①受動性と女性性
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最晩年のフロイトは、女性性の拒否[Ablehnung der Weiblichkeit]が人間の心的生活の重要な要素だとした。
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受動的立場あるいは女性的立場[passive oder feminine Einstellung]〔・・・〕私は、この「女性性の拒否」は人間の心的生活の非常に注目すべき要素を正しく記述するものではなかったろうかと最初から考えている[ich meine, »Ablehnung der Weiblichkeit«wäre vom Anfang an die richtige Beschreibung dieses so merkwürdigen Stückes des menschlichen Seelenlebens gewesen. ](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第8章、1937年)
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フロイトにとって女性性は受動性を意味する。
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男性的と女性的とは、あるときは能動性と受動性の意味に、あるときは生物学的な意味に、また時には社会学的な意味にも用いられている。これら三つのつの意味のうち最初の意味が、本質的なものであり、精神分析において最も有用なものである。Man gebraucht männlich und weiblich bald im Sinne von Aktivität und Passivität, bald im biologischen und dann auch im soziologischen Sinne. Die erste dieser drei Bedeutungen ist die wesentliche und die in der Psychoanalyse zumeist verwertbare. 〔・・・〕
人間にとっては、心理学的な意味でも生物学的な意味でも、純粋な男性性または女性性は見出されない。個々の人間はすべて、自らの生物学的な性特徴と異性の生物学的な特徴との混淆をしめしており、また能動性と受動性という心的な性格特徴が生物学的なものに依存しようと、それに依存しまいと同じように、この能動性と受動性との融合をしめしている。
Diese ergibt für den Menschen, daß weder im psychologischen noch im biologischen Sinne eine reine Männlichkeit oder Weiblichkeit gefunden wird. Jede Einzelperson weist vielmehr eine Vermengung ihres biologischen Geschlechtscharakters mit biologischen Zügen des anderen Geschlechts und eine Vereinigung von Aktivität und Passivität auf, sowohl insofern diese psychischen Charakterzüge von den biologischen abhängen als auch insoweit sie unabhängig von ihnen sind.. (フロイト『性理論三篇』第三篇、1905年、1915年註)
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つまり初期フロイトがフリース宛書簡で「本源的に抑圧された女性性」を言うとき、「抑圧された受動性」を示している。
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本源的に抑圧されている要素は、常に女性性ではないかと想定される[Die Vermutung geht dahin, daß das eigentlich verdrängte Element stets das Weibliche ist](フロイト、フリース宛書簡 Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)
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これが晩年フロイトの「女性性の拒否」に相当するとしてよいだろう。
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②受動性と不快・マゾヒズム
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ところでフリース宛書簡ではこうもある。
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原初の不快な出来事は受動性である[primäres Unlusterlebnis also passiver Natur voraus.] (フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ, Brief vom 1. 1. 1896)
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つまり「抑圧された不快」とは「抑圧された受動性=抑圧された女性性」である。
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抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年)
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さらに受動性とはマゾヒズムでもある。
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マゾヒズム的とは、その根において女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)
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サディズムは男性性、マゾヒズムは女性性とより密接な関係がある[daß der Sadismus zur Männlichkeit, der Masochismus zur Weiblichkeit eine intimere Beziehung unterhält ](フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
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つまり抑圧された不快な受動性は「抑圧されたマゾヒズム」ともすることができる。
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③受動性とトラウマ
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フロイトにとってトラウマは受動性をも意味する。
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トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)
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そして原初のトラウマは母に対して受動的立場に置かれることである。
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母は幼児にとって過酷なトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)
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母のもとにいる幼児の最初の出来事は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動性である[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)
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この母なるトラウマが、《抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma]》(フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)の原点にあるものであり、かつまた原不快である、《原初の不快な出来事は受動性である[primäres Unlusterlebnis also passiver Natur voraus.]》 (フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ, Brief vom 1. 1. 1896)
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いったんここまで示した内容を受動性を軸に整理しておこう。
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④トラウマ=固着=マゾヒズム
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フロイトにおけるトラウマは日常的に使われる「トラウマ」よりも広い意味をもっており、身体の出来事を意味する。そしてそのトラウマ的身体の出来事への固着と反復強迫が起こる。
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トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕
このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。
これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに取り込まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)
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「トラウマへの固着」とあるが、事実上、トラウマと固着は等置できる。例えば、フロイトにとって出産外傷としての原トラウマは原固着である。
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出産外傷、つまり出生行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。
Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)
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さらにマゾヒズム自体、固着である。
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無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇, 1905年)
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つまり先程の受動性を軸にした語彙群表に固着を付け加えることができる。
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そしてこの固着こそ抑圧の第一段階(原抑圧)としての「欲動の固着」である。
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抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕
この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege]
(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )第3章、1911年)
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われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben;(フロイト『抑圧』1915年)
