2021年6月21日月曜日

女性器への固着

 


「女性器への固着」と言ったのは、フロイトではなくオットー・ランクである。

出生の器官としての女性器の機能への不快な固着は、究極的には成人の性的生のすべての神経症的障害の底に横たわっている[Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales als Gebärorgan, liegt letzten Endes noch allen neurotischen Störungen des erwachsenen Sexuallebens zugrunde](オットー・ランク『出産外傷』Otto Rank "Das Trauma der Geburt" 1924年)


とはいえフロイトは、オットー・ランクのこの論文以前から出産外傷について問い続けている。そして最終的に1937年に「母への原固着」[ »Urfixierung«an die Mutter ]という表現を使っている。これが事実上の「女性器への固着」である。


オットー・ランクは『出産外傷 Das Trauma der Geburt』 (1924)にて、出生という行為は、一般に「母への原固着」[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま原抑圧[Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出産外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。


後になってランクは、この原トラウマ [Urtrauma]を分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。〔・・・〕


だがおそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すだけで満足する、といったことになってしまうのではなかあろうか。もちろん、そのようにしたために、消化活動が著しく短縮化される場合もことによったらあるかもしれないが。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年)


上にあるように、分析治療対象としては否定している。だが「女性器への固着」という現象については否定しているようには見えない。


ランクのいう「女性器の機能への不快な固着」Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales における「不快」は、フロイトにとって不安であるーー《不快(不安)[ Unlust-(Angst).]》(フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


不安は対象を喪った反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, […] daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand. ](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


そしてこの不安=不快が、ラカンにおける享楽である。


フロイトの観点では、享楽と不安との関係は、ラカンが同調したように、不安の背後にあるものである。欲動は、満足を求めるという限りで、絶え間なき執拗な享楽の意志[volonté de jouissance insistant sans trêve]としてある。


欲動強迫[insistance pulsionnelle ]が快原理と矛盾するとき、不安と呼ばれる不快がある[il y a ce déplaisir qu'on appelle angoisse. ]。これをラカン は一度だけ言ったが、それで十分である。ーー《不快は享楽以外の何ものでもない déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. 》( S17, 1970)ーー、すなわち不安は現実界の信号であり、モノの索引である[l'angoisse est signal du réel et index de la Chose]。(J.-A. MILLER,  Orientation lacanienne III, 6. - 02/06/2004)


ところで固着概念とは、身体的なものが心的なものに翻訳されずエスのなかに置き残されるという意味をもっており、基本的には、原抑圧(排除)=去勢と等価である[参照]。


原抑圧は常に去勢に関わる。だが抑圧の様式とは別の様式に従った去勢であり、つまり排除である[refoulement originaire…ce qui concerne toujours la castration. mais selon un autre mode que celui du refoulement, à savoir la forclusion. ](JACQUES-ALAIN MILLER , CE QUI FAIT INSIGNE COURS DU 3 JUIN 1987)


去勢という用語からいえば、フロイトはランクの1924年の論文以前に既にこう書いている。


去勢ー出産は、全身体から一部分の分離である[(Kastration – Geburt) um die Ablösung eines Teiles vom Körperganzen handelt](フロイト『夢判断』1900年ーー1919年註)


そして1923年には出産外傷を「去勢の原像」としている。


乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり、自己身体の重要な一部の喪失[Verlust eines bedeutsamen, zu seinem Besitz gerechneten Körperteils] と感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為[Geburtsakt ]がそれまで一体であった母からの分離[Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war]として、あらゆる去勢の原像[Urbild jeder Kastration]であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)


ランクの1924年の論文の2年後の1926年には、「不安」という語を使いつつ、出産外傷を「不安反応の原像」としているが、これは「去勢の原像」の言い換えであるだろう。


出産過程は最初の危険状況であって、それから生ずる経済論的動揺は、不安反応の原像になる。Der Geburtsvorgang ist die erste Gefahrsituation, der von ihm produzierte ökonomische Aufruhr wird das Vorbild der Angstreaktion; 


発達段階の流れに置いて、あらゆる危険状況と不安条件は後のすべてと結びついており共通点をもっている。wir haben vorhin die Entwicklungslinie verfolgt, welche diese erste Gefahrsituation und Angstbedingung mit allen späteren verbindet, 〔・・・〕


すなわち母からの分離である。最初は生物学的な母からの分離、次に直接的な対象喪失、後には間接的な形での分離である。eine Trennung von der Mutter bedeuten, zuerst nur in biologischer Hinsicht, dann im Sinn eines direkten Objektverlustes und später eines durch indirekte Wege vermittelten. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


