2022年8月28日日曜日

前エディプス的同一化と超自我と固着


◼️前エディプス的同一化とエディプス的同一化


フロイトにおいて同一化は大きく二種類ある。前エディプス的同一化とエディプス的同一化である。


フロイトは女児を事例に次のように書いている。


女性の母との同一化は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期の相、すなわち母への情動的結びつきと母をモデルとすること。そして、② エディプスコンプレックスから来る後の相、すなわち、母を追い払い、母の場に父を置こうと試みること。

Die Mutteridentifizierung des Weibes läßt zwei Schichten erkennen, die präödipale, die auf der zärtlichen Bindung an die Mutter beruht und sie zum Vorbild nimmt, und die spätere aus dem Ödipuskomplex, die die Mutter beseitigen und beim Vater ersetzen will. (フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『続・精神分析入門講義』第33講、1933年)


ーー前エディプス的母との同一化とエディプス的母との同一化の二種類が示されている。


上の文が示しているが、フロイトが最晩年に次のように書いているのは、エディプス的母との同一化に関わり、前エディプス的母との同一化の作用ではない。


母との同一化は、母との結びつきを押し退ける[Die Mutteridentifizierung kann nun die Mutterbindung ablösen](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)



では男児はどうだろうか。

父との同一化と同時に、おそらくはそれ以前にも、男児は、母への依存型の本格的対象備給を向け始める[Gleichzeitig mit dieser Identifizierung mit dem Vater, vielleicht sogar vorher, hat der Knabe begonnen, eine richtige Objektbesetzung der Mutter nach dem Anlehnungstypus vorzunehmen.](フロイト『集団心理学と自我の分析』第7章「同一化」、1921年)


ーーフロイトは父との同一化以前の母への対象備給を示しているが、これが同一化である。

個人の原始的な口唇期の初めにおいて、対象備給と同一化は互いに区別されていなかった[Uranfänglich in der primitiven oralen Phase des Individuums sind Objektbesetzung und Identifizierung wohl nicht voneinander zu unterscheiden. ](フロイト『自我とエス』第3章、1923年)


すなわち男児においても二種類あるのである。母との同一化と父との同一化である。

確認しておこう。

単純な場合、男児では次のように形成されてゆく。非常に幼い時期に、母にたいする対象備給[Mutter eine Objektbesetzung]がはじまり、対象備給は哺乳を出発点とし、依存型[Anlehnungstypus] の対象選択の原型を示す一方、男児は同一化 [Identifizierung]によって父をわがものとする。この二つの関係はしばらく並存するが、のちに母への性的願望[sexuellen Wünsche] がつよくなって、父がこの願望の妨害者であることをみとめるにおよんで、エディプスコンプレクスを生ずる。ここで父との同一化は、敵意の調子をおびるようになる、母にたいする父の位置を占めるために、父を除外したいという願望にかわる[Die Vateridentifizierung nimmt nun eine feindselige Tönung an, sie wendet sich zum Wunsch, den Vater zu beseitigen, um ihn bei der Mutter zu ersetzen. ]


そののち、父との関係はアンビヴァレントになる。最初から同一化の中にふくまれるアンビヴァレントは顕著になったようにみえる。この父にたいするアンビヴァレントな態度と母を単なる愛情の対象として得ようとする努力が、男児のもつ単純で積極的なエディプス・コンプレクスの内容になるのである。


エディプスコンプレクスの崩壊[Zertrümmerung des Ödipuskomplexes]がなされるときには、母の対象備給[Objektbesetzung der Mutter] が放棄(止揚 aufgegeben)されなければならない。そしてそうなるためには二通りの道がありうる。すなわち、母との同一化[Identifizierung mit der Mutter ]か父との同一化の強化[Verstärkung der Vateridentifizierung] のいずれかである。後者の結末を、われわれはふつう正常なものとみなしている。これは、母にたいする愛情の関係をある程度までたもつことをゆるす。(フロイト『自我とエス』第3章、1923年)



エディプス的同一化とは、女児の母の場合と同様、場との同一化、父や母の場を占めて追い出そうとすることなのである。


父との同一化は父の場に自らを置くことである[Identifizierung mit dem Vater, an dessen Stelle er sich dabei setzte. ](フロイト『モーセと一神教』「3.1」, 1938年)





