2024年4月4日木曜日

忘れられたものは行為として呼び戻される

 

質問をもらっているが、初期ラカンは次のように言っている。

想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique :  page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige.  Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)

抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation.  ](Lacan, S1, 07 Avril 1954)



このラカンのジャック=アラン・ミレール注釈は次の通り。


ラカンは欲動の対象との関係において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした。これが次の凝縮された叙述が意味していることである、《このページは忘れられている。だが行為として呼び戻される》。これが意味するのは、抑圧されたものの回帰は欲動的享楽に関係するということである。

Lacan veut penser le rapport à l'objet pulsionnel sur le modèle du refoulé. C'est ça qui passe dans cette petite description. En effet il dit : « cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ». C'est dire qu'ici, il veut impliquer le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle.  

(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/1999)




まず先のラカンはフロイトの次の文の言い換えである。


人は、忘れられたものや抑圧されたものを思い出すわけではなく、むしろそれを行為にあらわす。人はそれを(言語的な)記憶として再生するのではなく、行為として再現する。彼はもちろん自分がそれを反復していることを知らずに(行為として)反復している[der Analysierte erinnere überhaupt nichts von dem Vergessenen und Verdrängten, sondern er agiere es. Er reproduziert es nicht als Erinnerung, sondern als Tat, er wiederholt es, ohne natürlich zu wissen, daß er es wiederholt. ]。(フロイト『想起、反復、徹底操作』1914年)


ここでの抑圧は第一次抑圧としての固着である。

抑圧の第一段階は、あらゆる抑圧の先駆けでありその条件をなしている固着である[das »Verdrängung«…Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年)


抑圧の第一段階は原抑圧であり、先のラカンは厳密には「原抑圧されたものの回帰」を言っている。

われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある[Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung](フロイト『抑圧』1915年)


さらにミレールが、《ラカンは欲動の対象との関係において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした[Lacan veut penser le rapport à l'objet pulsionnel sur le modèle du refoulé]》と注釈しているのは、フロイトにとって欲動の対象は、固着だから。


欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に、対象への欲動の拘束[Bindung des Triebes ]がある場合、それを固着[Fixierung]と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。

Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. (…)  Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト『欲動とその運命』1915年)



以上。