2017年10月28日土曜日

いじめをめぐって(中井久夫)

中井久夫の「いじめ」をめぐる論は、「いじめの政治学」が名高い。いまは主にその前半にある「さわり」の箇所のみを引用しよう。

権力欲は(……)その快感は思いどおりにならないはずのものを思いどおりにするところにある。自己の中の葛藤は、これに直面する代わりに、より大きい権力を獲得してからにすればきっと解決しやすくなるだろう、いやその必要さえなくなるかもしれないと思いがちであり、さらなる権力の追求という形で先延べできる、このように無際限に追求してしまうということは、「これでよい」という満足点がないということであり、権力欲には真の満足がないことを示している。⋯⋯
非常に多くのものが権力欲の道具になりうる。教育も治療も介護も布教もーー。(……)個人、家庭から国家、国際社会まで、人類は権力欲をコントロールする道筋を見いだしているとはいいがたい。差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがまずない。差別された者、抑圧されている者がしばしば差別者になる機微の一つでもある。⋯⋯⋯
いじめられる者がいかにいじめられるに値するかというPR作戦(……)。些細な身体的特徴や癖からはじまって、いわれのない穢れや美醜や何ということはない行動や一寸した癖が問題になる。これは周囲の差別意識に訴える力がある。何の意味であっても「自分より下」の者がいることはリーダーになりたくてなれない人間の権力への飢餓感を多少軽くする。⋯⋯⋯
子どもの社会は権力社会であるという側面を持つ。子どもは家族や社会の中で権力を持てないだけ、いっそう権力に飢えている。子どもが家族の中で権力を制限され、権力を振るわれていることが大きければ大きいほど、子どもの飢えは増大する。⋯⋯⋯

いじめる側の子どもにかんする研究は少ない。彼らが研究に登場するのは、家族の中で暴力を振るわれている場合である。あるいは発言したくても発言権がなくて、無力感にさいなまれている場合である。たとえば、どれだけ多くの子どもが家庭にあって、父母あるいは嫁姑の確執に対して一言いいたくて、しかしいえなくて身悶えする思いでいることか。(中井久夫「いじめの政治学」初出1997年『アリアドネからの糸』所収)

だが、この「いじめの政治学」の約十年前に書かれた「精神科医からみた子どもの問題」にも多くのすぐれた指摘がある。もっとも、たとえばインターネット情報が流通する以前の、三十年以上前の論なので、細部の微調整は必要ではあるが。

精神科医が教育の問題を論じるには限界がいくつかある。

第一は、教育の現場が一種の密室であって、部外者が立ち入ると、場が必然的に変化してしまうということである。医療の現場と同じく、ありのままを観察することは原理的に困難である。

第二に、精神科医は、ごくかぎられた、病気といわれる域に達した、ある意味では極端な事例をとおしてしか、直接問題に接することができない。そういう場合には、ありきたりの例ではみえないものを照らしだすという利点もあるだろうが、極論に傾きやすい。精神科医の発言が比較的俗耳にはいりやすいのも、極端な例を挙げがちで、センセーショナルに受けとられやすいからという一面があるだろう。自戒すべきことである。

第三に、医学は経験と試行をくりかえして、ある解決法に達するものであるから、新しい問題が発生してから解決の定式がほぼできあがるまでには、ある一定の時間が必要である。戦後の児童精神医学にかんする限り、その期間を二十年とみてよいと私は思う。われわれは「いつも遅れて到着する」のである。これは、伝染病であろうと家庭内暴力であろうと、経験主義的立場に立つ限り、相違はない。(⋯⋯)
いじめの問題には、いくつかの層を区別する必要があると私は思う。

第一に、ある発達段階において意地悪あるいはいじめの現象には、人間あるいはそれ以前の動物において広くみられる永遠の問題だという部分がある。一九二二年にシュデルップ=ヘッペがニワトリのつつき順位を報告して以来、動物の集団には順位があり、それを確認する行為がいろいろな形でみられることが知られている。