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欲動の固着はもちろんリビドーの固着と等価であり、幼児期に起こる。
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リビドーは欲動エネルギーと完全に一致する[Libido mit Triebenergie überhaupt zusammenfallen zu lassen]フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第6章、1930年)
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幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年)
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幼児期のリビドーの固着[infantilen Fixierung der Libido]( フロイト『性理論三篇』1905年)
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そしてこの幼児期に起こる欲動の固着がトラウマ的固着である。
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トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]〔・・・〕ここで外傷神経症は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[Die traumatische Neurose zeigt uns da einen extremen Fall, aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen](フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)
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⑤欲動=不快=不安=トラウマ=マゾヒズム
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フロイトにとって欲動は不快である。
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不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年)
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欲動過程による不快[die Unlust, die durch den Triebvorgang](フロイト『制止、症状、不安』第9章1926年)
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この不快の別名は不安でありトラウマである。
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不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)
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不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)
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先に示したように欲動はリビドーであり、フロイトが《不安とリビドーには密接な関係がある[ergab sich der Anschein einer besonders innigen Beziehung von Angst und Libido]》(フロイト『制止、症状、不安』第11章A 、1926年)というとき、トラウマと欲動は密接な関係があることを言っている。
事実上、欲動はトラウマなのである。それは、「異者としての身体」概念ーー邦訳では「異物」と訳されてきたが、私は身体的要素を強調するために字義通り異者身体[Fremdkörper]と訳すのを好むーーを介入させると鮮明化する。
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トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
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自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである[das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert.] 〔・・・〕
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)
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見ての通り、異者身体=トラウマ=エスの欲動である。
さらに欲動はマゾヒズムでもある。
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欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕
自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926)
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以上、先程の表に固着と欲動、異者身体を付け加えておこう。
これらの用語群がラカンの現実界の享楽である。
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不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)
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不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異物として識別される[c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt ] (Lacan, S11, 17 Juin 1964)
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享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)
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現実界は、同化不能な形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964)
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固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954)
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ーー同化不能とはフロイトの異者身体の定義である、《同化不能の異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ]》(フロイト『精神分析運動の歴史』1914年)
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ジャック=アラン・ミレールで補足しておこう。
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現実界は、フロイトが「無意識」と「欲動」と呼んだものである[le réel à la fois de ce que Freud a appelé « inconscient » et « pulsion ».](Jacques-Alain Miller, HABEAS CORPUS, avril 2016)
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ラカンの現実界はフロイトがトラウマと呼んだものである[ce réel de Lacan … c'est ce que Freud a appelé le trauma] (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)
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現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004)
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享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation (…) on y revient toujours.] (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)
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享楽は身体の出来事である。享楽はトラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。享楽は固着の対象である[la jouissance est un événement de corps(…) la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard,(…) elle est l'objet d'une fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
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女性の享楽自体、最終的には享楽自体、つまり身体の出来事の享楽、トラウマの享楽である。
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確かにラカンは第一期に、女性の享楽[jouissance féminine]の特性を、男性の享楽[jouissance masculine]との関係にて特徴づけた。ラカンがそうしたのは、セミネール18 、19、20とエトゥルデにおいてである。
だが第二期がある。そこでは女性の享楽は、享楽自体の形態として一般化される [la jouissance féminine, il l'a généralisé jusqu'à en faire le régime de la jouissance comme telle]。その時までの精神分析において、享楽形態はつねに男性側から考えられていた。そしてラカンの最後の教えにおいて新たに切り開かれたのは、「享楽自体の形態の原理」として考えられた「女性の享楽」である [c'est la jouissance féminine conçue comme principe du régime de la jouissance comme telle]。〔・・・〕
ここでの享楽自体とは極めて厳密な意味がある。この享楽自体とは非エディプス的享楽である。それは身体の出来事に還元される享楽である[ici la jouissance comme telle veut dire quelque chose de tout à fait précis : la jouissance comme telle, c'est la jouissance non œdipienne,…C'est la jouissance réduite à l'événement de corps.](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 2/3/2011)
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フロイトの「女性性=受動性=トラウマ(身体の出来事)」を念頭に置けば、女性の享楽とは受動性の享楽と言い換えうる。