さて、私はここまで上の如く記してきたが、言いたいことは次のことである。 |
抑圧されたものの回帰が喪われた対象の回帰であるなら、プルーストの「失われた時のレミニサンス」とどう違うのだろう、この記事の問いはこれである。
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そもそもフロイトの回帰はレミニサンスのことだ。
少し廻り道して確認しよう。まずフロイトは「抑圧されたものの回帰=不気味なものの回帰」としている。 |
不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[Es mag zutreffen, daß das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第3章、1919年) |
この不気味なものは異者ーー(「異物」とも訳されてきた)「異者としての身体 [Fremdkörper]」ーーと等価である。
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不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要) |
ラカンを引用して確認しておこう、 |
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976) |
そしてこの異者としての身体がトラウマであり、レミニサンスする。 |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。 das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz … leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) |
以上、抑圧されたものの回帰=トラウマの回帰(喪われた対象の回帰)=不気味なものの回帰=異者のレミニサンスである(なおここでの抑圧は原抑圧であることに注意[参照:原抑圧と後期抑圧])。
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ラカンが次のように言っているのは、この文脈のなかにある。
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私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage. …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence. …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要) |
さらに、プルーストの次の文もこれらの文脈のなかで読みうる。
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私の現時の思考とあまりにも不調和な何かの印象に打たれたような気がして、はじめ私は不快を感じたが、ついに涙を催すまでにこみあげた感動とともに、その印象がどんなに現時の思考に一致しているかを認めるにいたった。〔・・・〕最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつ(異者)は、と自問したのだった。その異者は、私自身だった、かつての少年の私だった。 je me sentis désagréablement frappé comme par quelque impression trop en désaccord avec mes pensées actuelles, jusqu'au moment où, avec une émotion qui alla jusqu'à me faire pleurer, je reconnus combien cette impression était d'accord avec elles.[…] Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, (プルースト「見出された時」) |
以上、抑圧されたものの回帰としての喪われた対象の回帰(トラウマの回帰)のひとつは、失われた時のレミニサンスであるだろう。
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最後に確認しておくなら、フロイトが最晩年の『モーセ』で示した「抑圧されたものの回帰」を宗教現象に結びつけた思考の下では、抑圧されたものの回帰は忘れられたものの回帰[Wiederkehren des Vergessenen]であり、過去の復活[Wiederherstellungen des Vergangenen]である。
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宗教現象は人類が構成する家族の太古時代に起こり遥か昔に忘れられた重大な出来事の回帰としてのみ理解されうる。そして、宗教現象はその強迫的特性をまさにこのような根源から得ているのであり、それゆえ、歴史的真実に則した宗教現象の内実の力が人間にかくも強く働きかけてくる[als Wiederkehren von längst vergessenen, bedeutsamen Vorgängen in der Urgeschichte der menschlichen Familie, daß sie ihren zwanghaften Charakter eben diesem Ursprung verdanken und also kraft ihres Gehalts an historischer Wahrheit auf die Menschen wirken. ](フロイト『モーセと一神教』3.1b Vorbemerkung II ) |
先史時代に関する我々の説明を全体として信用できるものとして受け入れるならば、宗教的教義や儀式には二種類の要素が認められる。一方は、古い家族の歴史への固着とその残存であり、もう一方は、過去の復活、長い間隔をおいての忘れられたものの回帰である。 Nimmt man unsere Darstellung der Urgeschichte als im ganzen glaubwürdig an, so erkennt man in den religiösen Lehren und Riten zweierlei Elemente: einerseits Fixierungen an die alte Familiengeschichte und Überlebsel derselben, anderseits Wiederherstellungen des Vergangenen, Wiederkehren des Vergessenen nach langen Intervallen. (フロイト『モーセと一神教』3.1.4 Anwendung) |
忘れられたものは消去されず「抑圧された」だけである。Das Vergessene ist nicht ausgelöscht, sondern nur »verdrängt«(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年) |
これは上に示してきたように宗教現象だけに限らない。「過去の復活、長い間隔をおいての忘れられたものの回帰」とは、忘れられた過去の回帰であり、失われた時のレミニサンスである。
ここまで示してきたフロイトに関わる表現群をまとめておこう。
なおフロイトの抑圧[Verdrängung]には、「抑える」や「圧する」の意味合いはないので注意➡︎「抑圧は誤訳」 |