2023年5月26日金曜日

わたしの内部の湖水から吹き荒れ溢れ出す諸力の海へ、あるいは永遠回帰=力への意志=欲動へ

 


たしかにわたしの内部には一つの湖水がある。 隠栖を愛し、自分に満ち足りている湖水が。しかしわたしの愛の奔流は、その湖水を連れ去るのだ、下へ、海へ。


Wohl ist ein See in mir, ein einsiedlerischer, selbstgenugsamer; aber mein Strom der Liebe reisst ihn mit sich hinab - zum Meere!  (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部「鏡をもった小児」1884年)


この世界とは、始まりも終わりもない途方もない力[Kraft]であり、増えることも減ることもなく、使い果たされることもなく、むしろただ変転するだけの、全体として不変の大きさの、確固とした揺るぎない量 [Größe ]の力であり、支出も損失もないかわりに、同様に成長も収入もない家計であり、おのれの限界以外には「なにもの」にも限定されず、消滅することも浪費されることもなく、無限に膨張することもなく、むしろ一定の力として一定の空間に収められ、しかもその空間はどこも空虚ではなく、というよりも力として偏在し、諸力の戯れ[Spiel von Kräften]として、すなわち力-波動[Kraftwelle] として、一であると同時に「多」[zugleich Eins und "Vieles"]であり、ここで積み重なると同時にあそこで減り沈み、おのれのなかで吹き荒れ溢れ出す諸力の海[ein Meer in sich selber stürmender und fluthender Kräfteであり、途方もない年月をかけた回帰と、その諸形態の干満でもって、永遠に彷徨と後退を繰り返し、もっとも単純なものからもっとも複雑なものヘと、もっとも静謐で動じることなく冷厳としたものからもっとも灼熱し荒々しく自己矛盾に充ちたものへと追い立てては、また再び充溢から単純へと連れ戻って、矛盾の戯れから調和の歓びへと引き返し、みずからおのれを肯定しつつ、なおこの同一の自分の軌道と年月からはずれず、永遠に回帰せざるを得ないものとして[was ewig wiederkommen muß]、いかなる飽食も倦怠も疲労も知らない生成としてみずからおのれを祝福する、永遠なる自己創造と自己破壊のこのわたしのディオニュソス的世界[diese meine dionysische Welt des Ewig-sich-selber-Schaffens, des Ewig-sich-selber-Zerstörens]、二重の歓喜のこの秘められた世界、循環の幸福に目的はないという意味で無目標で、自己自身への円環は善き意志を持たないという意味で無意志である、このわたしの善悪の彼岸。


ーーあなたはこの世界にとっての名を欲するか、あなたのすべての神秘に対する解決策を?あなたにとっての光であると同時に、もっとも隠された、もっとも強い、もっとも恐れを知らない、もっとも真夜中を? 

ーーこの世界は、力への意志であり、それ以外の何ものでもない! そしてあなた自身もまた力への意志であり、それ以外の何ものでもない![- Diese Welt ist der Wille zur Macht - und nichts außerdem! Und auch ihr selber seid dieser Wille zur Macht - und nichts außerdem!  ](ニーチェ「力への意志」草稿IN Ende 1886- Frühjahr 1887: KSA 11/610-611 (WM 1067))




すべての欲動力(駆り立てる力)[ alle treibende Kraft]は力への意志であり、それ以外にどんな身体的力、力動的力、心的力もない[Daß alle treibende Kraft Wille zur Macht ist, das es keine physische, dynamische oder psychische Kraft außerdem giebt](ニーチェ「力への意志」遺稿 Anfang 1888)

私は、ギリシャ人たちの最も強い本能、力への意志を見てとり、彼らがこの「欲動の飼い馴らされていない暴力」に戦慄するのを見てとった[.Ich sah ihren stärksten Instinkt, den Willen zur Macht, ich sah sie zittern vor der unbändigen Gewalt dieses Triebs](ニーチェ「私が古人に負うところのもの」第3節『偶然の黄昏』所収、1888)

欲動は聖なるものとなる、つまり「悦への渇き、生成への渇き、力への渇き」である[die Triebe heilig geworden: "der Durst nach Lüsten, der Durst nach Werden, der Durst nach Macht"](ニーチェ「力への意志」遺稿第223番、1882 - Frühjahr 1887)




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欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)

自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)

マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている[Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat.]〔・・・〕

我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない[Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann. ](フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


より深い本能としての破壊への意志、自己破壊の本能、無への意志[der Wille zur Zerstörung als Wille eines noch tieferen Instinkts, des Instinkts der Selbstzerstörung, des Willens ins Nichts](ニーチェ遺稿、den 10. Juni 1887)


すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort](Lacan, E848, 1966)

タナトスの形式の下でのエロス [Eρως [Éros]…sous  la forme du Θάνατος [Tanathos] ](Lacan, S20, 20 Février 1973)


愛への意志、それは死をも意志することである[ Wille zur Liebe: das ist, willig auch sein zum Tode]。おまえたち臆病者に、わたしはそう告げる[Also rede ich zu euch Feiglingen! ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』  第2部「無垢な認識」1884年)


ーー《死は愛である [la mort, c'est l'amour.]》(Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)