2023年11月6日月曜日

対抗備給文献


フロイトには、対抗備給[Gegenbesetzung]概念ーー「逆備給」とも訳されてきたーーがある。この「対抗備給」は原抑圧の機制を意味し、自我の抵抗リビドーである。


対抗備給こそ原抑圧に唯一の機制である[Die Gegenbesetzung ist der alleinige Mechanismus der Urverdrängung ](フロイト『抑圧』1915年)

自我はエスの部分に対して抑圧を行使する力、抵抗という対抗備給によって確固なものとなる力である[das Ich die Macht ist, welche die Verdrängung gegen jenen Anteil des Es ins Werk setzt und durch die Gegenbesetzung des Widerstandes befestigt. ](フロイト『神経症と精神病』1924年)

備給はリビドーに代替しうる [»Besetzung« durch »Libido« ersetzen》](フロイト『無意識』1915年)



この対抗備給概念はフロイト最晩年の論にも次の形で使われている。


自我は、無意識や抑圧されたエスからの望まれない要素の侵入から自我を守るために、対抗備給によって対処する。自我が圧迫を感じれば感じるほど、自我はさらなる侵入の残滓を防ぐために、いわば必死になってこれらの対抗備給に固執する。

das Ich gegen das Eindringen unerwünschter Elemente aus dem unbewussten und verdrängten Es durch Gegenbesetzungen schützt(…) . Je bedrängter sich das Ich nun fühlt, desto krampfhafter beharrt es, gleichsam verängstigt, auf diesen Gegenbesetzungen, um seinen Rest-bestand vor weiteren Einbrüchen zu beschützen.

(フロイト『精神分析概説』第6章、1939年)


あるいはーー、

忘却されたものは消去されず、ただ「抑圧 verdrängt」されるだけである。その記憶痕跡は、全き新鮮さのままで現存するが、対抗備給[Gegenbesetzungen]により分離されているのである。それは他の知的過程とコミュニケーションできず、無意識的であり、意識にはアクセス不能である。抑圧されたものの或る部分は、対抗過程をすり抜け、記憶にアクセス可能なものもありうる。だがそうであっても、異者としての身体[Fremdkörper]として分離されている。

Das Vergessene ist nicht ausgelöscht, sondern nur »verdrängt«, seine Erinnerungsspuren sind in aller Frische vorhanden, aber durch »Gegenbesetzungen« isoliert. Sie können nicht in den Verkehr mit den anderen intellektuellen Vorgängen eintreten, sind unbewußt, dem Bewußtsein unzugänglich. Es kann auch sein, daß gewisse Anteile des Verdrängten sich dem Prozeß entzogen haben, der Erinnerung zugänglich bleiben, gelegentlich im Bewußtsein auftauchen, aber auch dann sind sie isoliert, wie Fremdkörper außer Zusammenhang mit dem anderen.

(フロイト『モーセと一神教』3.1.5  Schwierigkeiten、1939年)


上に、異者としての身体[Fremdkörper]とあるが、これは「異物」とも訳されてきた語であり、エスの欲動蠢動、トラウマを意味する。


自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)



…………



フロイトの抑圧には原抑圧と後期抑圧がある。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


上に対抗備給概念を通して示してきたフロイトの記述から明瞭にわかるのは、フロイトが次のような形で抑圧という語を使う時は原抑圧を意味する事である。


抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)

抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)

抑圧されたエス[verdrängte Es](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


もともとフロイトにおけるトラウマ的なエスの欲動とは身体的要求である。


エスの欲求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


この身体的要求を、先に引用したフロイトは『制止、症状、不安』において、異者としての身体の症状[Symptom als einen Fremdkörper]と呼んだのである。


他方、後期抑圧は身体ではなく心的なもの、つまり言語に関わる。


心的生における抑圧された願望[im Seelenleben verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900年)

抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen](フロイト『夢解釈』第7章、1900年)

抑圧された思考[verdrängten Gedanken] (フロイト『夢解釈』第7章、1900年)


以上、原抑圧とは身体的なものの抑圧、後期抑圧は言語的なものの抑圧である。


……………


※附記

ラカンにおいて原抑圧がトラウマ、身体(異者としての身体)に関わるのは次の四文に示されている。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)

われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976)


そしてこの原抑圧の穴(トラウマ)が欲動、つまり享楽である。


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)