2026年5月30日土曜日

凡庸と愚鈍

 


蓮實)僕がやっている批評のほとんどは無駄に近い列挙なんです。〔・・・〕ところがいまの若い人たちは列挙しないんですね。非常に優雅に自分の言葉に置き換えちゃっている。〔・・・〕僕の無駄というのは、その無謀な列挙にある。なぜ列挙するかというと、列挙することそのものがかろうじて根拠たりうるようなものしか論じないからです。〔・・・〕


流通するのは、いつも要約のほうなんです。書物そのものは絶対に流通しない。ダーヴィンにしろマルクスにしろ、要約で流通しているにすぎません。要約というのは、共同体が容認する物語への翻訳ですよね。つまり、イメージのある差異に置き換えることです。これを僕は凡庸化というのだけれど、そこで、批評の可能性が消えてしまう。主義者が生まれるのは、そのためでしょう。書物というのは、流通しないけど反復される。ドゥルーズ的な意味での反復ですよね。そして要約そのものはその反復をいたるところで抑圧する。批評は、この抑圧への闘争でなければならない。(蓮實重彦-柄谷行人対談集『闘争のエチカ』1988年)



蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 


マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。

浅田彰)…僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。


蓮實)下らない。それは批評の死を意味します。

(「対談「空白の時代」以後の二〇年」蓮實重彦+浅田彰、中央公論 2010年1 月号)



………………




『凡庸な芸術論の肖像ーーマクシム・デュ・カン論』としてここに上梓された書物は、あるとき理不尽なかたちで著者の中に住みつき、ほんの戯れのつもりで最初の一行を書き綴った瞬間に漠たる欲望となった何とも名付けがたく鈍い衝動に促されて書き継がれたものである。それが、いま、八百ページを超える言説となって提示されようとしているとき、著者をとらえるのは途方もない迂回と逸脱の実感にほかならない。何からの逸脱、どんな場所をめぐっての迂回かといえば、それまた確かなことはわからない。


すでに書き始められていた『ボヴァリー夫人論』からの逸脱、という解釈は一応は成立する。その間『ボヴァリー夫人論』は放置され、ときに同時進行することがあったとはいえ、はかばかしく進展したとはいえないからである。だが、逸脱というからには、ある時ー期まで、『凡庸な芸術家の肖像』を書こうとする意志が抑圧されながらも『ボヴァリー夫人論』執筆の背後に持続しており、 それがあるとき唐突に本道から逸れていったことになるのだろうが、事態はそのように進行したのではない。気がついてみると、いつの間にかデュ・カンの文章に読みふけっている自分を発見して驚いたというのが本当のところなのだ。


だから、『凡庸な芸術家の肖像』は一種の突発事故のようなものとして始まり、それに対処する暇もないままに書き終えられた書物だといえるかもしれない。事実、あらかじめ素描されたプランもないまま、これといった方法意識も持たずに書き継がれていったという意味で、書くことと読むこととが、ここでは同じ一つの身振りのようにかさなりあっている。だが、おそらくは、一冊の書物の執筆を突発事故と呼ぶことそのものが、凡庸な心の動きというものなのだろう。とはいえ、凡庸さという概念そのものの生成をめぐっては、いささかの言葉を書きつらねることもできようかと思う。フロベール的な愚鈍さの対極に、相対的な聡明さに自足しうる精神と、その精神に一つの役割を演じさせることで社会を安定させる力学の支配とが浮き上がってきたのである。才能の欠如が凡庸さを作るのではなく、他を凡庸と断じうる判断の根拠ならざる根拠が、さしたる理由もないままに文学的創造を支えることになる時代にわれわれが暮らしており、そのことを歴史的現実ととらえる視点を文学が欠いているという思いが、発生期の凡庸さの分析と記述に向かわしめたのだと思う。近代の発明品にほかならぬ凡庸さを、せめて消極的なイメージとしてでも浮びあがらせてみたい。マクシム・デュ・カンという個体は、その試みを遂行するにあたってのとりあえずのモデルにほかならず、そうした役割に最後まで耐えてくれたデュ・カンに対しては、感謝の気持を捧げることしかできない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』「あとがき」pp813-814)




この友情の物語で真に残酷な役割を演じているのは、間違いなくギュスターヴの方だ。彼はそれを意識することもないまま、みずからの愚鈍の残酷さによって、マクシムの相対的な聡明さを凡庸さに変容させてしまうのである。そしてその事態は、決してマクシム一人の悲劇ではない。というのも、一八五〇年を境として、文学は、相対的な聡明さが持って生まれた才能にかわってその条件となり始めながら、その条件が、たえず徹底した愚鈍の演じうる残酷さの介入におびやかされることになるからである。


