◾️『力と交換様式』2022年 |
ネーションを形成したのは、二つの動因である。一つは、中世以来の農村が解体されたために失われた共同体を想像的に回復しようとすることである。もう一つは、絶対王政の下で臣民とされていた人々が、その状態を脱して主体として自立したことである。しかし、実際は、それによって彼らは自発的に国家に従属したのである。1848年革命が歴史的に重要なのは、その時点で、資本=ネーション=国家が各地に出現したからだ。さらに、そのあと、資本=ネーション=国家と他の資本=ネーション=国家が衝突するケースが見られるようになる。その最初が、普仏戦争である。私の考えでは、これが世界史において最初の帝国主義戦争である。そのとき、資本・国家だけでなく、ネーションが重要な役割を果たすようになった。交換様式でいえば、ネーションは、Aの ”低次元での” 回復である。ゆえに、それは、国家(B)・資本(C)と共存すると同時に、それらの抗する何かをもっている。政治的にそれを活用したのが、イタリアのファシズムやドイツのナチズムであった。今日では、概してポピュリズムと呼ばれるものに、それが残っている。(柄谷行人『力と交換様式』2022年) |
◾️『交換様式入門』2017年 |
近代の社会構成体では、Cが支配的となります。しかし、A や B が消えてしまうわけではない。それらはCの下で、変容しながら残ります。たとえば、Bは、ブルジョア的な法を取りいれた近代国家においても、 「権力」として残った。 また、Aは、部族・共同体がCによって解体された後に、「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)として再興された。したがって、近代の社会構成体は、資本=ネーション=国家という形をとります。 今日において、Aは、かつてあった共同体を回復する衝動を喚起するもの、 つまり、ナショナリズムとして働きます。しかし、それはBやCを越えるものとはなりえない。逆に、それは、排外主義として、資本=国家に仕えるものとなります。かつてそれがファシズムをもたらしたのですが、今後においても同様でしょう。それに対して、Dは過去の共同体の回復なのではありません。そ れは A と似て非なるものです。 Dは、A・B・Cが存続するかぎり、それらを否定しようとする衝迫です。(柄谷行人『交換様式論入門』2017年) |
◾️『 「世界史の構造」を読む』2011年 |
日本で「国民国家」という感じが出てくるのは、日露戦争以後、対外的緊張からしばらく解放されて、内部の問題を見る余裕ができた時期です。そのとき、いわば「民権」派が盛り返してきた。一九二五年には普通選挙法も通った。そのような過程が「大正デモクラシー」と呼ばれています。〔・・・〕この時期には、明治時代にはなかったようなタイプのナショナリズムが出てきます。つまりネーションが重要な意味をもつようになったのです。(柄谷行人『 「世界史の構造」を読む』2011年) |
◾️『世界史の構造』2010年ーー手元に英語版しかないので私訳 |
多くのマルクス主義者は、ネーションの問題で躓いている。 彼らにとってネーションとは、近代資本主義経済構造によって生み出されたイデオロギーに過ぎず、それゆえ啓蒙によって容易に解消することができ、また解消すべきものなのだ。 しかし現実には、ネーションの重要性を軽視したマルクス主義運動は、ナショナリズムの旗の下に台頭したファシズムに抵抗できないことに気づいた。 さらに、社会主義国家でさえナショナリズムに依存し、ネーションの間で武力衝突が起こった。 |
Many Marxists have stumbled over the problem of the nation. To them the nation is merely an ideology produced by the modern capitalist economic structure, and hence it can and should be easily dissolved through enlightenment. In reality, however, Marxist movements that downplayed the importance of the nation found themselves unable to resist fascism, which rose under the banner of nationalism. Moreover, even socialist states resorted to nationalism, to the point that armed conflicts broke out among them. |
ベネディクト・アンダーソンは、中国とソ連、中国とベトナムの間で戦争が勃発したことで、ネーションの問題を再考する必要に迫られたと書いている。 彼はネーションを "想像の共同体 "と定義するようになった。 一見すると、これはマルクス主義者の見解に似ているように思われる。ネーションとは共同体的な幻想であり、人々はそこから啓蒙によって目覚めるべきだというのだ。 しかし、アンダーソンにおいて決定的に異なるのは、ネーションそのものを啓蒙的合理性の産物として捉えている点である。 西洋で啓蒙主義が台頭し、その合理的な世界観が宗教的な思考様式の衰退をもたらした18世紀に、彼はネーションの起源を見出す。 彼の理解では、ネーションは宗教に代わって、個人に永遠と不滅の感覚を与え、それによって彼らの存在を意味のあるものにするものである。 |
