2021年6月14日月曜日

トラウマと防衛

 


フロイトは1917年、「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」と名付けられた講義で「症状はトラウマの病いだ」と言っている。


神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる。Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. (フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」11917年)


これは最晩年まで変わらない。


すべての神経症的障害の原因は混合的なものである[Die Ätiologie aller neurotischen Störungen ist ja eine gemischte; ]。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動が自我による飼い馴らしに反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期のトラウマ を、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである[es handelt sich entweder um überstarke, also gegen die Bändigung durch das Ich widerspenstige Triebe, oder um die Wirkung von frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumen, deren ein unreifes Ich nicht Herr werden konnte. ]

概してそれは二つの契機、素因的なものと偶然的なものとの結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかにトラウマは固着を生じやすく、精神発達の障害を後に残すものであるし、トラウマ的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態においてもその障害が現われる可能性は増大する。[In der Regel um ein Zusammenwirken beider Momente, des konstitutionellen und des akzidentellen. Je stärker das erstere, desto eher wird ein Trauma zur Fixierung führen und eine Entwicklungsstörung zurücklassen; je stärker das Trauma, desto sicherer wird es seine Schädigung auch unter normalen Triebverhältnissen äußern. ](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章、1937年)



さらにもうひとつ掲げよう。


病因的トラウマ、この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる[ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an]〔・・・〕このトラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我への傷(ナルシシズム的屈辱)である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs (narzißtische Kränkungen)]〔・・・〕

この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。

これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印 と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


フロイトにとって神経症はトラウマの症状なのである。

もっともフロイトが神経症というとき注意しなくてはならないことがある。


現勢神経症の症状は、しばしば、精神神経症の症状の核であり、先駆けである。das Symptom der Aktualneurose ist nämlich häufig der Kern und die Vorstufe des psychoneurotischen Symptoms. (フロイト『精神分析入門』第24章、1917年)


二種類の神経症である。これがフロイトにとって基本的に全症状である。


そして「現勢神経症」は原抑圧による症状であり、他方、「精神神経症」は後期抑圧の症状である。


おそらく最初期の抑圧(原抑圧)が、現勢神経症の病理を為す。die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, 〔・・・〕

精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する。daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln,(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年


フロイトは原抑圧を初期幼児期に起こる原防衛手段 [primitive Abwehrmaßregeln] (1937)とも呼んでいるが、後期抑圧はこの原抑圧に対するさらなる二次的防衛に相当する。


そして原抑圧の別名が固着である。


抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)

固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)


この固着、欲動の固着は、リビドーの固着[Fixierunge der Libido] とも呼ばれている。



ところでラカンの症状もトラウマである。


症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)

症状は刻印である。現実界の水準における刻印である。Le symptôme est l'inscription, au niveau du réel,. (Lacan, LE PHÉNOMÈNE LACANIEN,   30. Nov. 1974.)


この症状は現実界の症状のことであり、現実界はトラウマである。


問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  (Lacan, S23, 13 Avril 1976)


したがって現実界の症状はトラウマの症状である。

この現実界の症状(原症状)をサントームとも呼ぶ。


サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である。LE SINTHOME.  C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME. (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)

ラカンのサントームとは、たんに症状のことである。だが一般化された症状(誰もがもっている症状)である。Le sinthome de Lacan, c'est simplement le symptôme, mais généralisé,  (J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE, 2011)


このリアルな症状が、享楽の固着(フロイトの「リビドーの固着」)である。


疑いもなく、症状は享楽の固着である。sans doute, le symptôme est une fixation de jouissance. (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 12/03/2008)


原症状としてのサントームは現実界であり、つまりはサントームはトラウマの症状である。


サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)


トラウマとは、上に示したフロイトの記述(『モーセと一神教』)において自己身体の出来事[ Erlebnisse am eigenen Körper] =固着[Fixierung]であり、ラカンの現実界の症状であるサントームも「身体の出来事=固着」である。


サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps(MILLER, L'Être et l'Un, 30/3/2011)

サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要


このあたりはフロイトとラカンは全く変わらない。


たとえば晩年のラカンの現実界の定義は「書かれたことは止めない」である。


症状は現実界について書かれることを止めないle symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン『三人目の女 La Troisième』1974)

現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (Lâcn, S 25, 10 Janvier 1978)


「現実界」に「トラウマ」を代入すれば、「トラウマは書かれることを止めない」となる。この「書かれることを止めない」の意味は、固着を通した「無意識のエスの反復強迫」のことである。


フロイトにとって症状は反復強迫[compulsion de répétition]に結びついたこの「止めないもの qui ne cesse pas」である。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している、症状は固着を意味し、固着する要素は無意識のエスの反復強迫に見出されると。[le symptôme implique une fixation et que le facteur de cette fixation est à trouver dans la compulsion de répétition du ça inconscient. ]。フロイトはこの論文で、症状を記述するとき、欲動要求の絶え間なさを常に示している。欲動は、行使されることを止めないもの[ne cesse pas de s'exercer]である.。(J.-A. MILLER, L'Autre qui  n'existe pas  et ses comités d'éthique - 26/2/97)

欲動蠢動は「自動反復 Automatismus」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして抑圧において固着する要素は「無意識のエスの反復強迫」であり、これは通常の環境では、自我の自由に動く機能によって排除されていて意識されないだけである。Triebregung  […] vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –[…] Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es, der normalerweise nur durch die frei bewegliche Funktion des Ichs aufgehoben wird. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)



なおフロイトとラカンの現実界の症状(地階)、象徴界の症状(上階)の関連する表現は、「症状の二重構造(固着と心的外被、サントームと形式的覆い)」で示した次の図の語彙群に相当する。






ラカンの上階の症状は、象徴界の症状(欲望)だけではなく想像界の症状(愛=ナルシシズム)も含まれる。


想像界は確かに象徴界の影響の外部に居残ったままだが、他方、ラカンは常に付け加えた、この想像界は同時に象徴界によって常に支配されていると。l'imaginaire est bien ce qui reste en dehors de la prise du symbolique, tandis que, par un autre côté, Lacan ajoute toujours que cet imaginaire est en même temps dominé par le symbolique. (Jacques-Alain Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)

明らかに、現実界はそれ自体トラウマ的であり、基本的情動として原不安を生む。想像界と象徴界内での心的操作はこのトラウマ的現実界に対する防衛を構築することを目指す。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, Does the woman exist? 1997)



フロイトラカン派の精神分析においては、人間の症状はトラウマの症状とその防衛の症状に収斂する。