2021年1月16日土曜日

愛の欲動は死の欲動である[Liebestriebe ist Todestriebe]

 


ラカンは次のように言った。


すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort](Lacan, E848, 1966年)

(表向きの言説ではなく)フロイトの別の言説が光を照射する。フロイトにとって、死は愛である[Un autre discours est venu au jour, celui de Freud, pour quoi la mort, c'est l'amour. ](Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)


つまりフロイトはエロスとタナトスの二元論を表向きには語っているが、どちらも事実上、死の欲動だとしたのである。いわゆる欲動一元論である。


以下、その内実を確認する。


エロスは接触を求める。自我と愛する対象との融合を求め、両者のあいだの間隙を廃棄(止揚)しようとする[Der Eros will die Berührung, denn er strebt nach Vereinigung, Aufhebung der Raumgrenzen zwischen Ich und geliebtem Objekt. ](フロイト『制止、症状、不安』第6章、1926年)

エロスは二つが一つになることを基盤にしている[l'Éros se fonde de faire de l'Un avec les deux](Lacan, S19,  03 Mars 1972 Sainte-Anne)


ラカンの大他者の享楽は享楽自体(現実界の享楽)であり、かつフロイトのエロス のことである。


大他者の享楽は不可能である。大他者の享楽はフロイトのエロスのことであり、一つになるという神話である。だがどうあっても、二つの身体が一つになりえない。…ひとつになることがあるとしたら、死に属するものの意味に繋がるときだけである。Cette jouissance de l'Autre, dont chacun sait à quel point c'est impossible, et contrairement même au mythe, enfin qu'évoque FREUD, qui est à savoir que l'Éros ça serait de faire Un, mais justement c'est de ça qu'on crève, c'est qu'en aucun cas deux corps ne peuvent en faire qu'Un, […] S'il y a quelque chose qui fait l'Un, c'est quand même bien le sens, le sens de l'élément, le sens de ce qui relève de la mort.  (Lacan, La troisième, 1er Novembre 1974、摘要訳)


ーーここにエロスとしての大他者の享楽は死に繋がるとあることにまず注目しておこう。


ところで大他者の享楽の「大他者」とは、大他者の欲望の「大他者」ーーコミュニケーションの大他者ーーとは異なり、身体のことである。


大他者は身体である![L'Autre c'est le corps!] (Lacan, S14, 10 Mai 1967)

大他者の享楽ーーこの機会に強調しておけば、ここでの大他者は「大他者の性」であり、さらに注釈するなら、大他者を徴示するのは身体である[la jouissance de l'Autre - avec le grand A que j'ai souligné en cette occasion - c'est proprement celle de « l'Autre sexe »,  et je commentais : « du corps qui le symbolise ». ](ラカン, S20, 19  Décembre 1972)


さらに、この大他者という身体は「喪われた対象=喪われた身体」である。


享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…大他者の享楽? 確かに! [« jouissance de l'Autre » ? Certes !   ]〔・・・〕


享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)


そしてモノとしての喪われた身体とは究極的には母胎である。


モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)

例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance , et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.](Lacan,   S11, 20 Mai 1964)


母胎を取り戻すことは事実上、母なる大地への帰還である。したがって大他者の享楽=現実界の享楽は、死にかかわり、死の欲動である。


ここ(シェイクスピア『リア王』)に描かれている三人の女たちは、生む女、パートナー、破壊者としての女 [Vderberin Die Gebärerin, die Genossin und die Verderberin]である。それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係である。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であることもできよう[Oder die drei Formen, zu denen sich ihm das Bild der Mutter im Lauf des Lebens wandelt: ]


すなわち、母それ自身と、男が母の像を標準として選ぶ恋人と、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地[Die Mutter selbst, die Geliebte, die er nach deren Ebenbild gewählt, und zuletzt die Mutter Erde]である。


そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、そういう女の愛情をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神[die dritte der Schicksalsfrauen, die schweigsame Todesgöttin]のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『三つの小箱』1913年)



モノについてラカンはこうも言っている。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel …la mort, dont c'est  le fondement de Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976)

モノは母である[das Ding, qui est la mère ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)