Benedict Anderson writes that he was driven to rethink the problems of the nation by the eruption of war between China and the USSR and between China and Vietnam― when, that is, he was directly confronted with this blind spot in Marxism. He came to define the nation as an “imagined community.” At first glance, this seems to resemble the Marxists' view― that the nation is a communal fantasy from which people should be awakened through enlightenment. But one crucial difference in Anderson is that he sees the nation itself as a product of enlightenment rationality. He locates the origins of the nation in the eighteenth century, when the rise in the West of the Enlightenment and its rational worldview led to a decline in religious modes of thought. In his understanding, the nation replaces religion as that which grants individuals a sense of eternity and immortality, thereby rendering their existences meaningful: |
〔・・・〕 |
アンダーソンによれば、ナショナリズムは宗教に代わって、このような想像的応答を提供する。 しかし、彼が啓蒙主義の合理性によって破壊された宗教的世界観と呼ぶものは、実際には農業共同体の世界観であった。 キリスト教や仏教がそうであったように、普遍宗教は元来、この共同体に対する一種の抵抗として現れるが、その共同体に根を下ろすにつれて、共同体のニーズに答えることを余儀なくされる。 普遍宗教は結局、農業共同体の地域宗教と融合することになった。 したがって、その共同体が解体したことは、むしろ普遍宗教が本来の性格を取り戻すことができたことを意味する。 実際、啓蒙主義以降、宗教は個人主義的な宗教(プロテスタントなど)という形をとりながら発展を続けてきた。 つまり、啓蒙思想の合理性を単純に宗教批判として定義することはできないということだ。 |
Nationalism replaces religion in providing this imaginative response, according to Anderson. But what he calls the religious worldview that was undercut by Enlightenment rationality was really the worldview of the agrarian community. As was the case with Christianity or Buddhism, any universal religion originally appears as a kind of resistance against this community, but as it puts down roots in that community, it is forced to start answering to the community's needs. Universal religions ended up fusing with local religions of the agrarian community. Accordingly, the dissolution of that community meant, if anything, that universal religions were able to recover their original character. In fact, religion has continued to develop since the Enlightenment, taking the form of individualistic religion (e.g., Protestantism). Th is means that we can't simply defi ne Enlightenment rationality as a critique of religion. |
