2022年12月3日土曜日

固着とは何か

 

固着は、フロイトが原症状と考えたものである[Fixations, which Freud considered to be primal symptoms,](Paul Verhaeghe and Declercq, Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way, 2002)

分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

精神分析における主要な現実界の顕れは、固着としての症状である[l'avènement du réel majeur de la psychanalyse, c'est Le symptôme, comme fixion,](Colette Soler, Avènements du réel, 2017年)


………………


◼️種々の固着

(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となりうる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』1905年)


フェティシズムもマゾヒズムも固着に関わる。

「初期の」性的刻印に関して、精神分析は新しい病因的固着[pathologische Fixierungen ]が、五歳あるいは六歳以降に起こりうるかを疑っている。

真の観点は、フェティッシュの発生の最初の記憶の背後に、埋没され忘れられた性的発達の最初の記憶の段階があり、それがフェティッシュによって表象される。それは、あたかも隠蔽記憶[Deckerinnerung]によるようにして、フェティッシュはこの記憶の残滓と沈殿物を表象するのである。つまり幼児期の最初の数年のこの段階に、フェティシズムとフェティッシュの選択が構成的に決定づけられる。[Die Wendung dieser in die ersten Kindheitsjahre fallenden Phase zum Fetischismus sowie die Auswahl des Fetisch selbst sind konstitutionell determiniert.](フロイト『性理論三篇』第1篇、1905年、1920年注)

無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido  …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇Anatomische Überschreitungen , 1905年)



◼️現実界の享楽は固着


ラカンの現実界の享楽は上のフロイトのマゾヒズムに関わるリビドーの固着である。

享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)

享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ](Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)


そして現実界は母なるモノ。

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne (…) ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)


フロイトにおいてマゾヒズムの原点の意味は母に対して受動的立場に置かれることである。


母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的な性質のものである[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)

マゾヒズム的とはその根において、女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)


フロイトにおいて女性性[Weiblichkeit]=受動性[Passivität](「性理論』1905年)であり、この意味で幼児期には男女ともに女性的である。


ラカン派では主体性は女性性[$ ≡ Ø ≡ La femme]としばしば示されるが、原点にあるのはこの意味として捉えうる。


空虚としての主体の場自体が、主体を空集合Øと等置する[La place même du sujet comme vide, qui fait équivaloir le sujet à l'ensemble vide ](J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 28 JANVIER 1987)

女なるものは空集合である[La femme c'est un ensemble vide ](Lacan, S22, 21 Janvier 1975)



先にラカンの現実界の享楽はリビドーの固着であることを示したが、より具体的には母への固着である。


マゾヒズムの病理的ヴァージョンは、対象関係の前性器的欲動への過剰な固着を示している。それは母への固着である[le masochisme, …une version pathologique, qui, elle, renvoie à un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet. Elle est fixation sur la mère, ](Éric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001)



フロイトは女への固着とも言っているが、この女は幼児期に身体を世話する女であり、基本的には母だ。

女への固着(おおむね母への固着)[Fixierung an das Weib (meist an die Mutter)](フロイト『性理論三篇』1905年、1910年注)

おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年)

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)



◼️母への固着とトラウマへの固着


フロイトは幼児期の固着をトラウマへの固着とも言ったが、トラウマ=身体の出来事であり、幼児期の身体の出来事はほとんど常に母に関わるという観点からは、「母への固着=トラウマへの固着」である。

病因的トラウマ、この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる[ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an]〔・・・〕


トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕


このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]

この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)



事実、フロイトは母はトラウマだと言っている。

母は幼児にとって強いトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


母への固着とは、基本的には、幼児期の外傷神経症であり、反復強迫をもたらす身体の出来事である。

外傷神経症は、外傷的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している[Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. ]

これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況を反復する[In ihren Träumen wiederholen diese Kranken regelmäßig die traumatische Situation ](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)





◼️原抑圧と固着


そしてフロイトの原抑圧とはこの固着なのである。

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ]〔・・・〕

(原抑圧された欲動の)侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバー」  1911年、摘要)

固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)


異者とは「異者としての身体」であり、トラウマである。

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体[Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)



この原抑圧(固着)に伴うトラウマはラカンが次のように言っていることに相当する。

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。穴は原抑圧と関係する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou.…La relation de cet Urverdrängt](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975、摘要)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


穴=トラウマ=身体=異者としての身体である。

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)

われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976)



◼️母=モノ=異者=固着=同化不能=残滓


ラカンはセミネールⅦの段階で既に、この異者とモノーー先に示したように母なるモノ[la Chose maternelle]であるーーを等置している。


モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger] (Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

モノは母である[das Ding, qui est la mère](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)



しかもセミネールⅠで既に母と固着を等置している。

問題となっている母は、いわゆる固着と呼ばれるものにおいて非常に重要な役割を担っている。la mère en question joue un rôle tout à fait important dans ce qu'on appelle  les fixations (Lacan, S1, 27 Janvier 1954)