そして先程引用した《享楽の対象としてのモノは喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…cet objet perdu]》(Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)

この4文を組み合わせれば、

喪われた母は死の欲動である」となる。


母の喪失というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この喪われた対象[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)


備給とあるが、《備給はリビドーに代替しうる [»Besetzung« durch »Libido« ersetzen》]》(フロイト『無意識』1915年)


そして、


リビドーは愛の欲動である[Libido ist …Liebestriebe](フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年、摘要)

究極的には死とリビドーは繋がっている[finalement la mort et la libido ont partie liée]. (J.-A. MILLER,   L'expérience du réel dans la cure analytique - 19/05/99)

享楽の名、それはリビドーというフロイト用語と等価である[le nom de jouissance…le terme freudien de libido auquel, par endroit, on peut le faire équivaloir.](J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 30/01/2008)


つまり喪われた母を取り戻す運動が愛の欲動=享楽だということになり、これが死の欲動でもある。



フロイトはこうも言っている。

乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢[der Säugling schon das jedesmalige Zurückziehen der Mutterbrust als Kastration」つまり、自己身体の重要な一部の喪失[Verlust eines bedeutsamen, zu seinem Besitz gerechneten Körperteils] と感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為[Geburtsakt ]がそれまで一体であった母からの分離[Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war]として、あらゆる去勢の原像[Urbild jeder Kastration]であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)



ここにあるようにフロイトにとって「去勢された対象=喪われた対象」は必ずしも常に子宮ではないが、究極的にはやはり子宮=母胎である。


喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)

以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, ](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)




……………


次にマゾヒズム観点から見てみよう。


死への道…それはマゾヒズムについての言説である。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[Le chemin vers la mort… c'est un discours sur le masochisme …le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance]. (ラカン, S17, 26 Novembre 1969)


ーーここでラカンは享楽は死の欲動だと言っていると見なしてよい。


フロイトはマゾヒズム を死の欲動だとした。


マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に居残ったままでありうる。


Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. …daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben〔・・・〕


我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない。Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann. (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


このマゾヒズムがラカンの現実界の享楽である。


享楽は現実界である。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert ](Lacan, S23, 10 Février 1976)


ところでラカンはマゾヒズムと原ナルシシズムを関連付けている。


マゾヒストは決して次のことによって定義されるものではない、すなわち苦痛や苦痛のなかの快、快のための苦痛ではない[le masochiste ne peut aucunement être défini : ni souffrir, à avoir du plaisir  dans la souffrance, ni souffrir pour le plaisir.]


マゾヒストを唯一明示しうるのは、対象aの機能を持ち出す以外ない。それがまったき本質である。私は信じている、重要なのはかつて原ナルシシズムのため確保されていた場処に目星をつけなければならないと[On ne peut articuler le masochiste qu'à faire entrer…que la fonction de l'objet(a) en particulier y est absolument essentielle. Je crois que l'important  de ce que…peut être repéré à la place anciennement réservée au narcissisme primaire. ](Lacan, S13, 22 juin 1966)


ーーここで対象aと言っているのは喪われた対象aである。


喪われた対象aの形態…永遠に喪われている対象の周りを循環すること自体が対象aの起源である[la forme de la fonction de l'objet perdu (a), …l'origine…il est à contourner cet objet éternellement manquant. ](Lacan, S11, 13 Mai 1964)

例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance , et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.](Lacan,   S11, 20 Mai 1964)


先ほどモノ=母であることを見たが、モノは対象aでもあるーー《セミネールVIIに引き続く引き続くセミネールで、モノは対象aになる[dans le Séminaire suivant(le Séminaire VII), das Ding devient l'objet petit a. ]》( J.-A. MILLER,  L'Être et l'Un - 06/04/2011)


モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)

母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).  ](Lacan, S10, 15 Mai 1963)


結局、究極の喪われた対象aとはやはり子宮なのである。


喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


原ナルシシズム欲動の原点は喪われた子宮内生活を取り戻す運動であり、これが原マゾヒズム欲動である。


子宮内生活は原ナルシシズムの原像である[la vie intra-utérine serait le prototype du narcissisme primaire] (Jean Cottraux, Tous narcissiques, 2017)