◼️前エディプス的母への固着と前エディプス的母との同一化


ここで冒頭に掲げた「女性性」の叙述の文も含めその前段を引用する。


女児の人形遊び。これは女性性の表現ではない。人形遊びは、母との同一化によって受動性を能動性に代替する意図がある。女児は母を演じるのである。そして人形は彼女自身である。今、彼女は母がかつてしてくれたことのすべてを人形に対してすることができる。

das war ja der Sinn ihres Spieles mit Puppen. Aber dies Spiel war nicht eigentlich der Ausdruck ihrer Weiblichkeit, es diente der Mutteridentifizierung in der Absicht der Ersetzung der Passivität durch Aktivität. Sie spielte die Mutter und die Puppe war sie selbst; nun konnte sie an dem Kind all das tun, was die Mutter an ihr zu tun pflegte.〔・・・〕


少女のエディプスコンプレクスは、前エディプス的な母との結びつきの洞察を覆い隠してきた。しかし、この母との結びつきはこよなく重要であり永続的な固着を置き残す。Der Ödipuskomplex des Mädchens hat uns lange den Einblick in dessen präödipale Mutterbindung verhüllt, die doch so wichtig ist und so nachhaltige Fixierungen hinterläßt. 〔・・・〕


要するに我々は前エディプス的な母への結びつきを把握しなければ女というものを理解できないと信じるようになった。

Kurz, wir gewinnen die Überzeugung, daß man das Weib nicht verstehen kann, wenn man nicht diese Phase der präödipalen Mutterbindung würdigt. 〔・・・〕


前エディプス期の固着への退行はとてもしばしば起こる。女性の生の過程で、(前エディプス期とエディプス期以後のあいだの)反復される交替がある。

Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig; 〔・・・〕


女性の母との同一化は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期の相、すなわち母への情動的結びつきと母をモデルとすること。そして、② エディプスコンプレックスから来る後の相、すなわち、母を追い払い、母の場に父を置こうと試みること。

Die Mutteridentifizierung des Weibes läßt zwei Schichten erkennen, die präödipale, die auf der zärtlichen Bindung an die Mutter beruht und sie zum Vorbild nimmt, und die spätere aus dem Ödipuskomplex, die die Mutter beseitigen und beim Vater ersetzen will.


どちらの相も、後に訪れる生に多大な影響を残すのは疑いない。そしてどちらの相も、生の過程において充分には克服されない。しかし前エディプス期の相における情動的結びつきが女性の未来にとって決定的である。

Von beiden bleibt viel für die Zukunft übrig, man hat wohl ein Recht zu sagen, keine wird im Laufe der Entwicklung in ausreichendem Maße überwunden. Aber die Phase der zärtlichen präödipalen Bindung ist die für die Zukunft des Weibes entscheidende; (フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『新精神分析入門講義』第33「女性性 Die Weiblichkeit」 1933年)



ここでは固着と同一化が等置されているのがわかる。


「前エディプス的固着」と「前エディプス的母との同一化」である。


つまり母への固着とは前エディプス的母との同一化と同一なものとして扱いうる。

おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年)

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her],(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)





◼️ 前エディプス的同一化と超自我と固着


ところでフロイトは同一化によって超自我が生じるとしている。

超自我への取り入れ[Introjektion ins Über-Ich]……幼児は、優位に立つ権威を同一化によって自分の中に取り入れる。 するとこの他者は、幼児の超自我になる[das Kind ...indem es diese unangreifbare Autorität durch Identifizierung in sich aufnimmt, die nun das Über-Ich wird ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第7章、1930年)


さらに超自我の設置により固着が生じると。

超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


もうひとつ次の文から母は超自我と読める。

心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく想定される。Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年)


ーー超自我は自我とエスを分離する審級で、幼児の依存にかかわると記されている。


最初期の幼児の依存[kindlicher Abhängigkeit]の対象は、母への依存性[Mutterabhängigkeit](フロイト『女性の性愛 』第1章、1931年)であるだろう。

以上から、前エディプス的母との同一化[Mutteridentifizierung präödipale]は、母への固着[Fixierung an die Mutter]=超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]することができる。


母が原超自我であることは、ラカンが既に語っていることでもある。

母なる超自我は原超自我である[le surmoi maternel… est le surmoi primordial   ]〔・・・〕

母なる超自我に属する全ては、この母への依存の周りに表現される[c'est bien autour de ce quelque chose qui s'appelle dépendance que tout ce qui est du surmoi maternel s'articule](Lacan, S5, 02 Juillet 1958、摘要)



