2023年2月28日火曜日

抑圧は翻訳の失敗

 

フロイトの「抑圧」という語は、一般には誤解されている。例えば、「家父長制による抑圧」という形でしばしば使われるが、これはフロイトの抑圧ではまったくない。そもそもドイツ語の抑圧[Verdrängung]という語には、「抑えつける」や「圧する」の意味はなく事実上誤訳に近い[参照]。


初期フロイトは「抑圧は翻訳の失敗」だと言っている。


①抑圧=翻訳の失敗

翻訳の失敗、これが臨床的に「抑圧」呼ばれるものである[Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch  „Verdrängung“ heißt.](フロイト、フリース宛書簡 Brief an Fließ, 6.12.1896)


この翻訳[Übersetzung]という語は最晩年の『モーセ』にも現れる。「翻訳の失敗」とは、エスの一部が自我あるいは前意識に翻訳されず、異者としての身体が本来の無意識としてエスに置き残されるという意味をもっている。


②抑圧されたもの=異者としての身体=自我に翻訳されずにエスに置き残される

抑圧されたものは「異者としての身体」として分離されている[Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper] 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う[Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben] 〔・・・〕


自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスに置き残されたままである[das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück.](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


異者としての身体[Fremdkörper]とあるのは、エスの欲動蠢動を意味する。


自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである[das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. ]〔・・・〕


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen] (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)



先の②に戻れば、エスの一部が自我に翻訳されず、異者としての身体がエスに置き残される[bleibt im Es zurück]における置き残し[Zurückbleiben]の別名は、残滓[Reste]、リビドー固着の残滓である。


③置き残し=リビドー固着の残滓

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)



そもそもフロイトにとって抑圧の第一段階は固着である。


④抑圧(原初に抑圧された欲動)=欲動の固着

「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕


①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕


この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三番目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ]


②抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.]〔・・・〕

主に①の原初に抑圧された欲動がこの後期抑圧に貢献する[…Beitrag von Seiten der primär verdrängten Triebe unterscheiden. ]


③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Verdrängten]である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ]


この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年、摘要)



上のフロイトは、正式の抑圧は実際は後期抑圧としているが、抑圧には原抑圧(一次抑圧)と後期抑圧(二次抑圧)があり、一次抑圧は固着なのである。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)



抑圧されたものの回帰の原点にあるのは一次抑圧された欲動の回帰であり、別の言い方なら固着点への回帰である。


フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »]  (Lacan, S16, 05  Mars  1969 )



………………



ラカンの対象aーー剰余享楽の対象aではなくリアルな対象aーーは、この原抑圧としての固着(固着点)であり、つまり残滓=エスに置き残された異者としての身体のことであり、これが享楽である。


対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)

残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu.  Ce reste, …c'est le petit(a).  ](Lacan, S10, 21 Novembre  1962)

フロイトの異者は、置き残し、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

享楽は、残滓 (а)  による[la jouissance…par ce reste : (а)  ](Lacan, S10, 13 Mars 1963)

対象aは現実界の審級にある[(a) est de l'ordre du réel.]   (Lacan, S13, 05 Janvier 1966)



二人の注釈者にて確認しておこう。


残滓…現実界のなかの異者概念(異者身体概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)

無意識の最もリアルな対象a、それが享楽の固着である[ce qui a (l'objet petit a) de plus réel de l'inconscient, c'est une fixation de jouissance.](J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/1997)

享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)


ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。

The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)

原初の現実界の出発点は「異者としての身体[Fremdkörper]として居残って効果をもったままである。これは、身体的な何ものかがどの症状の核にも現前しているということである。より一般的なフロイト理論用語では、いわゆる欲動の根[Triebwurzel]あるいは固着点である。ラカンに従って、われわれはこの固着点のポジションに対象aを置くことができる。

the original real starting point remains effective as a “foreign body.”… the fact that something of the body is present in the kernel of every symptom. In the more general terms of his theory, this is the so-called “root” of the drive or the point of fixation . Following Lacan, we can place the object (a) in this position. (Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders, 2004)




いわゆる享楽の残滓 [un reste de jouissance]がある。ラカンはこの残滓を一度だけ言った。だが基本的にそれで充分である。そこでは、ラカンはフロイトによって触発され、リビドーの固着点 [points de fixation de la libido]を語った。

C'est disons un reste de jouissance. Et Lacan ne dit qu'une seule fois mais au fond ça suffit, d'où il s'en inspire chez Freud quand il dit au fond que ce dont il fait ici une fonction, ce sont des points de fixation de la libido. 


