隠蔽記憶
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「初期の」性的刻印に関して…精神分析は新しい病因的固着[pathologische Fixierungen ]が、五歳あるいは六歳以降に起こりうるかを疑っている。 alle diese »frühzeitigen« Sexualeindrücke… während die Psychoanalyse daran zweifeln läßt, ob sich pathologische Fixierungen so spät neubilden können. 真の解釈は、フェティッシュの発生の最初の記憶の背後に、埋没され忘れられた性的発達の最初の記憶の段階があり、それがフェティッシュによって表象される。それは、あたかも「隠蔽記憶」によるようにして、フェティッシュはこの記憶の残滓と沈殿物を表象するのである。つまり幼児期の最初の数年のこの段階に、フェティシズムとフェティッシュの選択が構成的に決定づけられる。 Der wirkliche Sachverhalt ist der, daß hinter der ersten Erinnerung an das Auftreten des Fetisch eine untergegangene und vergessene Phase der Sexualentwicklung liegt, die durch den Fetisch wie durch eine »Deckerinnerung« vertreten wird, deren Rest und Niederschlag der Fetisch also darstellt. Die Wendung dieser in die ersten Kindheitsjahre fallenden Phase zum Fetischismus sowie die Auswahl des Fetisch selbst sind konstitutionell determiniert.. (フロイト『性理論三篇』第1篇、1905年、1920年注) |
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病因的トラウマ、この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる[ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an]〔・・・〕 問題となる出来事は、おおむね完全に忘却されている。記憶としてはアクセス不能で、幼児型健忘の期間内にある。その出来事は、「隠蔽記憶」として知られる、いくつかの分割された記憶残滓へと通常は解体されている。Die betreffenden Erlebnisse sind in der Regel völlig vergessen, sie sind der Erinnerung nicht zugänglich, fallen in die Periode der infantilen Amnesie, die zumeist durch einzelne Erinnerungsreste, sog. Deckerinnerungen, durchbrochen wird.〔・・・〕 このトラウマは自己身体の上への出来事 もしくは感覚知覚 である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我への傷(ナルシシズム的屈辱)である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs (narzißtische Kränkungen)]〔・・・〕 この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ] これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印 と呼びうる。[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen] (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年 |
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隠蔽記憶(スクリーンメモリー souvenir-écran、Deckerinnerung )はたんに静止画像(スナップショット instantané)ではない。記憶の流れ(歴史 histoire)の中断 interruption である。記憶の流れが凍りつき fige 留まる arrête 瞬間、同時にヴェールの彼岸 au-delà du voile にあるものを追跡する動きを示している。(ラカン、S4 30 Janvier 1957 )
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表象代理=現実界の窓=穴
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スクリーンはたんに現実界を隠蔽するものではない L'écran n'est pas seulement ce qui cache le réel。スクリーンはたしかに現実界を隠蔽している ce qui cache le réel が、同時に現実界の徴でもある(示している indique)。…我々は隠蔽記憶(スクリーンメモリー souvenir écran)を扱っているだけではなく、幻想 fantasme と呼ばれる何ものかを扱っている。そしてフロイトが表象représentationと呼んだものではなく、フロイトの表象代理 représentant de la représentation を扱わねばならないのである。(ラカン、S13、18 Mai 1966 )
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幻想は現実界のスクリーン(覆い)だけではない。同時に現実界の窓(現実界に開かれた窓)である。幻想には二つの価値がある。スクリーンと窓である。le fantasme n'est pas seulement écran, écran du réel. Il est en même temps fenêtre sur le réel. Et il y a là deux valeurs du fantasme […] entre l'écran et la fenêtre.(J.-A. MILLER, - 2/2/2011 )
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穴としての対象a は、枠・窓と等価でありうる En tant que trou, l'objet a peut être équivalent au cadre, à la fenêtre。(J.-A.Miller, L’image reine , 2016)
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欲動の現実界=原抑圧=穴の機能
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欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。…原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
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表象代理=原抑圧=超自我
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表象代理は二項シニフィアンである。この表象代理は、原抑圧の中核を構成する。フロイトは、これを他のすべての抑圧が可能となる引力の核とした。
Le Vorstellungsrepräsentanz, c'est ce signifiant binaire. […] il à constituer le point central de l'Urverdrängung,… comme FREUD l'indique dans sa théorie …le point d'Anziehung, le point d'attrait, par où seront possibles tous les autres refoulements (ラカン、S11、03 Juin 1964)
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二項シニフィアンの場に超自我を位置付けることの結果は、超自我と原抑圧を同じものと扱うことになる。超自我と原抑圧を同一のものとするのは慣例ではないように見える。だが私はそう主張する。
Le résultat de repérer le surmoi sur ce signifiant binaire, c'est de rapprocher le surmoi et le refoulement originaire. Ca ne paraît pas habituel que le surmoi et le refoulement originaire puissent être rapprochés, mais je le maintiens(J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982)
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S(Ⱥ)=超自我
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我々は I(A)とS(Ⱥ)という二つのマテームを区別する必要がある。ラカンはフロイトの『集団心理学と自我の分析』への言及において、象徴的同一化 identification symbolique におけるI(A)、つまり自我理想 idéal du moi は主体と大他者との関係において本質的に平和をもたらす機能 fonction essentiellement pacifiante がある。他方、S(Ⱥ)はひどく不安をもたらす機能 fonction beaucoup plus inquiétante、全く平和的でない機能 pas du tout pacifique がある。そしておそらくこのS(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳 transcription du surmoi freudienを見い出しうる。(J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96)
