2025年1月31日金曜日

引き返せない道(中井久夫、1988年)


◾️中井久夫の「引き返せない道」(1988年)全文ーー産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え(『精神科医がものを書くとき』所収)

近未来の変化


1、労働道徳の質的変化。統計によれば、うつ病のピークは四十年に二十代中ごろ、昭和六十年に五十台中ごろにある。これは同一集団が時間とともに高年齢に移動したに過ぎない。この特殊な年齢層の内容吟味は紙幅を超えるが、とにかくこの階層が舞台から消えるとともに、勤勉、集団との一体化、責任感過剰、謙譲、矛盾の回避などの徳目は、第二線に退く。かわって若干の移行期をおいて「変身」(変わり身の早さ)、「自己主張」「多能」などの性格が前面に出てくる。現在の韓国エリートの性格は将来の日本のエリート層の姿でありうる。これは歴史的推移であるとともに、終身雇用の衰退、企業買収、技術革新などの論理的帰結でもある。大方の予想に反して精神病は増加せず、むしろ軽症化に向うが、犯罪、スリルの愛好が増大する。


2、「普遍的労働者」の消滅。異能を持たない平凡な人がなるとされる一般的職業「サラリーマン」「労働者」が、意識としても、おそらく実態としても消滅しつつある。その帰納として、「ふつうの人」が暮らしにくくなる一時期が現れる(こういう時期は歴史上何度か現れた。ルネサンス、明治維新前後など)。また「労働組合」の存立基盤の危機である。労働組合がどうなるか、予言できない。


3、階級相互の距離が増大する。新しい最上階級は相互に縁組みを重ね、社会を陰から支配する(フランスの二百家族のごときもの)。階級の維持は教育によって正当化され、税制や利益の接近度などによって保証され、限度を超えた階級上昇はいろいろな障害(たとえば直接間接の教育経費)によって不可能となる。中流階級は残存するが、国民総中流の神話は消滅する。この点では西欧型に近づく。労働者内部の階級分化も増大する(この点では必ずしも西欧型でない)。


4、天皇制はそのカリスマの相当を失い、新階級と合体する。世代交代とともに君が代や日の丸は次第に争点ではなくなり、旧右翼は消滅するが、"皇道派"に代わる"統制派"のごとき、天皇との距離を置いた新勢力が台頭する。このなかにカリスマ的指導者が登場するかどうかはいうことができない。世界的に優秀な指導者の不足に悩む。国家意識もほどほどになり、ナショナリズムは非常のときだけのものとなる。軍備は最大の争点でなくなる。


5、抵抗はあっても外国人労働者の移入が行われ、国内の老人労働者、非組織労働者との格差がなくなる。平和が続けば台湾、韓国、シンガポールの漢字使用国家のほか、近代語の資格を備えた共通語をもち、識字率の高いタイ、インドネシアがNIES となる。社会主義のある面を変革できればベトナム、中国、北朝鮮が後に続く潜在能力を持つ。中国はおそらく地域差が拡大するであろう。外国人労働者として流入するのは、依然として困難を抱えるいくつかの国であろう。


6、一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。国際的にも二大国対立は終焉に近づきつつある。その場合に日本の地理的位置からして相対的にアジアあるいはロシアとの接近さえもが重要になる。しかし容易にアメリカの没落を予言すれば誤るだろう。アメリカは穀物の供給源、科学技術供給源、人類文化の混合の場として独自の位置を占める。危機に際しての米国の強さを軽視してはならない(依然として緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう)。


課題


仮に以上を自然の傾向だとすれば、課題は、制御しうる限り、その傾向を徹底させないよう歯止めを掛けることである(阻止は不可能)。「もしある目標を徹底的に追求するならば、その過程で自然に起こる反流によって妨害され、結局目標は達成されないであろう」(クラウゼヴィッツ)。この自然の反流の中には、ただに目標の達成を妨害するだけでなく、非常に有害な作用を永続的に及ぼすものもあることを強調したい。


最近二十年の政策によって、労働組合、野党、反対勢力は無力化した。一つは情報の相対的独占による。双方の保持する情報量の差は鋏状に拡大した。多くの野党的立場の政策は与党によって実現した。とくに福祉の推進と所得倍増計画は国民に中流意識を与え、脱政治化に向かわせた。最後に国有企業の民営化によって労働組合の最大の拠点は消滅し、円高危機を契機に多くのかつては有用であったがいまは余剰となった産業、部門、人員を切り捨てた。以上の過程は、この時期の天災の少なさと平和の維持と社会主義国の不振によって幸いされたものであることも注記すべきだろう。しかし、この過程を最後まで貫徹するならば、ある点からは反流が前面に出てくるだろう。この点で指導層の自己規律、自己抑制がこれからこそ問われると思う。賃金、雇用、福祉というが最終的には「暮らしやすさ」「生きやすさ」であり、「公平感」「開かれた社会にある感覚」である。


精神科医としては社会的緊張を最低限度に抑えることに眼がゆく。そのために賃金の適正と公平が望ましく、失業率が現状あるいはそれ以下に抑えられることも同じく望ましい。社会的緊張は犯罪の増加となって最初に現れるが、ある程度以上の犯罪の増加は警察力によって抑制できない。優秀な人材を集めることが困難になるだけでなく、警察が犯罪に取り込まれるのは治安維持に失敗したいずれの国家にも見るところである。慢性的な低賃金と不安定な雇用は、また、アジア的構造汚職を社会を担う層にまで浸潤させる。賃金、雇用、福祉は社会の安全費用として警察力や武力よりもずっと安価で副作用の少ないものである。イタリアのごとくマフィアを社会の上層部まで浸透させれば、いかなる階級の者も安全感を持ち得ない。


福祉は冬の時代といわれるが、生活保護層や老人の一部には不可能に近い負担を強いつつ、さらに状態は悪化するとの脅威感を与えている。私の日々の臨床体験である。社会負担としてはかつての結核、伝染病よりも現在の老人、精神病を主とするパターンのほうが、社会を担う層を襲わず、かつ無際限に増加せず計算予測が可能であり、家計および国家財政への負担は少ないと考える。貧困、疾病および老年に対する国家の安全保障は、社会的緊張を低下させる上で依然として有効かつ相対的安価な方法である。ショーウインドー的な少数者への高価な医療が優先して追求されることは資本制度の下で起こる別個の現象で、とくに巨大診断機械が大企業の手で普及したが、そのために基礎的な医療が掘り崩されないようにするのも別個の問題である。生活保護も現在の一般事務官主体から専門的訓練を受けたケースワーカーに置き換えられていく必要がある。現在のわが国社会が、援助事業(helping business) 一般において発想転換と技術向上を迫られていることは第三世界の援助や留学生救援一つを見てもわかる。巨額な対外援助費からみて金の問題でないことは明らかである。(中井久夫「引き返せない道」1988年)