2019年2月15日金曜日

簡潔版:二つの現実界

以下、「「二つの現実界」についての当面の結論」と「女性の享楽は享楽自体のこと」の簡潔版である。

⋯⋯⋯⋯

象徴秩序(言語秩序)のなかには現実界の機能(テュケー)がある。

シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants、その近代数学的機械 mathématique moderne, des machines …それがオートマトン αύτόματον [ automaton ]であり…他方、テュケー τύχη [ tuché ]は現実界との出会い rencontre du réel と定義する。(ラカン、S11, 05 Février 1964)
テュケーtuchéの機能、出会いとしての現実界の機能fonction du réel ということであるが、それは、出会いとは言っても、出会い損なうかもしれない出会いのことであり、本質的には、「出会い損ね」としての「現前」« présence » comme « rencontre manquée » である。(ラカン、S11、12 Février 1964)

ここでのオートマトンは見ての通り、象徴界のなかの自動連鎖(機械)という意味で、晩年のラカンの《現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire 》(S 25, 10 Janvier 1978)という意味でのオートマトン(自動反復)とはまったく異なる。

症状は、現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン、三人目の女 La Troisième、1974、1er Novembre 1974)

ラカンが上のように言うときは、フロイトの《反復強迫 Wiederholungszwang》、あるいは身体の《自動反復 Automatismus 》のことである(後述)。

現在、主流臨床ラカン派では「二つの現実界」ということが強調されている。それは1975年「サントーム」のセミネールでラカンが示した二つの穴に直接的にかかわる。




ラカン用語において穴Trou(トラウマ)とは現実界のことである。

現実界が…「穴=トラウマtroumatisme 」をつくる。(ラカン、S21、19 Février 1974)
私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン、Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

上のボロメオの環図式における象徴界のなかの穴が、「象徴界のなかの現実界の機能」である。他方、想像界と現実界の重なり箇所にある「真の穴」が、フロイトの「リビドー固着による反復強迫としての現実界」である。

現実界 Le Réel は外立する ex-siste。外部における外立 Ex-sistence。この外立は、象徴的形式化の限界 limite de la formalisationに偶然に出会うこととは大きく異なる。…

象徴的形式化の限界との遭遇あるいは《書かれぬことを止めぬもの ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire 》との偶然の出会いとは、ラカンの表現によれは、象徴界のなかの「現実界の機能 fonction du réel」である。そしてこれは象徴界外の現実界と区別されなければならない。(コレット・ソレール Colette Soler, L'inconscient Réinventé、2009)


以下、現実界①と現実界②として記述する。



現実界①とは、象徴界(シニフィアンのネットワーク)のなかの自動反復(オートマトン)の裂け目に、偶然として不可能な現実界との遭遇があるということである。フロイトの「自由連想」もこの審級にある。科学的現実界も同様。


ラカンが次のように言うときは現実界①である。

現実界は形式化の行き詰まりに刻印される以外の何ものでもない le réel ne saurait s'inscrire que d'une impasse de la formalisation(LACAN, S20、20 Mars 1973)
現実界は、見せかけ(象徴秩序)のなかに穴を作る。ce qui est réel : ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)


上にもいくらか引用したが、ラカンが次のように言うときは、現実界②である。

症状は、現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン、三人目の女 La Troisième、1974、1er Novembre 1974)
現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (S 25, 10 Janvier 1978)
現実界、それは話す身体の神秘、無意識の神秘である Le réel, dirai-je, c’est le mystère du corps parlant, c’est le mystère de l’inconscient(ラカン、S20、15 mai 1973)
私は、現実界は法のないものに違いないと信じている je crois que le Réel est, il faut bien le dire, sans loi。…真の現実界は法の不在(法なき現実界)を意味する Le vrai Réel implique l'absence de loi。現実界は秩序を持たない Le Réel n'a pas d'ordre。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)