(柄谷行人『世界史の構造』第9章、2010年) |
◾️同『世界史の構造』2010年 |
私はネーションの成立を西ヨーロッパに見てきた。それは、ネーションが絶対王権(主権国家)と同様に、西ヨーロッパに最初に出現したからである。そして、主権国家が他の主権国家を生み出すように、ネーション=ステートは自ら拡大することによって、他の地域にネーション=ステートを生み出した。その最初のあらわれは、ナポレオンによるヨーロッパ支配である。ナポレオンはフランス革命の理念を伝えたが、現実には、フィヒテがそうであるように、フランスに占領された地域からネーション=ステートが生まれてきたのである。アーレンとはつぎのようにいっている。 |
《国民国家と征服政策との内的矛盾は、ナポレオンの壮大な夢の挫折においてはっきり白日のもとに晒された。・・・・・・ナポレオンが明瞭に示したのは、一ネイションによる征服は被征服民族の民族意識の覚醒と征服者に対する抵抗をもたらすか、あるいは征服者が手段を選ばなければ、はっきりした専制に導くかだということだった。このような専制は、充分に暴虐でさえあれば異民族圧政に成功はするだろうが、その権力を維持することは、非統治者の同意にもとづく国民国家としての本国の諸制度をまず破壊してしまわなければできないのである。》(アーレント『全体主義の起源2 帝国主義』11頁) |
なぜそうなのかといえば、国民国家が帝国と異なって、多数の民族や国家を支配する原理をもっていないからだ、とアーレントはいうのである。国民国家が他の国家や民族を支配するとき、それは帝国ではなく、「帝国主義」となる、と。そのように述べるとき、アーレントは、国民国家と異なる帝国の原理をローマ帝国に見出している。しかし、それは特にローマ帝国に限られるものではない。一般に、「帝国」に固有の原理なのである。 |
たとえば、オスマン・トルコは二〇世紀にいたるまで世界帝国として存続してきたが、その統治原理はまさに「帝国」的であった。オスマン王朝は住民をイスラム化しようとしなかった。各地の住民は固有の民族性や宗教、言語、時には政治体制や経済活動までをも、独自に保持していた。それは国民国家が成員を強制的に同質化するのとは対照的である。さらにまた、国民国家の拡張としての帝国主義が他民族に同質性を強要するのと対照的である。 |
オスマン「帝国」の解体、多数の民族の独立は、西欧諸国家の介入によってなされた。そのとき、西欧の諸国家は、諸民族を主権国家として帝国から解放するのだと主張した。それによって、諸国家は彼らを独立させて経済的に支配しようとしたのである。いうまでもなく、それは「帝国」ではなく「帝国主義」である。「帝国主義」とは、「帝国」の原理なしにネーション=ステートが他のネーションを支配することである。したがって、オスマン=トルコを解体させた西洋列強は、たちまちアラブ諸国のナショナリズムの反撃に出会ったのである。 「国民国家は征服者として現れれば必ず被征服民族の中に民族意識と自治の要求とを目覚めさせることになる」とアーレントはいう。だが、アジア的専制国家による征服が「帝国」となり、国民国家による征服が「帝国主義」となるのは、なぜなのか。この問題は、アーレントのいうような政治的統治の原理だけで考えることはできない。それは交換様式の観点から見ることによってのみ理解できる。 |
世界帝国の場合、征服は服従・貢納と安堵という交換に帰結する。つまり、世界帝国は交換様式Bにもとづく社会構成体である。広域国家である帝国は、征服された部族や国家の内部に干渉しない。ゆえに、同質化を強要することはない。むろん、支配者に対する反抗が起きないわけではない。世界帝国が版図を拡大すると、それに対する部族的反乱がたえず生じる。それがしばしば王朝を瓦解させる。しかし、それは社会のあり方を根本的に変えるものではない。帝国が滅んでも、別の帝国が再建されるからだ。 |
一方、国民国家の拡大としての帝国主義は、各地に国民国家を続出させる結果に終わる。それは、交換様式でいえば、帝国が交換様式Bにもとづく支配であるのに対して、帝国主義が交換様式Cにもとづく支配であるからだ。前者と違って、後者は旧来の社会構成体を根柢から変容させてしまう。すなわち、資本主義経済が部族的・農業的共同体を解体する。それが「想像の共同体」としてのネーションの基盤をもたらす。したがって、帝国の支配からは部族的反乱が生じるだけなのに、「帝国主義」的支配からは、ナショナリズムが生じる。こうして、帝国主義、つまり、国民国家による他の民族の支配は、意図せずして、国民国家を創り出してしまうのである。 |
国民国家はけっして白紙から生まれるのではない。それは先行する社会の「地」の上に生まれるのである。非西洋圏におけるナショナリズムの問題を考える場合、この「地」の違いに注意を払う必要がある。先に述べたように、旧来の世界は、近代世界システムの下で周辺部に追いやられたが、その状況はさまざまであった。旧世界帝国において、中核、周辺部、亜周辺部、圏外のいずれに位置したかによって、その状況が異なるのである。(柄谷行人『世界史の構造』2010年) |