固着点はフロイトにとって、分離されて発達段階の弁証法に抵抗するものである[C'est-à-dire ce qui chez Freud précisément est isolé comme résistant à la dialectique du développement. ]


固着は、どの享楽の経済においても、象徴的止揚に抵抗し、ファルス化をもたらさないものである[La fixation désigne ce qui est rétif à l'Aufhebung signifiante, ce qui dans l'économie de la jouissance de chacun ne cède pas à la phallicisation.]  (J.-A. MILLER,  - Orientation lacanienne III-  5/05/2004)


ここでのミレールのいう「象徴的止揚・ファルス化に抵抗する」とは、簡単にいえば、「言語化されない」という意味である。


象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)

ファルスの意味作用とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない[Die Bedeutung des Phallus  est en réalité un pléonasme :  il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus. ](ラカン, S18, 09 Juin 1971)





2023年2月18日土曜日

ラカンにおける「二段階の分裂した主体」

 


◼️シニフィアンの主体と享楽の主体


ジャック=アラン・ミレールは比較的早い段階で、既に次のように示している。


主体にはシニフィアンの主体と享楽の主体がある[sujet qui est le sujet du signifiant et le sujet de la jouissance.](J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 11 MARS 1987)


例えば、ラカンは次のように言っている。


①シニフィアンの主体

一つのシニフィアン(S1)は他のシニフィアン(S2)に対して主体($)を表象する[ un signifiant représente un sujet pour un autre signifiant ](ラカン「主体の転覆」E819, 1960年)


この主体は四つの言説理論の文脈において示される主体でもある。




ーーこの図の右下に示されている(a)は後に示す現実界の享楽の(a)とは異なる剰余享楽(a)なので注意。ーー《剰余享楽は言説の効果の下での享楽の廃棄の機能である[Le plus-de-jouir est fonction de la renonciation à la jouissance sous l'effet du discours. ]》(Lacan, S16, 13  Novembre  1968)



②享楽の主体

原主体[sujet primitif]…我々は今日、これを享楽の主体と呼ぼう[nous l'appellerons aujourd'hui  « sujet de la jouissance »]〔・・・〕この享楽の主体はシニフィアン化によってによって欲望の主体としての基礎を構築する[« le sujet de la jouissance »…la significantisation qui vient à se trouver constituer le fondement comme tel du « sujet désirant » ](ラカン, S10, 13 Mars 1963)


この①と②の二つの主体は異なる。


享楽のシニフィアン化をラカンは欲望と呼んだ[la signifiantisation de la jouissance…C'est ce que Lacan a appelé le désir. ](J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)


つまりシニフィアンの主体とは欲望の主体のことであり、欲望の主体とは享楽の主体に対する防衛の主体である。


欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である[le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance].( ラカン、E825、1960)


防衛の別名は抑圧である。

私は(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)「防衛過程 Abwehrvorganges」概念のかわりに、後年、「抑圧 Verdrängung」概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの「防衛Abwehr」という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。(フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926 年)



さらにラカンにとって欲望の主体とは幻想の主体のことである。

(実際は)欲望の主体はない。幻想の主体があるだけである[il n'y a pas de sujet de désir. Il y a le sujet du fantasme](Lacan, AE207, 1966)


この意味で主体の起源はシニフィアンの主体ではなく享楽の主体である。

ラカンは強調した、疑いもなく享楽は主体の起源に位置付けられると[Lacan souligne que la jouissance est sans doute ce qui se place à l'origine du sujet](J.-A. Miller, Une lecture du Séminaire D'un Autre à l'autre, 2007)