法なき現実界は、ジャック=アラン・ミレールの次の文に現れる。

ラカンによって発明された現実界は、科学の現実界ではない。ラカンの現実界は、「両性のあいだの自然な法が欠けている manque la loi naturelle du rapport sexuel」ゆえの、偶発的 hasard な現実界、行き当たりばったりcontingent の現実界である。これ(性的非関係)は、「現実界のなかの知の穴 trou de savoir dans le réel」である。

ラカンは、科学の支えを得るために、マテーム(数学素材)を使用した。たとえば性別化の式において、ラカンは、数学的論理の織物のなかに「セクシャリティの袋小路 impasses de la sexualité」を把握しようとした。これは英雄的試み tentative héroïque だった、数学的論理の方法にて精神分析を「現実界の科学 une science du rée」へと作り上げるための。しかしそれは、享楽をファルス関数の記号のなかの檻に幽閉する enfermant la jouissance ことなしでは為されえない。

(⋯⋯)性別化の式は、「身体とララングとのあいだの最初期の衝撃 choc initial du corps avec lalangue」のちに介入された「二次的構築物(二次的結果 conséquence secondaire)」にすぎない。この最初期の衝撃は、「法なき現実界 réel sans loi」 、「論理なきsans logique 現実界」を構成する。論理はのちに導入されるだけである。加工して・幻想にて・知を想定された主体にて・そして精神分析にて avec l'élaboration, le fantasme, le sujet supposé savoir et la psychanalyse。(ミレール 、JACQUES-ALAIN MILLER、「21世紀における現実界 LE RÉEL AU XXIèmeSIÈCLE」2012年)


現在の主流臨床ラカン派(コレット・ソレール、ジャック=アラン・ミレールに代表される)においては、ラカンはセミネール20「アンコール」の後半で移行があったとされている。上のミレール文は、アンコールにおける名高い「性別化の式」のデフレ(価値下落)を示している。


そしてこの現実界②とは、フロイトの反復強迫のことである。この反復強迫は、リビドー固着(身体の上への刻印)による自動反復である。フロイトは「トラウマへの固着」とも呼んだ(参照:リビドーのトラウマへの固着)。

私は昨年言ったことを繰り返そう、フロイトの『制止、症状、不安』は、後期ラカンの教えの鍵 la clef du dernier enseignement de Lacan である。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, Le PartenaireSymptôme 19/11/97)
フロイトの『終りある分析と終りなき分析』(1937年)の第8章とともに、われわれは、『制止、症状、不安』(1926年)の究極の章である第10章を読まなければならない。…そこには欲動が囚われる反復強迫 Wiederholungszwangの作用、その自動反復 automatisme de répétition( Automatismus)の記述がある。

そして『制止、症状、不安』11章「補足 Addendum B 」には、本源的な文 phrase essentielle がある。フロイトはこう書いている。《欲動要求は現実界的な何ものかである Triebanspruch etwas Reales ist(exigence pulsionnelle est quelque chose de réel)》。(J.-A. MILLER, - Année 2011 - Cours n° 3 - 2/2/2011)

フロイトから抜き出せば次の通り。

「自動反復 Automatismus」、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯この固着する要素 Das fixierende Moment an der Verdrängungは、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es である。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)

ミレールによる次の文における「反復」を「オートマトン」(=現実界の「自動反復」)に置き換えて読めばここで言っていることが瞭然とするだろう。

反復を、初期ラカンは象徴秩序の側に位置づけた。…だがその後、反復がとても規則的に現れうる場合、反復を、基本的に現実界のトラウマ réel trauma の側に置いた。

フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマである。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(ミレール 、J.-A. MILLER, - Année 2011 - Cours n° 3 - 2/2/2011 )

中期ラカンにおいてもすでにフロイト語彙に準拠しつつこう言っている。

現実界は、同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。(ラカン、S11、12 Février 1964)
同化不能の部分(モノ)einen unassimilierbaren Teil (das Ding)(フロイト『心理学草案 Entwurf einer Psychologie』1895、死後出版)

モノ、すなわち、《フロイトのモノChose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。》(ラカン、S23, 13 Avril 1976)