今まで繰り返していることだが、ある意図があって簡単なまとめを記す。
まずラカンの享楽はトラウマでありフロイトのモノである。 |
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享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976) |
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トラウマとは言語に同化不能な固着を意味する。 |
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現実界は、同化不能な形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964) |
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固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
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同化不能とは、フロイトにおいてモノであり固着である。 |
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同化不能な部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
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固着されたモノ[die Dinge fixieren](フロイト「フリース宛書簡」 16. 3. 1896) |
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そして同化不能なモノの別名は残滓である。 |
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我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
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残滓とは固着の残滓であり、自我に取り入れられずエスに置き残されることを意味する。 |
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常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
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人の発達史と人の心的装置において、〔・・・〕原初はすべてがエスであったのであり、自我は、外界からの継続的な影響を通じてエスから発展してきたものである。このゆっくりとした発展のあいだに、エスの或る内容は前意識状態に変わり、そうして自我に取り入れられた。他のものはエスの中で変わることなく、近づきがたいエスの核として置き残される[die Entwicklungsgeschichte der Person und ihres psychischen Apparates […] Ursprünglich war ja alles Es, das Ich ist durch den fortgesetzten Einfluss der Aussenwelt aus dem Es entwickelt worden. Während dieser langsamen Entwicklung sind gewisse Inhalte des Es in den vorbewussten Zustand gewandelt und so ins Ich aufgenommen worden. Andere sind unverändert im Es als dessen schwer zugänglicher Kern geblieben. ](フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第4章、1939年) |
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自我とはーー《自我はエスの組織化された部分である[das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es. ]》(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年)ーーだが、組織化されない部分が同化不能な固着の残滓である。 以上、ラカンの享楽は、フロイトの「トラウマ=モノ=固着=同化不能=残滓=エスへの置き残し」にほかならない。
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