2022年6月17日金曜日

マゾヒズム・トラウマ・固着・超自我について

 

ラカンはマゾヒズムにおいて、達成された愛の関係を享楽する健康的ヴァージョンと病理的ヴァージョンを区別した。病理的ヴァージョンの一部は、対象関係の前性器的欲動への過剰な固着を示している。それは母への固着であり、自己身体への固着でさえある。自傷行為は自己自身に向けたマゾヒズムである。Il distinguera, dans le masochisme, une version saine du masochisme dont on jouit dans une relation amoureuse épanouie, et une version pathologique, qui, elle, renvoie à un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet. Elle est fixation sur la mère, voire même fixation sur le corps propre. L'automutilation est un masochisme appliqué sur soi-même..  (Éric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001)

主体の自傷行為は、イマジネールな身体ではなくリビドーの身体による[l'auto mutilation du sujet […] le corps qui n'est pas le corps imaginaire mais le corps libidinal]( J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6   - 16/06/2004)



………………


次の二文とは同じことである。


享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert] (Lacan, S23, 10 Février 1976)

享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)


つまりは現実界の享楽=マゾヒズム=固着である。


フロイトは既に比較的早い時期にリビドー固着はマゾヒズム的要素となると言っている。

無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido  …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇Anatomische Überschreitungen , 1905年)


性欲動とは愛の欲動(欲動エネルギー=エロスエネルギー)のことであり、これがリビドー。


リビドー[Libido]は情動理論から得た言葉である。われわれは量的な大きさと見なされたーー今日なお測りがたいものであるがーーそのような欲動エネルギー [Energie solcher Triebe] をリビドーと呼んでいるが、それは愛[Liebe]と要約されるすべてのものに関係している。

Libido ist ein Ausdruck aus der Affektivitätslehre. Wir heißen so die als quantitative Größe betrachtete ― wenn auch derzeit nicht meßbare ― Energie solcher Triebe, welche mit all dem zu tun haben, was man als Liebe zusammenfassen kann.〔・・・〕

この愛の欲動[Liebestriebe]を精神分析では、その主要特徴からみてまたその起源からみて性欲動[Sexualtriebe]と名づける。Diese Liebestriebe werden nun in der Psychoanalyse a potiori und von ihrer Herkunft her Sexualtriebe geheißen. (フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年)

すべての利用しうるエロスエネルギーを、われわれはリビドーと呼ぶ。die gesamte verfügbare Energie des Eros, die wir von nun ab Libido(フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


したがってリビドーの固着とは愛の固着と呼んでもいいしーー《初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.]》(フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年)ーー、この表現は直接的にはフロイトにはないが「マゾヒズム的固着」でもいい。


例えば、ジャック=アラン・ミレールは、《フロイトが固着と呼んだものは、享楽の固着である[c'est ce que Freud appelait la fixation…c'est une fixation de jouissance.]》(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)としているが、ラカンの定義において享楽=マゾヒズムなのだから、「享楽の固着=マゾヒズムの固着」となる。


そして原初にあって生涯存続するリビドー固着は母への固着。

人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する[Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält.] (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)

おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年)


フロイトにとって母とはトラウマ。


母は幼児にとって強いトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


トラウマとは何よりもまず受動的な出来事。

トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的な性質のものである[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)


そしてこの受動性がマゾヒズム。

マゾヒズム的とはその根において、女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)


したがってフロイトのトラウマへの固着の原点にあるのは事実上、母へのマゾヒズム的固着である。

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]

このトラウマの作用は、トラウマへの固着と反復強迫の名の下に要約される。[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang.]


