2018年8月22日水曜日

症状の二重構造

「症状の二重構造」とは、ラカン語彙では症状とサントーム(原症状)のことである。

以下、ポール・バーハウ他、Paul Verhaeghe and Frédéric Declercqの2002年のサントーム論から私訳引用する。

フロイトによる無意識の発見以来、病理過程は「防衛」を基礎に説明されている。そこでは「抑圧(追放・放逐)」が際立った場を占めている。フロイト以後、多かれ少なかれ、忘れられてしまっているのは、病理力動性内部における抑圧自体は既に二次的なものであるということである。実際は、抑圧とは欲動に対する防衛過程の加工 elaboration に過ぎない。

フロイトはその理論の最初から、症状には二重の構造があることを識別していた。一方には「欲動」、他方には「プシュケ(心的なもの)」である。ラカン用語なら、現実界と象徴界である。

これはフロイトの最初の事例研究「症例ドラ」に明瞭に現れている。この事例において、フロイトは防衛理論については何も言い添えていない。防衛の「精神神経症」については、既に先行する二論文(1894, 1896)にて詳述されている。逆に「症例ドラ」の核心は、症状の二重構造だと言い得る。フロイトが焦点を当てるのは、現実界、すなわち欲動に関する要素である。彼はその要素を「身体側からの対応 Somatisches Entgegenkommen」という用語で示している。この語は、後の論文『性欲論三篇』にて、「欲動の固着 Fixierung der Libido、fixierten Trieben」と呼ばれるようになったものである。

この観点からは、ドラの転換症状は、二つの視野から研究することができる。一つは、象徴的なもの、すなわちシニフィアンあるいは抑圧された心因性の代理表象。もう一つは、現実界的なもの、すなわち欲動に関するもの、ドラの事例では口唇欲動である。

フロイトは後の全ての事例研究でも、この症状の異種混合を立証している。少年ハンスの恐怖症は、口唇欲動・肛門欲動・覗見欲動の「上に/対して」構築されている。鼠男の強迫症は、覗見欲動・肛門欲動の上の構築物。狼男の恐怖症と転換症状も、同様に覗見欲動・肛門欲動の上のそれである。

この二重構造の光の下では、どの症状も二様の方法で研究されなければならない。ラカンにとって、恐怖症と転換症状は《症状の形式的封筒 l'enveloppe formelle du symptôme 》(ラカン、E66)に帰着する。つまり欲動の現実界へ象徴的形式を与えるものである。したがって症状とは、享楽の現実界的核のまわりに設置された構築物である。フロイトの表現なら、《真珠貝がその周囲に真珠を造りだす砂粒 Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet のようなもの》(『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905)。享楽の現実界は症状の地階あるいは根なのであり、象徴界は上部構造なのである。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way by Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq、2002)


ここには「精神神経症」という言葉しか現れていないが、症状の地階にあるものが、ポール・バーハウの観点からは「現勢神経症」(現実神経症)である。もっともフロイトの定義とはやや異なって、彼は現勢神経症という語をより広くとらえている。ゆえに後の論では「現勢病理」/「精神病理」という語が使われている。現勢病理/精神病理とは、現実界病理/象徴界病理とほぼ等価と捉えることができる。

フロイトにおける主要な現勢神経症の記述を二つ掲げよう。

現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核でありその最初の段階である。この関係は、神経衰弱 neurasthenia と「転換ヒステリーKonversionshysterie」として知られる転移神経症 Übertragungsneurose、不安神経症Angstneuroseと不安ヒステリーAngsthysterieとのあいだで最も明瞭に観察される。しかしまた、心気症 Hypochondrie とパラフレニア Paraphrenie (早期性痴呆 dementia praecox と パラノイア paranoia) の名の下の障害形式のあいだにもある。(フロイト『精神分析入門』1916-1917)

ここで対比されているのは、

現勢神経症/精神神経症
神経衰弱/転移神経症
不安神経症/不安ヒステリー
心気症/パラフレニア

である。この区分とボール・バーハウの区分は合致しない。というのは、たとえばパラフレニアでさえ、下部構造ではなく上部構造に区分されているのだから。

パレフレニアとは、ラカンによれば、分裂病(統合失調症)のことである。

想起してもらいたい。シュレーバー事例ーーそれは、精神病に関するフロイトの主要テキストだがーー、その考察の最後で、フロイトはあたかも「分水嶺 ligne de partage des eaux 」を追跡している。すなわち、一方でパラノイア paranoia と、他方で彼が呼ぶところのパラフレニア paraphrenia とのあいだの境界線を。このパラフレニアとは、スキゾフレニア(分裂病 schizophrénies)の領野を正確に覆うものだ。それは、いわゆる分析の疾病分類における分裂病の全領野を提供しているとさえ言える。…パラフレニアとは、まさにどの痴呆 démence をも包含する。(ラカン、S3、16 Novembre 1955)

フロイトの現勢神経症に戻れば、次の記述においては、

現勢神経症/精神神経症
原抑圧/抑圧(後期抑圧)

の区分がなされている。この区分と取るなら、ポール・バーハウの「現勢病理」/「精神病理」区分に合致する。

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧Verdrängungenは、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえる。(フロイト『制止、症状、不安』第2章1926年)
……早期のものと思われる抑圧(原抑圧)は 、すべての後期の抑圧と同様、エス内の個々の過程にたいする自我の不安が動機になっている。われわれはここでもまた、充分な根拠にもとづいて、エス内に起こる二つの場合を区別する。一つは自我にとって危険な状況をひき起こして、その制止のために自我が不安の信号をあげさせるようにさせる場合であり、他はエスの内に出産外傷 Geburtstrauma と同じ状況がおこって、この状況で自動的に不安反応の現われる場合である。第二の場合(原抑圧の場合)は原初の危険状況 ursprünglichen Gefahrsituation に該当し、第一の場合は第二の場合からのちにみちびかれた不安の条件であるが、これを指摘することによって、両方を近づけることができるだろう。また、実際に現れる病気についていえば、第二の場合は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現われ、第一の場合は精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。

(……)現勢神経症 Aktualneurosen の基礎のうえに、精神神経症 Psychoneurosen が発達する。自我は、しばらくのあいだは、宙に浮かせたままの不安を、症状形成によって拘束し binden、閉じ込めるのである。外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosenという名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症 Aktualneurosen の性質をわけもっているだろう。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)