2021年10月12日火曜日

喪われた対象について

  フロイトラカンにおいて、人が反復を繰り返す原因は「喪われた対象」にある。


反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]。〔・・・〕フロイトは強調している、反復自体のなかに、享楽の喪失があると[FREUD insiste :  que dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]。ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能がある。これがフロイトだ[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD].   〔・・・〕フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽」への探求の相がある[conçu seulement sous cette dimension de la recherche de cette jouissance ruineuse, que tourne tout le texte de FREUD.]〔・・・〕

享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)



人には種々の「喪われた対象」がある。だが根源にある喪われた対象は、上にあるようにモノである。


原初にある「享楽の対象としてのモノ=喪われた対象」とは、より具体的には何だろうか。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger ](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

モノは母である[das Ding, qui est la mère ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)

モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)


異者とはフロイトの定義においてトラウマでありーー《トラウマないしはトラウマの記憶は、異物 (異者としての身体[Fremdkörper] )のように作用する。[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt]》(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)、ーーラカンにおいては、穴の名である。


現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … fait « troumatisme ».](ラカン、S21、19 Février 1974)

モノは斜線を引かれている[“chose” est barré](J.-A. MILLER, La logique de la cure, 4 mai 1994)

ラカンが認知したモノとしての享楽の価値は、穴と等価である[La valeur que Lacan reconnaît ici à la jouissance comme la Chose est équivalente à l'Autre barré [Ⱥ]] (J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)


この斜線を引かれたモノ、穴としてのモノ、つまり喪われたモノを、ラカンは対象aとも呼んだ。


母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).  ](Lacan, S10, 15 Mai 1963 )

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou] (Lacan, S16, 27 Novembre 1968)


穴と喪われた対象は等価であることを念頭に次の文を読もう。


対象aの起源、喪われた対象aの機能の形態、〔・・・〕それは永遠に喪われている対象の周りを循環すること以外の何ものでもない。[l'origine …la forme de la fonction de l'objet perdu (a), …à contourner cet objet éternellement manquant. ](ラカン, S11, 13 Mai 1964)

例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance , et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. ](ラカン、S11、20 Mai 1964)


胎盤、すなわち喪われた子宮である。


喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)



結局、主体の根源的パートナーは、男女とも、喪われた母胎である。


主体の根源的パートナーは、享楽の喪失自体・喪われた対象から成っている[le partenaire fondamental du sujet est fait de sa propre perte de jouissance, son objet perdu.](ピエール-ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, Encore : belvédère sur la jouissance, 2013)

主体はどこにあるのか? われわれは唯一、喪われた対象としての主体を見出しうる。より厳密に言えば、喪われた対象は主体の支柱である。Où est le sujet ? On ne peut trouver le sujet que comme objet perdu. Plus précisément cet objet perdu est le support du sujet (ラカン, De la structure en tant qu'immixtion d'un Autre préalable à tout sujet possible, ーーintervention à l'Université Johns Hopkins, Baltimore, 1966)



ラカンはこの「喪われた母胎」に相当するものを「大他者の性」とも呼んだ。


「大他者」とは、私の言語では、大他者の性[l'Autre sexe]以外の何ものでもない[« L'Autre », dans mon langage ce ne peut donc être que l'Autre sexe ](ラカン、S20, 16 Janvier 1973 )

大他者の享楽ーーこの機会に強調しておけば、ここでの大他者は「大他者の性」であり、さらに注釈するなら、大他者を徴示するのは身体である[la jouissance de l'Autre - avec le grand A que j'ai souligné en cette occasion - c'est proprement celle de « l'Autre sexe »,  et je commentais : « du corps qui le symbolise ». ](ラカン, S20, 19  Décembre 1972)



人はこの喪われた母胎に対して種々の形で防衛しようとする。


欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である[le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance.]( Lacan, E825, 1960)

我々の全言説は現実界に対する防衛である[tous nos discours sont une défense contre le réel] (Anna Aromí, Xavier Esqué, XI Congreso, Barcelona 2-6 abril 2018)


この防衛の別名が剰余享楽である。


剰余享楽は…可能な限り少なく享楽すること…最小限をエンジョイすることだ。[« plus-de jouir ».  …jouir le moins possible  …ça jouit au minimum ](Lacan, S21, 20 Novembre 1973)

ラカンは明瞭に示した、剰余享楽という語を使用するとき。欲望はより少なく享楽すること(剰余享楽)である。Lacan l'indique bien quand il utilise le terme de plus-de-jouir. Le désir est un moins-de-jouir (Colette Soler , LE DÉSIR, PAS SANS LA JOUISSANCE Auteur :30 novembre 2017)



そして剰余享楽の別名は穴埋めである。


装置が作動するための剰余享楽の必要性がある。つまり享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la nécessité du plus-de-jouir pour que la machine tourne, la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)

ラカンは享楽と剰余享楽を区別した。空胞化された、穴としての享楽と、剰余享楽としての享楽[la jouissance comme évacuée, comme trou, et la jouissance du plus-de-jouir]である。対象aは穴と穴埋めなのである[petit a est …le trou et le bouchon](J.-A. Miller, Extimité, 16 avril 1986)


だが残念ながら、穴は十分には埋まらない。


剰余享楽としての享楽は、穴埋めだが、享楽の喪失を厳密に穴埋めすることは決してない[la jouissance comme plus-de-jouir, c'est-à-dire comme ce qui comble, mais ne comble jamais exactement la déperdition de jouissance](J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)



穴はブラックホールであり、埋めがたい深淵である。これが「ダナイデスの樽」とラカンが表現した意味である。


享楽はダナイデスの樽である[la jouissance, c'est « le tonneau des Danaïdes »] (ラカン, S17, 11 Février 1970)


ーーダナイデス、すなわち底のない樽を永遠に満たすように罰せられたダナオスの娘たちであり、ラカン的には両性ともこの宿命を刻印されている。


………………


最後に、フロイトにおいて「喪われた対象」という表現が使われている例をひとつだけ挙げておこう。


(乳幼児における)母の喪失というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この喪われた対象[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)


トラウマ=喪われた対象であり、これがラカンの穴である。


身体は穴である[corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)


フロイトは別に、愛の喪失の不安とも表現している。


愛の喪失の不安[Angst vor dem Liebesverlust]は明瞭に、母の不在を見出したときの幼児の不安、その不安の後年の生で発展形である。あなた方は悟るだろう、この不安によって示される危険状況がいかにリアルなものかを。母が不在あるいは母が幼児から愛を退かせたとき、幼児の欲求の満足はもはや確かでない。そして最も苦痛な緊張感に曝される。次の考えを拒絶してはならない。つまり不安の決定因はその底に出生時の原不安の状況[die Situation der ursprünglichen Geburtsangst] を反復していることを。それは確かに母からの分離[Trennung von der Mutter]を示している。(フロイト『新精神分析入門』第32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


ここでの不安とは事実上、トラウマである。


不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma]。(フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


愛の喪失のトラウマ、これが冒頭に示したラカンの享楽の喪失[déperdition de jouissance]である。そしてこの原点にあるトラウマは、上に「出生時の原不安」とあるように、出産トラウマにかかわる。


ラカンにおける「穴埋め不可能な穴=トラウマ」は、フロイトにおいては次の形で表現されている。


結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


以上、ここに記したラカンの発言群は、実にフロイトに忠実であることがおわかりになった筈である。