ラカンの享楽とはフロイトの欲動のことでありーー《欲動は、ラカンが享楽の名を与えたものである[pulsions …à quoi Lacan a donné le nom de jouissance.]》(J. -A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 11/05/2011)ーー、享楽の主体=欲動の主体である。




◼️二段階の分裂した主体


ここでポール・バーハウの注釈にて補おう。


……最終的に、このようにして成立した主体が、常に分裂された主体であり、しかも単に一度だけでなく二度にわたって分裂される理由が明らかになる。第一に、それは有機体のリアルと、象徴化の第一の試みである(a)→$→S1との間で分裂される。第二に、異なったシニフィアンの間で分裂される。それぞれのシニフィアンは、決して完了することのない象徴化のさらなる試みをなす。S1 → $ → S2。


……Finally, this clarifies why the subject established in this way is always a divided subject, and divided not merely once but twice. Firstly, it is divided between the Real of the organism and the primary attempt at symbolization: (a) → $ → S1. Secondly, it is divided between the different signifiers, each one carrying its own further attempt at a symbolization that will never be complete: S1 → $ → S2. (Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders, 2004)


バーハウは二段階、あるいは二種類の分裂した主体を示している。第一に[(a)→$→S1]における分裂した主体$、第二に[S1 → $ → S2]における分裂した主体$である。前者が享楽の主体であり、後者がシニフィアンの主体である。


有機体のリアル[the Real of the organism]を(a)にて示しているが、これは「異者としての身体」を意味し、エスの欲動である。


異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)



◼️大他者の享楽=自己身体の享楽=異者身体の享楽


有機体のリアル[the Real of the organism]についても確認しておこう。


享楽はどこから来るのか? 大他者から、とラカンは言う。大他者は今異なった意味をもっている。厄介なのは、その意味は変化したにもかかわらず、ラカンは彼の標準的な表現、《大他者の享楽》を使用し続けていることだ。新しい意味は、自己身体を示している。それは最も根源的な大他者である。事実、我々のリアルな有機体は最も親密な異者[our real organism as the most intimate stranger.]である。


where does this jouissance come from? From the Other, says Lacan. The "Other" now has a different meaning. The trouble is that Lacan continues to use his standard expression-"the jouissance of the Other"-although its meaning has changed. Here, it indicates one's own body as the most fundamental Other, in fact our real organism as the most intimate stranger.(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villainsーーA Radical Reconsideration of the Oedipus Complex, 2009)


これはラカン研究者においても、いまだほんのひと握りの者しか把握していないが、後年のラカンの「大他者の享楽」とは「自己身体の享楽=異者身体の享楽」のことなのである。


大他者の享楽は、自己身体の享楽以外の何ものでもない。La jouissance de l'Autre, […] il n'y a que la jouissance du corps propre.〔・・・〕


自己身体の享楽はあなたの身体を異者にする。あなたの身体を大他者にする。ここには異者性の様相がある。[la jouissance du corps propre vous rende ce corps étranger, c'est-à-dire que le corps qui est le vôtre vous devienne Autre ] (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 8 avril 2009)


セミネール23のラカンは、《われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger]》(Lacan, S23, 11 Mai 1976)と言っているが、これが大他者の享楽=自己身体の享楽に関わる「異者としての身体」であり、エスの欲動の身体、つまり享楽の身体である。


現実界のなかの異者概念(異者身体概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)





◼️ラカンの主体とフロイトの自我分裂


そもそもラカンの主体$はフロイトの自我分裂に起源がある。


ラカンの主体はフロイトの自我分裂を基盤としている[Le sujet lacanien se fonde dans cette « Ichspaltung » freudienne.  ](Christian Hoffmann Pas de clinique sans sujet, 2012)


