2026年11月1日日曜日

外傷性フラッシュバックと記念日現象(中井久夫)

 


ここで、視覚だけでなく、聴覚、味覚、運動感覚、振動感覚も外傷性フラッシュバックを起こすことを強調しておきたい。振動感覚にかんしては、暗い中でにわかにゆさぶりをかけられた阪神・淡路大震災に際して多くの人に実際起こったことである。 特に、 記念日現象 anniversary phenomenon として、 一周年にあたる一九九六年一月一七日前後の一週間に、いちじるしい振動感覚への過敏性がみられた。(中井久夫「発達的記憶論ーー外傷性記憶の位置づけを考えつつ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)


その人にとって重要な事件が1周年を迎えるときには、しばしば「記念日現象」というものが起こります。悲しいこともうれしいことも、あらゆる追憶を呼び覚まされることで、空気の肌触りとか温度とか、そういうものが総合的に引き起こすとも言われています。


阪神大震災から1年を迎えるころ、私は新聞に「記念日現象」を警告する文章を書きました。実際に、当時委託していた24時間態勢の電話相談の窓口には、1月17日前後の数日間に集中して百数十件の電話がありました。


人間の身体はさまざまな形で周期づけられています。私自身も脳梗塞の発作と言える目まいを震災から1年たったころに起こしています。そのときは震災1年との関係を意識しておらず、その年の秋に脳梗塞を起こすまで忘れていた。当時の記録を後から読んで、思い出したんです。


また、このころは眠りが浅くなり、就寝途中で目覚めることも多くなりました。ふと時計を見ると(阪神大震災の発生時刻の)5時46分だったことが何度かあり、思わず笑いだしてしまったこともある。これも「記念日現象」なのかもしれません。こうしてみると、時間はらせん状に過ぎてゆくという面があるように思います。しかし普段はなかなか気づかれない。(中井久夫「歳月とこころ」)


……新しい災害は過去の災害によるPTSDの症状を呼び覚ます。愛知県の義援金が他府県を抜いて格段に多い事実は、伊勢湾台風のPTSDが呼び覚まされたためではないだろうか。名古屋に赴いた時、それは三月の末であったが、震災が昨日のことであったかのように、盛んに義援金の募集が行われ、『中日新聞』に載る額も、小企業で一千万円、個人で十万円、百万円と「半端じゃなかった」。人々は「名古屋人はケチといわれているけれど、出す時は出すんだ」と胸を張って、伊勢湾台風との関連は意識していないようであった。しかし、ひとごとではないという気分が人々の間にあった。


老人たちは戦争の記憶を新たにした。戦後五〇年という「記念日現象」と重なって、まだ済んでいない精神的債務への態度が何か変わってきたと私は思う。


神戸人は伊勢湾台風の時は救援に熱心ではなかった。しかし、サハリン地震の義援金募集は、勤務先でも地域でも早く、また盛んであった。新潟の水害の知らせを聞いてボランティアがすぐ出発した。思わず微笑するほどであった。


このように、PTSDは、障害としてマイナスの意味だけを帯びるのではない。「ひとごとではない」という連帯の意識を呼び覚ます力にもなる。実際、関東大震災の時には被災者は全国に散った。片道切符をもらって東北本線に乗るか、軍艦で清水港、時には大阪まで運ばれるか、バラックを自力で建てるしかなかった。東京の人口は相当年数、大阪を下回ったのである。今回の震災では、全国が神戸にやってきた。さらには海外さえも。再び鮮やかになった過去の心の傷に導かれて被災地に関与したという面がないであろうか。誰か心の傷がない人があるだろうか。まして、この二十世紀においてーー。この支持が孤立感をどれだけ和らげたことか。PTSDが予想よりも軽く経過しつつあるのではないかという多くの精神科医の観察は、もし真実ならばこの支持なしにはありえなかったことである。


個人のいのちに対しても、PTSDは決してマイナスばかりではない。最初の現実感喪失、呆然状態でさえ、事態を見極めてから動くゆとりを与えるものと考えられないだろうか。気分の高揚と過剰な活動なしでは、修羅場を切り抜けられるだろうか。ただ、これはもっと自然と近かった時代、おそらく動物としての危機回避反応であろう。地震によって大被害が起こるのは都市ならばこそである。たまたま私は福井大震災を阪神間の畑の中で体験した。結構な揺れであったが、要するにしばらく地面とともに揺れていれば済んだのであった。


PTSDは、精神医学の新奇な一症候群というだけではない。統合失調症にせよ、躁鬱病にせよ、神経症にせよ、これらは、精神の内科的な病いである。これに対して、PTSDは、外傷後ストレス障害という名のとおり、心に負った傷という精神の外科的な障害である。今回の震災が日本の精神医学にもたらしたものといえば、心の外科的障害への開眼であろう。


精神障害が誰にでも起こりうるという、当たり前の事実は、一般公衆にも、精神科医にも、この震災によってはじめてはらわたにしみて認識されたのではないか。全国から集まった精神科医たちも、現場にあって多くのことを学んだ。主に遺伝素因によって精神障害が起こると考えていた研究者が、状況によって起こることを目の当たりにして素朴な驚きを語った。(中井久夫「阪神大震災八ヵ月に入る」1995年『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』所収)



