2021年3月1日月曜日

妣が国・常世



私は、大正九年の春の国学院雑誌に「妣が国へ・常世へ」と言ふ小論文を書いた。其考へ方は、今からは恥しい程合理式な態度であつた。其翌年かに、鳥居龍蔵博士が「東亜の光」に出された「妣の国」と言ふ論文と、併せて読んで頂く事をお願ひして置いて、前の論文の間違うたところだけを、訂正の積りで書く。 


「妣が国」と言ふ語はすさのをの命といなひの命との身の上に絡んで、伝はつて居る。すさのをの命は亡母(即、妣)いざなみの命の居られる根の国に憧れて、妣が国に行きたいと泣いたとある。いなひの命は熊野の海で難船に遭うて、妣が国へ行くと言うて、海に這入つた。此母は、海祇ワタツミの娘たまより媛をさすのは、勿論である。うつかり見れば、其時々の偶発語とも見えよう。併し此は、われ〳〵の祖先に共通であつた歴史的の哀愁が、語部の口拍子に乗つて、時久しく又、度々くり返されねばならぬ事情があつたのであらう。 


此常套語を、合理式に又、無反省に用ゐて来たのを、記・紀は、其儘書き留めたのである。以前の考へでは、故土を離れて、移住に移住を重ねて行つた人々の団体では、母系組織の下に人となつた生れの国を、憶ひ出し〳〵した其悲しみを、此語に籠めて表したのが、いつか内容を換へる事になつたのだと説いたと思ふ。併しかうした考へは、当時その方に向いて居た世間の母系論にかぶれて、知らず〳〵に出て来たのであつたらう。やはり、我々の歴史以前の祖先は、物心つくかつかぬかの時分に、母に別れねばならぬ訣があつたのである。母を表す筈のおもなる語が、多くは乳母の意に使はれる理由もこゝに在るのかと思ふ。とにもかくにも、生みの子を捐てゝ帰つた母を慕ふ心が「妣の国」と言ふ陰影深い語となつて現れたのであらう。(折口信夫「信太妻の話」初出:1924(大正13)年)


ここで折口は自らの「妣が国へ・常世へ」の記述を訂正しているが、すべてに対してではない。「波の穂」の向こうにある故郷としての「妣が国」を否定したのであり、例えば次の箇所であろう。


すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ〳〵の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。いざなみのみこと・たまよりひめの還りいます国なるからの名と言ふのは、世々の語部の解釈で、誠は、かの本つ国に関する万人共通の憧れ心をこめた語なのであつた。


而も、其国土を、父の国と喚ばなかつたには、訣があると思ふ。第一の想像は、母権時代の俤を見せて居るものと見る。即、母の家に別れて来た若者たちの、此島国を北へ〳〵移つて行くに連れて、愈強くなつて来た懐郷心とするのである。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」初出:1920(大正9)年5月)


折口自身、同じ「妣国へ・常世へ 」で、当時の通説としての「常世を海の外と考へる」仕方を批判している。


常世を海の外と考へる方が、昔びとの思想だとする人の多からうと言ふことは、私にも想像が出来る。併し今の処、左袒多かるべき此方に、説を向けることが出来ぬ。

書物の丁づけ通りに、歴史が開展して来たものと信じて居る方々には、初めから向かぬお話をして居るのである。常世と言ふ語の、記・紀などの古書に出た順序を、直様意義分化の順序だ、との早合点に固執して貰うて居ては、甚だお話がしにくいのである。ともあれ、海のあなたに、常世の国を考へる様になつてからの新しい民譚が、古い人々の上にかけられて居ることが多いのだ、とさう思ふのである。海のあなたの大陸は蒲葵の葉や、椰子の実を波うち際に見た位では、空想出来なかつたであらう。其だから、大后一族の妣が国の実在さへ信じることが出来ないで、神の祟りを受けられた帝は、古物語を忘れられた新人として、此例からも、呪はれなされた訣になる。彼らは、もつと手近い海阪の末に、わたつみの国と言ふ、常世を観ずる様になつて来た。いろこの宮を、さながら常世と考へることは、やはり後の事であるらしい。

鰭の広物・鰭の狭物・沖の藻葉・辺の藻葉、尽しても尽きぬわたつみの国は、常世と言ふにふさはしい富みの国土である。曾ては、妣が国として、恋慕の思ひをよせた此国は、現実の悦楽に満ちた楽土として、見かはすばかりに変つて了うた。けれども、ほをりの命の様な、たま〳〵択ばれた人ばかりに行かれて、凡人には、依然たる常世の国として懸つて居た。富みの国であるが故に、貧窮を司る事も出来たのが、わたつみの神の威力であつた。ほをりの命の授つて来られたのは、汐の満ち干る如意宝珠ばかりでなく、おのが敵を貧窮ならしめ、失敗せしめる呪咀の力であつた。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」初出:1920(大正9)年5月)


