2020年9月26日土曜日

寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ

 

……葬儀に帰られたKさんと総領事が、伊東静雄の『鶯』という詩をめぐって話していられた。それを脇で聞いて、私も読んでみる気になったのです。〈(私の魂)といふことは言へない/しかも(私の魂)は記憶する〉


天上であれ、森の高みであれ、人間世界を越えた所から降りてきたものが、私たちの魂を楽器のように鳴らす。私の魂は記憶する。それが魂による創造だ、ということのようでした。いま思えば、夢についてさらにこれは真実ではないでしょうか?


私の魂が本当に独創的なことを創造しうる、というのではない。しかし私たちを越えた高みから夢が舞いおりて、私の魂を楽器のようにかきならす。その歌を私の魂は記憶する。初めそれは明確な意味とともにあるが、しだいに理解したことは稀薄になってゆく。しかしその影響のなかで、この世界に私たちは生きている……  すべて夢の力はこのように働くのではないでしょうか? ……(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第三部、P.114)





(私の魂)といふことは言へない

その証拠を私は君に語らう


右の一節は、若い時のめぐり合い以来、つねに透明な意味をあらわしてきたというのではないが、僕にとって大切なものだ。しかも最近、それとの関係に新しい光がさしてくる体験があったので、ひとつ短かい物語を書くことにした。詩の書き手は、声高に語るという人柄ではなかったようだ。作品にもそれはうかがわれる。詩人の死後、おなじく好ましい寡黙さで、遺された作品を註釈し、編纂する研究者たちがあることも知っていた。しかしこの国の風土の中でしばしば異様な共鳴音をたててひずむロマンティシズムの声調で作者を追懐する論者も数多かったから、僕はこの詩への思いを人に語ることはなかった。(略)


まず僕が幼いような徒手空拳で出会い、深い印象を受けたままにこの詩のことを語っておくなら、最初の二行につづけて詩人はーーまだ二十代であったはずだが(一老人の詩)としてこの詩を書いており、それも少年であった僕が妙に惹きつけられる理由だったという気がするーーその幼時の思い出を語るのだ。


深い山のへりにある友達の家に遊びに行くと、いつもかれは山ふところに向かってロ笛を吹き、鶯を呼びよせた。そしてその歌を聞かせてくれた。やがて友達は市の医学校に行ってしまう。ふたりとも半白の頭髪をいただくようになって、町医者となった友達と再会したが、この話をすると、かれは特別にはそれを思い出さないと言う。


しかも(私の魂)は記憶する

そして私さへ信じない一篇の詩が

私の唇にのぼつて来る

私はそれを君の老年のために

書きとめた


このようにして成立したとされる詩を、まだ少年の僕が読んで、それまで印刷されたものをつうじて経験をしたことのない激しさの感情をあじわったのである。身体の芯に火の玉があり、その熱でシュッシュッと湯気がたつような涙が噴出するのに茫然としながら……

まったく、こうしたことはある、と僕は感じ入っていたのだ。その時、僕はやはり山のへりの生家に、新制高校三年の夏休でかえってきたところ。この年の七月、創元社の選書で出た詩集をなんらかの本能にみちびかれてすぐさま買っていたことが、いま詩人の年譜を見てわかる。狭い川をへだてる栗の林には時鳥や郭公が啼き、それは直接この前の帰郷の際の鶯の声を思い出させた。こちらも鶯を呼ぶことにたくみで、それのみならず僕にこの谷間の植生に始まり宇宙のなりたちにいたるまで、それこそ森羅万象の指南をしてくれた友達は村を去っていた。僕の方も市に出ていながら、しかしかれが去ったことを不当に感じていた。やがて自分らは再会するにちがいないが、たがいに半白の頭をかかげながら話すうち、友達は僕に教えてくれた最上のことは忘れていることを認めるだろう、特別にはそれを思ひ出せないと、微笑しながらであれ……  その時、僕はなお、しかし (私の魂)は記憶する、と静かな確信をこめていいかえしうるだろうか? (私の魂)といふことは言へない、とも……(略)


さてこの頃、京都のフランス文学者S氏が、この詩人について書かれた本を当の学者の別の主題の本に感銘した続きとして読んだ。そしてこれまではどの解説者も、あの僕がもっとも大切に思う詩について冷淡であったのに、S氏が懇切な読み解きをされているのに出くわした のである。しかもそれは、少年時からの自分の思い込みを覆えしてしまう解釈なのであった!

それでいて、この詩人の専門研究者としては確かにこう解釈されるほかにないだろうと納得があったのは、刊行時の詩集におさめられた順序で前後の作品がしっかりと読みとられ、そこに成立する解釈の枠組にこの詩の内包する思想がつなぎとめられていたからだ。

まずS氏は、先行する『寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ』という詩と関係付けていられた。


耀かしかつた短い日のことを

ひとびとは歌ふ


しかし自分はそうではないと、詩人はかれに重要な暗喩であることがその愛したジッドの作品を介してもあきらかな、この世界にひろがる「沼」について語りつついう。


私はうたはない

短かかつた耀かしい日のことを

寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ


そして詩人からこの詩を示された老人が、そうだ、 (私の魂) といふことは言へない/その証拠を私は君に語らう、と応じるかたちで「鶯」の詩が書き記された、というのだ。老人は山ぎわに住んでいた幼時の友達のほかならぬその魂が、ロ笛で呼ばれた鶯だと信じていた。しかし友達はそのことを思い出しもしない。魂とはそのようにあやふやなものなのだ(私の魂)といふことは言へない。しかも(私の魂)は記憶する。永い間、あの鶯のことを忘れないでいたのが(私の魂)である以上 ……


S氏によれば、詩人は魂の自発性を信じず、いわば楽器のような魂を外部から訪ずれたものが鳴らすのだと考えていたという。寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ。外部にある耀かしい日たち、かれらが(私の魂)を訪ずれて、魂という楽器を鳴らすように、私のけふの日を歌ふのだ。それ自体の、中心的な力としての歌を自発して歌いいずる(私の魂)というものはない。しかしいったん楽器として鳴り響かせた歌を(私の魂)は記憶する……(大江健三郎「火をめぐらす鳥」1991年)