ここで、最近強調されていることは、天然に生きる動物では、必ずしも、順位制による差別や虐待が絶対的・単線的なものではないということである。離れ猿になると利点がいくつもある。群の中でも逃がれ道はいくつもあり、ボスの地位は絶対的ではない。飼育によって順位制の論理が非常に強く貫徹するようになるということである。

動物園の動物はじめ飼育動物が一種の神経症状態になっていることがわかっているが、いささか気になることは、人間は自分で自分を動物園にとじこめて飼育している奇妙な動物である、というモリスの指摘である。人間は、攻撃性の処理を社会的にどう行うかが、そもそものはじめから大問題であった動物のようだ。数百万年前の原人の頭蓋骨に石の斧が食いこんだ跡があると聞かされると、まことにうんざりするが、事実は正視せざるをえまい。

教育とくに初等教育における対人関係発達論的な大課題を、アメリカの精神科医サリヴァンが三つのC、すなわち競争(コンベンション)、協力(コーペレーション)、妥協(コンプロマイズ)であるとしたのは、攻撃性を手なずける上で深い意味があるのであろう。これは校庭でも教室でも第一の課題とされるべきものである。これに成功しない人は、思春期の混乱をとおりぬけて成熟した成人になることが困難になる。

家庭教育でやりにくいのが、この三つのCである。第一に、家庭には同年齢の仲間は普通いないからである。年齢の接近したきょうだいは、母の愛をめぐって、むしろ強い葛藤関係にある。第二に、家庭はあまりに密接な人間関係である。密接な人間関係はすべての人間関係の代表ではない。たとえば、食うか食われるかの関係になりやすい(嫁姑問題など)。ある距離をおいた人間関係にはそれ自身の価値があり、安らぎと遊び(創造性)がある。家庭の中だけで育った子どもには味わえないものだ。そういう子は重力の強すぎる星で育った人のようなものである。第三に、最近特にそうであるが、家庭はごく少数の人間から成りたっているから、その人たちが偏っている確率は決してすくなくない。そもそも「人類の代表」を父母だけで演じるわけにはゆかない。これを修正するという仕事も初等教育にまかされている。

教育の前段階において若者をあつめて何らかの集団をつくるようにしている部族は多いはずである。ブッシュマンの社会においては、親族関係によって冗談を言ってよい相手――ジョーキング・パートナー ――と言ってはいけない相手がきまっているというが、これは攻撃性を放電する一つの回路としての冗談(からかい)の制度化という、すぐれた解決法である。

冗談、からかい、地口、皮肉――これらの中には攻撃性が薄められてはいっている。しかし、薄められた攻撃性は遊びに接続しており、むきだしの攻撃性にたいする一種の免疫効果がある。冗談と言葉遊びと遊戯との三者の間に密接な関係があるのは、遊戯の多くが冗談的な言葉遊びを伴奏として行なわれること一つを考えてみてもわかる。これれは、先の三Cを教えるものである。他者との妥協は自分(の欲望など)との妥協でもある。それなしには他者と交わることができないのを遊びは教える。

私は、思春期の問題が声たかくとりあげられていた時に、たとえば悪いが、破産する会社は破産の時点での運営が問題であるよりも、その前の時期の放蕩経営こそが破産の素地をつくったのであろうから、そのように、思春期に先行する児童期ーー精神分析でいう「潜伏期」--がどうなっているかを調べる必要があると主張したことがある。当時は、児童期はいちばん問題のない時期とされていた。私は、児童期の子が大人顔まけのいやらしい現実主義者であり、政治的動物になれると述べた。今は問題が思春期をまたずにあらわれて児童期のいじめになっていると考えることができる。
ここで、第二の側面、すなわち時代の流れの中での問題にはいろう。一体何が問題を即座に破綻させるようになったのか。多くの指摘があって、いずれも一面をとらえていると思う。学園紛争の中にも、校内暴力の中にも、不登校の中にも、家庭内暴力の中にも、いじめ的要素はあった。いずれも「無理難題」を吹きかけて相手を追いつめるという戦略が主流だった。ただ、思春期の新しい問題が上を表土のようにおおっていた。ただそれだけだったのか。それが、思春期をとおらないで即座に出現したので何の粉飾もない「殺風景」な「いじめ」というものになったのか。