以上、ここでは次の三つはフロイトにおいて等置しうることを示した。









2022年8月26日金曜日

死の欲動図

 以下、フロイトラカンにおいて死の欲動は大きくいって二つの意味があることを示す。

まず基本的なところから始める。

ラカンの享楽は穴(トラウマ)であり、剰余享楽は穴埋めである。

◼️享楽の穴と剰余享楽の穴埋め

装置が作動するための剰余享楽の必要性がある。つまり享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la nécessité du plus-de-jouir pour que la machine tourne, la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

ラカンは享楽と剰余享楽を区別した。…空胞化された、穴としての享楽と、剰余享楽としての享楽[la jouissance comme évacuée, comme trou, et la jouissance du plus-de-jouir]である。対象aは穴と穴埋めなのである[petit a est …le trou et le bouchon]。(J.-A. Miller, Extimité, 16 avril 1986、摘要)


※対象aは穴(トラウマ)としての享楽自体と穴に対する防衛としての剰余享楽がある。

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である[l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel] (Lacan, S16, 27 Novembre 1968)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

(ボロメオの環の)中心の楔は対象aを定義する。これが剰余享楽の場である。[le coincement central définit l'objet(a). …c'est sur cette place du plus-de-jouir](ラカン、三人目の女 La troisième, 1er Novembre 1974)

剰余享楽は言説の効果の下での享楽の廃棄の機能である[Le plus-de-jouir est fonction de la renonciation à la jouissance sous l'effet du discours. ](Lacan, S16, 13  Novembre  1968)


◼️幻想の式 $ ◊ a  は穴と穴埋めである。

$ ◊ a は幻想の式である[ $ ◊ a formule du fantasme],(Lacan, S10, 05  Décembre  1962)

現実界のなかの穴は主体である[Un trou dans le réel, voilà le sujet]. (Lacan, S13, 15 Décembre 1965)

幻想が主体にとって根源的な場をとるなら、その理由は主体の穴を穴埋めするためである。[Si le fantasme prend une place fondamentale pour le sujet, c'est qu'il est appelé à combler le trou du sujet ]  (J.-A. Miller, DU SYMPTÔME AU FANTASME, ET RETOUR, 8 décembre 1982)



◼️主体の穴は享楽の穴(斜線引かれた享楽)である

ラカンは強調した、疑いもなく享楽は主体の起源に位置付けられると[Lacan souligne que la jouissance est sans doute ce qui se place à l'origine du sujet](J.-A. Miller, Une lecture du Séminaire D'un Autre à l'autre, 2007)

斜線を引かれた享楽は斜線を引かれた主体と等価である[(- J) ≡ $]

le « J » majuscule du mot « Jouissance », le prélever pour l'inscrire et le barrer …- équivalente à celle du sujet :(- J) ≡ $  (J.-A. MILLER, Tout le monde est fou, 04/06/2008)



以上、次の三つの式は同一である。





中心の菱形紋は厳密には次のように書く。




これは穴の穴埋めをするが、穴は厳密には埋まらず回転運動が起こるということを示しており、フロイトの反復強迫である(人には欲動と欲動の昇華があるが、昇華が完全になされることはないゆえの反復)。



この反復強迫自体、フロイトの定義において死の欲動である。


われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)


……………


だが死の欲動には別の相がある。自己破壊欲動である。


欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕

自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)


この自己破壊欲動はマゾヒズムとしての死の欲動である。

マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている[Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. ]〔・・・〕

我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない[ Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann.] (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


ラカンのセミネールⅩⅩⅢにおける現実界の享楽の定義は、このマゾヒズムとしての死の欲動である。


享楽は現実界にある。現実界の享楽はマゾヒズムから構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert, ](Lacan, S23, 10 Février 1976)

死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel … la mort, dont c'est  le fondement de Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976)


これはセミネールⅩⅦでも既に明瞭に示されている。

死への道…それはマゾヒズムについての言説である。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[Le chemin vers la mort… c'est un discours sur le masochisme …le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance]. (ラカン、S17、26 Novembre 1969)


ところでマゾヒズムはなぜ死に繋がるのだろうか。ラカンはマゾヒズムと原ナルシシズムを結びつけている。

マゾヒストは決して次のことによって定義されるものではない、すなわち苦痛や苦痛のなかの快、快のための苦痛ではない[le masochiste ne peut aucunement être défini : ni souffrir, à avoir du plaisir  dans la souffrance, ni souffrir pour le plaisir.]

