◼️構成する欠如(穴)と構成された欠如
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「構成する欠如 constitutive lack 」がある。この欠如は我々が現実で出会う欠如とは異なった審級にある。現実のなかで出会う欠如は、常に既に、象徴界によって「構成された欠如constituted lack」であり、象徴界によって統御しうる。…
したがって二種類の否定性を区別することが重要である。構成する欠如という根源的否定性(決してそれ自体は目に見えないが、この欠如を通して他のすべては可視的になる)、そして再帰的な据え置かれた否定性、構成された欠如、不在等を。…
怖ろしいものは、たんに欠如の顕現ではない。むしろ《欠如が欠如しているmanque vient à manque》(ラカン)である。すなわち、欠如自体が取り除かれている。欠如はその支えを喪失している。人は言いうる、欠如はその象徴的あるいは想像的支えを喪失したとき、欠如は「たんなる穴 mere hole」、つまり対象になると。それは無である。(アレンカ・ジュパンチッチ Alenka Zupančič, REVERSALS OF NOTHING: THE CASE OF THE SNEEZING CORPSE, 2005)
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◼️穴と欠如
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穴 trou の概念は、欠如 manque の概念とは異なる。この穴の概念が、後期ラカンの教えを以前のラカンとを異なったものにする。
この相違は何か? 人が欠如を語るとき、場 place は残ったままである。欠如とは、場のなかに刻まれた不在 absence を意味する。欠如は場の秩序に従う。場は、欠如によって影響を受けない。この理由で、まさに他の諸要素が、ある要素の《欠如している manque》場を占めることができる。人は置換 permutation することができるのである。置換とは、欠如が機能していることを意味する。(⋯⋯)
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ちょうど反対のことが穴 trou について言える。ラカンは後期の教えで、この穴の概念を練り上げた。穴は、欠如とは対照的に、秩序の消滅・場の秩序の消滅 disparition de l'ordre, de l'ordre des places を意味する。穴は、組合せ規則の場処自体の消滅である Le trou comporte la disparition du lieu même de la combinatoire。これが、斜線を引かれた大他者 grand A barré (Ⱥ) の最も深い価値である。ここで、Ⱥ は大他者のなかの欠如を意味しない Grand A barré ne veut pas dire ici un manque dans l'Autre 。そうではなく、Ⱥ は大他者の場における穴 à la place de l'Autre un trou、組合せ規則の消滅 disparition de la combinatoire である。(ジャック=アラン・ミレール、後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan, LE LIEU ET LE LIEN , 6 juin 2001)
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この「構成する欠如と構成された欠如」あるいは「穴と欠如」は、セミネール11の段階では、「リアルな欠如と象徴的欠如」に相当する。
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ラカンはこのセミネールで、《二つの欠如が重なり合う Deux manques, ici se recouvrent》と言っている。
一方の欠如は《主体の到来 l'avènement du sujet 》によるもの。シニフィアンの世界に入場することによる象徴的去勢にかかわる欠如。そして、《この欠如は別の欠如を覆うになる ce manque vient à recouvrir,…un autre manque 》。
この別の欠如とは、《リアルな欠如、先にある欠如 le manque réel, antérieur》であり、《生存在の到来 l'avènement du vivant》、つまり《性的再生産 la reproduction sexuée》において齎された欠如である。
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したがって穴としてのリアルな欠如は、出生による去勢である。
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リビドー libido は、…人が性的再生産の循環 cycle de la reproduction sexuéeに従うことにより、生きる存在から控除される soustrait à l'être vivant。(ラカン、S11, 20 Mai 1964)
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(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Retour sur la psychose ordinaire, 2009)
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ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものかを把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽である。Lacan a utilisé les ressources de la langue française pour attraper quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido, à savoir la jouissance. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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要するにリアルな去勢=享楽の穴=トラウマである。
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不気味なもの Unheimlich とは、…私が(-φ)[去勢]を置いた場に現れる。…それは欠如のイマージュimage du manqueではない。…私は(-φ)を、欠如が欠如している manque vient à manquerと表現しうる。(ラカン, S10, 28 Novembre 1962)
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欠如の欠如 が現実界を為す Le manque du manque fait le réel(AE573、1976)
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現実界は…穴=トラウマを為す。le Réel […] ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)
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装置が作動するための剰余享楽の必要性がある。つまり享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として、示される。[la nécessité du plus-de-jouir pour que la machine tourne, la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)
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ラカンは享楽と剰余享楽 [la jouissance du plus-de-jouir]を区別した。…空胞化された、穴としての享楽と、剰余享楽としての享楽[la jouissance comme évacuée, comme trou, et la jouissance du plus-de-jouir]である。…対象aは穴と穴埋め [le trou et le bouchon]なのである。(J.-A. Miller, Extimité, 16 avril 1986)
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享楽は去勢である la jouissance est la castration。(Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
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去勢は享楽の名である。la castration est le nom de la jouissance 。 (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un 25/05/2011)
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以上、結局、ラカンにとって女は穴である。不気味な穴である。
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女は何も欠けていない La femme ne manque de rien(ラカン, S10, 13 Mars 1963)
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ひとりの女は異者である。 une femme, […] c'est une étrangeté. (Lacan, S25, 11 Avril 1978)
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異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。…étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)
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フロイトの「不気味なもの」をラカンは「外密 Extimité」翻訳したが、この意味はかつて最も親密なものでありながら外部にあるようになったものである。
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外密 extimitéという語は、親密 intimité を基礎として作られている。外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。外密は、異者としての身体corps étrangerのモデルである。…外密はフロイトの 「不気味なものUnheimlich 」同じように、否定が互いに取り消し合うnégations s'annulent 語である。(Miller, Extimité, 13 novembre 1985)
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フロイトにおいて究極の不気味なものは女性器あるいは母胎である。確かに最も親密でありながら外部にあるものは母胎に相違ない。
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女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)
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