2022年8月28日日曜日

前エディプス的同一化と超自我と固着


◼️前エディプス的同一化とエディプス的同一化


フロイトにおいて同一化は大きく二種類ある。前エディプス的同一化とエディプス的同一化である。


フロイトは女児を事例に次のように書いている。


女性の母との同一化は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期の相、すなわち母への情動的結びつきと母をモデルとすること。そして、② エディプスコンプレックスから来る後の相、すなわち、母を追い払い、母の場に父を置こうと試みること。

Die Mutteridentifizierung des Weibes läßt zwei Schichten erkennen, die präödipale, die auf der zärtlichen Bindung an die Mutter beruht und sie zum Vorbild nimmt, und die spätere aus dem Ödipuskomplex, die die Mutter beseitigen und beim Vater ersetzen will. (フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『続・精神分析入門講義』第33講、1933年)


ーー前エディプス的母との同一化とエディプス的母との同一化の二種類が示されている。


上の文が示しているが、フロイトが最晩年に次のように書いているのは、エディプス的母との同一化に関わり、前エディプス的母との同一化の作用ではない。


母との同一化は、母との結びつきを押し退ける[Die Mutteridentifizierung kann nun die Mutterbindung ablösen](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)



では男児はどうだろうか。

父との同一化と同時に、おそらくはそれ以前にも、男児は、母への依存型の本格的対象備給を向け始める[Gleichzeitig mit dieser Identifizierung mit dem Vater, vielleicht sogar vorher, hat der Knabe begonnen, eine richtige Objektbesetzung der Mutter nach dem Anlehnungstypus vorzunehmen.](フロイト『集団心理学と自我の分析』第7章「同一化」、1921年)


ーーフロイトは父との同一化以前の母への対象備給を示しているが、これが同一化である。

個人の原始的な口唇期の初めにおいて、対象備給と同一化は互いに区別されていなかった[Uranfänglich in der primitiven oralen Phase des Individuums sind Objektbesetzung und Identifizierung wohl nicht voneinander zu unterscheiden. ](フロイト『自我とエス』第3章、1923年)


すなわち男児においても二種類あるのである。母との同一化と父との同一化である。

確認しておこう。

単純な場合、男児では次のように形成されてゆく。非常に幼い時期に、母にたいする対象備給[Mutter eine Objektbesetzung]がはじまり、対象備給は哺乳を出発点とし、依存型[Anlehnungstypus] の対象選択の原型を示す一方、男児は同一化 [Identifizierung]によって父をわがものとする。この二つの関係はしばらく並存するが、のちに母への性的願望[sexuellen Wünsche] がつよくなって、父がこの願望の妨害者であることをみとめるにおよんで、エディプスコンプレクスを生ずる。ここで父との同一化は、敵意の調子をおびるようになる、母にたいする父の位置を占めるために、父を除外したいという願望にかわる[Die Vateridentifizierung nimmt nun eine feindselige Tönung an, sie wendet sich zum Wunsch, den Vater zu beseitigen, um ihn bei der Mutter zu ersetzen. ]


そののち、父との関係はアンビヴァレントになる。最初から同一化の中にふくまれるアンビヴァレントは顕著になったようにみえる。この父にたいするアンビヴァレントな態度と母を単なる愛情の対象として得ようとする努力が、男児のもつ単純で積極的なエディプス・コンプレクスの内容になるのである。


エディプスコンプレクスの崩壊[Zertrümmerung des Ödipuskomplexes]がなされるときには、母の対象備給[Objektbesetzung der Mutter] が放棄(止揚 aufgegeben)されなければならない。そしてそうなるためには二通りの道がありうる。すなわち、母との同一化[Identifizierung mit der Mutter ]か父との同一化の強化[Verstärkung der Vateridentifizierung] のいずれかである。後者の結末を、われわれはふつう正常なものとみなしている。これは、母にたいする愛情の関係をある程度までたもつことをゆるす。(フロイト『自我とエス』第3章、1923年)



エディプス的同一化とは、女児の母の場合と同様、場との同一化、父や母の場を占めて追い出そうとすることなのである。


父との同一化は父の場に自らを置くことである[Identifizierung mit dem Vater, an dessen Stelle er sich dabei setzte. ](フロイト『モーセと一神教』「3.1」, 1938年)