◾️『トランスクリティーク』2001年 |
ベネディクト・アンダーソンは、ネーション=ステートが、本来異質であるネーションとステートの「結婚」であったといっている。これは大事な指摘であるが、その前に、やはり根本的に異質な二つのものの「結婚」があったことを忘れてはならない。国家と資本の「結婚」、である。 国家、資本、ネーションは、封建時代においては、明瞭に区別されていた。すなわち、封建領主(領主、王、皇帝)、都市、そして、農業共同体である。それらは、異なった「交換」の原理にもとづいている。 |
すでに述べたように、国家は、収奪と再分配の原理にもとづく。第二に、そのような国家機構によって支配され、相互に孤立した農業共同体は、その内部においては自律的であり、相互扶助的、互酬的交換を原理にしている。第三に、そうした共同体と共同体の「間」に、市場、すなわち都市が成立する。それは相互的合意による貨幣的交換である。 |
封建的体制を崩壊させたのは、この資本主義的市場経済の全般的浸透である。だが、この経済過程は政治的に、絶対主義的王権国家という形態をとることによってのみ実現される。絶対主義的王権は、商人階級と結託し、多数の封建国家(貴族)を倒すことによって暴力を独占し、封建的支配(経済外的支配)を廃棄する。それこそ、国家と資本の「結婚」にほかならない。商人資本(ブルジョアジー)は、この絶対主義的王権国家のなかで成長し、また、統一的な市場形成のために国民の同一性を形成した、ということができる。しかし、それだけでは、ネーションは成立しない。ネーションの基盤には、市場経済の浸透とともに、また、都市的な啓蒙主義とともに解体されていった農業共同体がある。それまで、自律的で自給自足的であった各農業共同体は、貨幣経済の浸透によって解体されるとともに、その共同性(相互扶助や互酬制)を、ネーション(民族)の中に想像的に回復したのである。ネーションは、悟性的な(ホップス的)国家と違って、農業共同体に根ざす相互扶助的「感情」に基盤をおいている。そして、この感情は、贈与に対してもつ負い目のようなものであって、根本的な交換関係をはらんでいる。 |
しかし、それらが本当に「結婚」するのは、ブルジョア革命においてである。フランス革命で、自由、平等、友愛というトリニティ(三位一体)が唱えられたように、資本、国家、ネーションは切り離せないものとして統合される。だから、近代国家は、資本制=ネーション=ステート(capitalist-nation-state)と呼ばれるべきである。それらは相互に補完しあい、補強しあうようになっている。 |
たとえば、経済的に自由に振る舞い、そのことが階級的対立に帰結したとすれば、それを国民の相互扶助的な感情によって解消し、国家によって規制し富を再配分する、というような具合である。その場合、資本主義だけを打倒しようとするなら、国家主義的な形態になるし、あるいは、ネーションの感情に足をすくわれる。前者がスターリン主義で、後者がファシズムである。このように、資本のみならず、ネーションや国家をも交換の諸形態として見ることは、いわば「経済的な」視点である。そして、もし経済的下部構造という概念が重要な意義をもつとすれば、この意味においてのみである。 |
この三つの「交換」原理の中で、近代において商品交換が広がり、他を圧倒したということができる。しかし、それが全面化することはない。資本は、人間と自然の生産に関しては、家族や農業共同体に依拠するほかないし、根本的に非資本制生産を前提としている。ネーションの基盤はそこにある。一方、絶対主義的な王(主権者)はブルジョア革命によって消えても、国家そのものは残る。それは、国民主権による代表者=政府に解消されてしまうものではない。国家はつねに他の国家に対して主権国家として存在するのであって、したがって、その危機(戦争)においては、強力な指導者(決断する主体)が要請される。ポナパルティズムやファシズムにおいて見られるように。現在、資本主義のグローバリゼーションによって、国民国家が解体されるだろうという見通しが語られることがある。しかし、ステートやネーションがそれによって消滅することはない。 |
たとえば、資本主義のグローバリゼーション(新自由主義)によって、各国の経済が圧迫されると、国家による保護(再配分)を求め、また、ナショナルな文化的同一性や地域経済の保護といったものに向かうことになる。資本への対抗が、同時に国家とネーション(共同体)への対抗でなければならない理由がここにある。資本=ネーション=ステートは三位一体であるがゆえに、強力なのである。そのどれかを否定しようとしても、結局、この環の中に回収されてしまうほかない。資本の運動を制御しようとする、コーポラティズム、福祉国家、社会民主主義といったものは、むしろそのような環の完成態であって、それらを揚棄するものではけっしてない。(柄谷行人『トランスクリティーク』「イントロダクション」2001年) |
◾️討論「ポストコロニアルの思想とは何か」(鵜飼哲・酒井直樹・鄭暎恵・冨山一郎・村井紀・柄谷行人ーー『批評空間』Ⅱ 11-1996) |