マゾヒストを唯一明示しうるのは、対象aの機能を持ち出す以外ない。それがまったき本質である。私は信じている、重要なのはかつて原ナルシシズムのため確保されていた場処に目星をつけなければならないと[On ne peut articuler le masochiste qu'à faire entrer…que la fonction de l'objet(a) en particulier y est absolument essentielle. Je crois que l'important  de ce que…peut être repéré à la place anciennement réservée au narcissisme primaire. ](Lacan, S13, 22 juin 1966)


この原ナルシシズムはフロイトの次の二文に相当する。


自我の発達は原ナルシシズムから距離をとることによって成り立ち、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす[Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.」(フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)

人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む[haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt](フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)


出生にともなって喪われた原ナルシシズムを取り戻そうとするのが原ナルシシズム欲動であり、つまりは母胎回帰欲動である。



以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)

人には、出生とともに放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939)


母胎回帰とは事実上、母なる大地への回帰であり、この欲動は直接的に死に関わる。

ラカンの享楽の原像ーー斜線を引かれていない享楽ーーはこの子宮内生活という原ナルシシズム状態である。


子宮内生活は、まったき享楽の原像である。原ナルシシズムはその始まりにおいて、自我がエスから分化されていない原状態として特徴付けられる。

La vie intra-utérine est l'archétype de la jouissance parfaite. Le narcissisme primaire est, dans ses débuts, caractérisé par un état anobjectal au cours duquel le moi ne s'est pas encore différencié du ça.  (Pierre Dessuant, Le narcissisme primaire, 2007)

子宮内生活は原ナルシシズムの原像である[la vie intra-utérine serait le prototype du narcissisme primaire] (Jean Cottraux, Tous narcissiques, 2017)


この原ナルシシズム(原自体性愛)としての享楽の原像の別名が死である。


死は愛である [la mort, c'est l'amour.] (Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)

死は、ラカンが享楽と翻訳したものである[death is what Lacan translated as Jouissance.](J.-A. MILLER, A AND a IN CLINICAL STRUCTURES1988年)

死は享楽の最終形態である[death is the final form of jouissance](PAUL VERHAEGHE,  Enjoyment and Impossibility, 2006


したがって先程示した「斜線を引かれた享楽 ◊ 剰余享楽」という反復強迫としての死の欲動以外に、実際に生物学的死に向かう死の欲動がある。


ここでは次の形で図示しておこう。




右サイドの剰余享楽では享楽の穴は埋まらない。左サイドの死によって享楽の穴は初めて埋まる。





2022年8月24日水曜日

異者なる夢の臍文献

 以下、「暗闇に置き残された異者なる夢の臍」文献。

暗闇に置き残された夢の臍 [im Dunkel lassen…Nabel des Traums](フロイト『夢解釈』第7章、1900年、摘要)

暗闇に蔓延る異者 [wuchert dann… im Dunkeln…fremd](フロイト『抑圧』1915年、摘要)



…………………。


◼️『夢解釈』における欲動蠢動[Triebregungen]と太古の遺伝[archaischen Erbschaft]

夢を見るということは、一般的にいえば、その本人の最初期の状況への部分的退行であり、その本人の幼児期の回帰、その幼児時代に支配的だった欲動蠢動 [Triebregungen]や幼児時代に駆使しえた表出方法の回帰ではあるまいかという印象をもつ。

Das Träumen sei im ganzen ein Stück Regression zu den frühesten Verhältnissen des Träumers, ein Wiederbeleben seiner Kindheit, der in ihr herrschend gewesenen Triebregungen und verfügbar gewesenen Ausdrucksweisen. 


しかしこの個人の幼年期の背後には、系統発生的な幼年期、つまり人類の発展が顔を覗かせている。それにくらべると、個々人の幼年期は、人類の幼年期の短縮された、偶然の生活諸事情によって影響された繰返しにほかならない。ニーチェは夢の中には「一片の原始の人間性がはたらきつづけており、われわれはそこへ直接にはほとんど到達しがたい」といっているが、この言葉がいかに適切なものであるかがよくわかるような気がする。 

Hinter dieser individuellen Kindheit wird uns dann ein Einblick in die phylogenetische Kindheit, in die Entwicklung des Menschengeschlechts, versprochen, von der die des einzelnen tatsächlich eine abgekürzte, durch die zufälligen Lebensumstände beeinflußte Wiederholung ist. Wir ahnen, wie treffend die Worte Fr. Nietzsches sind, daß sich im Traume »ein uraltes Stück Menschtum fortübt, zu dem man auf direktem Wege kaum mehr gelangen kann«, 