しかも、人びとは、相対的な聡明さに目覚めることを才能だと勘違いし、そこにみずからの文学的な成熟の尺度を見出そうとする。もはや文学だ文学だと熱に浮かされたようにつぶやいてみても始まらず、世の中には文学いがいのもろもろの価値が存在するのだから、いまこそその脆弱な殻を破って世界へと向けて身を投じなければならぬと、相対的な聡明さは胸をはって宣言する。だが、その宣言が有効なのは、聡明さが相対的におとっている連中に対してだけである。相対的な聡明さを才能と錯覚しえたものたちが支えあう文学という名の環境は、愚鈍の残酷さに対してはどこまでも無防備であることしかできない。そしてマクシムは、その無防備な環境で最初に傷ついた記念すべき悲劇の人物である。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』「Ⅻ 友情の物語=物語の友情ーー相対的聡明さの悲劇」P183


人に知られた名前を持つということ。それは、現代では才能を持つことよりも遥かに重要なことなのだ。 おそらく、マクシムがその責任において選びとったこうした姿勢は、親から譲られた資産に護られてノルマンディーの田舎でのんびり暮し、文学をいまだ才能の問題だと信じきっているギュスターヴのそれに較べてみた場合、時代の歩みというものをはるかに正確に反映しているものといえるだろう。それと知りつつ戦略的に失望と戯れ、制度としての文学を相手に自分の役割をとりあえず演じてみせること。それは、文字通り聡明な姿勢というべきものだ。あるいは成熟したレアリスムとしてもよい、すぐれて現代的な視点だといえるだろう。ギュスターヴが選択したのは、時代遅れの愚鈍きわまりない姿勢だ。社会が社会として機能しうるのは、しかるべき数の人間たちが、マクシムの成熟した聡明さを共有しているからである。ところで、マクシムの悲劇性は、マクシムのこうした時代認識が、その友人ギュスターヴの時代錯誤に近い愚鈍さの前に、あえなく敗北してしまうことに由来している。 

〔・・・〕

つまり、聡明さには必ずその限界があるということだ。といってもそれは、頭のいい人間には理解しがたいものごとが世の中にはきまって存在するといった程度の限界ではなく、あらかじめ視界の限定を受け入れることなしには聡明さはありえないという、その生の条件としての相対性が問題なのであり、したがって文学が制度として維持されるには、こうした相対的な、ということは必然的に程よく聡明であるものたちの連帯がどうしても必要なのである。その際、愚鈍さは、聡明さにおいて相対的に劣っているといった状態ではなく、ある比較を欠いた絶対的な現象だという点を指摘しておかねばならぬ。しかもその絶対性は、決して反=制度的な振舞いなど演じてみせはしないという点が肝腎である。制度に抗うには、少なくとも抵抗すべき対象を見据えうる程よく聡明な視線がそなわっていなければならぬ。その意味で、あらゆる反抗者は、いくぶんか制度的な存在たらざるをえないだろう。 

〔・・・〕

少なくとも彼には、文学がもはや才能の問題ではなく、制度的な現象だという点を見極めうる程度には、聡明だったのである。いま、彼の青春の挫折感とともに始まった仮装と失望の時代の構造に注ぐべき視野をそなえているマクシムには、その体系と機能とを記述することが可能だし、そうした環境のもとで演ずべき文学好きの人間の役割がどんなものかをも心得ている。ところがギュスターヴは、そんなことなど想像だにしていない。しかし、それは彼がマクシムよりも聡明さにおいて劣っているからではない。彼は、いま進行しつつある世界の変容に対して、絶対的に誤った視野しか持ちえない。つまり、彼は愚鈍さそのものなのだ。ちょっと軌道を修正すれば相対的な聡明さの域に達するといった知識の欠如とは違った愚かさの中に彼は暮らしているのであり、より豊富な知識による教育の試みは決って失敗するしかないだろう。そのかたわらで聡明な身振りを演じてみても、何ら有効な効果を期待しえないはずだ。つまり、いかなる方法も、いかなる実践も、もっぱら無効であるしかないような存在こそが愚鈍さなのである。そして、マクシムの聡明さの限界とは、そうした徹底した愚鈍さが世界に存在しうることだけはどうしても理解しえなかった点に存している。目の前に、ギュスターヴと呼ばれる典型的な愚鈍さを見ていながら、その絶対的な現象を、相対的な視点でしか捉えることができなかったのである。


(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』「ⅩⅢ『遺著』という名の著作ーー聡明さの言説、そしてその限界」P187-189