柄谷 なるほどね。実際は、ナポレオンは外へ向かう前に、フランス領土内で、フランス国家など関知しないで徴兵制に抵抗した連中を、何十万と殺しているでしょう。フランス革命の時点で、フランス語をしゃべる人は四○数パーセントにすぎなかったという調査報告があったしね。国民教育を強制したと思う。 〔・・・〕 酒井 ……国民という考え方の鍵となっているのは、柄谷さんが書かれているけれど、帝国への反発ということになる。帝国への反発という動機が国民国家を構想するときの強力な核になる、という点は見えると思う。 ただ、近代の帝国とそれ以前の帝国が決定的に違うのは、近代の帝国は国民国家でもあるわけです。近代世界では、インペリアリズムは同時にナショナリズムでもある。近代の帝国は、したがって、帝国主義的国民主義によって国民統合することになる。それ以前の帝国は、インペリウムであってもネーションではない。 |
柄谷 そうですね。 ハンナ・アーレントは帝国と帝国主義の違いをはっきりさせていますが、その場合、彼女は、帝国が法 (国際法)によって支配するということをローマ帝国を例にとって説明しています。しかし、アラビア、シナ、モンゴルの帝国でもそうですが、「帝国」に共通しているのは、帝国主義とは違って、その中の部族・国家の内部に干渉しないことです。それが関知するのは、一種の国際法的秩序です。さらに、帝国の特徴は、普遍的な言語(漢字・アラビア文字・ラテン語)、普遍的宗教、さらに貨幣をもつことです。 近代のネーションはそれに対する反抗と自立として生まれてきた。したがって、それは宗教改革、言文一致、国民経済の自立としてあらわれる。現在のネーション=ステートは世界帝国の解体と分節化によって生じたわけです。一方、帝国主義はこのネーション=ステートの膨張としてあるために、支配した地域にネーション=ステートを生み出さざるをえない。帝国のような支配の仕方ができないからです。そこで、現在のネーション=ステートは、旧世界帝国からの独立と、さらに、帝国主義の支配からの独立とが重なった形で成立しています。 ネーション=ステートを超えようとする思想は、いつも「帝国」をモデルにする傾向がある。日本の大東亜共栄圏もそうですが、実際には、帝国主義の理論的正当化にしかならない。しかし、今後も経済的なブロック化のなかで、またそれが出てくるでしょう。すでにヨーロッパ共同体がありますし。近代において「帝国」を論理化したのは、ライプニッツのモナドロジーだと思います。 西田幾多郎も、ヘーゲルではなくライプニッツを参照したと言っていますけど。 |
しかし、ライプニッツ的な合理主義的啓蒙では、あるいは、ホッブス=ロックのような経験論的啓蒙ではうまく行かないのではないだろうか。ドイツでロマン派が出てくるのは、その後です。つまり、この時期に、ナショナリズムは感情的なものとして、あるいは言語に根ざしたものとして成立してくるわけです。日本でなら、ヘルダーと同時期の本居宣長が同じようなことをやっています。 その場合、カントはふつう形而上学の批判者として、ヘルダーやフィヒテの前に位置づけられますが、彼はすでに彼らを同時代的に批判していますし、むしろ後期のカントにとって、ロマン派こそ形而上学(理性の越権)を意味したはずだと、ぼくは考えています。 ナショナリズムは、悟性的な社会契約ではなく、感性・感情に根ざすと考えられていますし、ヘルダーも本居宣長もそう考えている。しかし、カントはそれを理性の欲動によ形而上学だと考えたのではないか。 彼は、旧来の哲学で人間がまちがえるのは感性によってだと考えられていたときに、そうではなく、理性こそがまちがえるのだと言った。ということは、理性がどうしても解決しなければならないような欲動があるんだということです。これはメタ・フィジカルな問題です。言い換えれば、それは死の問題だと思う。アンダーソンはナショナリズムを、そのために人が死に得るようなものという観点からみています。宗教のために死ねなくなった場合に、ネーションがその代わりをする。また、ネーションは、先祖・子孫というよう な家族的連続性の代わりでもあるからです。共産主義のようなものでは死ねない。共産主義のために死んだつもりでも、実は民族解放のために死んでいるから、やはりネーションのために死んでいるんでしょう。かつてソ連の英雄だった人は今、ロシアの英雄になったり、ウクライナの英雄になったりしている(笑)。 |
そうすると、人間の不死あるいは無限性を保証するような形而上学的な要求を、少なくともナショナリズムは満たしてきたわけです。それはたんなる幻想・仮象ではないと思う。また感情の問題でもないと思う。それがなくなったら、宗教的原理主義に行くでしょう。そちらのほうが満たしてくれるから。あるいは、新たな家族主義もあります。子孫をもつことによって不死性を獲得するというのは、儒教だけでなくて、プラトンも言っていますからね。それもメタフィジカルな要求です。だからカントが言った理性批判の課題はまったく終ってないと思う。そのような仮象なしにやっていけないでしょう。もちろん、それを拒否することはできます。カントの「批判」はそういう立場です。 しかし、彼も統整的な理念を持ってくる。 鵜飼 超越論的仮象ですね。 柄谷 そうです。ぼくはナショナリズムをその観点から見なければならないと思っているんです。自己保存ではなく、自己破壊の観点から。ナショナリズムを斥けたときに、 何が出てくるか。 コスモポリタニズムではなく、いわばオウムのようなようなものが出てくる可能性がある。 |
