2026年7月18日土曜日

ジジェクの誤読問題

 

ボクは4年前、「パンドラの箱」で、ジジェクをバカにしたがね、次のボロメオの環を示しつつ。


ジジェクは事実上、現実界についてわかってないんだよ、それがミレールが次のように言っている理由だ。


パンドラの箱があまりにも長く開けられている。われわれは今、ジジェクをもっている。私のセミネールで彼にえた基本原則を使って、ラカンを「ジジェク化」する彼だ。われわれはバディウをもっている。ラカンを「バディウ化」する彼だ。全くよくない。われわれは、パンドラの箱をもう一度閉じる時だ。

Mais la boîte de Pandore est ouverte depuis longtemps ! Vous avez Zizek qui zizekise Lacan depuis qu'il a appris les rudiments de la doctrine jadis, à mon séminaire de DEA. Vous avez Badiou qui badiouise Lacan, et ce n'est pas joli joli. Il s'agirait plutôt de la refermer, la Pandora's Box.(ジャック=アラン・ミレール Eve Miller-Rose et Daniel Roy, Entretien nocturne avec Jacques-Alain Miller, 2017PDF 


の問いがある。長いあいだまされてきた問いだ。それは「アメリカ人は何を欲するのか」だ。私には答えがある。部分的な答えだが。アメリカ人はスラヴォイ・ジジェクを欲している! 連中はジジェクのラカンが欲しいのだ。アメリカ人はフロイト的領野のラカンよりもジジェクのラカンを好む。たぶんさしあたりは。連中はきわめて明瞭な概念を欲するのだろうか? あるいは議論の余地を欲するのだろうか? 話し合う余地を? そしてこれは精神分析概念の問題だ。


J'ai une autre question qui m'a troublé pendant des années :« Que veulent les Américains ? » J'ai la réponse ! Une réponse partielle. Ils veulent Slavoj Zizek ! Ils veulent le Lacan de Slavoj Zizek. Ils le préfèrent au Lacan du Champ freudien. Pour le moment peut-être. La question est en fait la suivante. Veulent-ils des concepts très définis ? Ou veulent-ils de l'espace pour discuter ? Un espace de dispute ? Ce qui est le cas avec les concepts de la psychanalyse. J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire;  2009



もっとも欲望、つまり象徴界についてはほぼ正しいがね。



①私は私の大他者[my Other が欲望するものを欲望する。

②私は私の大他者 my Otherによって欲望されたい。

③私の欲望は、大きな大他者 the big Other ]ーー私が組み込まれた象徴領野ーーによって構造化されている。

④私の欲望は、リアルな大他者-モノの深淵[the abyss of the real Other‐Thing]によって支えられている。


I desire what my Other desires; 

I want to be desired by my Other; 

my desire is structured by the big Other, the symbolic field in which I am embedded; 

my desire is sustained by the abyss of the real Other‐Thing

(ジジェク、LESS THAN NOTHING2012)




問題は④番目の《リアルな大他者-モノの深淵[the abyss of the real Other‐Thing]》だな、前回示したȺのポジションがモノChoseだがね。






ボクも実はジジェクのラカンで育ったから無視しろとは言わないし、いまでも面白いところはたくさんある。でも常に話半分で読んだほうがいいよ、特に現実界の享楽、つまりエスの欲動の誤読は酷すぎるから、そこは要注意だな。


ま、ジジェクの現実界はラカンのアンコールまでのラカンであって、セミネール21以降ーー実際はアンコールの最後の講義以降ーー、ラカンが思考を反転させたことに気づいていない。要するに「象徴界から現実界を考えるラカン」から「現実界から象徴界を考えるラカン」となったことが、少なくとも2012年の時点ではわかっていない(それ以降ジジェクを読むのをやめたからそのあと悟ったのかはいざ知らず)。

もともとジジェクはこう言っていたんだがねーー《私はきわめて率直に言わなければならない、私のラカンはミレールのラカンだと。I must say this quite openly that my Lacan is Miller's Lacan》(『ジジェク自身によるジジェク』2004年)ーーところが現実界の誤読に基づいてミレールを批判し出して、ミレールをひどく怒らせたんだ。


後期フロイトはそもそもエスから考えている。つまり現実界から。この意味では中期ラカン自身、いささか問題があるんだが。道に迷ったラカン・夢を見たラカン


上のリンク先のミレールが言ってるように、不安セミネール10ではマトモだったから、直後の国際精神分析協会による「破門」の影響があるんじゃないかね。


例えば、セミネール11のラカンとアンコールの最後の講義のラカンはまったく違ったことを言っている。

無意識は言語のように構造化されている[L'inconscient est structuré comme un langage ](Lacan, S11, 22  Janvier  1964

