忘れられたページは、行為として呼び戻される
|
||||
ラカンは欲動的対象との関係[le rapport à l'objet pulsionnel ]において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした。これが次の凝縮された叙述が意味していることである。《このページは忘れられている。だが行為として呼び戻される[cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ]». これが意味するのは、抑圧されたものの回帰は欲動的享楽に関係する[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle]いうことである。(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99)
|
||||
想定された本能的(欲動的)ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史(個人史)のスティグマである。恥のページは忘れられらる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される。[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique : page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige. Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)
|
||||
抑圧はテキストの省略である
|
||||
私は後に(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)「防衛過程 Abwehrvorganges」概念のかわりに、「抑圧 Verdrängung」概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの「防衛Abwehr」という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。
…この概念は、自我が葛藤にさいして役立てるすべての技術を総称している。抑圧はこの防衛手段のあるもの、つまり、われわれの研究方向の関係から、最初に分かった防衛手段の名称である。(フロイト『制止、症状、不安』最終章、1926 年)
|
||||
(厳密さを期さなければ)抑圧 Verdrängung と防衛機制 Abwehrmethodenとは、テキストの省略(棄却 Auslassung)と歪曲 Textentstellung の関係に相当すると言ってよい。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第5章、1937年)
|
||||
人は、忘れられたものを思い出すのではなく行為にあらわす
|
||||
人は、忘れられたものや抑圧されたもの[Vergessenen und Verdrängten]を「思い出す erinnern」わけではなく、むしろそれを「行為にあらわす agieren」。人はそれを(言語的な)記憶として再生するのではなく、行為として再現する。彼はもちろん自分がそれを反復していることを知らずに(行為として)反復している[ohne natürlich zu wissen, daß er es wiederholt]。(フロイト『想起、反復、徹底操作』1914年)
|
||||
抑圧されたものの回帰はリビドー固着点から始まる
|
||||
症状形成の全ての現象は、「抑圧されたものの回帰」として正しく記しうる。Alle Phänomene der Symptombildung können mit gutem Recht als »Wiederkehr des Verdrängten« beschrieben werden. ((フロイト『モーセと一神教』1939)
|
||||
「抑圧」は三つの段階に分けられる。
①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている「固着」である。(…)この欲動の固着Fixierungen der Triebe は、以後に継起する病いの基盤を構成する。
②「正式の抑圧 eigentliche Verdrängung」の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期 Nachdrängenの抑圧ある。(… )原初に抑圧された欲動 primär verdrängten Triebe がこの二段階目の抑圧に貢献する。
|
||||
③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗 Mißlingens der Verdrängung、侵入 Durchbruchs、抑圧されたものの回帰 Wiederkehr des Verdrängten である。この侵入Durchbruchとは「固着点 Stelle der Fixierung」から始まる。そしてその点へのリビドー的展開の退行Regression der Libidoentwicklungを意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )1911年、摘要)
|
||||
リビドー固着(享楽の固着)の残滓の回帰
|
||||
享楽は、残滓 (а) を通している。la jouissance[…]par ce reste : (а) (ラカン, S10, 13 Mars 1963)
|
||||
いわゆる享楽の残滓 [reste de jouissance]。ラカンはこの残滓を一度だけ言った。だがそれで充分である。そこでは、ラカンはフロイトによって啓示を受け、リビドーの固着点 [points de fixation de la libido]を語った。これが、孤立化された、発達段階の弁証法に抵抗するものである。(J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III- 5/05/2004)
|
||||
フロイトが固着と呼んだものは、…享楽の固着 [une fixation de jouissance]である。(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)
|
||||
発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり前段階の現象が部分的に置き残される Zurückbleiben という事態は、ほとんど常に認められるところである。…
いつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける。…最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着の残滓 Reste der früheren Libidofixierungenが保たれていることもありうる。…一度生れ出たものは執拗に自己を主張するのである。われわれはときによっては、原始時代のドラゴン Drachen der Urzeit wirklich は本当に死滅してしてしまったのだろうかと疑うことさえできよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)
|
||||
暗闇に蔓延る異者としての身体の回帰
|
||||
われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり心的(表象的-)欲動代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。(……)