自我分裂とは自我と欲動、つまり自我とエスの分裂をいう。


欲動要求と現実の抗議のあいだに葛藤があり、この二つの相反する反応が自我分裂の核として居残っている[Es ist also ein Konflikt zwischen dem Anspruch des Triebes und dem Einspruch der Realität. …Die beiden entgegengesetzten Reaktionen auf den Konflikt bleiben als Kern einer Ichspaltung bestehen.  ](フロイト『防衛過程における自我分裂』1939年)

自我分裂…一方は自我に属し、もう一方はエスへと抑圧されている[Ichspaltung…die eine dem Ich angehört, die gegensätzliche als verdrängt dem Es. ](フロイト『精神分析概説』第8章、1939年)


「エスへと抑圧されている」とあるが、晩年のフロイトにとっての「抑圧」はほとんど常に原抑圧であり[参照]、つまり「エスへと原抑圧されている」である。


原抑圧とは「原初に抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe ]=原初に置き残された欲動[primär zurückgebliebenen Triebe](フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)を意味し、この置き残されるものが異者としての身体である。


異者としての身体は本来の無意識としてエスに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)

原初の現実界の出発点は「異者としての身体」として居残って効果をもったままである。これは、身体的な何ものかがどの症状の核にも現前しているということである[the original real starting point remains effective as a “foreign body.”… the fact that something of the body is present in the kernel of every symptom]. (Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders, 2004)



ラカンの現実界とはこの原抑圧に関わり、つまり現実界とは事実上、エスである。


私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


原抑圧→トラウマの穴であり、ここに「原主体=享楽の主体」の場がある。


ラカンの穴=トラウマによる言葉遊び[le jeu de mots de Lacan sur le troumatisme]。トラウマの穴はそこにある。そしてこの穴の唯一の定義は、主体をその場に置くことである[Le trou du traumatisme est là, et ce trou est la seule définition qu'on puisse donner du sujet à cette place] (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 10/05/2006)

人はみなトラウマ化されている。 この意味はすべての人にとって穴があるということである。[tout le monde est traumatisé …ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou.](J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 )


この穴がラカンの現実界の身体、フロイトの異者としての身体であり、享楽の主体とは実際は享楽の身体と等置しうる。


身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛みを呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)


「異者身体のトラウマはレミニサンスする」とは、「現実界のトラウマはレミニサンスする」と等価である。


私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。…これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)




ラカンのリアルな対象aはこのトラウマの穴を示している。


対象aは現実界の審級にある[(a) est de l'ordre du réel.](Lacan, S13, 05 Janvier 1966)

対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou] (Lacan, S16, 27 Novembre 1968)

この対象aは、主体にとって本質的なものであり、異者性によって徴付けられている[ ce (a), comme essentiel au sujet et comme marqué de cette étrangeté], (Lacan, S16, 14  Mai  1969)


2023年2月17日金曜日

後期ラカンの教えの鍵


◼️後期ラカンの教えの鍵

フロイトの『制止、症状、不安』は、後期ラカンの教えの鍵である[celle de Freud…qu'Inhibition, symptôme et angoisse est la clef du dernier enseignement de Lacan](J.-A. Miller, Le Partenaire Symptôme - 19/11/97)


症状は、現実界について書かれることを止めない[ le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel] (ラカン、三人目の女 La Troisième, 1er Novembre 1974)

現実界は書かれることを止めない[le Réel ne cesse pas de s'écrire ](Lacan, S 25, 10 Janvier 1978)


フロイトにとって症状は反復強迫に結びついたこの「止めないもの」である。

Pour Freud remarquons que le symptôme est par excellence lié à ce qui ne cesse pas, lié à la compulsion de répétition


そして『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着の要因は、無意識のエスの反復強迫に見出されると。

et c'est ainsi que dans le chapitre X de Inhibition, symptôme et angoisse, où Freud récapitule ses réflexions, il indique que le symptôme implique une fixation et que le facteur de cette fixation est à trouver dans la compulsion de répétition du ça inconscient.