そしてわれわれは夢を分析することによって、人間の太古の遺伝[archaischen Erbschaft]、人間の中の、心的に生れ持ったものを認識できはしないかと思うのである。夢と神経症とは、われわれが想像する以上に人間の心の古い面を保存しているらしく思われる。 それゆえ精神分析学は、人類の端緒の最古幽暗の諸段階の再構成を目ざす諸学問中にあって、ひとつの高い位置を要求する権利を思うのである。

und werden zur Erwartung veranlaßt, durch die Analyse der Träume zur Kenntnis der archaischen Erbschaft des Menschen zu kommen, das seelisch Angeborene in ihm zu erkennen. Es scheint, daß Traum und Neurose uns mehr von den seelischen Altertümern bewahrt haben, als wir vermuten konnten, so daß die Psychoanalyse einen hohen Rang unter den Wissenschaften beanspruchen darf, die sich bemühen, die ältesten und dunkelsten Phasen des Menschheitsbeginnes zu rekonstruieren. 

(フロイト『夢解釈』第7章「夢過程の心理学に向けて」B退行、1900年)


フロイトがエス概念を正式に初めて提出したのは1923年の『自我とエス』だが、『夢解釈』の時点で事実上、それを語っているのである。



①太古の遺伝=エス

「太古の遺伝」ということをいう場合には、普通はただエスのことを考えている[Wenn wir von »archaischer Erbschaft«sprechen, denken wir gewöhnlich nur an das Es ](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第6章、1937年)


②エスの欲動蠢動=異者としての身体=固着を通した無意識のエスの反復強迫

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。

Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

欲動蠢動は自動反復の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして(原)抑圧においての固着の契機は無意識のエスの反復強迫である[Triebregung  … vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –…Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)


……………


◼️暗闇に置き残された夢の臍、あるいは菌糸体

どんなにうまく解釈しおおせた夢にあっても、ある箇所は暗闇に置き残す [im Dunkel lassen]ことを余儀なくさせられることがしばしばある。それは、その箇所にはどうしても解けない夢思想の結び玉 [Knäuel von Traumgedanken]があって、しかもその結び玉は、夢内容になんらそれ以上の寄与をしていないということが分析にさいして判明するからである。

In den bestgedeuteten Träumen muß man oft eine Stelle im Dunkel lassen, weil man bei der Deutung merkt, daß dort ein Knäuel von Traumgedanken anhebt, der sich nicht entwirren will, aber auch zum Trauminhalt keine weiteren Beiträge geliefert hat. 

これはつまり夢の臍[Nabel des Traums]、夢が未知なるもののうえにそこに坐りこんでいる点なのである。解読においてわれわれがつき当る夢思想は、一般的にいうと未完結なままにしておく他ない。そしてそれは四方八方に向って、われわれの観念世界の網の目のごとき迷宮[netzartige Verstrickung unserer Gedankenwel]に通じている。この編物のいっそう目の詰んだ箇所から夢願望が、ちょうど菌糸体からの菌[Pilz aus seinem Mycelium]が頭を出しているように頭を擡げているのである。

Dies ist dann der Nabel des Traums, die Stelle, an der er dem Unerkannten aufsitzt. Die Traumgedanken, auf die man bei der Deutung gerät, müssen ja ganz allgemein ohne Abschluß bleiben und nach allen Seiten hin in die netzartige Verstrickung unserer Gedankenwelt auslaufen. Aus einer dichteren Stelle dieses Geflechts erhebt sich dann der Traumwunsch wie der Pilz aus seinem Mycelium. 

(フロイト『夢解釈』第7章「夢過程の心理学に向けて」A夢の忘却、 1900年)



この暗闇に置き残された夢の臍とは固着に伴う異者(異者としての身体)である。



◼️「原抑圧=欲動の表象代理=固着」に伴い「暗闇に蔓延る異者」

われわれには原抑圧、つまり欲動の心的(表象-)代理[psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes]が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着[Fixerung]が設置される。すなわち、その欲動の表象代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動の拘束が生じる。

Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden. 〔・・・〕

欲動代理は(原)抑圧により意識の影響をまぬがれると、よりいっそう自由に豊かに展開する。それはいわば暗闇に蔓延り[wuchert dann sozusagen im Dunkeln ]、極端な表現形式を見いだし、異者[fremd]のようなものして現れる。

die Triebrepräsentanz sich ungestörter und reichhaltiger entwickelt, wenn sie durch die Verdrängung dem bewußten Einfluß entzogen ist. Sie wuchert dann sozusagen im Dunkeln und findet extreme Ausdrucksformen, […] fremd erscheinen müssen

(フロイト『抑圧』1915年)


◼️原抑圧された欲動=欲動の固着

➡︎固着点への回帰[Wiederkehr an die Stelle der Fixierung]

「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕


①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕


この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに③の抑圧の相を生み出す決定因となる。[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ]


②正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期[Nachdrängen]の抑圧である。〔・・・〕①の原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe] がこの二段階目の抑圧に貢献する。


③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ]


この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年、摘要)


◼️欲動の対象=固着

欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。

Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. [...] Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト「欲動とその運命』1915年)




◼️リビドー固着という残滓(エスへの置き残し)=異者という身体の原無意識

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着という残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者としての身体は原無意識としてエスに置き残されたままである[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


◼️トラウマ=異者としての身体のレミニサンス

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)



異者のレミニサンスとは、ラカンの現実界のトラウマのレミニサンスである。


◼️現実界のトラウマのレミニサンス

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。…これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)


ラカンは夢の臍を聖痕(スティグマ)としているが、これこそ固着の聖痕である。


◼️ラカンにおける夢の臍=聖痕=欲動の現実界=穴(トラウマ)=原抑圧

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。欲動は身体の空洞に繋がっている。il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou. C'est-à-dire ce qui fait que la pulsion est liée aux orifices corporels.〔・・・〕


この穴と原抑圧との関係、これが起源にかかわる問いである。私は信じている、フロイトの「夢の臍」を文字通り取らなければならない。それは穴である。それは分析の限界に位置する何ものかである。

La relation de cet Urverdrängt, de ce refoulé originel, puisqu'on a posé une question concernant l'origine tout à l'heure, je crois que c'est ça à quoi Freud revient à propos de ce qui a été traduit très littéralement par ombilic du rêve. C'est un trou, c'est quelque chose qui est à la limite de l'analyse.〔・・・〕

この穴は特定の臍における効果である。…われわれは生み出される間に、臍の緒によって宙吊りになっている。瞭然としているのは、母の臍ではなく胎盤によって宙吊りにされていることだ。というのは、人は子宮から生まれるのだから。…臍は聖痕である。C'est effectivement à un ombilic particulier, …que quelqu'un s'est trouvé en somme suspendu en le reproduisant …par la section pour lui du cordon ombilical. Il est évident que ce n'est pas à celui de sa mère qu'il est suspendu, c'est à son placenta. C'est du fait d'être né de ce ventre‐là …l'ombilic est un stigmate. (Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel … fait « troumatisme ».](ラカン, S21, 19 Février 1974)



◼️固着という聖痕

想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique :  page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige.  Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)

抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation.  ](Lacan, S1, 07 Avril 1954)

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)


先に挙げた文でラカンは固着としての臍の緒を胎盤あるいは子宮の穴としているが、このトラウマの穴は、フロイトラカンにおいて喪失と等価であり[参照]、子宮の喪失という意味である、すなわち《喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)。


さらに《子宮内生活は、まったき享楽の原像である[La vie intra-utérine est l'archétype de la jouissance parfaite. ]》 (Pierre Dessuant, Le narcissisme primaire, 2007)である[参照]。


フロイトの原トラウマとしての母への原固着は、事実上、子宮への固着とすることができる。


◼️フロイトにおける原固着=原トラウマ

出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう「原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)




◼️ラカンの現実界=モノなる異者=言語に同化不能の固着という残滓

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

モノなる異者[Dingen Fremder](フロイト「フリース宛書簡」13. 2. 1896)

同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)


そして固着としてのモノは喪われた母の身体であり、究極的には胎盤である。


享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象の象徴である[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  ](Lacan, S11, 20 Mai 1964)



◼️ラカンにおける究極の異者としての身体

子供はもともと母、母の身体に生きていた [l'enfant originellement habite la mère …avec le corps de la mère]。…子供は、母の身体に関して、異者としての身体、寄生体、子宮のなかの、羊膜によって覆われた身体である[il est,  par rapport au corps de la mère, corps étranger, parasite, corps incrusté par les racines villeuses   de son chorion dans …l'utérus](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)