この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen ](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


そもそもフロイトにおいてリアルな欲動自体がマゾヒズム的欲動である。


欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)

自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)


このマゾヒズム=自己破壊欲動が、死の欲動である。

マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている[Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat.]〔・・・〕

我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない。

Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann. (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


ラカンが、《すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort]》(Lacan, E848, 1966年)と言ったのはこの意味であり、つまり愛の欲動自体、死の欲動である。


そして欲動の定義自体が事実上、トラウマあるいは固着。

すべての神経症的障害の原因[Die Ätiologie aller neurotischen Störungen]は混合的なものである。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動[widerspenstige Triebe]が自我による飼い馴らし[Bändigung]に反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期のトラウマ体験[frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumen]を、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである。


概してそれは二つの契機、素因的なものと偶然的なもの[des konstitutionellen und des akzidentellen]との結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかにトラウマは固着を生じやすく[Trauma zur Fixierung führen]、精神発達の障害を後に残すものであるし、トラウマ的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態においてもその障害が現われる可能性は増大する[je stärker das Trauma, desto sicherer wird es seine Schädigung auch unter normalen Triebverhältnissen äußern.](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章, 1937年)


以上、固着=トラウマ=マゾヒズムであり、これがリアルな欲動=現実界の享楽である。そして原初にあるのは母への固着。


もっとも人の生において母への固着以外の固着ももちろんある。


(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』1905年)

強い父への固着をもった少女の夢[Traum eines Mädchens mit starker Vaterfixierung, ](フロイト『夢解釈の理論と実践についての見解』1923年)


あるいは、ーー

自体性愛から対象愛への発展において、ある点に固着されたままのものがあり、それは自体性愛に近似する。Sie sind in der Entwicklung vom Autoerotismus zur Objektliebe an einer Stelle, dem Autoerotismus näher, fixiert geblieben. (フロイト『症例ハンス』第3章、1909年)


自体性愛とは自己身体愛であり、自己身体への固着となる。


事故による外傷神経症自体、固着である。

外傷神経症は、外傷的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している。Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. (フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)


とはいえ、フロイトラカンにおいて初期幼児期のトラウマ的固着が臨床の核であり、その固着は主に母に関わる。


トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]…ここで外傷性神経症[traumatische Neurose ]は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen ](フロイト『続精神分析入門』29. Vorlesung. Revision der Traumlehre, 1933 年)

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)


ーー残滓とは自我の治外法権のエスに置き残されるという意味である[参照]。


分析経験において想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な偶然的出来事は、リビドーの固着を(エスに)置き残す傾向があることである[die analytische Erfahrung nötigt uns geradezu anzunehmen, daß rein zufällige Erlebnisse der Kindheit imstande sind, Fixierungen der Libido zu hinterlassen. ](フロイト 『精神分析入門』 第23講 1917年)

分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る[Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation]. 〔・・・〕われわれはトラウマ化された享楽を扱っている[Nous avons affaire à une jouissance traumatisée] J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE2011)


ーー《分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


そして「アンチオイディプスの最悪の箇所」で示しているが、超自我自体、固着であり、自己破壊欲動(マゾヒズム的欲動)である。

超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


かつまた母=超自我であることも先のリンク先で示している。つまり母への固着=超自我への固着である。


こうして固着用語を基礎にして種々の概念が結び付けられる。ここでは簡潔に五つの用語だけ列挙しておこう。




晩年のラカンはこう言った。


私は病気だ。なぜなら、皆と同じように、超自我をもっているから[j'en suis malade, parce que j'ai un surmoi, comme tout le monde]( Lacan parle à Bruxelles、 26 Février 1977)


この「超自我あるゆえ人はみな病気だ」の意味は結局、人にはみな固着があるということである。

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen](フロイト『症例シュレーバー』1911年、摘要)


別の言い方なら、人にはみな母への固着というトラウマがあるということである。


「母への原固着」[ »Urfixierung«an die Mutter ]=「原トラウマ Urtrauma」(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)



なおラカンの享楽と欲望の相違は固着の有無に関わる、ーー《享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である[La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido].》 (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008)。


別の言い方なら身体的な享楽の固着がシニフィアン化(ファルス化=言語化)されていれば欲望である。