学園紛争が、全世界同時的に、一九六八年を中心に起こったのには、多くの者が説明にくるしんだ。私は、結局、第二次大戦からの時間的距離しかアメリカから日本、フランス、さらに中国に至るまでの共通項はなかろうと考えた。戦時中から戦後にかけての兵役、捕虜などによる父親不在があり、さらに日本では敗戦による成人の価値変換をまのあたりに見てそだった世代の子どもたちである。親が戦後の社会改革の中でもまれて中心的価値をみうしなったことが問題なのか。両親の家族中心主義。大量出産が示す家庭志向(ベビー・ブームはどの国の戦後にも起こった)への反発か。あるいは親の挫折感(戦後には「世直し」期待が戦勝国でも敗戦国でも発生したが失望におわった)を継承しているのか。とにかく、青年として戦争をすごした親から生れた子が紛争世代であった。

では、今の小・中学生は? ちょうど高度成長時代に小・中学生時代を送った親の子ではないか。高度成長時代は生活の基盤そのものが移動した時代であった。将来こうもあろうかと予想していなかったものが次々にあらわれた。ヨーロッパの一国――ギリシャだったかボルトガルだったかーーをついに追いこしたと、通産省が誇らしげに発表したのは一九六〇年ごろだったと思う。その直前まで日本は確実に第三世界に分類されており、その指導者たちの集まるバンドン会議に代表を送ることを不思議に思う者はいなかった。

生活が急速に向上した家庭の子どもは、特殊な自己規定困難を背負いこむ。幼児期は民間アパートで、小児期は団地で、思春期はマンションで、青年期になって豪邸で過した人は、その都度なじんだ環境に別れ、友人を失うだけでなく、自分にたいする周囲の目も、呼び方も、しかるべき服装も言葉も振舞いも換えねばならない。こういうことに耐えて成長する子があることも確かだが、混乱と混沌に陥る者の比率も増大する。病気にはならなくても、弱点をしょいこむ者はずっと多いだろう。高度成長時代の日本人の大部分がそうだったと言えるかもしれない。いわゆるニュー・ファミリー世代である。海外旅行は一九六〇年代半ばまでは上流階級のものであった。外国に旅行することは少年時代の人生計画の予定外だった。

高度成長は終わったが、生活の変化はつづいた。普遍的職業としての「サラリーマン」は消えた。文系の高等教育を受けて帳簿をつけて会議にでて一生を送るという、江戸時代の武士の延長のような存在は決定的になくなった。平均的な人間が生きにくい時代になった。「こつこつやっていれば報いられる」という教えを説くことが、家庭でも学校でもむつかしくなった。さらに、単身赴任者が三分の一に及ぶという時代になった。都会人でも田舎の人でもない、住宅地人、団地人、つまり「あなたの故郷は?」ときかれて答えられない人が大量に発生した。これが単身赴任を心理的にやさしくしたのであろう。一方、持ち家政策で一戸建の家に住む日本人は有史以来の率にたっした。単身赴任は、労働の能率化・流動化と持ち家政策との矛盾に発生したともいえる。ニュー・ファミリーを待っていた試練である。

こういう時代の人の子が、今小学生から中学生になっているのである。
しかし、今問題になっている「いじめ」の内容には新しさがあるのだろうか? 新しさとしてあげられているものは、そのしつこさ、限度の知らなさである。昔はそうでなかったという。しかし、それは戦前の陸軍の新兵いじめ、戦時中の疎開学童いじめを知らないものである。(……)

いじめの体験でいちばんつらいのは、成人に訴えても甲斐ないことであり、友人も巻きぞえを避けることであり、しかも一つ一つを取りあげれば些細な事件とされることである。時には被害者の気力のないせいにされる。「出口なし」という状況である。こういう体験を社会への出発にあたって持った人が人生に悲観的になりやすいとしても、それは当然であろう。

