2021年11月9日火曜日

欲動の表象代理簡潔版

 


シニフィアンは享楽の原因である。シニフィアンなしで、身体のこの部分にどうやって接近できよう? [Le signifiant c'est la cause de la jouissance : sans le signifiant, comment même aborder cette partie du corps ?](Lacan, S20, December 19, 1972)


ここでのシニフィアンとは表象代理のことである。


私は、フロイトは抑圧されたものにおいて、抑圧が表象の秩序に関わるものであることを主張し強調している、と言ったが、彼は(抑圧論文では)それが表象であるとは言わなかった。フロイトが言ったのは表象代理[Vorstellungsrepräsentanz]である。

J'ai dit, FREUD dans le refoulé, insiste, accentue, c'est que le refoulement porte sur quelque chose qui est de l'ordre de la représentation, mais il n'a pas dit que c'était la représentation. Il a dit que c'était le Vorstellungsrepräsentanz.  〔・・・〕


抑圧……これが何を意味するかは、我々の理論で確認するとして...可能な限り、他の場所をさまよい歩く。

La Verdrängung… et nous verrons ce que ceci  veut dire dans notre théorie …va se promener ailleurs, là où il peut.  


抑圧されたものは、欲望の表象されたもの・意味作用ではなく、表象代理なのである[que ce qui est refoulé, ce n'est pas le représenté du désir,  la signification, que c'est le représentant de la représentation. ]〔・・・〕


表象代理は、原抑圧の中核を構成する。フロイトは、これを他のすべての抑圧が可能となる引力の核とした[Le Vorstellungsrepräsentanz,… il à constituer le point central de l'Urverdrängung,… comme FREUD l'indique dans sa théorie …le point d'Anziehung, le point d'attrait, par où seront possibles tous les autres refoulements ](ラカン, S11, 03 Juin 1964)


表象代理とは原抑圧のシニフィアンのことであり、後年のラカンは次のように言っている。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même. ](Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。穴は原抑圧と関係がある[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou.…La relation de cet Urverdrängt](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)


原抑圧の穴=享楽の穴(欲動の穴)であり、原抑圧のシニフィアンとしての表象代理は享楽の穴の原因となる。



この思考はフロイトの無意識論文にある。


われわれは意識的表象と無意識的表象[bewußte und unbewußte Vorstellungen]とがあるだろうといったが、無意識的な欲動興奮[unbewußte Triebregungen]、感情、感覚といったものもあるだろうか? あるいはこの場合には、このような複合語を形成するのは無意味なのであろうか?

私はじっさい、意識的と無意識的という対立は、欲動には適用されないと考える。欲動は、意識の対象とはなりえない。ただ欲動を代理している表象だけが、意識の対象となりうるのである[Ich meine wirklich, der Gegensatz von bewußt und unbewußt hat auf den Trieb keine Anwendung. Ein Trieb kann nie Objekt des Bewußtseins werden, nur die Vorstellung, die ihn repräsentiert]

けれども欲動は、無意識的なもののなかでさえも、表象代理されるしかない[Er kann aber auch im Unbewußten nicht anders als durch die Vorstellung repräsentiert sein. ]


欲動が表象に付着するか、あるいは一つの情動状態としてあらわれるかしなければ、欲動についてはなにも知ることができないであろう[Würde der Trieb sich nicht an eine Vorstellung heften oder nicht als ein Affektzustand zum Vorschein kommen, so könnten wir nichts von ihm wissen. ]

われわれが無意識的な欲動興奮とか、抑圧された欲動興奮について語るとしても、それは無邪気で粗雑な表現ということになる。われわれはそのさい、その表象代理 [Vorstellungsrepräsentanz]が無意識的であるような欲動興奮を考えているに過ぎない。

Wenn wir aber doch von einer unbewußten Triebregung oder einer verdrängten Triebregung reden, so ist dies eine harmlose Nachlässigkeit des Ausdrucks. Wir können nichts anderes meinen als eine Triebregung, deren Vorstellungsrepräsentanz unbewußt ist, denn etwas anderes kommt nicht in Betracht. (フロイト『無意識』1915年)


