそ「ユダヤ的陰謀」だと、シュミットはいうわけです。いうならば、カール・シュミットはホッブスのような人にさえも、自由主義を見いだすのです。


一方、ハイエクはホッブスを嫌っています。彼にとって、ホッブスはイギリス的でない、建築的体系的な思想家であり、国家主義者です。ハイエクは、ホッブスが否定した「自然法」を重視します。それは諸国家の法を超えるものです。


こうして見ると、ホッブスは両義的に見えます。彼はイギリスのなかでは例外的に構築的な思想家ですが、シュミットから見るとあいまいであり、自由主義的な要素をふくんでいるということになってしまう。他方、ハイエクはホッブスのなかに国家主義のみを見いだしている。


しかし、ホッブスのあいまいさ(両義性)は、彼が現実的に生成してきたイギリスの経験にもとづいていることによるのです。

(柄谷行人『〈戦前〉の思考』1994年) 




●「交換」「代表制」「ボナパルティズム」

「交換」は共同体の間でなされるのですが、そこにある「法」は、いわば自然法あるいは国際法なのです。ローマの自然法というのは、多数の国家の間でできた交換の規則、いわば国際法を認知することでした。


自然法は、どこでも(シルク・ロードのように)交易が広範囲になされているところでは、「自然に」成立します。別にそれを規制する権力がなくても、暗黙にそういう法があり、どの国家もそれには手を出さなかった。ローマ帝国は、それを原理として明文化しただけです。


つまり、起源的に遡行しても、敵対することと交換することとは、どちらが先行するとはいえないものです。カントは、世界に始まりがあると始まりがないという形而上学の命題について、それらがいずれも成立すること、その結果二律背反に陥ることを示しました。敵対することと交換することのいずれが先行するかという議論は、その意味で、「形而上学」的です。つまり、どちらも虚偽なのです。


したがって、ここで発想を変えて見るべきです。それは、「交換」が先行するとしても、それが根本的に無根拠で危ういものだと考えることです。その結果として、交換がうまくなされるか、あるいは戦争になる。つまり、敵対と交換は、「交換」そのものの危うさに根ざしているのだ、と。


たとえば、シュミットの見方では、ホッブスは敵対が先行するという考えに立っています。しかし、別の観点から見ると、ホッブスが国家を導きだした論理は、マルクスが『資本論』の「価値形態論」で、商品交換から貨幣を導きだした論理と同型です。つまり、すべての商品のなかから、一つの商品が超越的なもの(貨幣)として析出され、それ以外の商品はこの商品=貨幣を通してのみ交換されるようになる。


ホッブスは、すでに自然権の「所有者」としての各人を想定し、そこから交換について考えた思想家といえるのです。


一方、ハイエクにおいては、自由主義の根拠は、市場体系が自動調整的な機構をもつということにあります。しかし、そのような「市場」の働きは、まさにこの貨幣=リヴァイアサンにもとづいているわけです。


しかし、ハイエクはそれを、アダム・スミスと同様に「見えざる神の手」にしてしまっている。彼は「交換」に存する根本的な危うさを見ていないのです。


同じことが代表制についてもいえます。それにかんしては、私は、マルクスの『ブリュメール十八日』が最も鋭く分析していると思います。この本は、一八四八年の革命で成立した憲法制定国民議会から、それまでナポレオンの甥という以外に何者でもなかったボナパルトが、いかにして大統領になり且つナポレオン三世という皇帝になったかを、見事に分析したものです。


そのなかで、彼がいっていることで最も重要なのは、代表する者、すなわち政党諸派と、代表される者、すなわち社会的階級との間には、必然的な固定的な結合関係はないということです。


したがって、そこにはつねにずれが生じます。いいかえれば、代表=表象が機能しなくなる。ボナパルトが「すべてを代表する者」として皇帝になったのは、このためです。


この分析は、ファシズムを考えるときに大変重要です。重要なのは、ファシズムが「代表制」の危機においてあらわれるということです。この代表制そのものにある危うさ、代表する者とされる者の結合の危うさは、先に述べた「交換」の危うさと類似するのです。


実際、資本主義が持っている「交換」の危うさが露呈したのは、一九三〇年代の大不況においてでした。それは、同時に、代表制(議会制)の失調と並行しています。 人々は、無能化し腐敗した代表者の議会を嫌い、彼らを真に「代表」する者を求めたわけです。 