この世代の戦争体験は、空襲で逃げまわり、空腹に耐える体験えあり、少し年長の世代のように、精神的に戦争に賛成したとか積極的に参加したという意識が希薄である。私もこの世代だが、空襲は台風に近い天然現象であって、恐怖ではあったが、アメリカにたいする敵意は実感がなかった。物心ついた時はすでに戦争であったから、そもそも戦争していない日本というものが考えにくかった。いじめのほうが空襲とちがって毎日のことであり、空襲よりも対応策がなく、空襲の時よりも周囲からみすてられていた。先の調査でも、戦時中の恐怖体験の有無と自殺親近性とは、被虐待体験の有無ほど相関性がないのである。

この世代の子は紛争以後の比較的平穏な学園時代を作ったともいえる。親の教育指向が強いのは、教育への機会が急速に増大した時代に青少年期を生きたからかもしれない。一方では、教育ママを生み、不登校児をも生んだ。しかし、教育への信頼はまだあったと思う。今の小・中学生の親は教育にたいして何を期待してよいか、わからなくなっているような感じを持つ。いわゆる教育ママは減少して当然である。階級が教育によってこえるには厚すぎる壁になりつつあるから。
第三の側面がほの見える。つまり、日本文化に内在するいじめのパターンがあるのではないか。戦時中のいじめーー新兵いじめをさらに遡れば、御殿女中いじめがある。現在でも新人いじめがあり、小役人の市民いじめがあり、孤立した個人にたいする庶民大衆のいじめがある。医師の社会にもあり、教師の社会にもあるだろう。ねちねちと意地悪く、しつこく、些細なことをとらえ、それを拡大して本質的に悪い(ダメな)者ときめつけ、徒党をくんでいっそうの孤立を図る。完全に無力化すれば、限度のないなぶり、いたぶりに至る。連合赤軍の物語で私を最もうんざりさせたのは、戦時中の新兵いじめ、疎開学童いじめと全く同じパターンだったことである。そういえば、シベリアの捕虜の間でも「暁に祈る」という、死に至らしめるいじめがあった。忠臣蔵という芝居が江戸時代を通じて上演記録の一、二を(佐倉宗五郎とともに)争い、今日もくり返しテレビに登場して高い視聴率を挙げているのは、いじめに対して反撃して挫折した者の感情がこめられているのではないか。幕府は冷酷だった。しかし(実際の被害者は通常もてないところの)家来たちがかたきをとってくれる。幻想の中の解放感である。

この第三の側面は、私には日本人のいちばんいやな面である。戦時中の日本兵の残虐行為も、このパターンであったろう。
こういうものは何によって生まれるのか。私には急に答えられないが、思い合わせるのは、実験神経症である。些細な差にたいする反応のいかんによって賞か罰かが決まるような状況におけば、無差別的な攻撃行為や自分を傷つける行為が起こる。新兵いじめでは些細な規律違反が問題になった。御殿女中では些細な行動が礼儀作法にかなっているかどうかが問題になった。連合赤軍では些細な服装や言葉づかいが、かくれた「ブルジョア性」のあらわれではないかと問題になった。いずれも、閉鎖社会であり、その掲げる目的を誰もほんとうには信じていない状況であった。

戦時中の教師はよく殴ったが、それで日本精神を注入して戦争に勝てるとはほんとうに思っていなかったにちがいない。人間は、自分が信じていないということを自覚しないで、信じているぞと自他に示そうとするとかなり危険な動物になる。

もちろん、信じていないことをしなければならないことはしばしば起こる。誰もが英雄ではないし、英雄には英雄の問題がある。最低、必要なのは、自分の影をみつめることのできるユーモア精神だと私は思う。

