ラカンはサントームセミネールⅩⅩⅢでこう言っている。 |
サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME. C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975) |
サントームは現実界、無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome, …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient] (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976) |
つまり現実界の症状サントームはマゾヒズムということになる。一見奇妙かもしれないが、このラカンはフロイトに実に忠実である。 |
まず現実界の享楽とはリアルな欲動ーー原症状としての《エスの欲動 [Triebregung des Es]》( 『制止、症状、不安』第3章)ーーであり、フロイトの定義においてマゾヒズムである。 |
欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年) |
さらにこの欲動は不快であり、これが享楽つまりマゾヒズムである。 |
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不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年) |
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不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970) |
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享楽の本質はマゾヒズムである[La jouissance est masochiste dans son fond](Lacan, S16, 15 Janvier 1969) |
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フロイトにおいて不快とは受動性=母=トラウマ=マゾヒズムにほかならない。 |
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原初の不快な出来事は受動性である[primäres Unlusterlebnis also passiver Natur voraus.] (フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ, Brief vom 1. 1. 1896) |
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母のもとにいる幼児の最初の出来事は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動性である[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年) |
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母は幼児にとって過酷なトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
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トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
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マゾヒズム的とは、その根において女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年) |
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ーー「女性的受動的」とあるが、これは冗語法である、《男性的と女性的とは、あるときは能動性と受動性の意味に、あるときは生物学的な意味に、また時には社会学的な意味にも用いられている。これら三つのつの意味のうち最初の意味が、本質的なものであり、精神分析において最も有用なものである。Man gebraucht männlich und weiblich bald im Sinne von Aktivität und Passivität, bald im biologischen und dann auch im soziologischen Sinne. Die erste dieser drei Bedeutungen ist die wesentliche und die in der Psychoanalyse zumeist verwertbare. 》(フロイト『性理論三篇』第三篇、1905年、1915年註) |
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以上、エスの欲動とは、母、トラウマ、マゾヒズムに関わるのである。 |
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ここでもう一度、ラカンのサントームセミネールに戻って確認しよう。 |
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.] (Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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ーーモノとは母である、《母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.]》(Lacan, S7, 16 Décembre 1959) |
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つまりサントーム=現実界の享楽=マゾヒズム=トラウマ=母であり、フロイトの定義通りなのである。
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