◼️前エディプス的母への固着と前エディプス的母との同一化


ここで冒頭に掲げた「女性性」の叙述の文も含めその前段を引用する。


女児の人形遊び。これは女性性の表現ではない。人形遊びは、母との同一化によって受動性を能動性に代替する意図がある。女児は母を演じるのである。そして人形は彼女自身である。今、彼女は母がかつてしてくれたことのすべてを人形に対してすることができる。

das war ja der Sinn ihres Spieles mit Puppen. Aber dies Spiel war nicht eigentlich der Ausdruck ihrer Weiblichkeit, es diente der Mutteridentifizierung in der Absicht der Ersetzung der Passivität durch Aktivität. Sie spielte die Mutter und die Puppe war sie selbst; nun konnte sie an dem Kind all das tun, was die Mutter an ihr zu tun pflegte.〔・・・〕


少女のエディプスコンプレクスは、前エディプス的な母との結びつきの洞察を覆い隠してきた。しかし、この母との結びつきはこよなく重要であり永続的な固着を置き残す。Der Ödipuskomplex des Mädchens hat uns lange den Einblick in dessen präödipale Mutterbindung verhüllt, die doch so wichtig ist und so nachhaltige Fixierungen hinterläßt. 〔・・・〕


要するに我々は前エディプス的な母への結びつきを把握しなければ女というものを理解できないと信じるようになった。

Kurz, wir gewinnen die Überzeugung, daß man das Weib nicht verstehen kann, wenn man nicht diese Phase der präödipalen Mutterbindung würdigt. 〔・・・〕


前エディプス期の固着への退行はとてもしばしば起こる。女性の生の過程で、(前エディプス期とエディプス期以後のあいだの)反復される交替がある。

Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig; 〔・・・〕


女性の母との同一化は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期の相、すなわち母への情動的結びつきと母をモデルとすること。そして、② エディプスコンプレックスから来る後の相、すなわち、母を追い払い、母の場に父を置こうと試みること。

Die Mutteridentifizierung des Weibes läßt zwei Schichten erkennen, die präödipale, die auf der zärtlichen Bindung an die Mutter beruht und sie zum Vorbild nimmt, und die spätere aus dem Ödipuskomplex, die die Mutter beseitigen und beim Vater ersetzen will.


どちらの相も、後に訪れる生に多大な影響を残すのは疑いない。そしてどちらの相も、生の過程において充分には克服されない。しかし前エディプス期の相における情動的結びつきが女性の未来にとって決定的である。

Von beiden bleibt viel für die Zukunft übrig, man hat wohl ein Recht zu sagen, keine wird im Laufe der Entwicklung in ausreichendem Maße überwunden. Aber die Phase der zärtlichen präödipalen Bindung ist die für die Zukunft des Weibes entscheidende; (フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『新精神分析入門講義』第33「女性性 Die Weiblichkeit」 1933年)



ここでは固着と同一化が等置されているのがわかる。


「前エディプス的固着」と「前エディプス的母との同一化」である。


つまり母への固着とは前エディプス的母との同一化と同一なものとして扱いうる。

おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年)

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her],(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)





◼️ 前エディプス的同一化と超自我と固着


ところでフロイトは同一化によって超自我が生じるとしている。

超自我への取り入れ[Introjektion ins Über-Ich]……幼児は、優位に立つ権威を同一化によって自分の中に取り入れる。 するとこの他者は、幼児の超自我になる[das Kind ...indem es diese unangreifbare Autorität durch Identifizierung in sich aufnimmt, die nun das Über-Ich wird ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第7章、1930年)


さらに超自我の設置により固着が生じると。

超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


もうひとつ次の文から母は超自我と読める。

心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく想定される。Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年)


ーー超自我は自我とエスを分離する審級で、幼児の依存にかかわると記されている。


最初期の幼児の依存[kindlicher Abhängigkeit]の対象は、母への依存性[Mutterabhängigkeit](フロイト『女性の性愛 』第1章、1931年)であるだろう。

以上から、前エディプス的母との同一化[Mutteridentifizierung präödipale]は、母への固着[Fixierung an die Mutter]=超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]することができる。


母が原超自我であることは、ラカンが既に語っていることでもある。

母なる超自我は原超自我である[le surmoi maternel… est le surmoi primordial   ]〔・・・〕

母なる超自我に属する全ては、この母への依存の周りに表現される[c'est bien autour de ce quelque chose qui s'appelle dépendance que tout ce qui est du surmoi maternel s'articule](Lacan, S5, 02 Juillet 1958、摘要)



以上、ここでは次の三つはフロイトにおいて等置しうることを示した。