………………


❖附記


◼️動物の外傷性神経症


動物は端的に苦痛を表出し、強迫とヒステリー行動を示し、生命にかかわる拒食や変形を残す自傷を行い、時に死ぬが、また適切な精神療法に反応し、臨床心理士の実習に取り入れてよいとさえ思われる。ただ、擬人化した思い込みは、ある程度は人間の本性に根ざしたもので避け難い。しかし、その自覚は必要だろう。


「我慢する」動物ゆえに、ヒトの外傷は動物よりも発見が困難である。外傷的原因が特定できる阪神・淡路大震災においても、精神科医たちは初めPTSDが非常に少ないという印象を持った。それは、一つは「PTSD(Rを含む)にかかっている精神科医はPTSD(R)を診断することが困難である」という点にある。これは災害時だけでなく、自身に傷口が開いたままの外傷を持っている治療者には平時においても起こることと考えなければならない。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・外傷・記憶』所収)


一般に神経症こそ生物に広く見られる事態である。その点は内因性精神障害と対照的であると私は思っている。私は獣医学にうといので、私自身の観察を挙げる。


1995年1月17日未明の阪神淡路大震災の直後から、私は折にふれてペットを観察した。多くのペットの受けたダメージはその飼い主であるヒトをはるかに凌ぐものであった。この地域は六甲山の北側であって地盤がよく、家屋損傷に留まり、震度は5程度であったかと思われる。


〔症例1〕 ある裕福な家庭のゴールデン・リトリーヴァーは、せっかくの訓練が全部抜けてただの甘え犬になった。初対面の私にもすりよってきた。〔・・・〕


〔症例2〕 一軒屋の家屋に接した犬小屋にいた雑種犬は、通りかかる人にいつも垣根の端から端まで吠えていた犬であった。震災の朝も彼は繋がれていなかったと思われる〔・・・〕が、道に面した凸レンズ形の庭石の上に「忠犬ハチ公」の姿勢で不動であり、前に立つ私を眼にもとめなかった。8カ月後にようやく私を認めて一声弱々しくワンと吠えた。彼が石を離れた時1年を越えていた。2、3年後には多少は吠えるようになっていたが、かつての元気が戻ることはなかった。〔・・・〕


〔症例3〕 震度6―7の地域のマンションの2匹の飼い猫である。若い1匹は本に押しつぶされたが、8歳のもう1匹は機敏に安全な場所に逃れた。大学英文科教授の夫人は、猫がおかしい行動をすると私に語った。その後まもなく、彼は、夫婦を起こすようになり、起きるまで髪の毛を前肢で掻くのであった。〔・・・〕起こすのは、朝の5時台で、必ず震災の起こった5時46分より前であった。〔・・・〕ちなみに、朝寝坊であった私も、震災以後、強力な睡眠薬を使用した数度を除いて、必ず、5時46分以前に目覚めて今に至っている。ちょうど、その時刻に目覚めることがある。このことを意識したのは、この猫をみて以来であった。最近、時刻の生物時計の全身細胞への分布が明らかとなっている。〔・・・〕


〔症例4〕 垣根の中で放し飼いだった2匹の犬は、震災直後も前同様、通りかかる私に吠えてやまなかった。この犬の飼い主にたまたま会った。犬は2匹とも2年以内に亡くなっていた。


〔・・・〕私が挙げた動物症例では、ペットに比して飼い主の地震に対する反応は非常に軽い。それはどうしてであろうか。さまざまな付随的事情が飼い主に有利なこともあろうが、ヒトが開発した言語の存在が大きいと思われる。言語は伝承と教育によって「地震」という説明を与えた。家族、近隣との会話を与えた。そして、ヒトの五官は動物に比べて格段に鈍感である。それは大脳新皮質の相当部分が言語活動に転用されたためもあり、また、そもそも、言語がイメージの圧倒的な衝拍を減圧する働きを持っていることにもよるだろう。


しかし、ここで、心的外傷がヒトにおいても深く動物と共通の刻印を脳/マインドに与えるものであることは考えておかなければならない。記憶はそもそも五官ではなしえない「眼の前にないものに対する警告」として誕生した可能性がある。外傷性記憶は特にそうである。その鮮明な静止的イメージは端的な警告札である。一般にイメージは言語より衝拍が強く、一瞥してすべてを同時的に代表象REPRESENTしうる。人間においてもっとも早く知られたフラッシュバックは覚醒剤使用者のそれである。そもそも幼児記憶も同じ性格を帯びており、基本的な生存のための智慧はそれによって与えられている。外傷性記憶が鮮明であるのに言語的な表現が困難であるのは、外傷という深く生命に根ざした記憶という面があってのことと思われる。「回避」はもっとも後まで残る症状とされるが、これは動物が主にそれによって行動するような言語以前の直観によるものであると私は思う。私がなぜ回避するかは、理屈はつけられるだろうが、実状は「いやーな感じ(あるいは恐怖のようなもの)がしてどうしても足が向かない」のが回避である。したがって、心的外傷は、言語によって知られる他の精神障害の多くより伝達性に乏しい。言語化しにくいだけではない。痛みというものは訴えても甲斐がない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)