とすれば、今引用した箇所の多くは生きている筈である。


そして次の箇所も。


併しもう一代古い処では、とこよが常夜で、常夜経く国、闇かき昏す恐しい神の国と考へて居たらしい。常夜の国をさながら移した、と見える岩屋戸隠りの後、高天原のあり様でも、其俤は知られる。常世の長鳴き鳥の「とこよ」は、常夜の義だ、と先達多く、宣長説に手をあげて居る。唯、明くる期知らぬ長夜のあり様として居るが、而も一方、鈴屋翁は亦、雄略紀の「大漸」に「とこつくに」の訓を採用し、阪上郎女の常呼二跡の歌をあげて、均しく死の国と見て居るあたりから考へると、翁の判断も動揺して居たに違ひない。長鳴き鳥の常世は、異国の意であつたかも知れぬが、古くは、常暗の恐怖の国を、想像して居たと見ることは出来る。翁の説を詮じつめれば、夜見或は、根と言ふ名にこめられた、よもつ大神のうしはく国は、祖々に常夜と呼ばれて、こはがられて居たことがある、と言ひ換へてもさし支へはない様である。みけぬの命の常世は、別にわたつみの宮とも思はれぬ。死の国の又の名と考へても、よい様である。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」初出:1920(大正9)年5月)





「妣国へ・常世へ 」の4年後、冒頭の「信太妻の話」と同じ年の1924年に書かれた「最古日本の女性生活の根柢」には次のようにある。


外族の村どうしの結婚の末、始終円満に行かず、何人か子を産んで後、つひに出されて戻つた妻もあつた。さうなると、子は父の手に残り、母は異郷にある訣である。子から見れば、さうした母の居る外族の村は、言はう様なく懐しかつたであらう。夢の様な憧れをよせた国の俤は、だん〳〵空想せられて行つた。結婚法が変つた世になつても、此空想だけは残つて居て「妣が国」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。妣は祀られた母と言ふ義である。又古伝説にも、死んだ妣の居る国と言ふ風に扱うて居るが、此語を使つた名高い僅かな話が、亡き母に関聯して居る為であらう。此語は以前私も、日本人大部分の移住以前の故土を、譬喩的に母なる国土としたのだと考へて居たが、さうではない。全然空想の衣を着せられて後は、恋しい母の死んで行つてゐる所と言ふ風に考へられたであらうが、意義よりも語の方が古いのである。(折口信夫「最古日本の女性生活の根柢」初出:1924(大正13年)年9月)


そして翌1925年の「古代生活の研究 常世の国」は、次の通り。


とこよと言ふ語は、どう言ふ用語例と歴史とを持つてゐるか。とこは絶対・恒常或は不変の意である。「よ」の意義は、幾度かの変化を経て、悉く其過程を含んで来た為に「とこよ」の内容が、随つて極めて複雑なものとなつたのである。「よ」と言ふ語の古い意義は、米或は穀物を斥したものである。後には、米の稔りを表す様になつた。「とし」と言ふ語が、米穀物の義から出て、年を表すことになつたと見る方が正しいと同じく、此と同義語の「よ」が、齢・世など言ふ義を分化したものと見られる。更に万葉以後或は「性欲」「性関係」と言ふ義を持つたものがある。此は別系統の語かも知れぬが、常世の恋愛・性欲方面の浄土なる考へに脈絡がある様だからあげておく。とこよを齢の長い義に用ゐた例は沢山にある。「とこよ」と言ふ語は、古くは長寿者を直に言ふ事になつてゐる。だが、長寿の国の義から出たと説くのは逆である。


「とこよ」の義には、まだ前の形があるのである。「常世の国に住みけらし」と万葉人が老いの見えぬ女の美しさを讃へたのは、長寿の国の考への外に「恋愛の国に居たから」と言ふ考へ方も含まれてゐる様である。とこよの第一義は、遥かに後までも忘れられずにゐた。奈良盛時の大伴坂上郎女が、別れを惜しむ娘を諭して「常夜にもわが行かなくに」と言うたのは、海のあなたを意味したものとも取れるが、多少さうした匂ひをも兼ねて、其原義をはつきり見せたのである。宣長も、冥土・黄泉などの意にとつて、常闇の国の義としてゐる。常闇は時間について言ふ絶対観でなく、物処について言ふもので、絶対の暗黒と言ふ事である。此意味に古くから口馴れた成語と思はれるものに「常夜行く」と言ふのがある。かうした「ゆく」は継続の用語例に入るもので、絶対の闇の日夜が続く義である。


 皇后(神功)南の方、紀伊の国に詣りまして、太子に日高に会ふ。……更に小竹宮に遷る。是時に適りて、昼暗きこと夜の如し。已に多くの日を経たり。時人常夜行くと言ふ。


と日本紀にあるのは、此暗さを表すのに、語部の口にくり返されたと思はれる、成語を思ひ合せて「此が昔語りの天窟戸の条に言ふ天照大神隠れて常夜行くと言うたあり様なのだ」と考へたものであらう。此常夜は、ある国土の名とは考へられて居なかつたやうに見えるが「とこよ」の第一義だけは、釈る様である。併し尚考へて見ると、単純に「常夜の国に行つてゐる」やうなあり様と言ふ感じを表す語であつたかも知れない。さう思へば、古事記の「爾高天原皆暗く、葦原中つ国悉に闇し。此に因りて常夜往く……」とあるとこよゆくも甚固定した物言ひで、或は古事記筆録当時既に、一種の死語として神聖感を持たれた為に、語部の物語りどほりに書いたものであらう。第一義としての常闇の国土なる「とこよ」が、祖先の考へにあつた事は想像してよい。(折口信夫「古代生活の研究 常世の国」初出:「改造 第七巻第四号」1925(大正14)年4月)



ここでは当面、上の記述群から常世の生きているだろう表現を抜き出し、次のものが常世の定義だとしておく。