誰にも攻撃性はある。自分の攻撃性を自覚しない時、特に、自分は攻撃性の毒をもっていないと錯覚して、自分の行為は大義名分によるものだと自分に言い聞かせる時が危ない。医師や教師のような、人間をちょっと人間より高いところから扱うような職業には特にその危険がある。
いじめの現象は、時代をこえた永遠なものがあり、時代の流れによるものがあり、一世代前の影響がある。流行さえあるだろう。流行の部分は「いじめなんてダサイ」という噂を流すだけでなくなるかもしれない。しかし、それだけでは、いじめが外にむかって「障碍者いじめ」「老人いじめ」になる可能性がある。すでに「浮浪者いじめ」がでた。そして、すでに引用した例からも、少年期のいじめられ体験が生涯の終わりにまで影響することをみた。このことを思えば、われわれは少なくとも、してはよくないだろうことはしないようにしたいものである。荒れた精神病棟を再建するには、まずどの患者をも無視せずにていねいにあいさつし、なるべく病棟への滞在時間を長くし、スタッフにはユーモアをもって対し、性急に一致を求めず、そしていつも楽観論を心にもっていることである。有益なことをしようとあせるよりも、人間の自然回復力を信じて、有害なことをしないようにしようと心掛けることである。これは今でも通用する方法である。教育の世界にも多少は他山の石になるだろうか。(中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」1986初出『記憶の肖像』所収)

⋯⋯⋯⋯

以下、別の論からも二箇所抜き出しておく。

一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなお してみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。 このようなことが問題になるのは、風邪のように、あまりこちらのこころが巻き込まれずにす む病気が精神科には少ないからである。精神科治療者の先祖は、手軽な治療師ではな い。シャーマンなど、重い病気にいのちがけで立ち向かった古代の治療者である。 しかし私たちは、一部の民間治療者のように、自分だけの特別の治療的才能を誇る者ではない。 私たちを内面的にも外面的にも守ってくれるのは、無名性である。 本当の名医は名医と思っていないで、日々の糧のために働いていると思っているはずで ある。 しかし、ベテランでもライバル意識や権力欲が頭をもたげると、とんでもない道に迷い込む ことがある。これらは隠れていた劣等感のあらわれである。特別の治療の才を誇る者がも っともやっかみの強い人であるのは、民間治療者だけではない。 (中井久夫『看護のための精神医学』2004年 )
日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年初出『徴候・記憶・外傷』所収)

最後にもう一つ。《性的虐待の昨日の犠牲者は、今日の加害者になる恐れがあるとは今では公然の秘密である。》(When psychoanalysis meets Law and Evil、 Jochem Willemsen and Paul Verhaeghe  2010)ーーであるならば、いじめ被害者は当然いじめ加害者になりがちであることをめぐって。


治療における患者の特性であるが、統合失調症患者を診なれてきた私は、統合失調症患者に比べて、外傷系の患者は、治療者に対して多少とも「侵入的」であると感じる。この侵入性はヒントの一つである。それは深夜の電話のこともあり、多数の手紙(一日数回に及ぶ!)のこともあり、私生活への関心、当惑させるような打ち明け話であることもある。たいていは無邪気な範囲のことであるが、意図的妨害と受け取られる程度になることもある。彼/彼女らが「侵入」をこうむったからには、多少「侵入的」となるのも当然であろうか。世話になった友人に対してストーキング的な電話をかけつづける例もあった。

特に、男性治療者に対する誘惑的な態度は、不幸にもレイプによって女性としての歴史を始めた場合に多い印象がある。それは必ずしも治療者ではなく異性一般に向かい、時に結ばれるところまで行くが、結婚の場合、男性側の「同情結婚」となっていることも多く、しかも結婚当初から波瀾が多く、不仲を継続している。その中には結婚に伴う行為が配偶者にはわからないままでセカンド・レイプになっている場合もあるにちがいない。配偶者がこれに気づくことは一般に期待できず、事態は螺旋状に悪循環となって、精神科医に相談されるならまだしも、そのまま離婚となっている場合も少なくないのではないか。「夫の理不尽性」が主訴であって、しかも具体的内容に乏しい時には、特にその可能性が高い。