たとえば、ある時期、代表者(政党)はある階級なり集団を代表しているかのように見えます。しかし、社会的な関係や構造が変わってくると、その代表関係は成立しない。代表者(代議士)がそのままで地位を維持しようとすれば、それは腐敗でしかありえない。


ところで、どの政党にも代表(代弁)されないような階層があります。一八四八年のフランスでは、分割地農民(貧農)でした。自分を代表するものをもたない階級は、誰かに代表されなければならない、とマルクスはいっています。


たとえば、一九三〇年代の日本においては、窮乏化していた貧農層は、議会に彼らを代表する者を持っていませんでした。だから、議会の外でクーデターを起こした皇道派将校らは、議会に対して、それを代表したわけです。同時に、それは、立憲君主制としての天皇を、「すべてを代表する者」として超越化するものであったわけです。むろん、それは天皇が、歴史的に諸階級の利害対立に汚れていない中性的な存在であると思われたからです。


それは天皇制ファシズムと呼ばれています。が、なかには、日本には西洋的な意味でのファシズムなど無かったという人もいます。しかし、私は、別の観点から、そもそもファシズムという言葉をあまり一般的に使わないほうがいいと思っています。というのは、ファシズムという概念は、いつも軍事独裁や圧制のようなものと混同されてしまうからです。


それよりも、これを代表=表象機能の失効から生じるボナパルティズムとして見たほうがいいと思います。そうすると、一見して過去のファシズムと違ったような形態をとるファシズムが今後にありうることがわかります。


ファシズムの本質は、「すべてを代表する」ことによって、議会制における諸党派のの対立を「止揚」してしまうような形態にあります。つまり、それがボナパルティズムです。実際は、それは官僚、あるいは行政権力の支配に帰結します。


私の考えでは、一九三二年に登場したアメリカのルーズベルト大統領も、一種のボナパルティストであり、左翼から右翼まで、あるいは種々のマイノリティの階層を「すべて代表する者」として、あらわれました。これは、それまでのアメリカの大統領になかったことです。


日本では、中野正剛が『国家改造計画綱領』(一九三三年)を発表しているのですが、そのなかで、彼は、自由主義的資本主義が崩壊したこと、さらに「資本主義の無力はいっさいの既成政党の無力である」ことをいっています。そこで、彼は「国家統制経済」を唱えるのですが、まず第一に、「いっさいの既成政党政治と絶縁して、強力内閣を組織し、合法的手段により、独裁的に非常時的国策を断行すべし」というのです。


彼は、「原則として民主主義の原理を否定するものではない」けれども、「現下の政党政治は全く腐朽せる資本主義の傀儡となり、ともに公正なる国民的利益の振興を断ずることはできぬ」というわけです。〔・・・〕


中野正剛がいうように、アメリカでも、事実上、議会は大統領に権限を委譲していたわけです。シュミットやハイデッガーが「代表制」を攻撃したのは、そのような経済的危機においてです。それをハイエクがいうような自由主義によって批判することはできません。なぜなら、自由主義経済が破綻したからこそ、そのような主張が支持されたわけですから。


私は、ここまで、自由主義と民主主義を両極化する思考について考察してきました。それは、あいまいに自由・民主主義と呼ばれるものがどのような要素によって成立しているかを明らかにするものです。


しかし、この「あいまいさ」を軽視することはできません。

最初にいったように、こうした極限を考えるのは、日常的なノーマルなものが、どんなに複雑であるか、またそれが堅固に見えてどんなに脆弱であるか、そういったことを知るためです。〔・・・〕


われわれはすでに、自由・民主主義というあいまいなものが、どのような論理で解体されていったかを歴史的に経験しています。それが別のレベルで反復されることは今後避けがたいでしょう。


したがって、理論的にそれを考えておくことが必要です。さもないと、自由主義とか民主主義といった概念があいまいなままふりまわされ、それらの概念とは裏腹な事態に陥ることになるからです。

(柄谷行人『〈戦前〉の思考』1994年) 




◼️『哲学の起源』2012年

現代の民主主義とは、自由主義と民主主義の結合、つまり自由ー民主主義である。それは相克する自由と平等の結合である。自由を指向すれば不平等になり、平等を指向すれば自由が損なわれる。


現在、自由ー民主主義は人類が到達した最終的な形態(歴史の終焉)であり、その限界に耐えつつ漸進していくしかない、と考えられている。しかし、当然ながら、自由ー民主主義は最後の形態などではない。それを超える道はあるのだ。そして、そのための鍵を古代ギリシャに見出すことが可能である。が、それは決してアテネではない。