彼(カント)は、旧来の哲学で人間がまちがえるのは感性によってだと考えられていたときに、そうではなく、理性こそがまちがえるのだと言った。ということは、理性がどうしても解決しなければならないような欲動があるんだということです。これはメタ・フィジカルな問題です。言い換えれば、それは死の問題だと思う。アンダーソンはナショナリズムを、そのために人が死に得るようなものという観点からみています。宗教のために死ねなくなった場合に、ネーションがその代わりをする。また、ネーションは、先祖・子孫というような家族的連続性の代わりでもあるからです。〔・・・〕 ぼくはナショナリズムをその観点から見なければならないと思っているんです。自己保存ではなく、自己破壊の観点から。(討論「ポストコロニアルの思想とは何か」鵜飼哲・酒井直樹・鄭暎恵・冨山一郎・村井紀・柄谷行人ーー『批評空間』Ⅱ 11-1996) |
………………
※附記
◾️帝国の原理・普遍宗教・共産主義 |
資本、国家、ネーション、宗教を真に揚棄しようとするのであれば、まずそれらが何であるかを認識しなければならない。たんにそれらを否定するだけでは何にもにもならない。 結果的に、それらの現実性を承認するほかなくなり、そのあげく、それを越えようとする〈理念〉をシニカルに嘲笑するにいたるだけである。それがポストモダニズムにほかならない。(柄谷行人『 世界史の構造』 2010年) |
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近代の国民国家と資本主義を超える原理は、何らかのかたちで帝国を回復することになる。〔・・・〕帝国を回復するためには、帝国を否定しなければならない。帝国を否定し且つそれを回復すること、つまり帝国を揚棄することが必要〔・・・〕。それまで前近代的として否定されてきたものを高次元で回復することによって、西洋先進国文明の限界を乗り越えるというものである。(柄谷行人『帝国の構造』2014年) |
近代国家は、旧世界帝国の否定ないしは分解として生じた。ゆえに、旧帝国は概して否定的に見られている。ローマ帝国が称賛されることがままあるとしても、中国の帝国やモンゴルの帝国は蔑視されている。しかし、旧帝国には、近代国家にはない何かがある。それは、近代国家から生じる帝国主義とは似て非なるものである。資本=ネーション=国家を越えるためには、旧帝国をあらためて検討しなければならない。実際、近代国家の諸前提を越えようとする哲学的企ては、ライプニッツやカントのように、「帝国」の原理を受け継ぐ者によってなされてきたのである。(柄谷行人『帝国の構造』2014年) |
帝国の原理がむしろ重要なのです。多民族をどのように統合してきたかという経験がもっとも重要であり、それなしに宗教や思想を考えることはできない。(柄谷行人ー丸川哲史 対談『帝国・儒教・東アジア』2014年) |
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Dの出現は、一度だけでなく、幾度もくりかえされる。それは多くの場合、普遍宗教の始祖に帰れというかたちをとる。たとえば、千年王国やさまざまな異端の運動がそうである。しかし、産業資本主義が発達した社会段階では、Dがもたらす運動は外見上宗教性を失った。社会主義の運動も、プルードンやマルクス以後「科学的社会主義」とみなされるようになった。が、それも根本的に交換様式Dをめざすものであり、その意味で普遍宗教の性格を保持しているのである。とはいえDは、それとして意識的に取り出せるものではない。「神の国」がそうであるように、「ここにある、あそこにある」といえるようなものではない。また、それは人間の意識的な企画によって実現されるものでもない。それは、いわば、”向こうから来る” ものなのだ。(柄谷行人『力と交換様式』2022年) |
共産主義とは『古代社会』にあった交換様式Aの高次元での回復である。すなわち、交換様式Dの出現である。(柄谷行人『力と交換様式』2022年) |
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貨幣も国家も、異なる交換様式から生じた観念的な力としてとらえることができます。さらにネーション(民族)についても同様のことがいえます。それはベネディクト・アンダーソンのいう〈想像の共同体〉ですから。つまり、Aの低次元での回復です。(柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」 2022.10.25) |
マルクスは晩年にL・H・モーガンの『古代社会』を論じて、共産主義は氏族社会(A)の”高次元での回復”であると述べた。いいかえれば、交換様式DはAの“高次元での回復”にほかならない。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』英語版序文 2020年) |