フロイトはこの論文で、症状を記述するとき、欲動要求の絶え間なさを常に示している。欲動は行使されることを止めないものである。

Et chaque fois que Freud dans cet ouvrage a à décrire le symptôme, il le décrit comme lié à la constance de la pulsion, à l'exigence pulsionnelle en tant qu'elle ne cesse pas de s'exercer. (J.-A. MILLER, L'Autre qui  n'existe pas  et ses comités d'éthique - 26/2/97)


『制止、症状、不安』の10章で、フロイトは「神経症の究極の原因」と呼ぶものを引用符で囲み同定しようとしている。フロイトは言っている、それはエスの水準に位置づけられ、欲動が囚われる反復強迫、反復のオートマトン(自動反復)[automatisme de répétition (Automatismus) ]の作用だと。

le chapitre X d'Inhibition, symptôme, angoisse, le chapitre ultime où Freud essaie de cerner ce qu'il appelle la « cause ultime de la névrose » entre guillemets et où il dit qu'elle se situe au niveau du ça, où opère le Wiederholungszwang, l'automatisme de répétition dans lequel est prise la pulsion.  


そして『制止、症状、不安』「補足B 」(11章)には、本源的な文がある。フロイトはこう書いている。《欲動要求はリアルな何ものかである [Triebanspruch etwas Reales ist]》。

Et ajoutez à ça une phrase essentielle (…)  de l'addenda B d'Inhibition, symptôme, angoisse où Freud écrit en toutes lettres que l'« exigence pulsionnelle est quelque chose de réel », (J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un,  - 2/2/2011)




…………………………


◼️現実界=固着点

現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »]  (Lacan, S16, 05  Mars  1969 )

フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


※「享楽の一者」は身体の出来事=トラウマのシニフィアンを意味する。

享楽は身体の出来事である。享楽はトラウマの審級にある、衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。享楽は固着の対象である。la jouissance est un événement de corps(…) la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard,(…) elle est l'objet d'une fixation. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)

身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point] ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021)


トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕


このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]

これは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)





◼️現実界の享楽=固着

享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ](Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)

享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である[La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido.] (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008)

人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する[Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. ](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)



◼️欲動の対象=固着

欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。

Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. [...] Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト「欲動とその運命』1915年)





◼️モノ=言説に同化不能=現実界=トラウマ=固着

[言語に]同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964)

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)


◼️モノ=残滓=異者(異者としての身体)=対象a=享楽=固着点

我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu.  Ce reste, …c'est le petit(a).  ](Lacan, S10, 21 Novembre  1962)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

享楽は、残滓 (а)  による[la jouissance…par ce reste : (а)  ](Lacan, S10, 13 Mars 1963)

対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)


◼️リビドー固着の残滓=エスへの置き残し=異者としての身体

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる「Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. 〔・・・〕daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. 」(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者としての身体は本来の無意識としてエスに置き残されたままである[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)




◼️現実界=トラウマの穴=原抑圧=固着(固着点)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.] (Lacan, S23, 13 Avril 1976)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕


①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三番目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ]


②正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期抑圧[Nachdrängen]である。〔・・・〕①の原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe] がこの二段階目の抑圧に貢献する。

③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ]

この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年、摘要)


ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである[The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)

原初の現実界の出発点は「異者としての身体[Fremdkörper]として居残って効果をもったままである。これは、身体的な何ものかがどの症状の核にも現前しているということである。より一般的なフロイト理論用語では、いわゆる欲動の根[Triebwurzel]あるいは固着点である。ラカンに従って、われわれはこの固着点のポジションに対象aを置くことができる[the original real starting point remains effective as a “foreign body.”… the fact that something of the body is present in the kernel of every symptom. In the more general terms of his theory, this is the so-called “root” of the drive or the point of fixation . Following Lacan, we can place the object (a) in this position]. (Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders, 2004)




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固着は、フロイトが原症状と考えたものである[Fixations, which Freud considered to be primal symptoms,](Paul Verhaeghe and Declercq, Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way, 2002)

分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

精神分析における主要な現実界の顕れは、固着としての症状である[l'avènement du réel majeur de la psychanalyse, c'est Le symptôme, comme fixion,](Colette Soler, Avènements du réel, 2017年)