弁論が他人を支配する手段となるのは、デモクラシー(多数派支配)の下においてである。しかし、弁論が発展したイオニアでは、それは他人を支配する手段ではなかった。法廷であれ、民会であれ、弁論は不可欠であったが、それは共同的な吟味(エレンコス)の手段であった。それはまた、自然探究の方法でもあった。〔・・・〕


アテネの民主主義は成員の「同質性」に基づいている。それは異質な者を排除する。その象徴的な例が民主派によるソクラテスの処刑である。


イオニアでは、交換様式Aおよび交換様式Bは交換様式Cによって越えられたが、それと同時に、交換様式Aを高次元で回復することが実現された。それが交換様式D、すなわち、自由であることが平等であるようなイソノミアである。


アテネのデモクラシーが現代の自由民主主義(議会制民主主義)につながっているとすれば、イオニアのイソノミアは、前者を越えるようなシステムへの鍵となるはずである。


ソクラテスを告訴し有罪にしたのは(アテネの)民主政であった。

ソクラテスが人々の目に、アテネの社会規範に対して最も挑戦的な存在として映ったのは、告訴にあった理由(ポリスの神々をみとめないこと等)からではない。根本的な理由は、彼がアテネにおいて、公人として生きることの価値を否定したことである。


ソクラテスはイオニアの思想と政治を回復しようとした最後の人である。(柄谷行人『哲学の起源』2012年)






◼️「交換様式入門」2017年

未開社会において、互酬交換が社会構成体を形成する原理であったことは疑いがありません。しかし、それは最初からあったのではない。人類が狩猟採集遊動民であった段階では、B・C だけでなく、Aも存在しなかった。そこでは、 生産物は均等に分配されたと見てよいでしょう。遊動しているため、蓄積することができないからです。遊動的バンドは、狩猟のために必要な規模以上には大きくならず、また小さくもならなかった。集団の成員を縛る拘束もなかった。 他の集団と出会ったときも、簡単な交換をしただろうが、戦争にはならなかった。このような状態を、私は原遊動性 U と名づけます。 


その状況が変わったのは、グローバルな気候変動のために、彼らが各地で定住し始めてからです。以後、集団の中に、対人的な葛藤、富の格差が生じるようになった。また、定住しているために、他の集団との交換が必要となり、且つそれが困難となった。このときに、交換様式 A、贈与の互酬性が始まったといえます。むろん、人々がそれを工夫して考え出したのではありません。それは、彼らの意志を越えて到来したのです。 〔・・・〕


人は贈与しなければならない、贈与を受け取らねばならない、贈与にお返ししなければならない。その場合、贈与された物に付着した霊的なものが、人々を強制するように見えます。 しかし、Aの「力」が反復強迫的であるのは、それが定住によって失われた Uの回帰であるからだといってよいでしょう。それが、階級や国家の発生を阻止する観念的な力として働いたのです。 氏族社会以後、人類社会はBとCがもたらす観念的な「力」によって支配されるようになりました。そして、Aは B の下で、共同体の原理にとどまるようになった。しかし、先に述べたように、A・B・Cが一定の段階に達したとき、 つまり、世界帝国の段階で、Dが普遍宗教としてあらわれたのです。普遍宗教は D であり、D は普遍宗教です。いいかえれば、経済的ベースを離れて普遍宗教はありえません。 


D は A の回帰ではなく、Uの回帰です。 したがって、それは過去ではなく、未来を志向します。とはいえ、それは人間の願望や空想とは異なり、反復強迫的なものです。D がもたらすのは、A・B・C がもつ「力」への様々な対抗の可能性です。それは最初に宗教のレベルであらわれたと述べましたが、それは宗教に限定されない。文学においても、哲学においてもあらわれます。 


D は、A・B・Cの力が存続するかぎり、強迫的に再帰し、それらを揚棄しようとする。したがって、「共産主義」は、それが D であるかぎり、歴史的に必然的なのです。以上が、『世界史の構造』で私が述べた事柄の要点です。 (柄谷行人「交換様式入門」2017年)




◼️『力と交換様式』2022年

第二次大戦後の世界は全体として、アメリカのヘゲモニーの下で“自由主義”的であったといえる。それは一九世紀半ば、世界経済がイギリスのヘゲモニー下で“自由主義”的であった時期に似ている。しかし、このような世界体制は、一九七〇年代になって揺らぎ始めた。一つには、敗戦国であったドイツや日本の経済的発展とともに、アメリカの圧倒的ヘゲモニーが失われたからである。