自我の発達は原ナルシシズムから距離をとることによって成り立ち、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす[Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.](フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)


原ナルシシズムとは出生とともに喪われる。


人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む[haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt ](フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)



原マゾヒズム欲動=原ナルシシズム欲動としての享楽は、沈黙の死の女神としての母なる大地への回帰欲動である。


真理についての唯一の問い、それはフロイトによって名付けられた死の本能 、享楽という原マゾヒズムである[cette question qui est la seule, sur la vérité et ce qui s'appelle - et que FREUD a nommée - l'instinct de mort, le masochisme primordial de la jouissance](Lacan, S13, June 8, 1966)




以上で愛の欲動が死の欲動であることが十全に確認できた筈である。



最後に上に引用した文と一部重なるが、ラカンの享楽の喪失とはフロイトの愛の喪失と等価であることを示しておこう。

◼️享楽の喪失[déperdition de jouissance]=愛の喪失[Liebesverlust]

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]。〔・・・〕

フロイトは強調している、反復自体のなかに、享楽の喪失があると[FREUD insiste :  que dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]。ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能がある。これがフロイトだ[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD]〔・・・〕

フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽」への探求の相がある。conçu seulement sous cette dimension de la recherche de cette jouissance ruineuse, que tourne tout le texte de FREUD.〔・・・〕


享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…大他者の享楽? 確かに! [« jouissance de l'Autre » ? Certes !   ]〔・・・〕


享楽の対象としてのモノは、喪われた対象である[Objet de jouissance…la Chose… cet objet perdu]  (Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)


愛の喪失の不安[Angst vor dem Liebesverlust]は明瞭に、母の不在を見出したときの幼児の不安、その不安の後年の生で発展形である。あなた方は悟るだろう、この不安によって示される危険状況がいかにリアルなものかを。母が不在あるいは母が幼児から愛を退かせたとき、幼児の欲求の満足はもはや確かでない。そして最も苦痛な緊張感に曝される。次の考えを拒絶してはならない。つまり不安の決定因はその底に出生時の原不安の状況[die Situation der ursprünglichen Geburtsangst] を反復していることを。それは確かに母からの分離[Trennung von der Mutter]を示している。


die Angst vor dem Liebesverlust, ersichtlich eine Fortbildung der Angst des Säuglings, wenn er die Mutter vermißt.   Sie verstehen, welche reale Gefahrsituation durch diese Angst angezeigt wird. Wenn die Mutter abwesend ist oder dem Kind ihre Liebe entzogen hat, ist es ja der Befriedigung seiner Bedürfnisse nicht mehr sicher, möglicherweise den peinlichsten Spannungsgefühlen ausgesetzt. Weisen Sie die Idee nicht ab, daß diese Angstbedingungen im Grunde die Situation der ursprünglichen Geburtsangst wiederholen, die ja auch eine Trennung von der Mutter bedeutete. (フロイト『新精神分析入門』第32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)



…………………



こうして、次の注釈が正当化される。


死は、ラカンが享楽と翻訳したものである[death is what Lacan translated as Jouissance.](J.-A. MILLER, A AND a IN CLINICAL STRUCTURES、1988年)

死は享楽の最終形態である[death is the final form of jouissance](PAUL VERHAEGHE,  Enjoyment and Impossibility, 2006)


ラカンによる享楽とは何か。…そこには秘密の結婚がある。エロスとタナトスの恐ろしい結婚である[Qu'est-ce que c'est la jouissance selon Lacan ? –…Se révèle là le mariage secret, le mariage horrible d'Eros et de Thanatos. ](J. -A. MILLER, LES DIVINS DETAILS,  1 MARS 1989)

享楽という語は、二つの満足ーーリビドーの満足と死の欲動の満足ーーの価値をもつ一つの語である[Le mot de jouissance est le seul qui vaut pour ces deux satisfactions, celle de la libido et celle de la pulsion de mort. ](J. -A. MILLER,  L'OBJET JOUISSANCE , 2016/3 )

リビドーは愛の欲動である[Libido ist …Liebestriebe](フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年、摘要)


以上、享楽は愛の欲動プラス死の欲動である。