欲動代理 Triebrepräsentanz は(原)抑圧により意識の影響をまぬがれると、それはもっと自由に豊かに発展する。それはいわば暗闇に蔓延り wuchert dann sozusagen im Dunkeln 、極端な表現形式を見つけ、もしそれを翻訳して神経症者に指摘してやると、患者にとって異者fremd のようなものに思われるばかりか、異常で危険な欲動の強さTriebstärkeという装い Vorspiegelung によって患者をおびやかすのである。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)
|
||||
忘却されたもの Vergessene は消滅 ausgelöscht されず、ただ「抑圧 verdrängt」されるだけである。その記憶痕跡 Erinnerungsspuren は、全き新鮮さのままで現存するが、対抗備給 Gegenbesetzungen により分離されているのである。…それは無意識的であり、意識にはアクセス不能である。抑圧されたものの或る部分は、対抗過程をすり抜け、記憶にアクセス可能なものもある。だがそうであっても、異者としての身体(異物 Fremdkörper) のように分離 isoliert されいる。(フロイト『モーセと一神教』1938年)
|
||||
われわれにとって異者としての身体 un corps qui nous est étranger(ラカン, S23, 11 Mai 1976)
|
||||
女というものは原抑圧(排除)されている
|
||||
「女というもの La Femme」 は、その本質において dans son essence、女 la femme にとっても抑圧されている。男にとって女が抑圧されているのと同じように aussi refoulée pour la femme que pour l'homme。
なによりもまず、女の表象代理は喪われている le représentant de sa représentation est perdu。人はそれが何かわからない。それが「女というものLa Femme」である。(ラカン、S16, 12 Mars 1969)
|
||||
表象代理は二項シニフィアンである。この表象代理は、原抑圧の中核を構成する。フロイトは、これを他のすべての抑圧が可能となる引力の核とした。
Le Vorstellungsrepräsentanz, c'est ce signifiant binaire. […] il à constituer le point central de l'Urverdrängung,… comme FREUD l'indique dans sa théorie …le point d'Anziehung, le point d'attrait, par où seront possibles tous les autres refoulements (ラカン、S11、03 Juin 1964)
|
||||
排除されたものは現実界に外立する
|
||||
「享楽の排除」あるいは「享楽の外立」。二つは同じである。[terme de forclusion de la jouissance, ou d'ex-sistence de la jouissance. C'est le même. ](J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011)
|
||||
享楽は外立する la jouissance ex-siste (Lacan, S22, 17 Décembre 1974)
|
||||
原抑圧の外立 l'ex-sistence de l'Urverdrängt (Lacan, S22, 08 Avril 1975)
|
||||
外立の現実界がある il a le Réel de l'ex-sistence (Lacan, S22, 11 Février 1975)
|
||||
|
||||
ひとりの女の外立(回帰)
|
||||
「抑圧されたものの回帰」と呼ばれるものは、常に言存在 parlêtre の流れのなかに引きずりこまれる。そこでは真理はひっきりなしに嘘になり変わる。抑圧の場において、言存在 parlêtreの分析は、嘘を吐く真理を設置する。それはフロイトが原抑圧として認知したものから来る。これが意味するのは、真理は本来的に嘘と同じ本質を持っていることである。(フロイトが『心理学草稿』1895年で指摘した)proton pseudos[πρωτoυ πσευδoς] (ヒステリー的嘘・誤った結びつけ)もまた究極の欺瞞である。嘘をつかないものは享楽、話す身体の享楽である。
Ledit retour du refoulé est toujours entraîné dans le flux du parlêtre où la vérité se révèle incessamment menteuse. À la place du refoulement, l'analyse du parlêtre installe la vérité menteuse, qui découle de ce que Freud a reconnu comme le refoulement originaire. Et cela veut dire que la vérité est intrinsèquement de la même essence que le mensonge. Le proton pseudos est aussi le faux ultime. Ce qui ne ment pas, c'est la jouissance, la ou les jouissances du corps parlant. (J.-A. MILLER, L'inconscient et le corps parlant, 2014)
|
||||
ラカンは “Joyce le Symptôme”(1975)で、フロイトの「無意識」という語を、「言存在 parlêtre」に置き換える remplacera le mot freudien de l'inconscient, le parlêtre。…
言存在 parlêtre の分析は、フロイトの意味における無意識の分析とは、もはや全く異なる。言語のように構造化されている無意識とさえ異なる。 ⋯analyser le parlêtre, ce n'est plus exactement la même chose que d'analyser l'inconscient au sens de Freud, ni même l'inconscient structuré comme un langage。…
|
||||
言存在のサントーム le sinthome d'un parlêtre は、《身体の出来事 un événement de corps》(AE569)・享楽の出現 une émergence de jouissanceである 。さらに、問題となっている身体は、あなたの身体であるとは言っていない。あなたは《他の身体の症状 le symptôme d'un autre corps》、《ひとりの女 une femme》でありうる。(J.-A. MILLER, L'inconscient et le corps parlant、2014)
|
||||
ひとりの女は、他の身体の症状である Une femme par exemple, elle est symptôme d'un autre corps. (Laan, JOYCE LE SYMPTOME, AE569、1975)
|
||||
ひとりの女はサントームである une femme est un sinthome (ラカン、S23, 17 Février 1976)
|
||||
|