しかし、一般に注目されたのは、一九九一年にソ連邦が崩壊し、それとともに、「第二世界」としての社会主義圏が消滅するにいたったことのほうである。このことは、「歴史の終焉」(フランシス・フクヤマ)として騒がれた。愚かしい議論である。このような出来事はむしろ、「歴史の反復」を示すものであったからだ。


そのことを端的に示すのは、一九八〇年代に、それまで「第一世界」を統率し保護する超大国とし“自由主義”を維持してきた米国が、それを放棄し“新自由主義”を唱え始めたことである。つまり、ソ連の「終焉」より前に、資本主義経済のヘゲモンとしての米国の「終焉」が生じたのだ。それは、一九世紀後半にイギリスが産業資本の独占的地位を失い、それまでの“自由主義” を放棄したこと、 すなわち、 “帝国主義”に転化したことと類似する。 (柄谷行人『力と交換様式』2022年)


イオニアでは、人々は伝統的な支配関係から自由であった。しかし、そこでは、イソノミアはたんに抽象的な平等性を意味したのではない。人々は実際に経済的にも平等であった。そこでは貨幣経済が発達したが、それが貧富の格差をもたらすことがなかったのである。〔・・・〕イオニアでは、土地を持たない者は他人の土地で働くかわりに、別の都市に移住した、そのため、大土地所有が成立しなかったのである。その意味で、「自由」が「平等」をもたらしていたといえる。〔・・・〕

イオニアの諸都市において回復されたのは、士族社会に先行するような遊動民のあり方である。無論イオニア人は狩猟採取民や遊牧民に戻ったのではない。彼らが遊動性を回復したのは、広範囲の交易や手工業生産に従事することを通してである。〔・・・〕イオニアに始まったのは、労働と交換によって生活することを価値とするような文化である。〔・・・〕

交換様式という観点から見ると、イオニアでは交換様式Aおよび交換様式Bが交換様式Cによって超えられ、その上で交換様式Aの根本にある遊動性が高次元で回復されたのである。それが交換様式D、すなわち、自由であることが平等であるようなイソノミアである。(柄谷行人『力と交換様式』2022年)







国家や資本を揚棄すること、すなわち、交換様式でいえばBやCを揚棄することはできないのだろうか。できない。というのは、揚棄しようとすること自体が、それらを回復させてしまうからだ。唯一可能なのは、Aにもとづく社会を形成することである。が、それはローカルにとどまる。BやCの力に抑えこまれ、広がることができないからだ。ゆえに、それを可能にするのは、高次元でのAの回復、すなわち、Dの力によってのみである。


ところがDは、Aとは違って、人が願望し、あるいは企画することによって実現されるようなものではない。それはいわば“向こうから”来るのだ。この問題は、別に新しいものではない。古来、神学的な問題、すなわち「終末」や「反復」の問題として語られてきたことと相似するものである。〔・・・〕

マルクスはこの問題を、神を持ち出さずに考えようとしたといってよい。(柄谷行人『力と交換様式』2022年)



…………………………


※付記


◼️『トランスクリティーク』2001年

一般に流布している考えとは逆に、後期のマルクスは、コミュニズムを、「アソシエーションのアソシエーション」が資本・国家・共同体にとって代わるということに見いだしていた。彼はこう書いている、《もし連合した協同組合組織諸団体(uninted co-operative societies)が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府と周期的変動を終えさせるとすれば、諸君、それは共産主義、“可能なる”共産主義以外の何であろう》(『フランスの内乱』)。この協同組合のアソシエーションは、オーウェン以来のユートピアやアナーキストによって提唱されていたものである。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)

自由でアソシエートした労働への変容[freien und assoziierten Arbeit verwandelt]〔・・・〕

もし協同組合的生産 [genossenschaftliche Produktion]が欺瞞やわなにとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義制度[kapitalistische System] にとってかわるべきものとすれば、もし連合した協同組合組織諸団体 [Gesamtheit der Genossenschaften] が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断のアナーキー [beständigen Anarchie]と周期的変動 [periodisch wiederkehrenden Konvulsionen]を終えさせるとすれば、諸君、それはコミュニズム、可能なるコミュニズム [„unmögliche“ Kommunismus]以外の何であろう。(マルクス『フランスにおける内乱(Der Bürgerkrieg in Frankreich)』1891年)