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欲動の表象代理=原抑圧=固着
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われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり心的(表象的-)欲動代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。(……)
欲動代理 Triebrepräsentanz は(原)抑圧により意識の影響をまぬがれると、それはもっと自由に豊かに発展する。
それはいわば暗闇に蔓延り wuchert dann sozusagen im Dunkeln 、極端な表現形式を見つけ、もしそれを翻訳して神経症者に指摘してやると、患者にとって異者のようなもの fremd に思われるばかりか、異常で危険な欲動の強さTriebstärkeという装い Vorspiegelung によって患者をおびやかすのである。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)
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S(Ⱥ)=サントームΣ
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我々が……ラカンから得る最後の記述は、サントーム sinthome の Σ である。S(Ⱥ) を Σ として grand S de grand A barré comme sigma 記述することは、サントームに意味との関係性のなかで「外立ex-sistence」の地位を与えることである。現実界のなかに享楽を孤立化すること、すなわち、意味において外立的であることだ。(ミレール「後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan, LE LIEU ET LE LIEN , 6 juin 2001)
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サントーム=固着(享楽の固着)
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ラカンのサントームとは、たんに症状のことである。だが一般化された症状(誰もがもっている症状)である。Le sinthome de Lacan, c'est simplement le symptôme, mais généralisé, (J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE, 2011)
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症状は固着である。Le symptôme, c'est la fixation (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 10 - 26/03/2008)
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疑いもなく、症状は享楽の固着である。sans doute, le symptôme est une fixation de jouissance. (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 12/03/2008)
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サントーム=S2なきS1[S1 sans S2]による反復享楽
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反復的享楽 La jouissance répétitive、これを中毒の享楽と言い得るが、厳密に、ラカンがサントーム sinthomeと呼んだものは、中毒の水準 niveau de l'addiction にある。
この反復的享楽は「一のシニフィアン le signifiant Un」・S1とのみ関係がある。その意味は、知を代表象するS2とは関係がないということだ。この反復的享楽は知の外部 hors-savoir にある。それはただ、S2なきS1[S1 sans S2]を通した身体の自動享楽 auto-jouissance du corps に他ならない。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011)
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骨象a=固着
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私が « 骨象 osbjet »と呼ぶもの、それは文字対象a[la lettre petit a]として特徴づけられる。そして骨象はこの対象a[ petit a]に還元しうる…最初にこの骨概念を提出したのは、フロイトの唯一の徴 trait unaire 、つまりeinziger Zugについて話した時からである。(ラカン、S23、11 Mai 1976)
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後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』2001年)
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ラカンの現実界は、フロイトの無意識の臍であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、「身体的なもの」が「心的なもの」に移し変えられないことである。(Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)
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精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレール Colette Soler, Avènements du réel, 2017年)
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サントーム=1がある Y'a d'l'Un
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サントーム Sinthome は「1があるYadlun」と同一である。…ラカンは、症状を「1」に還元したのである réduit le symbolique à l'Un (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011)
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まさに享楽がある。1と身体の結びつき、身体の出来事が。il y a précisément la jouissance, la conjonction de Un et du corps, l'événement de corps (J.-A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN – 18/05/2011)
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ラカンはサントームΣを「1がある Y'a d'l'Un」に還元したとき、この「1がある」は、シニフィアンの分節化の残滓として、現実界の本源的反復を引き起こす。ラカンは言っている、2はない[il n'y a pas de deux]と。この反復においてそれ自身を反復するのは、ひたすら1である。しかしこの1は身体ではない。1と身体がある。[Mais cet Un n'est pas le corps. Il y a le Un et le corps. ](Hélène Bonnaud, Percussion du signifiant dans le corps à l'entrée et à la fin de l'analyse ,2013)
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サントーム=モノの名=母の名
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ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である。Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens,(J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)
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モノは母である。das Ding, qui est la mère (ラカンS7, 16 Décembre 1959)
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超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
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我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
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タナトスとは超自我の別の名である。 Thanatos, which is another name for the superego (ピエール=ジル・ゲガーン Pierre Gilles Guéguen, The Freudian superego and The Lacanian one. 2018)
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