ーーフロイトはここで表象代理がなければ欲動は知ることができないと言っている。これが冒頭に掲げたラカン文の内実である。


表象代理の別名は、欲動の表象代理もしくは欲動代理である。


表象代理[ Vorstellungsrepräsentanz]

=欲動の表象代理 [Vorstellungs-repräsentanz des Triebes]

=欲動代理[Triebrepräsentanz]


われわれには原抑圧、つまり欲動の心的(表象-)代理[psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes]が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着[Fixerung]が行われる。すなわち、その欲動の表象代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。


Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden. 〔・・・〕

重要なのは、原抑圧を受けたものが、それと接触しうる可能性のあるすべてのものにおよぼす引力 [Anziehung]である。Es kommt ebensosehr die Anziehung in Betracht, welche das Urverdrängte auf alles ausübt, womit es sich in Verbindung setzen kann. 〔・・・〕


欲動代理は(原)抑圧により意識の影響をまぬがれると、よりいっそう自由に豊かに展開する。それはいわば暗闇に蔓延り[wuchert dann sozusagen im Dunkeln ]、極端な表現形式を見いだし、異者[fremd]のようなものして現れる。die Triebrepräsentanz sich ungestörter und reichhaltiger entwickelt, wenn sie durch die Verdrängung dem bewußten Einfluß entzogen ist. Sie wuchert dann sozusagen im Dunkeln und findet extreme Ausdrucksformen, […] fremd erscheinen müssen(フロイト『抑圧』1915年)


ーーここでフロイトは原抑圧=表象代理=固着により異者が発生すると言っている。


フロイトにおいて異者の定義はトラウマである。


トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体[Fremdkörper] のように作用する。[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


ラカンの穴もトラウマのことであり、ーー《現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».]》(Lacan, S21,19 Février 1974)ーー、この原抑圧によって発生する異者=トラウマが、先ほど上に引用した次の文の意味である。


私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même. ](Lacan, S23, 09 Décembre 1975)



なお現代ラカン派では、原抑圧やら表象代理よりも固着概念が好んで使われている。この原抑圧=表象代理=固着のシニフィアンは、S(Ⱥ)と記される➡︎「固着文献Z


……………


例えば次の文は同じ内実をもっている。


超自我はマゾヒズムの原因である[le surmoi est la cause du masochisme](Lacan, S10, 16  janvier  1963)

シニフィアンは享楽の原因である[Le signifiant c'est la cause de la jouissance ](Lacan, S20, December 19, 1972)


まずマゾヒズムとは享楽である。


現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている[Jouissance du réel comporte le masochisme,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)


したがって「超自我は享楽の原因」となる。


もうひとつ、超自我はS(Ⱥ)というシニフィアンである。


S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳を見い出しうる[S(Ⱥ) …on pourrait retrouver une transcription du surmoi freudien. ](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96)

大他者のなかの穴のシニフィアンをS(Ⱥ) と記す[signifiant de ce trou dans l'Autre, qui s'écrit S(Ⱥ)  ](J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 15/03/2006)


ここでの大他者は身体でありーー《大他者は身体である![L'Autre c'est le corps! ]》(Lacan, S14, 10 Mai 1967)ーー、S(Ⱥ)とは身体の穴(トラウマ)のシニフィアンである。


身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)


したがって「S(Ⱥ)という超自我のシニフィアンは享楽の原因」となる。


S(Ⱥ)は原抑圧=固着のシニフィアンでもある。


フロイトの原抑圧として概念化したものは何よりもまず固着である。この固着とは、何ものかが心的なものの領野外に置き残されるということである。〔・・・〕原抑圧はS(Ⱥ) に関わる [Primary repression concerns S(Ⱥ)]。(PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)

シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される[c'est sigma, le sigma du sinthome, …que écrire grand S de grand A barré comme sigma] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001)

サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要)


フロイトからなら、まず原抑圧=固着。


抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)


そして超自我も固着である。


超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)


ーー《超自我と原抑圧との一致がある[il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire. ]  》(J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982)


以上、基本的には次の概念群は等置できる。