2019年7月26日金曜日

死への道は愛である


享楽=エロス(愛の力)
ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものかを把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽である。Lacan a utilisé les ressources de la langue française pour attraper quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido, à savoir la jouissance. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
哲学者プラトンのエロスErosは、その由来 Herkunft や作用 Leistung や性愛 Geschlechtsliebe との関係の点で精神分析でいう愛の力 Liebeskraft、すなわちリビドーLibido と完全に一致している。(フロイト『集団心理学と自我の分析』1921年)

すべての利用しうるエロスのエネルギーEnergie des Eros を、われわれはリビドーLibidoと名付ける。…(破壊欲動のエネルギーEnergie des Destruktionstriebesを示すリビドーと同等の用語はない)。(フロイト『精神分析概説』死後出版1940年)


上にみられるように、享楽=エロス(愛の力)である。

死への道 Le chemin vers la mort…それはマゾヒズムについての言説であるdiscours sur le masochisme 。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)

すなわち「死への道は、愛と呼ばれるもの以外の何ものでもない」。

この認識が、フロイト派どころか、ほとんどのラカン派でさえ欠けている。

愛は死の欲動の側にある。l'amour est du côté de la pulsion de mort. (Jean-Paul Ricœur, LACAN, L'AMOUR, 2007)

以下、こうでしかありえないことを文献をもって示す。


エロスとタナトスは融合と分離である
エンペドクレス Empedokles の二つの根本原理―― 愛 philia[φιλία]と闘争 neikos[νεκος ]――は、その名称からいっても機能からいっても、われわれの二つの原欲動 Urtriebe、エロスErosと破壊 Destruktion と同じものである。エロスは現に存在しているものをますます大きな統一へと結びつけzusammenzufassenようと努める。タナトスはその融合 Vereinigungen を分離aufzulösen し、統一によって生まれたものを破壊zerstören しようとする。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第6章、1937年)
エロスは接触 Berührung を求める。エロスは、自我と愛する対象との融合Vereinigungをもとめ、両者のあいだの間隙を廃棄(止揚 Aufhebung)しようとする。(フロイト『制止、症状、不安』第6章、1926年)
エロスは二つが一つになることを基盤にしている。l'Éros se fonde de faire de l'Un avec les deux (ラカン、S19、 03 Mars 1972 Sainte-Anne)
究極のエロス(享楽)は死である
大他者の享楽 jouissance de l'Autre について、だれもがどれほど不可能なものか知っている。そして、フロイトが提起した神話、すなわちエロスのことだが、これはひとつになる faire Un という神話だろう。…だがどうあっても、二つの身体 deux corps がひとつになりっこない ne peuvent en faire qu'Un。…

…ひとつになることがあるとしたら、ひとつという意味が要素 élément、つまり死に属するrelève de la mort ものの意味に繋がるときだけである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)
死への道 Le chemin vers la mort…それはマゾヒズムについての言説であるdiscours sur le masochisme 。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel。フロイトはこれを発見したのである。(ラカン、S23, 10 Février 1976)
原マゾヒズムとは自己破壊欲動である
マゾヒズムはその目標 Ziel として自己破壊 Selbstzerstörung をもっている。…そしてマゾヒズムはサディズムより古い der Masochismus älter ist als der Sadismus。他方、サディズムは外部に向けられた破壊欲動 der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstriebであり、攻撃性 Aggressionの特徴をもつ。或る量の原破壊欲動 ursprünglichen Destruktionstrieb は内部に居残ったままでありうる。…

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向 Tendenz zur Selbstdestruktioから逃れるために、他の物や他者を破壊する anderes und andere zerstören 必要があるようにみえる。⋯⋯

我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
エロスとタナトスは引力と斥力である
愛と憎悪との対立は、引力と斥力という両極との関係がおそらくある。Gegensatzes von Lieben und Hassen, der vielleicht zu der Polaritat von Anziehung und AbstoBung (フロイト『人はなぜ戦争するのか Warum Krieg?』1933年)
同化/反発化 Mit- und Gegeneinanderwirken という二つの基本欲動 Grundtriebe (エロスとタナトス)の相互作用は、生の現象のあらゆる多様化を引き起こす。二つの基本欲動のアナロジーは、非有機的なものを支配している引力と斥力 Anziehung und Abstossung という対立対にまで至る。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
すべての欲動の目標は死である
生の目標は死である。Das Ziel alles Lebens ist der Tod.…有機体はそれぞれの流儀に従って死を望む sterben will。生命を守る番兵Lebenswächterも元をただせば、死に仕える衛兵 Trabanten des Todes であった。(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)
以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動 Triebe の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)
すべての欲動は実質的に、死の欲動である。 toute pulsion est virtuellement pulsion de mort(ラカン、E848、1966年)
人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、……母胎回帰運動  Rückkehr in den Mutterleibがある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
母胎回帰とは母なる大地との融合である
ここ(シェイクスピア『リア王』)に描かれている三人の女たちは、生む女 Gebärerin、パートナー Genossin、破壊者としての女 Vderberin であって、それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係である。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であることもできよう。

すなわち、母それ自身 Mutter selbstと、男が母の像を標準として選ぶ愛人Geliebte, die er nach deren Ebenbild gewähltと、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地 Mutter Erde である。

そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、そういう女の愛情をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神 schweigsame Todesgöttin のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『三つの小箱』1913年)
欲動は死の漂流(享楽のさまよい)である
私は欲動Triebを翻訳して、漂流 dérive、享楽の漂流 dérive de la jouissance と呼ぶ。[j'appelle la dérive pour traduire Trieb, la dérive de la jouissance. ](ラカン、S20、08 Mai 1973)
人は循環運動をする on tourne en rond… 死によって徴付られたもの marqué de la mort 以外に、どんな進展 progrèsもない 。それはフロイトが、Trieb という語で強調したものだ。仏語では pulsionと翻訳される… 死の欲動 la pulsion de mort、…もっとましな訳語として「dérive 漂流」という語はどうだろう。(ラカン、S23, 16 Mars 1976)
われわれの享楽のさまよい égarement de notre jouissance(ラカン、Télévision 、Autres écrits, p.534、1973)
死は、ラカンが享楽と翻訳したものである。death is what Lacan translated as Jouissance.(J.-A. MILLER, A AND a IN CLINICAL STRUCTURES、1988年)
死は享楽の最終的形態である。death is the final form of jouissance( PAUL VERHAEGHE,  Enjoyment and Impossibility, 2006)


ラカン的な「欲動一元論」ではなく、フロイトの記述を生かして「欲動二元論」の立場もある。

仮にそうであれ、愛の引力(死への引力)が先にある。斥力としてのタナトスは、死=エロスから分離しようとする運動ということになる。この立場をとれば、タナトスとは生きようとする運動である。




生の欲動は死を目指し、死の欲動は生を目指す。[the life drive aims towards death and the death drive towards life.] (ポール・バーハウ Paul Verhaeghe , Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender, 2004)
享楽自体は、生きている主体には不可能である。というのは、享楽は主体自身の死を意味する it implies its own death から。残された唯一の可能性は、遠回りの道をとることである。すなわち、目的地への到着を可能な限り延期するために反復することである。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex, 2009)