私は私の身体で話している。私は知らないままでそうしている。だから私は、私が知っていること以上のことを常に言う[Je parle avec mon corps, et ceci sans le savoir. Je dis donc toujours plus que je n'en sais. ]〔・・・〕現実界、それは話す身体の神秘、無意識の神秘である[Le réel, dirai-je, c’est le mystère du corps parlant, c’est le mystère de l’inconscient](Lacan, S20, 15 mai 1973)


前者の「言語の無意識」は実は前意識に過ぎないのであって、後者の「身体の無意識」が本来の無意識(エスの無意識)だ。

前意識体系にはさらに、表象内容が、たがいに影響しあうことができるように、相互の交流を行なうこと、それを時間的に秩序づけること、 一つまたはいくつかの検閲の実施、現実吟味と現実原理、これらのことがその役割である。 意識する記憶もまた、すべて「前意識」にかかわるものと思われるが、それは固着された無意識の出来事の記憶痕跡とはきびしく区別される。

Dem System Vbw fallen ferner zu die Herstellung einer Verkehrsfähigkeit unter den Vorstellungsinhalten, so daß sie einander beeinflussen können, die zeitliche Anordnung derselben, die Einführung der einen Zensur oder mehrerer Zensuren, die Realitätsprüfung und das Realitätsprinzip. Auch das bewußte Gedächtnis scheint ganz am Vbw zu hängen, es ist scharf von den Erinnerungsspuren zu scheiden, in denen sich die Erlebnisse des Ubw fixieren (フロイト『無意識について』第5章、1915)

精神分析は無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった[ die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. ](フロイト『自己を語る』第3章、1925年)

自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである[das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年)


ここはきわめて重要だよ、ラカン自身のテキストを読むためにもね。


言語と身体



後期ラカンの教えには、欲望のデフレがある[C'est dans le dernier enseignement de Lacan …est …une déflation du désir. ]〔・・・〕

ラカンはその教えで、分析実践の適用ポイントを欲望から享楽へと移行させた。ラカンの最初の教えは、存在欠如[manque-à-être]と存在の欲望[désir d'être]を基礎としている。それは解釈システム、言わば承認の解釈を指示した。

Lacan déplace aussi le point d'application de  la pratique analytique du désir à la jouissance.  Le premier enseignement repose sur le manque à être et sur le désir d'être et prescrit un certain régime de l'interprétation, disons, l'interprétation de reconnaissance.〔・・・〕

しかし、欲望ではなくむしろ欲望の原因 la cause du désir]を扱う別の時期がある。それは、存在欠如は、たんなる防衛としての欲望、存在するものに対しての防衛として扱う解釈である。では、存在欠如であるところの欲望に対して、何が存在するのか。それはフロイトが欲動と呼んだもの、ラカンが享楽の名を与えたものである。

Mais il y a un autre régime de l'interprétation qui porte non sur le désir mais sur la cause du désir et ça, c'est une interprétation qui traite le désir comme une défense, qui traite le manque à être comme une défense contre ce qui existe et ce qui existe, au contraire du désir qui est manque à être, ce qui existe, c'est ce que Freud a abordé par les pulsions et à quoi Lacan a donné le nom de jouissance.  (J.-A. MILLER, L'être et l'un, 11/05/2011

………………


《無意識は言語のように構造化されている》は日本でも中井久夫が既に1996年に批判している。



ラカンが、無意識は言語のように(あるいは「として」comme)組織されているという時、彼は言語をもっぱら「象徴界」に属するものとして理解していたのが惜しまれる。(中井久夫「創造と癒し序説」初出1996年『アリアドネからの糸』所収)


この中井久夫の言っていることは次のコレット・ソレールと事実上同じ。

シニフィアンは、連鎖外にあるとき現実界的なものになる[le signifiant devient réel quand il est hors chaîne](コレット・ソレールColette Soler, L'inconscient Réinventé, 2009


連鎖とはS1-S2であって、S2なきS1がラカンの現実界であり、フロイトの固着(欲動の固着)である。

単独的な一者のシニフィアン、二者から独立した一者、S2に付着していないS1S2なきS1これが厳密にフロイトが固着と呼んだものである[le signifiant, et singulièrement le signifiant Un – le Un détaché du deux, non pas le S1 attaché au S2(S1 sans S2)…précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


精神分析における主要な現実界の顕れは、固着としての症状である[l'avènement du réel majeur de la psychanalyse, c'est Le symptôme, comme fixion,](Colette Soler, Avènements du réel, 2017)