議会と大統領との差異は、たんに選挙形態の差異ではない。カール・シュミットがいうように、議会制は、討論を通じての支配という意味において自由主義的であり、大統領は一般意志(ルソー)を代表するという意味において民主主義的である。シュミットによれば、独裁形態は自由主義に背反するが民主主義に背反するものではない。《ボルシェヴィズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的であるが、しかし、必ずしも反民主主義的ではない》。《人民の意志は半世紀以来極めて綿密に作り上げられた統計的な装置よりも喝采によって、すなわち反論の余地を許さない自明なものによる方が、いっそうよく民主主義的に表現されうるのである》(シュミット『現代議会主義の精神史的位置』)。


この問題は、すでにルソーにおいて明確に出現していた。彼はイギリスにおける議会(代表制)を嘲笑的に批判していた。《主権は譲りわたされえない、これと同じ理由によって、主権は代表されえない。主権は本質上、一般意志のなかに存する。しかも、一般意志は決して代表されるものではない》。《人民は代表者をもつやいなや、もはや自由ではなくなる。もはや人民はいなくなる》(『社会契約論』)。ルソーはギリシャの直接民主主義を範とし代表性を否定した。しかし、それは「一般意志」を議会とは違った行政権力(官僚)に見いだすヘーゲルの考えか、または、国民投票の「直接性」によって議会の代表性を否定することに帰結するだろう。(『トランスクリティーク』2001年)




◼️『世界史の構造』2011年

ヘーゲルが『法の哲学』でとらえようとしたのは、資本=ネーション=国家という環である。このボロメオの環は、一面的なアプローチではとらえられない。ヘーゲルが右のような弁証法的記述をとったのは、そのためである。たとえば、ヘーゲルの考えから、国家主義者も、社会民主主義者も、ナショナリスト(民族主義者)も、それぞれ自らの論拠を引き出すことができる。しかも、ヘーゲルにもとづいて、それらのどれをも批判することもできる。それは、ヘーゲルが資本=ネーション=国家というボロメオの環を構造論的に把握した――彼の言い方でいえば、概念的に把握した(begreifen)――からである。ゆえに、ヘーゲルの哲学は、容易に否定することのできない力をもつのだ。


しかし、ヘーゲルにあっては、こうした環が根本的にネーションというかたちをとった想像力によって形成されていることが忘れられている。すなわち、ネーションが想像物でしかないということが忘れられている。だからまた、こうした環が揚棄される可能性があることがまったく見えなくなってしまうのである。(柄谷行人『世界史の構造』第9章、2010年)


私はネーションの成立を西ヨーロッパに見てきた。それは、ネーションが絶対王権(主権国家)と同様に、西ヨーロッパに最初に出現したからである。そして、主権国家が他の主権国家を生み出すように、ネーション=ステートは自ら拡大することによって、他の地域にネーション=ステートを生み出した。その最初のあらわれは、ナポレオンによるヨーロッパ支配である。ナポレオンはフランス革命の理念を伝えたが、現実には、フィヒテがそうであるように、フランスに占領された地域からネーション=ステートが生まれてきたのである。アーレントはつぎのようにいっている。


国民国家と征服政策との内的矛盾は、ナポレオンの壮大な夢の挫折においてはっきり白日のもとに晒された。・・・・・・ナポレオンが明瞭に示したのは、一ネイションによる征服は被征服民族の民族意識の覚醒と征服者に対する抵抗をもたらすか、あるいは征服者が手段を選ばなければ、はっきりした専制に導くかだということだった。このような専制は、充分に暴虐でさえあれば異民族圧政に成功はするだろうが、その権力を維持することは、非統治者の同意にもとづく国民国家としての本国の諸制度をまず破壊してしまわなければできないのである。(アーレント『全体主義の起源2 帝国主義』11頁)


なぜそうなのかといえば、国民国家が帝国と異なって、多数の民族や国家を支配する原理をもっていないからだ、とアーレントはいうのである。国民国家が他の国家や民族を支配するとき、それは帝国ではなく、「帝国主義」となる、と。そのように述べるとき、アーレントは、国民国家と異なる帝国の原理をローマ帝国に見出している。しかし、それは特にローマ帝国に限られるものではない。一般に、「帝国」に固有の原理なのである。