それが思春期の事件であった場合だけでなく、幼児の性虐待の再演である場合もある。成人期における男女交際において、同情的な男性も親密になれば性的接近にうかうかと陥る。これが女性には過去の再演となる。これは、児童期の性虐待自体がまず同情を示して児童に接近する場合が少なくないからであろう。一見「堅い」人物が性的劣等感を持ち、あるいは社会的に禁欲を強いられ(寡夫や障碍者)ているうちに、たまたま攻撃者となり、攻撃が児童に向かって時に噴出することがありうる。男性教師が、不幸な家庭の、才能があって美しい女性徒に同情し可愛がることが、性的凌辱に終わることもあり、結婚に至ることもあるが、幸福な結婚となる場合もそうでない場合もある。婚外関係において、打ち明け手と選んだ「立派な」人が性的接近者となってしまう場合もある。彼女は「結局はこの人も男性にすぎないのだ」と結論し、隠微な方法でこれは世間に暴露する。男性一般への一つの復仇である。こういう場合に「境界型人格障害」という診断を下すのはまだしも、インテンシヴな治療を試みて難症化が起こることは大いにありうるのではないか。

犠牲者は聖者ではない。彼女が傷口に塩を塗るような「精神的リストカット」を行うことも、外傷の再演を強迫的に求めることも、どんな男性もしょせん男性であることを確認しようとすることも、これらがすべてないまぜになっていることもありうる。

スイスの研究者ヴィリーがその論文「ヒステリー性結婚」において挙げているいくつかの例は明らかに同情結婚である。彼は同情する男性でなく同情される一見清純な女性のほうに過去の男性関係があることを述べ、さらに彼のいうヒステリー性結婚においては性は妻の権力の道具となり、同情する夫が性的に迫れば「不潔」と退け、遠ざかっていると「冷たい」と罵ることによって、夫の立つ瀬をなくし、支配するさまを、最後の乾ききった「ヒステリー性欠損結婚」期まで四期にわけて追跡しているが、ヴィリーがいささか辛口の皮肉を交えて述べている女性たちがかつての性被害者である可能性を私は思わずにはいられない。性を権力の道具として女性を支配するのは性加害者の特徴であるからである。妻の現在の行動は加害者との同一視を経ての性の権力化であろうか、それとも転移を経ての、あるいは異性一般への端的な復讐であろうか。「男性は皆五十歩百歩である」ことを反復確認しているのであろうか。そしてそれは被害者の自責感を軽減するのであろうかまた、「同情的結婚者」も意識的・無意識的に「恩に着せる」支配者でありうる。夫からのDVへの通路も開かれている。

幻想的復讐を初め、これらの被害者側の行為は外傷の治癒に寄与せず、むしろ「化膿」をひどくするからこそ強迫的反復が起こるのであろう。治療者も、この行為の被害者(にして加害者)となることがあり、その確率は相手の外傷被害性に気づいていない場合に特に高い。特定の具体的被害を同定する前に、これらを含めて外傷被害者的特性に対する感覚を持っている必要がここにある。通常の逆転移分析では足りない。いずれにせよ、このような例では、治療者が困惑する事態が頻繁に起こり、対処に苦しむことが多い。

時には、被害者が、家族の誰かの治療者役を演じることによって、その誰かの「病気」を永続させる結果になっていることもある。その誰かが治癒した時に、被害者の重大な障害が明らかになったこともあった。

私たち治療者も、私たちが治療者になった動機の中に外傷性の因子があって、それが治療の盲点を創り、あるいは逆転移性行動化に導いていないかどうか、吟味してみる必要があるだろう。男女を問わず成人になる過程で、あるいは成人以後に外傷を負わない人間はあっても少ない。直感的に「苦手な患者」が自己の外傷と関係している場合もある(たとえば私の戦時下幼少時の飢餓体験とそれをめぐる人間的相克体験は神経性食欲不振者の治療を困難にしてきた)。逆に「特別の治療に値する患者」と思い込む危険な場合もある。いずれも、治療者を引き受けないことが望ましく、外的事情でやむをえず引き受ける際には、スーパーヴァイザーあるいはバディ(秘密を守ってくれる相互打ち明け手)を用意するべきである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年初出『徴候・記憶・外傷』所収)