これらの表現群は、ジャック=アラン・ミレールが「原去勢」と呼ぶものに相当する。


われわれはフロイトのなかに現前するものを持ち出すことができる、それが前面には出ていなくても。つまり原去勢[la castration originaire]である。これは象徴的去勢、想像的去勢、現実界的去勢の問題だけではない。そうではなく原去勢の問題である[Il ne s'agit pas seulement là de la castration symbolique, imaginaire ou réelle, mais de la castration originaire J.-A. Miller, LES DIVINS DETAILS COURS DU 17 MAI 1989)


ラカン自身は「去勢には色々な種類がある」と言っているだけで「原去勢」という表現はダイレクトには一度も使っていない。


享楽は去勢である[la jouissance est la castration.]〔・・・〕問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ。[La question est de savoir : j’ai employé le mot « la » castration, comme si c’était univoque, mais il y a incontestablement plusieurs sortes de castration ](Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)


とはいえ、セミネールⅩⅦに現れる「享楽の喪失」という表現における究極の喪失(去勢)は出産外傷の近似物だと推測できる。


反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]。〔・・・〕フロイトは強調している、反復自体のなかに、享楽の喪失があると[FREUD insiste :  que dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]。ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能がある。これがフロイトだ[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD].   〔・・・〕フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽」への探求の相がある。conçu seulement sous cette dimension de la recherche de cette jouissance ruineuse, que tourne tout le texte de FREUD. (Lacan, S17, 14 Janvier 1970)


この発言のすこし後に次のように言っている。


享楽の対象としてのモノ…それは快原理の彼岸の水準にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…Au-delà du principe du plaisir …cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)


この「喪われた対象」とは、さらに遡ってセミネールⅩⅠの次の文とともに読むことができる。


例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance , et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  (ラカン、S11、20 Mai 1964)


胎盤の喪失、これこそ出産外傷の近似表現であり、原対象a=原去勢である。


喪われ対象aの形態…永遠に喪われている対象の周りを循環すること自体が対象aの起源である[la forme de la fonction de l'objet perdu (a), …l'origine…il est à contourner cet objet éternellement manquant. ](ラカン、S11, 13 Mai 1964)

私は常に、一義的な仕方で、この対象a を(-φ)[去勢]にて示している[cet objet(a)...ce que j'ai pointé toujours, d'une façon univoque, par l'algorithme (-φ). ](ラカン、S11, 11 mars 1964)

われわれは去勢と呼ばれるものを、 « - J »(斜線を引かれた享楽)の文字にて、通常示す。[qui s'appelle la castration : c'est ce que nous avons l'habitude d'étiqueter sous la lettre du « - J ».] (Lacan, S15, 10  Janvier  1968)


したがって、セミネールⅩⅦにあった《反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]》とは、去勢された母胎の回帰と読むことができる筈である。


とすれば、享楽の回帰[un retour de la jouissance]とは、フロイトの次の文に相当する。


以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, ](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)


ところでジャック=アラン・ミレールは、1990年代半ば以降、ラカン自身は直接にはそれほど多くは使用しなかったフロイトの固着概念を前面に出している。

フロイトが固着と呼んだものは、享楽の固着である[c'est ce que Freud appelait la fixation…c'est une fixation de jouissance.](J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)


そして2009年にはこうである。


享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ](Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)

享楽における単独性の永遠回帰の意志[vouloir l'éternel retour de sa singularité dans la jouissance](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)


フロイトにとって固着は「反復強迫=永遠回帰」するものである[参照]。そして上のミレールの文の「単独性」とは「単独的な一者のシニフィアン=享楽の一者」のことであり、固着を意味する。


単独的な一者のシニフィアン[singulièrement le signifiant Un]…私は、この一者と享楽の結びつきが分析経験の基盤だと考えている。そしてこれが厳密にフロイトが固着と呼んだものである[je le suppose, c'est que cette connexion du Un et de la jouissance est fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.  ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、享楽の一者がある[il y a un Un de jouissance]ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


したがって《享楽における単独性の永遠回帰の意志[vouloir l'éternel retour de sa singularité dans la jouissance]》とは「享楽の固着の永遠回帰の意志」とすることができる。


以上、冒頭に示した出産外傷による「女性器への固着=母への原固着」を受け入れるなら、「女性器の永遠回帰」という言い方が可能である。