たとえば、オスマン・トルコは二〇世紀にいたるまで世界帝国として存続してきたが、その統治原理はまさに「帝国」的であった。オスマン王朝は住民をイスラム化しようとしなかった。各地の住民は固有の民族性や宗教、言語、時には政治体制や経済活動までをも、独自に保持していた。それは国民国家が成員を強制的に同質化するのとは対照的である。さらにまた、国民国家の拡張としての帝国主義が他民族に同質性を強要するのと対照的である。


オスマン「帝国」の解体、多数の民族の独立は、西欧諸国家の介入によってなされた。そのとき、西欧の諸国家は、諸民族を主権国家として帝国から解放するのだと主張した。それによって、諸国家は彼らを独立させて経済的に支配しようとしたのである。いうまでもなく、それは「帝国」ではなく「帝国主義」である。「帝国主義」とは、「帝国」の原理なしにネーション=ステートが他のネーションを支配することである。したがって、オスマン=トルコを解体させた西洋列強は、たちまちアラブ諸国のナショナリズムの反撃に出会ったのである。


「国民国家は征服者として現れれば必ず被征服民族の中に民族意識と自治の要求とを目覚めさせることになる」とアーレントはいう。だが、アジア的専制国家による征服が「帝国」となり、国民国家による征服が「帝国主義」となるのは、なぜなのか。この問題は、アーレントのいうような政治的統治の原理だけで考えることはできない。それは交換様式の観点から見ることによってのみ理解できる。


世界帝国の場合、征服は服従・貢納と安堵という交換に帰結する。つまり、世界帝国は交換様式Bにもとづく社会構成体である。広域国家である帝国は、征服された部族や国家の内部に干渉しない。ゆえに、同質化を強要することはない。むろん、支配者に対する反抗が起きないわけではない。世界帝国が版図を拡大すると、それに対する部族的反乱がたえず生じる。それがしばしば王朝を瓦解させる。しかし、それは社会のあり方を根本的に変えるものではない。帝国が滅んでも、別の帝国が再建されるからだ。


一方、国民国家の拡大としての帝国主義は、各地に国民国家を続出させる結果に終わる。それは、交換様式でいえば、帝国が交換様式Bにもとづく支配であるのに対して、帝国主義が交換様式Cにもとづく支配であるからだ。前者と違って、後者は旧来の社会構成体を根柢から変容させてしまう。すなわち、資本主義経済が部族的・農業的共同体を解体する。それが「想像の共同体」としてのネーションの基盤をもたらす。したがって、帝国の支配からは部族的反乱が生じるだけなのに、「帝国主義」的支配からは、ナショナリズムが生じる。こうして、帝国主義、つまり、国民国家による他の民族の支配は、意図せずして、国民国家を創り出してしまうのである。


国民国家はけっして白紙から生まれるのではない。それは先行する社会の「地」の上に生まれるのである。非西洋圏におけるナショナリズムの問題を考える場合、この「地」の違いに注意を払う必要がある。先に述べたように、旧来の世界は、近代世界システムの下で周辺部に追いやられたが、その状況はさまざまであった。旧世界帝国において、中核、周辺部、亜周辺部、圏外のいずれに位置したかによって、その状況が異なるのである。(柄谷行人『世界史の構造』第9章、2010年)




◼️『帝国の構造』2014年

近代の国民国家と資本主義を超える原理は、何らかのかたちで帝国を回復することになる。〔・・・〕帝国を回復するためには、帝国を否定しなければならない。帝国を否定し且つそれを回復すること、つまり帝国を揚棄することが必要〔・・・〕。それまで前近代的として否定されてきたものを高次元で回復することによって、西洋先進国文明の限界を乗り越えるというものである。(柄谷行人『帝国の構造』2014年)

近代国家は、旧世界帝国の否定ないしは分解として生じた。ゆえに、旧帝国は概して否定的に見られている。ローマ帝国が称賛されることがままあるとしても、中国の帝国やモンゴルの帝国は蔑視されている。しかし、旧帝国には、近代国家にはない何かがある。それは、近代国家から生じる帝国主義とは似て非なるものである。資本=ネーション=国家を越えるためには、旧帝国をあらためて検討しなければならない。実際、近代国家の諸前提を越えようとする哲学的企ては、ライプニッツやカントのように、「帝国」の原理を受け継ぐ者によってなされてきたのである。(柄谷行人『帝国の構造』2014年)

帝国の原理がむしろ重要なのです。多民族をどのように統合してきたかという経験がもっとも重要であり、それなしに宗教や思想を考えることはできない。(柄谷行人ー丸川哲史 対談『帝国・儒教・東アジア』2014年)