ラカンの現実界の症状サントームは現実界のトラウマである。 |
サントームは現実界・無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome, …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient ] (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. (Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
したがってジャック=アラン・ミレールがサントームを次のように定義するとき、現実界の反復とは「トラウマの反復」である。 |
サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である[Le sinthome, c'est le réel et sa répétition.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011) |
かつまたラカンの《現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »]》 (Lacan, S16, 05 Mars 1969 )に基づいて、ミレールが次のように現実界の定義(サントームの定義)をした。 |
フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
享楽の一者の純粋な反復をラカンはサントームと呼んだ。la pure réitération de l'Un de jouissance que Lacan appelle sinthome, (J.-A. Miller, L'ÊTRE ET L'UN - 30/03/2011) |
ここからサントームは固着の反復という定義が生まれる。 |
サントームは固着の反復である。サントームは反復プラス固着である[le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06) |
以下、「サントームは固着の反復」の内実をもう少し詳しく見てみる。
◼️トラウマへの固着と反復強迫(異者のレミニサンス)
まずラカンの現実界はフロイトのモノなる異者である。 |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel] (Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
フロイトにおいてモノなる異者は、自我に同化不能の残滓であり、これが固着である。 |
モノなる異者[Dingen Fremder](フロイト「フリース宛書簡」13. 2. 1896) |
(自我に)同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
固着されたモノ[die Dinge fixieren](フロイト「フリース宛書簡」 16. 3. 1896) |
残滓とはエスに置き残されるという意味であり、固着という残滓が、エスに置き残された異者としての身体である。 |
常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着という残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
異者としての身体は原無意識としてエスに置き残されたままである[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
この異者としての身体はトラウマと呼ばれ、レミニサンスを引き起こす。 |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。 das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz … leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) |
フロイトにおけるトラウマの定義は「身体の出来事」であり、身体の出来事への固着の反復強迫である。 |
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
つまり反復強迫とレミニサンスは同じ意味である。 |
ラカンの現実界は固着の異者のレミニサンス=反復強迫のことなのである。 |
私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。…これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要) |
このレミニサンスの別名が「書かれることを止めない」=「無意識のエスの反復強迫」である。 |
現実界は書かれることを止めない[le Réel ne cesse pas de s'écrire] (Lacan, S 25, 10 Janvier 1978) |
症状は現実界について書かれることを止めない[le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel ](Lacan, La Troisième, 1er Novembre 1974) |
フロイトにとって症状は反復強迫[compulsion de répétition]に結びついたこの「止めないもの [qui ne cesse pas]」である。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している、症状は固着を意味し、この固着の契機は無意識のエスの反復強迫に見出されると[le symptôme implique une fixation et que le facteur de cette fixation est à trouver dans la compulsion de répétition du ça inconscient. ]。フロイトはこの論文で、症状を記述するとき、欲動要求の絶え間なさを常に示している。欲動は、行使されることを止めないもの[ne cesse pas de s'exercer]である。(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique - 26/2/97) |
◼️反復強迫の別名は死の欲動(固着の回帰)
反復強迫の別名は死の欲動である。 |
われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年) |
したがってラカンの現実界は死の欲動である。 |
死の欲動は現実界である[La pulsion de mort c'est le Réel ] (Lacan, S23, 16 Mars 1976) |
この死の欲動が欲動の現実界であり、トラウマの機能である。 |
現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。穴は原抑圧と関係がある[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou.…La relation de cet Urverdrängt」(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
穴(トラウマ)と原抑圧との関係とは、固着との関係を言っている。 |
抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。〔・・・〕 (原抑圧された欲動の)侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )1911年、摘要) |
◼️不気味な異者の回帰=反復強迫=永遠回帰
ところでフロイトが異者は不気味なものだと言った。 |
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要) |
上に抑圧過程とあるのは原抑圧の過程ことである。 |
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen (Nachverdrängung) sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
すなわち固着の過程である。 |
固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要 |
この不気味な異者は同一のものの回帰=反復強迫をする。 |
いかに同一のものの回帰という不気味なもの[das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr ]が、幼児期の心的生活から引き出しうるか。〔・・・〕心的無意識のうちには、欲動蠢動から生ずる反復強迫[Triebregungen ausgehenden Wiederholungszwanges」の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。〔・・・〕 不気味なものとして感知されるものは、この内的反復強迫を思い起こさせるものである[daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann.](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年) |
そしてこの不気味な同一のものの回帰=反復強迫のさらなる別名が「永遠回帰」である。 |
同一の出来事の反復[Wiederholung der nämlichen Erlebnisse]の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年) |
以上、フロイトにおいてトラウマへの固着の反復強迫(固着の反復)とは、異者のレミニサンス、死の欲動、永遠回帰のことなのである。
これらが「サントームは固着の反復[le sinthome c'est la répétition d'une fixation]」というときの内実である。
……………
なお、ラカンは1974年11月と1975年7月に次のように言った。 |
症状は刻印である。現実界の水準における刻印である[Le symptôme est l'inscription, au niveau du réel. ](Lacan, LE PHÉNOMÈNE LACANIEN, 30 Nov 1974) |
症状は身体の出来事である[le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps](Lacan, JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975) |
この症状は現実界の症状のことである。 |
ラカンが現実界の症状として「サントーム」概念を初めて提出したのは、1975年11月である。 |
サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME. C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975) |
したがってジャック=アラン・ミレールはサントームを身体の出来事と定義している。 |
サントームは身体の出来事として定義される[ Le sinthome est défini comme un événement de corps](J.-A. MILLER,, L'Être et l'Un, 30/3/2011) |
あるいは現実界の水準における刻印ともすることができる。現実界とはトラウマであり、トラウマの刻印である。 これは上に引用したモーセの次の文の定義そのままである。 |
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
つまり「サントームは固着の反復」とは、フロイト的にいえば、「原症状はトラウマへの固着の反復強迫」となる。
……………
※付記
なおジャック=アラン・ミレールは次のようにも言った。 |
享楽における単独性の永遠回帰の意志[vouloir l'éternel retour de sa singularité dans la jouissance](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009) |
これは享楽の固着の永遠回帰のことである。 |
単独的な一者のシニフィアン[singulièrement le signifiant Un]…これが厳密にフロイトが固着と呼んだものである[et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
別名、享楽の固着の反復。 |
フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance]. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000) |