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)



この同化不能こそフロイトのモノの定義である。

同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)



ラカンの言語の法に同化不能の固着としてのモノなる異者は、フロイトの表現であるなら、自我の治外法権のエスの欲動蠢動である。


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


フロイトはモノは残滓とも言った。

我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)


この残滓とは固着の残滓であり、エスへの置き残しを意味する。


常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)




◼️モノ=残滓=対象a=超自我


ラカンのリアルな対象aはフロイトのモノなる残滓のことである。ーー《我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste]》(フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)


セミネールⅩで示されているのは、対象a=残滓=異者=享楽=母=固着である。


残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu.  Ce reste, …c'est le petit(a).  ](Lacan, S10, 21 Novembre  1962)

フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

享楽は、残滓 (а)  による[la jouissance…par ce reste : (а)  ](Lacan, S10, 13 Mars 1963)

母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).]  (Lacan, S10, 15 Mai 1963 )

対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)


さらにセミネールⅩⅢにてこのリアルな対象aは超自我に結びついているというようになる。

私は大他者に斜線を記す、Ⱥ(穴)と。…これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。この対象aは現実界であり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある[Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a).   …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rapport au surmoi : ](Lacan, S13, 09 Février 1966)





◼️母への固着=超自我への固着


フロイトにおいて母は超自我である。

心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく想定される。Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年)


※幼児の依存[kindlicher Abhängigkeit]=《母への依存性[Mutterabhängigkeit]》(フロイト『女性の性愛 』第1章、1931年)


母なる超自我は原超自我である[le surmoi maternel… est le surmoi primordial ]〔・・・〕母なる超自我に属する全ては、この母への依存の周りに表現される[c'est bien autour de ce quelque chose qui s'appelle dépendance que tout ce qui est du surmoi maternel s'articule](Lacan, S5, 02 Juillet 1958、摘要)


さらに超自我は欲動の固着に関わる。

超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


母=超自我=固着の観点からは、先に示した「母への固着=トラウマへの固着」は、超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]ともすることができる。


結局、ラカンの現実界の享楽の原点は、この三表現に収斂する。





◼️欲動の対象と固着


フロイトは欲動の対象は固着だと言った。


欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。

Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. [...] Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト「欲動とその運命』1915年)


この1915年時点での記述は、最晩年の次の記述と等価である。

人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する。Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


そしてこの固着が享楽である。

享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である。La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008)


冒頭に示したように固着には種々ある。だがフロイトは病いの展開とともに原初にある固着に向かうと言っている。

発育の過程で、いくつかの固着が置き残されることがあり、その一つ一つが連続して、押しやられていたリビドーの侵入を許すことがあるーーおそらく、後に獲得した固着から始まり、病気の展開とともに、出発点に近いところにある原初の固着へと続いていく。Es können ja in der Entwicklung mehrere Fixierungen zurückgelassen worden sein und der Reihe nach den Durchbruch der abgedrängten Libido gestatten, etwa die später erworbene zuerst und im weiteren Verlaufe der Krankheit dann die ursprüngliche, dem Ausgangspunkt näher liegende.(フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)


フロイトにとって原初にある固着は出生に伴う母への原固着である。


出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう「原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)


この母への原固着[»Urfixierung«an die Mutter ]は母胎への固着[Fixierung an die Mutterleib]と言い換えうる。

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)



ラカンは究極の享楽の対象[Objet de jouissance]は胎盤だと言っている。これはフロイトにおける欲動の対象[Objekt des Triebes ]が母胎への固着(喪われた子宮内生活への固着)と相同的である。


享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象を徴示する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  ](Lacan, S11, 20 Mai 1964)


そもそもフロイトにとって母とは母胎の代理物である。


喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)

母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation. ] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)




◼️固着図


より一般化した固着の把握は次の二文がよい。

固着概念は、身体的要素と表象的要素の両方を含んでいる[the concept of "fixation" … it contains both a somatic and a representational element](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)

固着は一者と身体の結合である[Fixierung…c'est la conjonction de l'Un et du corps].(J.-A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN -  18/05/2011)


上でジャック=アラン・ミレールのいう一者[l'Un]は《一者のシニフィアン[ Le signifiant Un]》(Lacan, S20, 26 Juin 1973)のことであり、ポール・バーハウの言っていることと同一である。


図で示せば次のようになる。




この異者としての身体がエスの欲動蠢動であり、固着を通した無意識のエスの反復強迫である。




エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

欲動蠢動は自動反復の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして(原)抑圧においての固着の契機は無意識のエスの反復強迫である[Triebregung  … vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –…Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)


究極的にはエスに置き残された喪われた身体=母なる身体を取り戻そうとする生きている存在には不可能な反復強迫運動。これが、死の欲動である。


われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)



※参照:自我超自我エス図